第152話 恋しさと面倒臭さと心強さと


 最低限の形式には則ったものの事務的な内容で「出向く」と返書を出すと、程なくして「迎えを寄越すので登城するように」と先触れがあった。


「その日のうちに返事をさせて、そのまま城まで来いと迎えを寄越すなんて、どれだけせっかちなのかしら」


 知らずのうちに溜め息と独り言がアリシアの口から漏れたが、一旦動き出した歯車はもう止まってはくれない。

 向こうが無礼な振る舞いをしてきたからといって、こちらもそう返すようでは低レベルな争いになるだけだ。待ち時間があるだけマシかと意識を切り替え、登城するのに非礼とならない程度の衣装に着替えた。


 そうして王城からやって来た迎えの馬車に乗り込んだアリシアは、窓の外の景色を眺めながら揺られていく。

 驚くべきことに内部にはアリシアひとりだけだった。他にいるのは馬を操る御者のみで、護衛も侍女も来てはいない。


「仮にも公爵家の令嬢を招くにしてはあまりにもアレよねぇ……」


 明言はしなかったが無作法だ。どれだけ嫌われているのだろう。


(いや、今更ね……)


 アリシアは考えるのを止めた。

 そもそも用意された馬車には王家の紋章もない。これは本来存在しないはずの非公式な登城というわけだ。この時点でアリシアをどうするつもりか何となくわかってきそうなものである。


 たったひとりで敵の本拠地へ向かわねばならなくとも、アリシアに緊張はほとんどない。

 いつも傍にいてくれた大事な人アベルがいない寂しさはあるが、この期に及んで甘っちょろいこと言うつもりはなかった。

 むしろ、さっさと問題を解決させて屋敷に戻り、ふたりでゆっくりとした時間を過ごしたいくらいに思っている。それが並大抵の道ではないとも理解しつつ。


 いずれにせよ、アリシアがこうした余裕にも似た状態でいられるのは、呼び出した自分を殺すことがないとわかっているからだった。


「人質としての価値がなくなるから無茶なことはしないでしょうね。さすがに手を出されるとかもないと思うけど……。あー、でもそれならさっさと散らしておけばよかったかしら」


 少々思考がぶっ飛びかけているが、これから待ち受けているであろう諸々を思えばこれくらいの茶目っ気は許してほしい。自分とて年頃の女なのだとアリシアは内心で溜め息を吐いた。


 さて、どんな形であれ領主代行を務めるまでになったアリシアに手を出せば、即座にヴィクラント全土を巻き込んだ内乱に発展する。

 まさか王室派の求心力と戦力でそれを抑え込めるとでも思っているのだろうか。だとしたらどんな幸せ思考形態をしているのかわからない。


(ただまぁ気になるのは、この間髪容れない動きくらいかしら。誰かが暗躍しているのでしょうけど、そいつが煽ったら何をするかわからない危険性はあるわよね)


 なまじ婚約者としてしばらくの間“お付き合い”をしていた経験があるゆえに、アリシアは他の貴族たちとは違って、ウィリアムのことを“誤解”していなかった。


 まともな振る舞いを期待していないことはもとより、今の彼が衝動的に短慮を起こさない保証はどこにもない。

 普通に考えて王国で長い間続いてきた力の均衡を消し飛ばしてまで自身を頂点とした支配体制を築き上げようとするだろうか?

 今さら言うことでもないが、ウィリアムはあの夏の日の少し前から明らかにおかしくなっている。


 自分に従わない人間の存在を許せない? 一方的に破棄しただけになっているから、元婚約者アリシアがあらためて自分から婚約破棄をお願いしに来い?


 子どものわがままではないのだ。

 どう好意的に考えても、これらは成人した王族男子の振る舞いではない。下手をすれば狂を発したと思われるような案件だ。


 しかし、それすらも国という複雑に絡み合う利害関係に飲み込まれ、またウィリアムの意識に刷り込まれてしまえばどうなるだろうか?


 いずれにせよ、真に驚くべき、そして警戒すべきはコンラートの暗躍を承知の上で、ここまでウィリアムを骨抜きにしたレティシアの手腕だろう。


「あなたもっと評価されるべき」「評価されない辛さはよくわかる」「余人の評価なんて気にしなくてもいい」「自分を評価しない人間に心を許してはいけない」「わたしだけがあなたを見ている」


 このような言葉もうどくを毎日のように耳元で囁かれ続ければ――。


「教会のやり口にしては鮮やか過ぎるって中尉は言っていたけれど……」


 以前、情報担当のクリフォードからそのあたりのレクチャーを受けたが、とにかく相手を否定せず肯定し続けることで自身に依存させる、あるいは自尊心をくすぐり続けることで洗脳じみた思考誘導ができるらしい。

 さらに酒とちょっとした向精神薬と共にでも行使してやれば効果はより高まるとも。


 おそらく国を揺るがしつつあるこの騒動も、根底ではレティシアが鍵を握っているのだろう。

 しかし、今ひとつ彼女の目的がわからないままだった。

 レティシアが何かをせずとも、今のままなら一国のトップの伴侶――王妃になれる寸前のところまできているのだ。権力が欲しいだけなら、国を荒廃させる必要はない。


 ウィリアムからはあの夏の日以降に潰しまくった面子のせいで、殺したいほど憎まれている可能性はありえる。それならば“アルスメラルダ死ね死ね団”名誉団長の名にかけてアリシアたちを亡き者にしようとしてきても不思議ではない。

