第153話 対峙


 開け放たれた窓の外から吹きこんでくる風は、どこか澱んでいるように感じられた。室内に充満する人間の悪意が、それによって拡散されているのかもしれない。言葉では形容しにくい居心地の悪さがあった。


「本日はお招きいただき光栄至極に存じ上げます」


 すべての感情を覆い隠し、アリシアは王族に対する礼儀として立ち上がったまま深く一礼する。おそらく、ウィリアムに頭を下げるのはこれが最後になると思いながら。


「勘違いをしてくれるな、送った書など建前に過ぎん。私はおまえの顔など見たくはなかった」


 ウィリアムはつまらなそうに腕を振ってぞんざいに答えた。背後ではコンラートが「もう少しまともな王族らしい振る舞いをしてくれ」とばかりに顔を顰めている。


「左様でございましたか。婚約破棄の正式な場にすると共に、わたくしに謝罪をさせる場を設けたにしては、ずいぶん性急なことをなされると思っておりましたが……」


 謁見の間にいるわけではないので、アリシアは必要以上にへりくだることは止めた。けして意趣返しではない。

 そんな態度と皮肉交じりの言葉を受け、ウィリアムは一瞬不快げに顔を歪めるも、すぐに自身の優位を思い出したのか嘲弄ちょうろうするように鼻を鳴らした。


「まさかとは思うが、何の疑いもなくのこのこ出向いて来たのか?」


 心底気の毒な者を見るような目をウィリアムから向けられた。

 彼の隣に座るレティシアも表面上は居心地の悪そうなフリをしてはいるが、双眸に然して変わらない感情が浮かんでいたのをアリシアは見逃さなかった。


「これは大変失礼をいたしました。浅学非才の身では、やんごとなき方々の思惑を推し量ることはできませんようで……」


 どうやら込められた皮肉までは伝わらなかったようだ。

 ウィリアムはアルスメラルダ家から散々煮え湯を飲ませてくれたと勝手に思い込んでいる。そんな相手を“打ち負かす”ことしか考えていないウィリアムには、アリシアが隠した感情の機微を察する余裕もないのだろう。


(敵ながらこの余裕のなさは心配になってくるわね……)


 わざわざ説明して蒸し返すのも面倒なので、アリシアは侮蔑の態度ごとそれらを受け流すことにした。


「ちっ……。相変わらず思ってもいないことを口にする女だ。ここ最近の王家への振る舞いといい、実に不敬であるな」


「不敬ですか?」


 問い返すのも馬鹿らしいが、放っておいては一向に話が進まない。仕方がないのでアリシアは言葉の意味が理解できなかったふりした。そんな態度がまたウィリアムを苛立たせていくと承知の上で。


「わからないとは言わせんぞ。技術管理法施行時、公爵家は王都からの要請に対して十分に応えなかった。これはどういうことだ? 反逆に値する行為だとは思わんか、内務卿?」


「はい、殿下。当該法では完全なる技術の移転が求められます。ランダルキア戦役で活躍した“銃”なる武器の仕組みなどの詳細は譲渡されましたが、第1騎士団長ヘンネフェルト伯爵に試算させたところ、誠に遺憾ながらアルスメラルダ公爵家を除いて現在の王国の技術水準では再現が不可能に近いとの判断が下されております」


 ウィリアムの問いかけに応えたコンラートは「叛乱云々」については巧妙に触れようとしなかったが、声にはアリシアを非難するような響きが込められていた。この様子では接収した技術を王室派貴族に売りつけるつもりだったのだろう。


 結果としてコンラートたちの目論見は大きく外れてしまったようだが。


(あの法律自体、そんな魂胆で考え出したと思っていたわ……)


 他国に流失しても容易に模倣されないよう、金属薬莢を使用するスプリングフィールドM1873にしたせいで、王国内であっても公爵家以外では技術がなくて作れなかったのだ。


