第29話Night Attack!!



 夜の王都は驚くほどの静けさに満ちていた。

 だが、この世界において夜とは本来このようなものだ。


 人間の知恵が幾ばくか進歩し、火などを操ることによって夜の闇を限定的に追い払うことができるようになったに過ぎない。

 そんな夜の中を、さながら仮の支配者であるかのように進むふたつの影があった。


 黒い衣装に身を包み、石畳の道を静かに進んでいく影。アリシアとアベルであった。

 素顔が見えないようふたりとも目出し帽バラクラバまでつけており、パッと見では巷を騒がせている人攫いよりも数段上の不審者である。


 いくら人々が夜中に出歩かないとはいえ、それこそ警邏の人間や度を過ごした酔っ払いなどに出会わないとも限らないのだ。

 別に人相が知れ渡っているわけでもないのだが、万が一公爵家の令嬢と従者が深夜に堂々と街の中を闊歩していたなどと発覚するわけにもいかない。

 そのため、このように目立つことなく闇に溶け込める格好をしているのだった。


 表通りは空に浮かぶ巨大な月から降り注ぐ明かりによって照らし出されているものの、人の目に触れるのを避けようとして路地裏を通ろうとすれば、そこには人を寄せ付けない漆黒の闇が広がっている。


「ここからは例の物ゴーグルを」


 先を進むアベルからの指示を受けて、アリシアは頭部に取り付けたナイトヴィジョンゴーグルを目の位置にまで下ろしてスイッチを入れる。


 すると、暗闇の中にもかかわらず、昼間のように明瞭な視界が目の前に広がっていく。

 路地裏の狭い道が緑色にこそ彩られてはいるが、光源などほとんど存在していないにもかかわらず、はっきりと奥まで浮かび上がっている。今が夜であることを忘れてしまいそうなほどだ。

 人々が本能的に恐れる夜の闇――――しかも魔法ですら不可能とするものをこんなにも小さなものが吹き飛ばせるなんて……とアリシアは使用するのは数度目でありながら感心せざるを得ない。


「ちょっと狭いですが、近道をしましょう。大丈夫ですか?」


「ええ、平気よ。わたしに構わず進んでちょうだい。今のわたしたちは、海兵隊マリーンでしょう?」


 「こんな時までお嬢様扱いしないで」とアリシアは言外に含める。 

 こういう時、それぞれが貴族(主従)としての立場と海兵隊員の立場のどちらで振る舞うべきか悩んでしまうのだ。

 でもそんな“不思議な関係”だからこそ……とアリシアは内心で苦笑する。


 


 時を遡ること、およそ半日前――――。


「攫われた国民のことを考慮すると、一番手っ取り早い建物を破壊するプランはできませんね……」


 屋敷の応接室を確保して、“強襲作戦”の会議ブリーフィングが行われていた。

倉庫街を模した簡易見取り図をテーブルの上に広げてアベルは口を開いた。


「そうね。人攫い組織の壊滅を優先するにしても、そのために攫われた人たちを犠牲にするのでは、やっていることは彼らと一緒かそれ以下になってしまうわ」


 アリシアとしても、やってやると意気込んだはいいものの、そのやり方については極めて慎重にならざるを得ない。

 この世界では静粛性を重んじる奇襲など、それこそ貴族に対する暗殺以外に行われることはない。

 だからこそ、基本的には“プロ”であるアベルが立案するプランに従うつもりでいた。


「ええ。ですから、必然的に倉庫への突入となります。それは私とアリシア様だけで行うことになります」


 アベルの言葉にアリシアの喉が鳴る。

 実際に、行動を起こすことを前にして緊張感が湧いてきたのだ。


「本当はラウラもメンバーに入れたかったのですが、専門の訓練を行っていない人間と突入作戦を行うのはかえって危険を高めることになります」


 今回ラウラができるのは屋敷を出る際に協力してもらうくらいだ。

 いずれにしても、彼女にはすでに情報収集の面で大きく寄与してもらっている。もう十分なくらい働いてもらった。

 彼女をこうした実力行使を伴う作戦に参加してもらうことは、今後考えればいいだろうとアベルはプランを練る方向へ進める。

 その中で、装備の見本が具現化されていく。ナイフ、銃、戦闘用の衣服など……。


「装備は市街戦を想定したものをこちらで用意します。相手の人数は三人減りましたので、多くて五人といったところですね。装備からすれば問題なく対処可能でしょう。また、こちらの素性が判明することを避けるために顔は隠します」


 それはそうだ。背後にどんな存在が潜んでいるかわからない中、堂々と殴り込みをかけられるわけもない。

 しかし、いざ作戦が行われると意識するだけで、胸の奥でなにかが燻り始めるような感覚に襲われる。

 緊張感とはまた別の感覚に、アリシアは不思議な気分になっていく。


「さぁ、いよいよ本番です。――――用意はAre youいいかready二等兵Private?」


 そんなアリシアの内心を読み取ったように、見取り図から顔を上げたアベルが不敵に微笑む。

 だからこそ、アリシアもそれに真っ向から同じくらい不敵な笑みを返した。


「……もちろんですわI'm ready教官殿Sir!」








 ……しかし、いよいよとなると身体が震えるものね。“武者震い”ってヤツならいいのだけれど、これはどうなのかしら……。


 昼間のブリーフィングを思い出しながら、自らの身体の震えについて考えるアリシア。

 アベルは、戦いを前にして昂揚感によって身体が震えることもあると古の戦士を喩えにした言葉で言っていたが、はたしてこれはそうなるのだろうか?


