第154話 訣別の羽音 


「黙れ黙れ黙れ! あくまでも王家が決めた方針に逆らうつもりか!? いや、そうだ……! おまえはそんなヤツだったな……!」


 激昂したウィリアムの瞳には明確な拒絶の感情のみが存在していた。


「……一時いっときとはいえ婚約をしておりましたので。ご存じの通りでございますわ」


 最後の望みが潰えたアリシアは小さく息を吐き出して答えた。もはや飾る言葉すら浮かばなくなっていた。


「知ったような口を……! だが、そのような不遜な態度に出られるのも今日で最後だ!」


 ウィリアムは小さく歯を剥き、凶相を浮かべて言い放った。炯々と輝くギラついた視線にはどこまでも暗く深い憎悪が宿されている。


 それにしてもまだ何かふっかけてくるつもりなのか。ここまで来ると覚えるのは怒りではなく、ただ虚しさだけだった。


「公爵家という家柄に縋ることでしか、おまえが大きな態度を取れないのはとうの昔に理解している。ゆえにその後ろ盾を取り除いてやろうと思ってな」


 どこまでも勿体ぶった物言いだった。尚も意味せんとするところをぼかしながら会話を進めることで、勝手に仇敵と見做しているアリシアの不安を煽りたいのだろうか。

 王家の威光を有難味がなくなるまで振り回してきた人間が言うと説得力は微塵もなかったが。


「後ろ盾、ですか?」


 ここでようやく自分を呼び出した真の目的に繋がるのだな。

 アリシアはすでに理解しているのだが、殊更に首を傾げてみせた。


「まったく、どこまで察しが悪いのだ? 生憎とおまえが頼りにしている父親クラウスだがな、先ほど馬車が王城へ到着したのと入れ違いにヘンネフェルト伯爵率いる第1騎士団が衛兵たちも動員して捕縛に向かっている。くくく、これでもまだ希望に縋れるか?」


 言い終えたウィリアムは勝ち誇ったような表情を浮かべていた。まさしく敵将の首を取ったくらいの感覚なのだろう。


「なるほど、わたくしだけが呼び出されたのもすべてはこのためでしたか……」


「今さら理解したか? だが後悔してももう遅い。ここから大掃除が始まる! 遠からず王国は私の支配体制の下で真の強国へと生まれ変わるのだ!」


 自分に膝を屈しろと言わんばかりの口調だった。


「そこまでして権力が欲しいのですか。内務卿の手引きを受けているとはいえ、こういうところだけはいやらしいくらい用意周到ですわね」


「……なに?」


 淡々と、そしてこれまでにないほど冷かな声で返されたアリシアの言葉に、勝ち誇っていたウィリアムの表情が固まった。


「念のため訊いておきますが、これも御身が仕組まれたことでしょうか?」


 相手のつまらない反応には見向きもせず、冷ややかな声で問いかけながらアリシアは耳のイヤリングを指先で軽く弾いた。


「貴様、私を愚弄するのかァッ! 王族に向かってその態度、重ね重ね無礼であろうが!」


 机を叩いてウィリアムが声を張り上げ、レティシアが小さく肩を震わせた。よく見れば王子の目は血走っていた。


「だいたい、お前はいつもそうだった! 人に譲ることすら知らん! 学園の座学でも涼やかな顔で主席を取っていく! 俺は必死に努力しても次席止まりなのにな! 婚約者の悔しがる姿を見るのはさぞや気分がよかっただろう!」


 いよいよ感情を抑制できなくなったウィリアムの叫びが響き渡る。


 いきなり何を言い出すのだとアリシアは一瞬だけ口を開きかけるも、脳裏に浮かび上がったいくつかの言葉は形を為して生まれてはこなかった。

 生の感情を浴びて言葉に窮したと言っていい。


 もちろん、アリシアにも言い分はある。

 彼女とて天賦の才を持っているわけではない。自身の限界を知っていたからこそ貴族としての努力を怠らなかった。上級貴族の子弟として努力を誇示するのは相応しくないと耐えてもいた。