 しかし反対に、正直レティシアから国を割った内戦を勃発させてまで自分を排除したいと思われているのか。アリシアにはこれもわからなかった。


「……まぁ、会えばイヤでもわかるかしらね。そろそろ種明かしくらいしてくれそうだし」


 イヤリングをそっと撫でてアリシアは馬車の背もたれに背中を預けた。






 王都中心部を抜けた馬車は人目を憚るように王城へ入って行った。

 正面からだったのは城下と城を繋ぐ橋くらいだろう。正門を入ってすぐに馬車は向きを変え、通用口のような場所へと回された。


 カーテンの隙間から外を窺うも、公爵家の者を迎えるというのに、警護にあたる騎士の姿も周囲にはろくに見当たらない。

 国王を守護し、精強さで知られる近衛騎士は先王エグバートの崩御と共に解散して年金暮らしの閑職に追い込まれているはずだから、今は王都を守る第1騎士団から人員を回さねばならない。

 そのおかげか、あまり見覚えのない――言ってしまえば優秀そうには見えない騎士がふたり、アリシアを案内している始末だった。


(なるほど。先程の御者といい、わたしが登城したことすらできるかぎり知られたくないのね。あるいは……他に何か騎士団から人を寄越せない理由がある?)


 違和感を覚えたアリシアの思考が動き出す。案内役の騎士たちが話しかけてくる気配もないのでちょうどよかった。


 そうしていくつかの推論を導きだしたところで、アリシアは目的地と思われる場所へと辿り着いた。

 あちらへ行ったりこちらへ行ったりしていたので、現在王城のどのあたりにいるのか正確な位置はわからない。それは必然的に侵入者が容易に到達しないよう守らねばならない相手がいる場所だと示していた。


「っ……!」


 通されたのは窓の外が大きなテラスになっている応接室のような部屋だった。

 大きな机とその周りを取り囲むように等間隔で置かれたひとり掛けの応接椅子は、豪奢さは見受けられないもののしっかりとした造りとなっている。

 非公式ながらも要人同士の会談・会食で使われる場所なのかもしれない。

 

 それよりもアリシアが一瞬息を呑みかけたのは、思いもよらぬ先客――レティシアがいたからだった。


「ザミエル男爵令嬢……」


「あらアリシア様、お久しぶりですー」


 柔和な、それでいて砂糖菓子のような甘い笑みと間延びした声がアリシアを出迎えた。相変わらずレティシアからは悪意のようなものは感じられない。


「どうしてあなたが?」


 自分でも間抜けな言葉だと思いつつ、アリシアはなるべく驚いた表情を作り問いかけた。

 ここで訊かない方がかえって不自然だし、こちらがレティシアを警戒していると気取られたくなかったためだ。


「ウィル様からここに来るよう言われましたのでー。領主代行になられた方とお会いする場に同席すべきかわたしも悩みましたがー」


 相変わらずふわふわとした物言いだったが、アリシアが領主代行であることに触れるなど所々に知性の片鱗が垣間見えていた。

 思惑はわからずとも、けして油断していい相手ではないとあらためて認識させてくれる。


「そう」


 アリシアは表情に困惑を貼り付けたまま短く返した。


 その後、侍女が紅茶を運んできたが、互いにカップに手をつけることもなく無言の時間だけが過ぎていく。


(この期に及んで泥棒猫とか罵るつもりなんてないけど、向こうはそれを期待しているんでしょうね)


 今ここでレティシアの目的を問い詰めてもおそらく無駄だろう。むしろ、ここでアリシア激発させるためにわざわざ仕組んだようにも思える。


 そんな思惑が透けて見えたからこそ、アリシアは“真の敵”を前にしても焦らない。

 たとえこの先逆境に陥ろうとも屈することはなく反撃の機会を待つだけだ。


 そもそも、策を弄する者には己の手管を人に見せつけたい欲求がある。状況さえ整えば向こうから勝手に喋ってくれるなりボロを出してくれるはずだ。己の勝利を確信した瞬間、驕りから聞いてもいないことを捲し立ててくれるだろう。

 これらもまたリチャードやクリフォードたちから教わったことだ。


 海兵隊から学んだことはアリシアの内に間違いなく息づいていた。


 だから、自分が公爵令嬢だからとか相手が王族だからとかに惑わされることなく全力で戦うことができる。


「待たせたな、レティ」


 奇しくもアリシアが覚悟を決めた瞬間、ドアが開きウィリアムが入って来た。

 出迎えのために立ち上がりつつそっと眺めてみると、いつになく機嫌がいいように見える。

 もっとも、これから憎きアリシアへの“真の断罪”を行えるのだから、そうなるのも理解できる話だった。アリシアへの挨拶がひと言もないのはどうかとして。


「いえいえー、わたしも先ほど来たばかりですー」


 レティシアは精一杯の仕草で一礼し、それを見たウィリアムは表情を綻ばせながら室内を進んでいく。尚、この間アリシアとは目線を合わせようともしない。


 背後には内務卿のコンラートを引き連れており、単なる王子の“お遊び”ではないこの場の重要さ――事態を動かすだけの何かが起こるのだと予感させた。

 ついでに先ほどの騎士も扉の近くに立って護衛についていたが、これはいざという時アリシアが逃げないよう阻止するのが目的だろう。


(主役は揃ってるけど、悪役令嬢に引導を渡す場にしてはちょっと盛り上がりに欠けるわね……)


 ふとあの夏の日の記憶が蘇ってきて笑い出しそうになる。


「さて、おまえを呼び出したのは他でもない」


 席に着いたウィリアムからようやく視線が向けられ、「この時を待っていた」とでも言いたげな歓喜の響きを伴って会談が始まった。


 ついに――そしておそらく“最後の戦い”が幕を明けた。



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