第31話 モーニングは爆炎の香りを添えて


 その後、もう“ひと仕事”を終えてからアリシアたちは再び夜の闇に紛れて屋敷へと戻った。


 屋敷に着いた途端どっと疲労が押し寄せたアリシアだったが、一方のアベルは出迎えたラウラと何やら言葉を交わしてから、捕縛した教会の司祭をどこかへと運んでいった。

 十中八九、今回の件について尋問を行うためなのだろう。


 アリシアにはなにも告げなかったことから、尋問に際してを使わないことは容易に想像がついた。

 知識としてなら“そういうこと”についても、アリシアはアベルから訓練時に学んでいたからだ。


 おそらく、あの司祭は遠からず“行方不明”という扱いになるのだろう。

 王都の治安は決して悪くはないが、というものは少なからず存在する。

 運悪く無法者に襲われたり、排水路に落ちてしまったり……。


 だから、アリシアもアベルには何も言わないでおいた。

 自分に対する配慮を無駄にすべきではないと判断したからだ。


 とはいえ、頭の中はそうもいかない。

 新たに判明した物事などについて考えるにつれ、とりとめもない思考が浮かんでは消えていった。


 その夜、アリシアはほとんど眠ることができなかった。







 明くる日、王都をにわかに騒がせたのは、倉庫街の一角が倒壊したという話題であった。


「――――あら、もう騒ぎになっているの?」


「ええ。このところ、王都ではなにも起きておりませんでしたから。結構な話題になっているようです」


 朝食時、情報収集を頼んでいたラウラから倉庫倒壊に関する情報が報告され、アリシアは食事を口に運びながらそれを聞いていた。

 さすがに昨夜の強襲作戦の疲れ――――厳密に言えば、様々なショックにより精神が昂って眠れなかったからだろうか、目の下に小さくクマができていた。

 ラウラもそこに気付いているはずなのだが、淡々と語る声に感情の色は見られない。


「普通は倒れないでしょうからねぇ……」


 だが、それでも実際に自分たちのやったことが街雀の口から語られていることを聞くと、アリシアの中に未だ残っていた昨晩の緊張感の残滓が消えていくような感覚となる。

 睡眠時間は短いというのに、なんだか急にすっきりしたような不思議な感覚だった。


「まぁ、それこそをしなければ」


「いったいなにをされたのですか……」


 口の端を笑みの形に歪めて満足気な表情を浮かべるアリシアを見て、さすがのラウラも呆れたような表情を浮かべる。

 それどころか、声にまで「昨日無茶をしないようにと言ったばかりなのに」と責めるような響きが含まれていた。

 どちらも長年付き合いのある親しい人間にしかわからないわずかな変化であったが、それだけにアリシアも申し訳ない気分になってくる。


 しかし、ラウラにそんな反応をされるのも無理はなかった。

 なにしろ、堅牢な造りで王都の民の信頼を得ていたはずの倉庫。そのひとつが、夜中のうちに跡形もなく倒壊したというのだから。


 朝になって周辺の倉庫を利用する者が、例の倉庫だけ瓦礫の山になっていたのを発見したらしく、他の倉庫でも同様のことが起きないかどうかで少なからず騒がれているのだという。


「うーん……。だけ示威行動を、ね」


「なるほど。その口振りから、ちょっとでは済まないことはよく理解できました。目を離すと、アリシア様はすぐに無茶をされますから……」


 再び無表情に戻ったラウラが冷たく言い放つ。

 今度は表情から読み取れなかったが、その口調から間違いなく先ほどよりも呆れ果てている。


 というよりも、仲間はずれにされたことが不満なのかしらね……。


 いつもなら短く終わるはずの言葉が心なしかひと言多い。

 已むを得ない事情ではあったにせよ、やはりラウラもアリシアの役に立つ機会に参加できなかったことが不満なのだ。

 ラウラが微妙に不機嫌な背景を理解したアリシアは次第に気まずくなってくる。


「おはようございます」


 そんなタイミングで、アベルが軽やかな歩みで食堂に入ってきた。


「おはよう、アベル」


 挨拶を返したものの、アベルの姿を見たアリシアは思わず目を見開きそうになる。

 この空気を変えてくれそうな救いの主が現れたのもそうだが、アリシアを驚かせたのはあの後もなにやら動いていたはずのアベルの顔に疲労の色がまるで見受けられなかったからだ。

