第151話 ウォースパイト


 晩餐会から数日経ったある日、一通の手紙が王都のアルスメラルダ家別邸へと届けられた。


 いくらかの人間が感じ取っていた“嵐”の到来を告げるかのように。




「……はぁ? 和解? 誰と誰が?」


 報告を受けたアリシアは疑問の声と共に首を傾げた。理解が及ばず、無意識に素の感情が出てしまったのだ。


「アリシア様とウィリアム殿下のようです。ここに書かれたものを額面通りに受け取るならですが……」


 いかに内容を読み上げただけとはいえ、口にするのも馬鹿らしくなるのか、アベルは手紙をひらひらと振って見せた。

 仮にも王族から送られてきた書類に対する扱いではないが、誰も咎める気配はない。

 いや、むしろ「今すぐ燃やせ」と言い出さないだけマシだった。

 当たり前だが、これまで散々見せつけられてきた態度からまともに取り合う要素など欠片も存在していなかった。


「アベル、見せてちょうだい」


 ちょっとした驚きから瞬時に立ち直ると同時に、アリシアは受け取った手紙の内容に目を走らせ、次いで本能で理解する。


「それっぽく書かれてはいるけど、やっぱり「和解してやるからお前が王城に来い」なのね。呆れるわね、そもそも――」


 何もやましい感情がなければ自分の足で来ればいい。そう言いかけてアリシアは止めた。


 いくらなんでも次期国王が臣下――しかも爵位も持たない元婚約者へ公式に謝罪などできるはずもない。これは感情云々ではなく、国家のシステム上の問題だ。


「だから相手に足を運ばせて、表面上だけでもわだかまりをなくした体にしたいのでしょうね。謁見ではなく個人的に会えば“偶然”を装えるのだから」


 オーフェリアも今回ばかりは不機嫌さを隠そうともせず答えた。

 これに応じた場合、あくまでも歩み寄ったのは“アリシアから”となり、貴族派が譲歩したと同じ意味合いになる。


「国内外に向け、殿下の支配体制が盤石であるとアピールをするためですよね? もちろん、こちらが素直に応じればの話ですけれど」


 今さらこのようなものを寄越されて気分が良いはずもなく、アリシアは下品にならない程度に小さく鼻を鳴らした。


「相変わらず人をコキ使うのだけは上手いわね」


 オーフェリアも同じ仕草で答えた。まさしく親子だった。


「どうされますか。明らかに罠ですが」


 やや遠慮がちに問いかけたアベルの態度はその実、木で鼻をくくったようなものだった。「今の時期に和解? 裏に何かあるのか?」などと考えるまでもない。この部屋にいる誰もがアベルと似たような態度だった。


「加えて申し上げますが、何を選ぶのも簡単な話ではありません。こちらが断れないと知った上でやってきているのですから。露骨ながら有効な手段なのは間違いない」


 補足を付け加えたリチャードの態度は、普段と何ら変わらない淡々としたものであった。それがまた策謀に慣れない者の不安を掻き立てる。


「つまり、中将はここが分水嶺ぶんすいれいであると?」


「まさしく。儚くもまつりごとの季節は過ぎようとしています」


 オーフェリアからの問いにリチャードは恭しく一礼し、どこか大仰な口調で答えた。彼は裏の狙いまでわかった上で警鐘を鳴らしているのだった。


 先ほどまで並べたのは、平時の状況――“王室派と貴族派の対立がここまで激化していなければの話”だ。先王エグバートが生きていて、彼の仲介にて正式に婚約関係を白紙化・清算するというならあり得ない話ではなかったかもしれない。


 だが、現実はそうならなかった。エグバートはすでに鬼籍に入り、ただ人を踏み台にして己の権勢を高めようとする者の意で動いているだけだ。


「……すべては私の決断次第というわけか。もしアリシアが登城を断っても、そう遠からず難癖をつけてくるだけの違いでしかないな」


 それまで黙って話を聞いていたクラウスが口を開いた。


「一番弱い場所が見えているといえば見えているわけですからね」


 今度はアベルが答えた。

 すでに誰もが理解していることだが、王室派の狙いは派閥争いの平和的な解決ではない。


 今回の“招聘しょうへい”にしても、この期に及んで一向に反乱を起こす気配のないアルスメラル家に業を煮やしたウィリアムたち王室派が、貴族派を暴発させるためにアリシアを人質として軟禁するつもりなのだろう。


「派閥からの突き上げでは動かずとも、実の娘を人質に取られて蜂起しないようでは味方からも私は見放されるな。もっとも、応じなくても同じか。王家に喧嘩を売ったに等しいのだから、貴族たちからの突き上げはより激しくなるし王家からより圧力もかかってくる。どちらも容易に受け流すことはできんな」