 無論、問題はこれだけではない。

 真鍮薬莢しんちゅうやっきょうを回避すべく技術水準を落として火縄銃マッチロックガンから作ろうにも、この世界では黒色火薬すら普及しておらず、原料の硝石をどう調達するかなど課題は山積している。だからこそ技術そのものは抵抗せず王家に“献上”したのだ。


 アリシアたちとて海兵隊のテコ入れはあったが、これらの問題を辛抱強く解決していったからこそ、現在までにスプリングフィールドM1903の先行量産へと漕ぎつけている。

 ドワーフたちを集結させた工房は今や工廠アーセナルと呼べるレベルにまで近付いているが、反対に彼らをぞんざいに扱ってきたせいで逃げられた王都を含む各地では冶金技術から構築し直さなければならないはずだ。


「シュトックハウゼン侯爵、僭越ながら申し上げます。それは我らが応える部分ではなく、国家として取り組むべき事案ではありませんでしょうか?」


 アシリアにはまったくもって理解できなかった。タダで差し出すよう命じられた技術の面倒をどうして最後まで見なければいけないのか。


「何を言っているのだ。すでに東部復興のために多くの貴族は身銭を切っている。ここで貴様らが協力しなければさらなる費用が嵩んで民が飢えるのだぞ」


 ついには論点をズラしてまで責任を転嫁しはじめた。

 しかもレティシアが「まぁ、民が飢えるだなんて……」などとつぶやいたものだからウィリアムはますます愛する者のため張り切ろうとする。


「渡した技術がちゃんと国内で再現できるところまで面倒を見るのが作り出した者の役目だろう。領主代行をやっていて、そんなこともわからないのか?」


「……はぁ? まさかその費用も公爵家が出せと?」


 まさかあり得ないと内心で断じたのをそっくりそのまま言われるとは。

 思わずアリシアは素の声を漏らしてしまった。さすがに理性が働いて「おまえらが不必要な徴税をしなければそんな問題は発生しない」とまでは言わずに済んだが。


「公爵家は大きな領地を持っております、それくらいはできましょう。あなたたちがどのような手を使ったかまではわからないが、アンゴールからの交易ルートを独占しているのはとうの昔に知れている。それで儲けた資金があれば可能だと私は判断します。を企んでおられないのであれば、すこしは国に還元されてはいかがでしょう」


 ウィリアムには気が回らない細かいところでコンラートが助け船を出してくる。

 正直、この男の方がずっと厄介だとアリシアは思う。おおかたクラウスにやりこめられた鬱憤を娘相手に晴らしているのだろう。いやらしいやり口だが、同時に器の知れる行動だった。


 とはいえ、とっくの昔にバレているだろうとは思っていたのでアリシアに動揺はない。

 公爵領から先の流通に関してはなるべく触れないようにしていた。

 コンラートの傘下にある商会も甘い汁を吸えていたからこれまでは何も言ってこなかったのだろう。あるいはそれすらもいつか切るべき手札として持っていたかだ。


「お言葉ではございますが、ご要求は我らの負担でどうにかできる範囲をとっくに超えております。無理に推し進めず、外敵からの侵攻が懸念される東方・北方に絞るなどやりようはいくらでもありましょう。ご再考はいただけないのでしょうか」


 アリシアの答えはどこまでも正論だったが、一方で彼女とて避けられるなら国を割る事態は避けたかった。

 今の言葉にしても仕方なく付き合っているわけではなく本心だ。

 ここでウィリアムの翻意ほんいを促せるならそれでも構わないとさえ思っていた。上手くいってくれるのなら公爵家から譲歩だってできるかもしれない。


 少なくともこの無茶な徴税がなくなれば、王国はもう少し延命できる。

 新技術だ、画期的な武器だといった目先のものに飛びつこうとも、肝心の技術が追い付いていなければ莫大なコストがかかるだけ。無理に進めればいつかどこかで綻びが生じる。それをどうにか理解してほしかった。



 同時に、アリシアはすでにわかっていた。その願いは絶対に叶わないことを。



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