 いったい、どれだけバケモノじみた体力をしているのだろうか。


「ずいぶんな騒ぎになっているようですね」


「そうみたいね。大騒ぎならやった甲斐もあるというものだわ。このぶんだと、あの辺りの倉庫全部に補強工事が入るでしょうね」


 内心の感情を表に出さないよう食後の紅茶の陶杯を味わいながら、アリシアはやって来たアベルに挨拶を返す。

 ラウラはふたりのやりとりを見て、自分の役割は終わったとばかりに壁際に控える。


 疲れているようだなと、すぐにアベルはアリシアの“クマ”に気が付く。

 それを裏付けるように、アリシアは香りが控えめの茶葉をリクエストしており、いつもならストレートで飲むところを砂糖を少し多めにしてミルクも入れていた。


 ……後で仮眠をとるように言うとしよう。


「一部の商人は、降って湧いた儲けのチャンスに笑いが止まらないかと思われます」


「そうでしょうね。まぁ、建築について長じた者がいるなら、特に補強する必要がないこともわかるでしょうが、それを馬鹿正直に言ったりはしないわね」


 あの倉庫の造りを知っている者であれば、支柱の補強などにさほど金をかける必要がないこともすぐに察してのけるであろう。

 それと同時に、こんなに幸運なことがあっていいのだろうかとも。


「それよりも、私は内務卿あたりの顔色が空模様よりも気になりますね」


「ええ、本当に。それこそ秋空よりもすごいことになっているでしょうね」


 アベルの言葉に呼応するように、アリシアは意地の悪い笑みを浮かべる。


 そう、その割を喰らうのは、あの倉庫街の少なからぬ部分の“裏の所有者”となっていると判明した内務卿コンラート・グライゼ・シュトックハウゼン侯爵なのだ。

 第二王子派閥の有力者として名を連ねており、ウィリアムを骨抜きにしている要因のひとつが彼であると貴族派クラウスたちは当たりをつけていた。


 そんな彼は、自身の地位を利用して王都の経済を回し、それで得た財産でさらなる権力掌握に躍起になっているという。

 今まではその財源が掴めないでいたが、昨日押収した証拠の中にシュトックハウゼン侯爵の関与を匂わせる書類があったのだ。

 まぁ、倉庫の持ち主だけという線もなくはないのだろうが、倉庫街に警邏が近寄らないようにしていた時点で、今回の一件に関与していないと考える方が無理な話というものだ。


 さて、そんな彼の懐には今回の件でどれだけの損害がいくのだろうか?

 こんなことなら早々に商会を乗っ取っておくべきだったかもしれないとアリシアは惜しく思う。


「まぁ、本当に内務卿が人攫いにまで関与しているかは別にしても、第二王子を御輿に担いでいる時点でロクなことは考えていないでしょうからね」


 いずれにせよ、この国を取り巻く現状の“そもそもの発端”を担ったと思われる相手へのささやかな復讐は成った。

 とばかりに、ふたりは悪戯を成し遂げた子どものように小さな笑みを浮かべ合う。


「こちらがやってやったと、声を大にして言えないことはいささか残念ではありますがね」


 当然だ。公共物の破壊など重罪にしかならない。

 ここでそんなことが発覚しようものなら、それこそ反乱の疑いでもかけられかねない。

 余計なものはひとりの男の身体に撃ち込まれた弾丸以外すべて回収してきた以上、痕跡となるようなものは残していない。


「ふふふ、狼煙くらいにはなったかしらね」


「原因と犯人はわからなくとも、あの倉庫が倒壊したという時点でわかる人間にはわかるでしょうね」


 とはいえ、どれだけ調べても倉庫が倒壊した原因についてはわからないままであろう。

 重要な支柱を破壊するのに必要となる最低限量のプラスチック爆弾C4を設置し、遠隔操作で起爆させたのだ。

 遠くから建物の基部だけを最小限の被害で同時爆破する魔法などこの世界には存在していないのだから、人為的なものを疑おうにもこの時点で暗礁に乗り上げる。


 それに、内部にいた人間に犠牲者は出たものの、それ以外になにか事件らしきことが起きたわけでもない。

 つまり、瓦礫の撤去時にしっかりと支柱までを調べなければ発見される可能性も低い。


 だが、それでもなんらかの“牽制”にはなったであろう。


 瓦礫の中から発見されたのは、その倉庫を保有していたと思われるあまり素性のよろしくない集団だけであったし、ほとんどが瓦礫に押しつぶされという。


 加えて、現場に居合わせたはずの教会の司祭の名前も、攫われていた子どもたちについても流れる噂の中では一切触れられていない。

 もっとも、仮にそれらしき物証が見つかったとしても、それらについての情報は伏せられていたであろうが。


 つまり、裏で何かが起きたことは、諸々の事情に通じている人間のみが理解するのだ。


「いずれにせよ、これで色々な部分が繋がりました。逆に言えば、それだけ踏み込んでしまったとも言えますが」


 アベルはそう言いながら、神妙な表情をアリシアへと向けてくる。

 それは「本当にコレで良かったのか?」と問わんとするものであった。

 もちろん、アベルは主人であるアリシアの選択を尊重している。

 だが、それでも進んで苦難の道を選ぼうとしているように感じたからだ。


 アベルからの視線に含まれた感情を理解した上で、アリシアは小さく笑みを浮かべる。


「……いいのよ。公爵家に名を連ねる以上、将来的に何らかの形で起きる事態までは避けては通れなかったでしょうし」


 そこには一種覚悟を決めたアリシアの表情があった。


「でも……」


 続く言葉を放つアリシアは、そこで少しだけ困ったような顔をする。


「今回のこと、お父様になんて言おうかしらね……」




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