 結果として、当時婚約者だったウィリアムの抱えた負の感情には気付かなかったわけだが、「王族にそんなものが許されるのか?」との思いは今でも変わっていない。


「“王族の私”しか見ていなかった貴様と違い、レティだけは“俺”の内面を見てくれた! だから俺は彼女のために王位に就き、この国を強くせんとしている! 学園と政は違う! 王家との対立を煽る貴様にどれがわかるか、アリシア!」


 ……ああ、そういうことだったのね、


 今までウィリアムの心底に堆積していた負の感情の奔流を受けながら、アリシアはこれまで抱えていた疑問がすっと腑に落ちたような気がした。


 つまるところ、ふたりの相性は元から最悪だったのだろう。

 仮にレティシアが現れなかったとしても、ウィリアムとはいつかこのような結末になっていたのではなかろうか。そんな諦念にも似た思いが自然と湧き上がってきた。


 なにより残酷なまでの事実として、ウィリアムに王としての素質が足りていなかった。彼は第1王子のスペアでなければ王位に就くことすら不可能だったのだ。


 なんだ、最初から破綻が決まっていたんじゃない。


「殿下、落ち着いてください。アリシア殿は追い詰められたあまり強がっているだけ。つまらぬ策に乗せられてはなりませぬ」


 怒りに身を任せて立ち上がったウィリアムをコンラートが制止した。

 暴発されてもアリシアに手を上げでもしたら困るからだろう。「この期に及んであまり煽ってくれるな」と言いたげな視線をアリシアへ向けてくる。


 神輿を担ぐ者は中途半端なところで抜けられないのね。アリシアは淡々とふたりのやり取りを眺めていた。


「そうだったな……。では選ばせてやろう、アリシア。王城に幽閉されるのは確定として、まずはアルスメラルダ公爵に叛乱を唆し、国を乱そうとした首謀者として処刑されるか。あるいは昨年の砦を巡る戦いで貴族たちを殺して回った魔女としてランダルキアに身柄を引き渡されるか。好きな方をな!」


