第150話 仮面舞踏会(マスカレード)


 観兵式パレードの後で催された晩餐会ばんさんかいだが、特筆すべきことは何も起こらなかった。


 もっとも、それはあくまでアルスメラルダ家――クラウス、オーフェリア、アリシアといった一部の者から見ての感想であり、他の貴族派や中立派の者たちにすれば同じ思いには至らなかったようだ。


「……とてもじゃないが挨拶に行ける空気ではないな」

「そもそも宴が始まってからこちらを一瞥してもいないぞ」

「新たに法を発布せずとも徐々に締め上げられているわけか。強硬派が黙っていないぞ」

「暴発されては困る。いよいよ考えなければならない時かもしれんな……」


 会場の中心にいるウィリアムやコンラート、さらに今戦いの功労者であるリーフェンシュタール辺境伯たちを遠巻きに見ている貴族派の当主たちが密かに言葉を交わしていた。

 若造にないがしろにされている不快感はあるが、さすがに次期国王相手に表立って態度に出せはしない。

 あの様子では自分たちの敵対的な振る舞いを待っているのだろう。特に強硬論者として知られる者を挑発するには非常に有効な手法だった。


「おのれ、若造め……」

「内務卿の専横ここに極まれりだな。我らが立つべきではないのか」

「滅多なことを言うな。場所を考えろ」

「アルスメラルダ公爵は斯様かような仕儀を受けても平気なのか……?」


 また別の場所では、演奏される音楽に隠れるように不穏当な会話が流れていた。

 穏健派の懸念した通り、態度には出さずとも暗い感情のこもった視線を向けている者もいた。


「なんともまぁ、いくつもの火種が燻っているものだ」


 自身の派閥からも離れてクラウスはそっと呟きを漏らした。彼らに妙な刺激を与えないためにも、今は関わるべきではないと判断してのことだった。


「それにしてもこの葉巻とやら、随分香りもいいし美味いね」


 スパスパと煙を吐き出しながら応じたのは、隣に立ったルーデンドルフ公爵ハインツだ。

 親戚同士の挨拶にかこつけてやって来た彼に、リチャードから土産に持たされたMCX機能で取り寄せたキューバ産の葉巻を渡したのだった。


「……あまり下品に吹かすな。もっとゆっくり、燃えている箇所が熱を持ち過ぎないよう味わって吸うものらしいぞ」


 自身の方へと漂ってくる大量の紫煙に顔をしかめながら、クラウスは葉巻の吸い方を従兄弟へ教える。


「へぇ、たしかに辛みがなくなって香りも穏やかになったね。従兄弟殿もやったのかい?」


 言われた通りに吸い方を変えてみると本当に味と香りが変化した。


「まぁな。試してもいないものを他人に勧められんだろう。煙草をる習慣はないが、これなら時々はいいかもしれないな。ただ、女人と会う時には気をつけた方がいい」


 クラウスの声にはからかうような響きがあった。


「それはどうして?」


「しばらく口の中がその味になる」


「ああ、なるほど」


 何を言いたいのか理解したハインツはくっくっと肩を揺らして笑う。女好きで知られる自分に対する皮肉だった。


「はは、こうして他愛もない話をしているだけなのに注目されるとは人気者だねぇ、従兄弟殿は」


「抜かせ。おまえもだ」


 向けられる種々の視線に気付いても、ふたりは会話を続けていく。

 このように普段は滅多に近付かないクラウスとハインツがこうして会話を見せつけているのにも理由があった。


 王室派の天下のような空気が漂う場所ではふたりが同席しているのは大きな意味を持つ。

 貴族派クラウス中立派ハインツが手を組むのではと想像させることで、王室派には無思慮な行動に出させないための掣肘せいちゅうを加え、貴族派や中立派――特に貴族派強硬論者には自制を求める狙いがあった。


 つまり、派閥の長がパフォーマンスをしてまでコントロールしなければいけない状況にあるのだ。


(だが、これも対処療法に過ぎないな)


 こうした混乱の発生源、すなわちウィリアムが王位に就くのは、王国の慣習に従って年――先王の喪が明けるのを待たねばならない。

 よって国法上、今の彼には依然として権力はないはずだった。


 しかし、現実問題として指導者(王族)不在というわけにはいかず、実質は内務卿コンラートの後援を得ることで国王も同然の振舞いが可能となっている。ランダルキアとの戦いにしても侵攻を受けたのを幸いに、なし崩しにウィリアムが指示を出して逆侵攻までしているのだから今さらとも言えた。結局のところ情勢がそれを許したのだ。


