第30話 テメーの罪を数えろ
「では、突入を開始します。備えていてください」
短くアリシアにそう告げて、アベルは扉の隙間から何やら黒い紐のような細い物体を内部に侵入させていく。
専門外であるアリシアはそれをただ見守るのみだ。
アベルが握る紐の根元には光を放つ手鏡のような物があり、そこになにかが映し出されている。
内部の様子を探っているのだと、
「では、行きます」
そうして内部の見える範囲に人がいないことを確認したアベルは、
内部を確認したアベルからの手信号を受け、床下に銃口が向くローレディに構えて、アリシアも静かにその後へ続く。
基本的に、ここでのアリシアの役目はアベルのバックアップだ。
普段は主人と従者の間柄であれど、このような場ではそうならないことはちゃんと弁えている。
入口からエントランスを含めた廊下部分には、事前に探った画像で判明していたように誰もおらず、人の気配も近くにはまるで存在していなかった。
やはり、アベルが睨んだ通り警戒態勢のレベルが低い。
それを受けてアベルは素早く脳内で分析をする。
一度侵入を始めた以上、制限時間が発生してくる。いつ見張りの交代がされるかわからない中では、一秒でも早く作戦を成功させる必要があるのだ。
さて……。ここから攫われた人間が押し込められているであろう倉庫へ向かうか、あるいは先に上の階にある部屋を制圧するかだが……。
短い逡巡を経て、アベルはアリシアの方を振り向いて指で上を指し示す。どうやら重要人物――――首謀者の確保を優先するつもりらしい。
コクリと了解の返事を返し、アリシアもそれに続く。
ゆっくりと音を立てないように一歩ずつ階段を上がっていくと、途中で二階の部屋から笑い声らしきものが聞こえてきた。
周囲を気にした様子もない大きな声であることから、どうも酒宴に興じているようだ。
だからといって油断はせず、音を立てないようにして階段を上がり終えると、そのままふたりは廊下を進んでいく。
光と声の漏れ出る部屋のすぐ手前まで辿り着くと、アベルが再び内部をファイバースコープで探り、手信号で中に男が五人いると伝えられた。
ここまで近付くと内部の様子が、漏れ聞こえる声からもある程度わかるようになる。
「いやぁ、本当にボロい商売にありつけたもんだ! その辺のガキを攫ってくるだけでこんなにも金になるんだからな!」
部屋の中から漏れてくる下卑た大声がアリシアの耳に障る。
本当に呑気なものね……と中で騒ぐ男たちの声を聞くアリシアは、怒りにも似た感情でフォアグリップを握る手にいつしか力が入ってしまっていることに気が付いた。
ゆっくりと息を吸い込んで吐き出し、気分と呼吸を落ち着ける。
「ちげぇねぇ! エルマとカミル、それにハルスのアホどもはとっ捕まっちまったみたいだが、まぁそれでも騎士団はおろか警邏もここまで殴り込んでくることはねぇからな。連中には気の毒だが、さっさとノルマをこなしてしばらくは王都からもおさらばだ!」
治安維持業務を行う組織が
だが、こんなチンピラに毛の生えたような連中が直接国家の重鎮と結びつくことなどありえない。
必然的に、元締め的な存在があるはずなのだが……。
「当然よぉ! バックについてるモノが違うからな! これで今年の冬は家に籠っていられる。オンナも連れてな。まったく、教会様様だぜ。なぁ、司祭様?」
続いて飛び出た男たちの言葉に、思わずアリシアは固まってしまう。
目だけを動かして横に視線を送ると、アベルから漂う雰囲気も同様のものであった。
「……物騒な物言いはやめていただきたいですねぇ。我々は身寄りのない迷える子どもたちを神の家に招き入れているだけですから」
まさかとは思っていたが、聖光印教会が絡んでいたのか……!
アリシアは無言で会話を聞きながらも、内心では大きな衝撃を受けていた。
たしかに、教会ほど人攫いをやるのに
全世界に広まったネットーワークにより、国という枠組みの制限すら受けることなく日常的に物の移動が行われており、彼らが保有する大型馬車の行き来も少なくはない。
本部から運ばれてくる炊き出し用の食料を積んだ馬車にしても、帰り道は各地で集めたお布施くらいしか積んでいくものがないはずだ。
もし、そこに人間を入れていたとしたら……。
しかし、そんなことをする目的はなんなのだろうか。
教義の中では排斥の対象となっている異種族――――ドワーフさえも攫おうとしていたあたり、その意図するところがよくわからない。
目撃したのが例外なだけでドワーフと気付かなかった、あるいはこの下請けらしい連中がとりあえずでやっていたかだが。
そんなとりとめもない思考を続けるアリシアの肩に、アベルの手が静かに置かれる。
アベルを見ると視線が交差。今は目の前のことに集中しろという目だった。
わかったとアリシアは小さく頷いて返す。
アリシアが気持ちを切り替えたのを見届けて、アベルは重要人物の確保を優先するべくテーザー銃を用意するよう手信号で指示を出す。
それから、続いて胸元から吊り下がっていた筒のようなものへと手を伸ばす。
M84スタングレネード――――俗に“フラッシュバン”と呼ばれる手榴弾の一種で
アリシア自身も建物の内部を制圧するための訓練で使用したことがあるし、それ自体の効果を身をもって味わったこともある。
あの時は目眩と吐き気でそれはもうひどいことになった……。
アリシアがテーザー銃を構え準備が完了したことを伝えると、アベルはそれのピンを抜いて、ドアの隙間から内部へと転がり込ませる。
コロコロと小さな音を立てて木の床の上を転がっていくフラッシュバン。アリシアとアベルは目を瞑って耳を塞ぐ。
5,4,3――――
しかし、大声で騒いでいる男たちはそれに気が付かない。
――――いや、視界の隅を転がる物に気付いたひとりが声を上げた。
2,1――――
「ん? なん――――」
衝撃。
凄まじい轟音と閃光が迸ったのが、瞑った目と塞いだ耳にもかすかに伝わってきた。
しかし、直撃を受けた男たちはその程度では済まない。
あの狭い部屋の中で、180デシベル近い爆音と100万カンデラ以上にもなる閃光を至近距離からまともに喰らえばどうなるか。
「突入!」
即座にふたりはドアを蹴破って内部へと侵入。
閃光と爆音によって完全に見当識を失調してしまっている男たちに対して、無慈悲にテーザー銃を撃ち込んで無力化していく。
ふたりを沈黙させたところで、そのままアベルはテーザー銃を投げ捨て、残る三人のうちの二人までを当て身で素早く昏倒させる。
「んだ、テメェはっ!」
そこでイレギュラーが発生した。
思ったよりも早く――――もしくは位置的に効き目が悪かったのか、フラッシュバンの影響から回復したひとりが、完全に反応しきれていないアベルに向かってテーブルをひっくり返しながら掴みかかろうとしてきたのだ。
――――いけない!
