第48話西風



「お久しぶりです、お母さま」


 ノックとともに司令官室へと入るアリシア。背後にはアベルたち“チーム”のメンバーも一緒だ。


 そして、アリシアたちは部屋の内装を見て少なからぬ驚きを覚える。


 部屋の内部は、ここが最前線だということを忘れさせるほどに落ち着いた雰囲気の造りとなっていた。

 この手の部屋にありがちな豪奢さは含まれておらず、机や椅子に応接用ソファ、箪笥などの調度品はすべてが控えめな茶色で統一されており何ひとつとして嫌味がない。

 ちょっとでも戦況が敵方面へと優勢に傾いてしまえばこの部屋も放棄しなければいけなくなるにもかかわらず、調度品の一切を安物で済ませてはいなかった。


 それはこの部屋の主が持つ「この地を守り切る」という自信の表れでもあり、事実長年実績の為せるものでもあった。


「あら、アリシア。元気そうで安心したわ」


 執務室の机で作業を行っていたオーフェリア・テスラ・アルスメラルダ公爵夫人が書類から顔を上げて表情をやわらげた。


「お母さまこそ」


 親子というだけのことはあって、翡翠色ジェイドの瞳に長いストレートの美しい金髪。それと顔を構成するパーツの所々がアリシアに似ているが、どちらかというとそれは“今のアリシア”に近いと言える。


 オーフェリアの実年齢は三十台半ばを過ぎたくらいのはずだが、驚くべきことに見た目は二十代後半でも通じるほどに若々しく、肌はハリとツヤに満ち溢れている。

 また、その美貌の中には、ある意味ではそれに似合わない戦いに身を置いて来た人間特有の覇気が備わっててもいた。


「ふふ、ありがと。でも、まさか久し振りに会ったら“一皮剥けた”どころじゃない娘の姿を見ることになるなんて思ってもいなかったけれど」


 付け加えられたオーフェリアからのセリフにアリシアは苦笑するしかない。


「ええ、夏はお会いできずに申し訳ありませんでした。その代わり、今回は急いで参りましたので。お母さま、お変わりはありませんか?」


 それは本心からの言葉だった。

 現に、久し振りに会うことのできた母親の姿を見て、アリシアは溢れんばかりの笑みを浮かべている。


「そうねぇ……。元気は元気だけれど、見ての通り国境線こんなところに塩漬けよ。王都のアナグマたちはなにを不安がっているのかしらねぇ。男の子が生まれなかったというのに」


 そんなアリシアの笑みは、オーフェリアの辛辣な言葉を受けてすぐに固まることになる。


 べつに自分が男子でなかったことを気に病んでではない。単純にオーフェリアの毒舌が気になったのだ。

 それこそ、「そういうことをさりげなく口に出してしまうから警戒されるのでは?」とアリシアを含めその場にいた面々は思ったが、誰一人として口には出さない。

 この程度の溜め息交じりの愚痴にさえ遠慮のない物言いが含まれている時点で、オーフェリアを相手に余計なことを言ってしまえば、その舌鋒の鋭さが自分に向きかねないと本能で理解したからだ。