 ついにやってやった。

 アリシアの諦念を余所に、感極まった表情をウィリアムは浮かべていた。


 彼の中では、あの夏の日以降にアリシアが取った行動は、すべてが“自分に歯向かうためのもの”となっているらしい。

 そうやって正当化しなければ、あるいは自分から先にアリシア遠ざけなければ、自身の精神が耐えられなかったのだろう。


 あの叫びを聞いてしまえば、さすがのアリシアも自分に微塵も非がないと言うつもりはない。

 女ごときが出しゃばったと言われればそれまでだし、この世界の慣わしを押し退けるような真似は波風を立たせないために避けるべきだったのもわかる。


 だが、あくまでもそれらは結果論でしかない。

 様々な要因を差し引いても、ウィリアムの言い分はあまりに幼稚で愚かなものだった。


 学園の話ならまだ子どもの範疇と言えなくもない。

 しかし、政治となれば話は別だ。先ほどウィリアムが言ったのとは別の意味で。


 ランダルキアとの戦いにしても帝国との一触即発の事態にしても、たしかにアリシアたちが横槍気味に出しゃばった事実はある。

 それでも介入しなければ敵が国内へ侵入することは避けられなかっただろうし、政治闘争の犠牲になるのは結局のところ民たちだ。

 王族のちっぽけな自尊心を守るために彼らが犠牲になっていい理由などあってはならない。ウィリアムにはそこが見えていなかった。


 だからこそ、今のような振る舞いができるのだ。自分の指示ひとつで多くの人間が死ぬことを理解していない。それは王になる以上、許されないことだった。


「今さら選択肢などあるのでしょうか?」


 問い返したそれはウィリアムに向けられたものではなく、むしろ自分自身に言い聞かせる言葉だった。


「そもそも前者を選んだところで、叛乱の容疑で貴族たちを潰して回った後、ついでに後者もやってしまうのではありませんこと?」


「ほう……。それくらいはおまえの頭でも理解できていたか。和解できるものと思い込んで登城してきた時は、どこまで愚かなのかと気の毒になったものだが……」


 それくらい丸わかりだった。

 それ以前に、嘘を並べておいて開き直るあたりがまた救えない。


「たしかに殿下の仰られるように、わたくしがここで囚われれば、貴族派にとって大きな打撃となるかもしれませんわね」


「ふふ、ようやく状況を理解したか。だが、私にも慈悲がないわけではないぞ? おまえがどうしても国を割りたくないと言うなら、公爵に爵位を返上するよう説得するのだな。領地の没収よりは外聞も良かろう」


 堪えきれず肩を震わせて笑うウィリアム。

 屋敷へ兵を差し向けておいて何を言うつもりなのか。そんな気などないのは明白だった。すべてはアリシアが苦悩する姿を見たいだけなのだろう。


「……本当に呆れたわ。どこまでも自分の思い通りになると思っている。まさかここまでとは思っていなかったけれど、わたしも認識が甘かったわね」


 唐突にテラスから吹きつけた涼やかな風を浴びながら、アリシアは立ち上がって真正面からウィリアムを見据えて言い放った。


「……なんだと?」


 コンラートもレティシアも、果ては護衛の騎士たちもアリシアへと理解できないと言いたげな視線を向けていた。

 それらを受けたアリシアは答えずに向きを変え、悠然とした歩みでテラスへと出ていく。


「待て! どこへ行くつもりだ!」


 逃げられると思ったのか騎士ふたりが先行する形で、ウィリアムたちが後を追いかけてくる。


「幸か不幸か外敵は退き、諸国から攻められる可能性も今しばらくはなくなった」


 歩き続けるアリシアは背を向けたまま語り出した。

 だというのに、その声は驚くほどよく通ってウィリアムたちの耳朶を打つ。


「でも、国王となったあなたはきっと暴君になる。ならば、わたしはこの国の貴族のひとりとしてそれを座視するわけにはいかない」


 それまでの態度を一変させて語り出したアリシアを誰も止められない。完全に気圧されていた。


「今でも貴族は国に尽くすのが当たり前になりつつある。いずれは民からも搾り取って死なない程度にするのが当たり前となるでしょうね。もしあなたの代ではならなくとも、強権的な振る舞いが当たり前になったと錯覚した次の代できっと破綻する」


 それまで国がもてばとは言わなかった。アリシアにも貴族としての節度がある。


「貴様、予言者にでもなったつもりか! 所詮は爵位も持たない女の分際で!」


「いいえ、ただ事実を述べているだけ。何を勘違いしているのかこれまで散々好き放題やってくれたけど、あなたたちが見誤っていたことが少なくともひとつだけあるわ」


 もはやアリシアはまともに取り合わない。

 守ってくれる者がいるわけでもなく、たったひとりでこの場に来ているにもかかわらず、どうしてここまでの余裕があるのか。それがウィリアムたちに言い知れぬ不気味さを抱かせていく。


「なんだ……? 追い詰められすぎて気でも狂ったのか? それとも自分がコケにされることに耐えかねたか? それともテラスから身投げでもして抵抗するか?」


 言葉を並べるウィリアムだが、言葉に力はなく、その表情からはうっすらと血の気が引いていた。アリシアの放つ謎の圧力に呑まれかけていたのだ。


「いいえ? 全部見当違い。それとコケにされたのはわたしじゃない、


「「「は?」」」


 唐突に放たれた、まるで聞き覚えのない単語に全員の声が重なった。本格的にアリシアがおかしくなったのかと思ったほどだ。


 もっとも、彼らが理解しようがしまいが関係ない。アリシアは踵を返すと真に倒すべき敵を見据え、訣別の言葉を叩きつけるべく口を開く。



 どこまでも、そして“悪役令嬢”と呼ばれるに相応しい不敵な笑みを浮かべながら言い切った。


 遠くから響き渡ってくる、空気を叩くローターの音を感じながら。




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