 クラウスはあくまでも冷静な態度のまま分析を口にした。

 晩餐会の時のように肉親しかいない場所ではない。ゆえに公爵家の当主として振る舞わなければならなかった。


 今のところ、派閥の強硬派もクラウスの動きに一縷いちるの望みを託して行動を控えていた。

 しかし、王室派が挑発を繰り返せば、その忍耐はどこかで尽きるだろう。


 問題はそれだけではない。


「今は抑えが効いている貴族派の者たちも、いざ自分にお鉢が回ってくる気配を感じ取れば我が家に成り代わろうと野心が湧いてくるでしょう。支持を失った公爵家はこれ幸いと容易く取り潰されますわね」


 オーフェリアも当主の補佐役として極めて客観的な予測を述べた。

 彼女はこれまでに幾多の戦場をくぐり抜けてきている。その経験から、軍人のみならず為政者は安易な幻想にすがるべきでないし、むしろそれは唾棄だきすべきものだと考えていた。


「奥方様のおっしゃられる通りです。アルスメラルダ家という旗頭を失えば、今度は貴族派内部の主導権を巡って内ゲバが起こり、強硬論者を筆頭に各個撃破されて貴族派はおしまいでしょうな。そうなっては中立派も抵抗はしますまい」


 リチャードも頷きながら同意の声を上げた。


 強硬派が暴発すれば、それを口実にウィリアムは彼らを討伐しようと動き出す。現状、彼の権力に制限があろうと対ランダルキアと同じく“国体を守るための戦い”であれば話は別だ。

 そうなれば、王国は内乱の時代に突入するばかりか諸国の侵攻すら招く。


「我が家が滅んだ後のことなど考える必要もありませんが、今は潜在的な味方であるリーフェンシュタール辺境伯も、そこまで状況が動けば旗幟きしを鮮明にせざるを得ないでしょうね」


 オーフェリアは客観的な調子で分析を続けていく。


 彼らもアルスメラルダ家との繋がりを失ってまで他家に自らの運命を預けようとするはずもなく、王室派として反乱貴族たちの討伐に参加するに違いない。

 将来王国が滅ぶとわかっていても、“その時期”を可能なかぎり遅らせる義務が貴族家当主にはあるのだ。

 王国でアルスメラルダ家に次ぐ規模の新世代の兵器ライフルを有していても、派閥を鞍替えすることは不可能だった。表向きは王室派であるリーフェンシュタール家が、貴族派の筆頭に取って代わることはできないからだ。

 派閥のしがらみと言えばそれまでだが、だからといって彼らにどうにかできる問題ではない。

 

 そう、つまるところ――――選択肢を放棄しない限り、傾きつつある天秤を押し戻せるのは貴族派を束ねるクラウスしかいないのだった。


 しかしながら、今となって取れる選択肢はふたつだけだ。


 すわ反乱か、恭順か――。


「お父さま、ここは誘いに乗りましょう」


 おもむろに口を開いたのは、途中から周囲の意見に耳を傾けながら心中で考えを巡らせていたアリシアだった。


「アリシア?」


 突然の提案にクラウスは思わず瞠目どうもくした。

 声を出したのは彼だけだが、周りの反応も似たようなものだった。特にマックスなどは信じられないとばかりの表情を浮かべている。


「小娘が生意気を申し上げるようですが、そろそろ決着をつける時だと考えます。中将がおっしゃったように、政の季節は先王陛下の崩御によって過ぎました」


 決断を下したアリシアの表情に緊張の色は垣間見えたが、一方で不安のそれは微塵も存在していなかった。


「わかっているのか? 登城には従者の同伴すら認められていないのだぞ?」


 公爵家の背後にいる海兵隊の存在は明らかになっておらずとも、アルスメラルダ家が妙に強力な兵を有していることは王室派も理解しているらしく、今回の呼び出しは念には念を入れたものだった。

