第149話 I feel the best thing,I could do is end it all.


 観兵式パレードが終わりひと息つけたと思ったところで、コンラートはウィリアムから突然の呼び出しを受け、謁見の間へと駆けつけた。


「お呼びでしょうか、殿下」


 急いで馳せ参じたていでコンラートは主君に語り掛けた。


「殿下殿下ともう飽きた。早く“陛下”と呼ばれたいものだよ、内務卿。今日の式典だってどうだ。本来であれば俺が先頭を切って馬を進めるべきだろう? あれでは誰のための式典かわかったものではないな」


 謁見の間で玉座にだらしなく座ったウィリアムは気だるげに声を上げた。

 彼の態度を諫められる者はもはや王城には存在しない。なんだかんだと理由をつけて辞めさせたからであり、コンラートも足下を掬いに来る政敵が減るため特に反対はしなかったが、今になって失敗だったかと思い始めていた。


「今回の戦で、御親征の予定はありませんでした」


 コンラートは当たり障りのない表現で応じた。ウィリアムが自分になにを切り出そうとするのか読めなかった。


「大方、過保護な内務卿が裏から手を回したのではないのか?」


 ウィリアムは皮肉げに問いかけてきた。


「まさか」


 思わずコンラートの表情に呆れが浮かびかかる。軍事的才覚があるわけでもないのに、ひとりしか残っていない直系の王族を戦場に出させる間抜けはいない。


 そもそもどうして戦に参加していない者が式典の主役になれると思うのか。まさか次期国王というだけで、国のすべてを手中に収められると勘違いしているのでは……。

 あまり愉快ではない予測がコンラートの脳裏をよぎる。


「気がはやるのは理解できますが、あとは時間の問題です。今は忍耐のほどを……」


 コンラートは内心に湧き上がる不気味さ交じりの疑念を抑え込み、ウィリアムがこれ以上妙なことを口にしないよう遠回しに口を挟んだ。


「それでご用と申されますのは?」


「ああ、そうだった。式典も終わり、民心もすこしは慰撫いぶされたことだろう。次は国内を固める時期かと思ってな」


 控えめでありながらも間髪容れずに差し込んだコンラートの問いかけに、ウィリアムは今まですっかり忘れていたと言わんばかりに答えた。


「しかし、我々はランダルキアのみならず帝国とも緊張状態に……」


 前者には一定の勝利を収め、後者は幸運にも迷い竜のお陰で戦は回避されたものの、それぞれ国対国でなんらかの取り決めが正式に交わされたわけではない。


「ならば講和を結べばいいのです」


 ウィリアムの代わりに、横に立つレティシアがあっさりと言ってのけた。

 コンラートは初めて存在に気付いたと言わんばかりの不快げな視線を彼女へ向ける。部屋に入ってから意図的に無視していたのだ。

 旧弊にしがみついていると言われようとも、このような前例破りで庶子上がりの王妃など認めるわけにはいかない。少なくとも敬意など払えるはずもなかった。


「講和ですと?」


 さすがのコンラートも驚愕を隠せなかったが、それ以上に同時に湧き上がる感情に意識を引っ張られた。


 なにをバカな。いったいいくつの国々が帝国に侵略され、必死で結んだ講和すら無視されるように滅ぼされたかわかっているのか?


 反射的に声を上げそうになったが寸前で飲み込んだ。

 表情に出さなかったのは奇跡に近いが、これもまつりごとの世界に長年身を置いてきたからだろう。すくなくとも今はそれに救われた。


「そうだ。これ以上戦を続けても、利を得るよりも国は疲弊する」


 珍しくウィリアムがまともなこと言ったなと、コンラートはついつい他人事風に思った。もしかすると心の底から驚いていたのかもしれない。


「ランダルキアも含めてだが、最低でもエスペラントとは講和を結び、反撃に必要な時間を稼ぐ。目下最大の敵は帝国だ。連中が信用できないのは俺自身よくわかっている。だからこそ、この機に国内の不穏分子を一掃するのだ」


 レティシアの言葉を受けたウィリアムは満足げに語るが、一方のコンラートは背中に汗が浮かび上がってくる。

 本当にわかっているとは思えない。ただ、聞き及んだ情報をそらんじているだけではないか。


「不穏分子の一掃とは、まさか粛清をなされるおつもりですか? 国体を磐石にせしめるにはいずれ必要にはなるでしょうが、いかに講和を結んだとしてそのような隙を周辺国が見逃すとは思えません」