「旦那さまから夏にお話を聞いた時は心配もしたけれど、どうやら杞憂だったみたいね。一緒にいる“お友だち”からいい影響を受けているみたいでお母さん嬉しいわ」


 アベルも含めたアリシアの後ろに立つ面々に少しだけ探るような視線を送るオーフェリア。

 笑顔こそ浮かべているものの、その視線の中に含まれるものを受けて、初対面であるエイドリアンとレジーナはにわかに緊張を覚える。


 とはいえ、事前にクラウスから連絡は行っているのだろう。

 そうでなければ、このような対応を見せはしないはずだ。


 いかに堅苦しい態度を好まないオーフェリアとて、軍を預かる以上は立場というものがある。

 ここが個人的な場所だというのもあるが、これは特例ともいえる対応だった。


「……でも、アリシアが“いい目”をするようになったから、お母さん気が変わっちゃうかもしれないわねぇ。どうする? いっそ今からこの砦の兵力全部で王都に侵攻する?」


「やめてください(国が)死んでしまいます……」


 冗談なのだろうが、オーフェリアが言うと冗談に聞こえない。

 ……いや、。だからこそ厄介なのだ。

 母親の性格を知るアリシアの背中に、冬だというのに冷や汗が浮き上がりそうになる。


「冗談よ、冗談。


 オーフェリアは、軽く手を振りながら笑う。

 聞き手次第では「時が来ればその限りではない」と判断されそうな発言を平気で口にするあたりが実に彼女らしい。

 オーフェリアがそういう性格をしているのはアリシアとて知っているが、やはり見ている方がヒヤヒヤしてしまう。


「さて、旦那さまからの書状で簡単な説明は受けていたけれど、「詳しくはアリシアから聞くように」とも書いてあったわ。せっかくだし、王都の話も含めて色々と聞かせてもらえるかしら?」


 にっこりと微笑みながら立ち上がったオーフェリアはアリシアたちに話しかける。

 その声には、まるで新しい玩具を見つけた子どものような響きがあった。


「ええ、よろこんで」


「ここではなんだし会議室を使いましょう」


 こうなったらオーフェリアは満足するまでテコでも動かない。

 娘であるアリシアは長年の付き合いでそれが骨身に沁みている。


「それでは、少々お時間を頂戴いたします。……ラウラ、お茶を用意してもらえるかしら?」


 ちょっと長くなりそうねと思いつつ、アリシアはラウラに指示を出すのだった。












「なるほどねぇ……。婚約破棄の話を聞いた時は、いよいよこの国の歴史を動かす時が来たかとも思ったけれど、その様子だともう少し面白くなりそうね」


 ひと通り話が終わったところで、オーフェリアは満足気な表情を作って紅茶の杯に手を伸ばした。


「面白いこと、ですか……?」


 アリシアはわずかに首を傾げる。


「そうよ。このままいったらこの国はボロボロになるわ。理由はなんでも――――そうね、王室の後継ぎボンクラ王子の放蕩っぷりに国庫が食い潰されるでもいいわ。そうなれば内乱になるか、他国が軍を差し向けてくるか……」


 そ、それは面白いことなの?


 いかに海兵隊の常識をゴミの日に出したような習慣に染められつつあるとはいえ、アリシアの感覚ではさすがにそこまで言い切ることはできなかった。


「考えてもみなさい。本来わたしたちがこの国をどうにかするために介入する余地なんて、それこそ武装蜂起しかない状況だったはずよ。それがアリシア、あなたの動きひとつで大きく変わりかけているのよ」


「ですが、お母さま。それはあくまでも偶然の結果であって――――」


「いいのよ、偶然でもなんでもね。その行動の効果が組み合わさって、第一王子復活の目まで見えてきたのよ? これが面白いと言わなくていったいなんだと言うの?」


 にやりと笑うオーフェリア。それは肉食獣を思わせる獰猛な笑みだった。


「なんというかね、血がたぎってくるのよ。あぁ、こんな時に旦那さまが傍におられないなんて物足りないわ……」


 いったい何を想像して滾っているのかは知らないが、オーフェリアの表情と吐息が妙に色っぽく感じられるものになっており、この場にいた男性陣――――アベルとエイドリアンが目線をそっと逸らしていた。

 さすがの彼らもその程度の配慮は持っているのだった。


 しかし、娘の前でなんてことを言うのかしら……。


 さすがに日常的に海兵隊ジョークへと染まりつつあったアリシアは、この程度のことでは顔を乙女のように――――いや、彼女は乙女なのだが――――赤く染めるようなことにはならない。


 そんな中、廊下を走る足音が響く。突如としてひとりの兵士が息を切らせて駆け込んできた。


「失礼致します! アンゴール軍に動きあり! 潜入部隊からの報告で騎兵の大部隊がこちらに向かっているとの報告です!」


 その報告によって新たに湧き上がった驚愕と緊張が場を支配する。


「――――いいわね。冬を前になにかがわたしたちに大盤振る舞いしてくれるのかしら? 実に面白くなってきたわよ……!」


 その空気の中でオーフェリアがふたたび――――いや、まるで戦いを前に興奮する獣にも似た笑みを浮かべた。


 本格的な冬を前に、強い西風ならいの気配が漂ってきた。





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