 けして認めはしないだろうが、それだけ恐れているのかもしれない。


「承知しております。ですが、それゆえに衝ける隙もできましょう」


「そうかもしれん。だが、なにもおまえが――」


「王族や我々貴族は、国家・臣民に対する責任があります。その筆頭である王族が果たさないと言うなら、我々がそれを問い質す必要があるのではないでしょうか」


 この時点ですでにアリシアは覚悟を決めていた。


 もちろん、王国のためにと単身王城に乗り込み事態が好転したところで、おそらくそれはなかったことにされる。

 ゆえに身内以外の誰かがアリシアに恩義を感じて、自分たちの利益を損なってまでアルスメラルダ家のために何かしてくれることも同じくあり得ない。


 それどころか――


「言いたいことはわかる。下手をすれば命に係わるのだぞ」


 クラウスは頑として首を縦に振らない。愛娘を単身死地に送り出すのだ。できるはずもなかった。


「あら、お忘れですか? すでにわたくしは何度も戦場に出ております。今さら危険だからと退くことはできません」


 父からの刃にも似た鋭い視線を受けたアリシアは平然と微笑んだ。

 その姿が自分の隣にいるオーフェリアの若かりし頃と重なって見え、クラウスは思わず目をしばたたかせる。

 思えば今は妻となった彼女も、自分の制止など一度も聞いてはくれなかったし、今も自分の味方に付いてくれる気配はない。


「そうか……。決意は固いのだな」


 諦めたようにクラウスは背中を椅子に預け長い息を吐き出した。


「はい。もし何の利益にもならないとしても、そうした損得を超えた価値で動くことこそが、貴族の貴族たる所以ゆえんでありましょう」


 アリシアははっきりとした口調で答えた。


「たとえ王位の簒奪さんだつと罵られようとも、真の意味で国を守るためには戦うしかない……。貴族の責務とは本来それほどまでに重いはずだったな」


「わたくしもこうならなければわからなかったでしょう」


 アリシアは笑った。同時に、これは不要な戦いであると考えている自分に気付いた。

 ウィリアムたちが他派閥の存在を必要悪と割り切り、王家を中心とした支配体制を諦めれば本来起こりえない争いなのだ。

 婚約破棄を機に愛想を尽かしていたアリシアがウィリアムを憎悪するまでになったのは、まさにこの一点に尽きると言ってよかった。


「親としては娘の成長を心から喜びたいところだが……何もこんな時でなくても良かったと思うぞ」


「そうですわね。ですが、なかなか都合よくいってはくれません」


 アリシアは少しだけ寂しげに微笑んだ。


「最後にもう一度だけ聞かせてくれ。おまえはアルスメラルダ公爵家の領主代行であり、その役目は領地の利益を最大化することだ」


「はい」


「同じように、育て上げた遊撃兵団の軍事力にしても、究極的に言えば領民のためにあるものだ。それを内乱に巻き込む恐れがあるとわかって行使しようと言うのだな?」


「自身の役割を踏み外すことになっても、領地の直接的な利益に繋がらないとしても、王国のために動かねばなりません」


 本来、貴族とはそういうものだからだ。


 まぶたに浮かぶのは、戦いや勝利の記憶ではなく、自分が今までに出会った人々との記憶だった。


「それに、すべてがとは申しませんが、これは自分の甘さが招いた事態でもあるかと」


 答えたアリシアはゆっくりと立ち上がった。


 レティシアに陥落させられた者たちだけでなく、アリシアにも“隙”があったのだろう。

 新兵訓練ブートキャンプに放り込まれるまで、アリシアはどこにでもいるような世間をろくに知らない貴族令嬢であり、ともすれば傲然ごうぜんと受け取られかねない振る舞いをすることも多々あった。

 そのひとつ――貴族の序列を妄信した言動が、このような事態を招く切っ掛けになっていないとも言い切れない。


 だからこそ、今回の件は自分自身の手でケリをつけなければならない。


 そうでなければ、滅びの運命を回避しようと立ち塞がる敵を倒してまで駆け抜けてきた意味がなくなってしまう。


 たとえ、忌むべき手段戦いに打って出なければいけないとしても。


(戦いを恐れはしない。けれど、無意味な戦いを引き起こそうとするものを、わたしは心の底から軽蔑する)


「アベル、領地に残った遊撃兵団および航空戦力には待機命令を」


 意識を切り替えたアリシアは仲間たちに指示を出していく。


「承知いたしました。すぐに連絡を」


 王城を吹き飛ばすわけではないのだから、ガンシップAC-130Uや長時間滞空可能なUAVMQ-9といった兵器群には頼れない。

 むしろそちらは北方および西方に妙な動きがあっても対応できるようにすべきだろう。


 つまり、“最小にして最大の一撃”で終わらせる必要があった。


「ここに詰めている者たちも同じよ。いつでも動けるようにしておいて」


 そのためにも“彼ら”には備えていてもらわねばならない。

 最適なプランを導き出したアリシアは、あれこれ悩みながら覚悟を決めたのが急にバカらしくなってきた。


 これほどの味方がいるならば、なにを恐れることなどあるだろうか。


 ふたたびアリシアはクラウスとオーフェリアの方を向く。


「皆それぞれの役目がありましょう。わたしはわたしの戦場に赴きます。自分にしかできない責任を果たさねばなりません」


 澱みなく告げたアリシア。

 そうして今度は自身の背後に立っていた仲間たちを振り返りながら見据え、お嬢様にして海兵隊員マリーンは直立不動の姿勢を取って口を開く。


傾注Attentoin! 海兵隊・遊撃兵団は――――」


「「「常に忠誠Semper Fi!!」」」


 アベル、リチャード、エイドリアン、レジーナ、メイナードといった海兵隊メンバーもアリシアと同じく直立不動の姿勢を作り、腹の底から捻りだした声で主の求めに応えた。

 不意を衝かれたマックスやギルベルトのような遊撃兵団から選抜された者たちも半拍ほど遅れてそれに加わる。


 かくして一体となったモットーは、窓のガラスを振動でビリビリと震えさせるほどのものだった。


「よろしい。……あとは任せたわね、アベル。そしてみんな」


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