 それすらもコンラートの仕込みなけだが、暴走を阻止できる立場にあった宮廷貴族の大半が内務卿の手によって失脚に追い込まれていた。


 いさめる者がいなくなったウィリアムはますます増長し、自らにおもねる者以外を完全に存在しないものとして扱っていた。

 どうやら個人の好き嫌いを押し殺し、“寛大な心”を見せて派閥を乗り換えさせようなどとは考えつかないらしい。

 助言をすべき立場のコンラートも、下手な真似をして自らの地位を脅かされる仮想敵を招き入れたくないため沈黙を貫いた。


 それらの結果が会場に漂う、晩餐会とは思えないほど重苦しい空気だった。


 即位後にレティシアとの婚儀を挙げて国内をまとめると発表された時も、王室派以外の大半は白々しさを覚えていたほどだ。


「……しかし、晩餐会とは名ばかりの場になったな。お遊戯会と思ったぞ」


 すこしだけ落ち着いた雰囲気が流れ始めた中、クラウスはそっとつぶやいた。


 当然と言えば当然だ。自分たちがどれほど努力したところでウィリアムの振る舞いが変わるわけでもない。

 王族として及第点に遠く及ばないどころか、今すぐ代わりを用意した方がいいと言いたくなるレベルだった。


「残念ながらこれが現実ですね」


 ハインツが煙を吐き出しながら小声で応じた。


「出来の悪い夢を見せられている気分だ。中立派とて他人事では済まないのだぞ」


「潰されそうになったら南の国にでも逃げ出しますすよ。身ひとつでもあまり困らないからのでね」


 冗談めいてハインツは答えたが、この男なら難なくやりかねない。


「おまえというやつは……」


「あら、おふたりとも。こんなのはただの始まりに過ぎませんわ。ちょっと葬儀みたいな空気だからといって動じるのはいかがなものかと」


 まだまだ序の口だ。クラウスの横について沈黙を守っていたオーフェリアが扇子で口元を隠しながら声をかけてきた。


 未だウィリアムが王位に就いていないため、本当の無茶はしないよう踏み留まっている。

 とはいえ、それはあくまでも王室派の認識に過ぎず、先ほども自制を促さねばならなかなったほど貴族派強硬論者などは我慢の限界に達しようとしていた。

 王家の暴走か、貴族の反乱か。どちらかを選ばなければならないところまで来ているのだ。


「思っていてもそういう言葉は口にしてほしくないな。言霊ことだまというものがあると執事リチャードから聞いたばかりなんだ」


 妻からの忠告を受けたクラウスは神経質そうに眉根を寄せた。

 不満を返されてもオーフェリアは泰然としたままだ。いや、どこか夫の様子を面白がっている気配さえある。


「そのように気弱なことを申さないでくださいまし。“鉄のクラウス”ともあろうお方が……」


「俺だって国の大事を間近に控えればこうなるさ。言っておくが内務卿を務めていたときですらなかった初めて事態だぞ? ……まったく気が重くなる。全部、最期まで選べなかった“あいつ”の置き土産だ」


 この場どころか、すでにこの世にいない人間に対して容赦なく悪態をついた。


「それには私も同意したくなるなぁ」


 ハインツも彼にしては珍しく苦い笑いを浮かべていた。

 政治的な無関心を貫く彼の立場でもここまでの状況は想定しておらず、気付いた時には手遅れとなっていた。


 だからこそ、こうして人目をはばかることなくクラウスに接触しているのだ。


「退屈しないで済みそうですわね。わたくしはしばらくは王都にいて事の成り行きを見守りたいところです」


 口元の扇子を小さく仰ぎながらオーフェリアは笑みを崩さない。


「あなたの場合、見守るだけじゃないだろう? 昔から厄介事に顔を突っ込むのが得意だったじゃないか」


「悪いがおまえほど楽しめそうにないよ、俺は」


「ふふふ、どうでしょう」


 クラウスたちの更なるぼやきを受けても、オーフェリアは艶然えんぜんと微笑みを返すだけだった。

 あるいは彼女はとうの昔に予測していたのかもしれない。西方が安定しているとはいえ、今回の王都行きに応じたのも、おそらく吹き荒れる嵐の気配を感じ取ったからだろう。


 そして、会場を取り巻く空気は、近くの会話に耳を傾けるアリシアにとっても他人事ではない。彼女は彼女で自身もまた何らかの決断を迫られると予感していたからだ。


(さすがに、領主代行だからなんて言ってられそうにないわね……)


 呑気に歓談を続けるウィリアムたちに視線を送りながらアリシアは肌でそう感じていた。


 晩餐会は新たな支配者の“格”を見せつける場となった。これさえも何者かの仕込みなのかもしれない。


 このまま予定通りウィリアムが王位を継承すれば、己の権力を確固たるものとするため敵対派閥を粛清し始めるのは想像に難くない。貴族たちはその未来を幻視しながら、されどそれぞれの思惑を感情の仮面で覆い隠したままどうすることもできずにいた。




 そんな中、事態は誰もが予想しない方向へ急速に動きだす。



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