すでにテーザー銃を投げ捨て、バックアップに回っていたアリシアの反応はアベルよりも素早かった。
素早く背後から正面に回したMP5K PDWをアベルが射線から外れるように構える。
それと連動して流れるするように、
銃口に取り付けられた
それと同時に男の身体におびただしい数の穴が穿たれ、それと同時に弾丸が肉体へと侵入していく衝撃でわずかに跳ねまわる。
それからほんの一瞬だけ間を置いて、男はそのまま床に崩れ落ちた。
全身から血を流していてピクリとも動かない。紛れもなく即死だ。
「……助かった」
互いの関係を悟られないよう、アベルは普段とかなり口調を変えていた。
手を出さなくても大丈夫だったろうけど……と思いつつ、アリシアは無言で頷く。
現にアベルはコンバットナイフを抜き払っていた。
あのままアリシアが反応できていなかったとしても、その手に握られたナイフが閃き、男の頸動脈を切り裂くなどの方法で致命傷を与えていたことであろう。
しかし、万が一ということもあった。戦いに“絶対”は存在しないのだ。
いずれにせよ、アリシアはまったく後悔はしていなかったし、訓練で叩き込まれた技能が見事なまでに役立ってくれたことに感謝すらしていた。
やはり、あの“最終試験”は必要な儀式であったのだ。
「……必要なかったみたいだけど」
「いや、いい判断だった。さて――――」
アベルはバラクラバ越しに視線を向ける。
テーザー銃で無力化された二人のうちの一人が、先ほど教会の司祭と呼ばれていた人物のようだった。
他の男たちと比べて、明らかに荒事慣れしていないほっそりとした身体と目立たない色の服を選んでいる。
たしかに、傍から見れば人攫いに関係しているようにはとても見えない。
むしろ、先ほどの会話を聞いてさえいなければ、彼は攫われた被害者として振る舞うこともできたはずだ。
アベルはアリシアに奥の机の上に置いてあった羊皮紙の回収をさせつつ、自分は自分で昏倒させた人間を動けないよう縛り上げていく。
「な、なんだ、おお、前、たちは――――」
「やかましい。自分の罪でも懺悔してろ」
全身が痺れているはずにもかかわらず、懸命に声を出して抵抗を試みる聖光印教会の司祭。
その無駄な努力が鬱陶しくなったアベルは、騒ぎ立てようとする司祭を殴って昏倒させ、猿轡を噛ませてから担ぎ上げる。
それからアベルは、アリシアを伴って速やかに部屋を出て階下へと降り、司祭を床に転がすとふたりはMP5K PDWを構え静かに倉庫へと侵入していく。
「クリア」
「クリア」
素早く索敵を行い、内部にあの連中の仲間は潜んでいないことを確認して銃口を下ろす。
「やっぱりここに……」
倉庫として使われていた区画には、攫われてきたと思われる子どもたちが鉄格子の檻に入れられていた。
バラクラバを被ったままのアリシアたちを見て怯えたような表情を浮かべる子どもたち。見た目が見た目だけに無理もないことだった。
「……我々にできるのは、彼らを解放してやるところまでですね」
「ええ、そうね……」
アベルが敢えて言うまでもなく、アリシアは状況を理解していた。
ここにいる子どもたちが、家に帰れるよう最後まで面倒を見てやるには、自分たちふたりだけではどうにもならないことを。
結局、ふたりにできたのは、彼らを閉じ込めている檻の鍵を破壊してやることだけだった。
あとは彼らに自分たちでどうにかしてもらうしかない。
できるだけ皆で警邏の詰所に行くよう言ってはおいたが、身寄りのない子どもなどは警邏に関わることすら嫌がる可能性がある。
無言のまま、戸惑う様子の子どもたちを倉庫の外へと出していく中で、アリシアは心のうちに湧き上がる感情に苛まれていた。
「よくもこの国でこんなことを……。このツケは絶対に払わせてやるわよ……」
誰もいなくなった倉庫でアリシアの唇から漏れ出た小さな怒りは、そのまま夜の闇の中へと消えていった。
『――――強襲作戦、
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