 ……いえ、今はやれることをやるだけよ。


 時折路地裏の住人たるネズミと目を合わせながら路地裏を抜け、アリシアたちは目的の倉庫のあるエリアへと足を踏み入れる。


「見張りはひとりだけか……。三人も仲間が捕まったというのに、いい気なものだな」


 倉庫から離れた場所で、アリシアたちは様子を窺う。


 アベルが静かに鼻を鳴らしながら漏らす通り、倉庫の入口には体格のいい男がひとりだけ。それも、ずいぶんとやる気がなさそうに立っていた。


 おそらく、実際に犯人が捕まっても警邏が積極的に動いていないことを知っているのだろう。形だけの見張りという感じで、傍から見ても油断しているのが丸わかりだった。

 一応腰には使い古しのナイフらしきものが吊るされており、それが荒事に従事している人間であることをわずかに匂わせている。……要するにほぼ素人ということだ。


「まず、見張りを片付けてから中に入りましょう。ここは私が」


 そう小声でアリシアに告げて、アベルは腰から刀身をエポキシ樹脂でコーティングされたコンバットナイフを抜くと、一切の音――――呼吸の音さえも限りなく消し去り、闇の中を移動していく。

 相手の視界内に入らないよう闇の中を素早い足取りで進み、右手で逆手にナイフを構える。それから、アベルは左手で掴んだ小石を放り投げた。


「……ん?」


 自身の左手側で小石が地面を叩く音が聞こえた。

 何だろうかと見張りの男が小さく声を上げかけた瞬間、背後から回された腕が口を塞ぎ、驚いている間に今度は首筋に灼熱感が生じる。

 突然のことに驚きながら自分が襲われていることに気付いて声を上げようとするも、がっしりと抑え込まれて身動きが取れない。

 ついでに全身からはどんどんと心臓の鼓動に応じて力が抜けていくような感覚さえ――――男が自分の意識で考えることができたのはそこまでだった。


 抑え込んだ男の身体から力が抜けたのを確認したところで、アベルは男の首筋に突き立ったナイフを静かに引き抜く。

 それから、二度と暴れることのなくなった男の身体を素早く倉庫の陰まで引きずっていく。


 実に鮮やかな手並みだと、物陰から眺めていたアリシアは感心してしまう。

 同様の訓練こそブートキャンプの後期に簡単なものを受けたが、それを本番で実践できるようになるまではそれなりの時間がかかるとアベルは言っていた。現に一連の動作を見たアリシア自身もそう思う。

 極端な緊張状況で、身体が訓練通りに動かないというのは、アリシアも過去に経験があったからだ。


 そしてその時、アベルはこうも言っていた。

 あのブートキャンプが霞んで見えるほどの過酷な訓練を施される海軍の『シールズ』という集団においては、ありとあらゆる状況に対応できるよう、かなりの期間を訓練に充て、その訓練終了後も実戦投入されるまでに相当年数を経る訓練が行われると。

 海軍と聞くと、この世界では船同士で火矢を撃ったり突撃して相手の船に乗り込んだりして戦う以外のイメージはないのだが、世界が違えばそれだけ凄まじい集団がいるのね、とアリシアは言葉のみであってもその精鋭たちに戦慄した記憶がある。


 ほどなくして、アベルからレーザーサイトを使った合図を受け、アリシアも静かに闇の中を倉庫の入口まで進んで行く。


「……銃は使わなかったのね」


「ええ、今回は盗賊を殲滅した時のように、敵だけを殲滅すればいいわけではありませんからね。……中でも同じようにいってくれるとは限りませんので」


 若干の緊張を孕んだアベルの言葉を受けて、アリシアはスリングで肩から吊るしたH&K MP5K 個人防衛火器PDWの重みを意識する。

 それは訓練で使っていたM-14のような大型のライフルに比べればずっと軽い。

 しかし、重みというのはなにも重量の話ではない。


 これだけ軽くて小さな武器とも思えない存在が、わずかな咆吼を上げるだけでそれよりも遥かに重量のある剣や槍、戦斧を凌駕する破壊と死を振りまくのだ。

 引き金を絞る時に指先かかる力なんて魔法の詠唱にも及ばないごくわずかなもの。


 だからこそ、逆に“重み”を感じてしまう。

 それだけの力を自分が持っているのだと――――。


「アリシア様、今なら私だけでも――――」


「いえ、覚悟はしているわ。それに、迷うことは置いてきたもの……」


 アリシアは自身の中の思考を振り払うように、引き返すか問おうとしたアベルの言葉を遮る。


 ここで自分がやらねば、また誰かが悲しい思いをすることになる。

 そして、それを他人任せにすることはできない。


 極端なことを言えば、王都の民の安全云々は公爵家の治める領地と直接的な関係など一切ない。別にアリシアが心を割くようなことではないのだ。


 だが、アリシアは触れ合ってしまった。

 スレヴィやクリスタと。

 彼らや彼らのような人間が、不当に理不尽な目に遭うのを見るようなことはしたくなかった。


 それはもしかすると、婚約破棄という経験をした自分と重ね合わせているだけなのかもしれない。

 だが、


 少なくとも自分の場合はアベルのおかげで、あのままレティシアへの嫉妬に狂って世界を憎悪することだけはせずに済んだ。

 ならば、同じように自分の手の届く範囲だけでも守りたいと思うことのなにがいけないのか。

 自分は、ただ心の中に渦巻く憎悪によって自分の人生を棒に振るような人間が少しでもいなくなるようにしたいだけだ。

 たとえそれが、世間を知らない貴族令嬢の独善的な思いであったとしても――――。


 知らずのうちに、アリシアの中に古来この国で“貴族とはかくあるべし”とされていた考えにも似た想いが生まれつつあった。


「いくわよ」


 短くつぶやいて、アリシアは内心での決意とともにMP5K PDWの銃把グリップを握り締める。

 しかし、自分の中でそのような感情の変化が起こっていると、この時点で当人アリシアは知らない――――。




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