「お前にしては鈍いな、コンラート。何も貴族派の連中を十把一絡じっぱひとからげにどうこうする必要はない」


「と申されますと……」


 こういう時は阿呆のフリをして相手に喋らせるに限る。これもまたコンラートが宮廷で身につけた処世術だった。


「簡単な話だ。講和が難航するようであれば――――」


「アリシア様を戦の首謀者として引き渡せばよろしいのですわ」


 薄い笑みを浮かべるレティシアが言葉を引き継いだ。王子の発言を遮るなど不敬でしかないがウィリアムがそれを容認していた。


「そういうことだ。レティは賢いだろう? 帝国には効くかわからんが、辛酸を嘗めたランダルキアならば十分な効力を発揮すると思っている」


 コンラートは頭の先から体温が下がっていくのを感じていた。

 この者たちは敵と向かい合っている中で祖国を乱そうとしている。


 だが、何も言えなかった。自分もまた同じ穴のむじなだと気付いてしまったがゆえにコンラートは積極的な反論ができない。


(この期に及んで怖気付いたのか、私は……)


 先王エグバートという枷がなくなり、ウィリアムは自儘に振る舞い始めた。手遅れになる前に彼を排除すべきなのか……と考えかけてコンラートは思考を止めた。


 そもそも、今さらウィリアムの梯子を外したとして、代わりに誰を王に立てるというのか。

 目の前の青年が立太子していないのをいいことに、素知らぬ振りをして新たに第一王子を再度擁立する? 不可能だ。聖光印教会の口車に乗って暗殺を企んだことで警戒され今は行方不明となっている。おそらく二度と表舞台に出て来まい。


「アリシア嬢をですか……? 彼女は現在アルスメラルダ公爵家の領主代行を務めております」


「それくらい承知している。だが、奴自身が爵位を持っているわけではないだろう? ……そうだな、今回開示させた技術の説明に出頭させればいい。これならアルスメラルダ家とて逆らえんだろう」


 コンラートは言葉を失いかけた。

 過去実害を受けた自分ですらアリシアには手を出していないのに、この若者は何を言っているのだろうか。


「直近のアルスメラルダ家が上げた功績を考えれば、下手に刺激しない方が良いかと愚考いたします。国内への影響も――」


「関係ない。それにはすでに先王が報いた」


 先回りして放たれたウィリアムの返事は明確な拒絶だった。


「国家の非常事態に技術を進んで提供するのは臣下の義務だ。甘くすればつけ上がる。実際、今回の武器にしても何のために作り出したかわかったものではない。王室派のリーフェンシュタール家に渡った分マシなだけだ」


 一昨年起きたアルスメラルダ親子の教会への“殴り込み事件”から推測するに、コンラートが保有していた倉庫の倒壊にはほぼ間違いなくアリシアが関わっているはずだ。

 しかし、証拠らしきものが見つからなかったため報復は諦めていた。

 目先の損失を追いかけて下手に虎の尾を踏めば、本物の武闘派――クラウスとオーフェリアを真正面から敵に回す事態となる。彼らが本気で蜂起すれば法服貴族である自分程度では間違いなく太刀打ちできない。


 コンラートがあれこれと暗躍していながら内務卿の地位を維持したままでいられているのも、あくまで政治のルールで戦い、アルスメラル家をはじめとした政敵に直接的な手出しをしていないからだ。

 第一王子の件に関しては、コンラートに言わせれば明確な庇護者がいなかったから病弱ついでに後継者争いから脱落させたに過ぎない例外中の例外だ。

 直近の貴族派への圧力をかける政策にしても、最終的にウィリアム自身に決定させているのはそういった背景があるからだ。

 密かに権力を掌握して寄生虫のごとく振る舞うため、国体の舵取りの主体が自分ではないよう小物を演じている部分もある。少なくとも自分ではそう思っていた。


「たしかにあの武器は戦いを変えるでしょうな」


「そうだ。分不相応としか思えないが、すべてはあの女狐が背後で糸を引いているに違いない。奴め、恩を仇で返しおって……」


 ウィリアムは熱に浮かされたように表情を憎悪の形に歪めた。


 それを見て、コンラートは初めて目の前の青年に恐ろしさを感じていた。

 必要とあれば元婚約者を敵国に売り飛ばすことを何らいとわぬ冷酷さ。婚約破棄を自ら口にするほど関係が冷え切っていたとしても、ここまでの行動に出られるものだろうか。

 ウィリアムの心の奥底には余人が与り知らない暗い何かが沈んでいると感じ取った。


「それでは私は晩餐会の準備に移らねばまいりませんので……」


 もっとも、コンラートは主君の抱える闇を知りたいとは思わなかった。この場から逃げ出す好機を掴むと、今は自身の仕事に没頭することを選んだ。


 彼にとって大事なのは、あくまでもウィリアムを国王とした政治体制において自分が旨味を吸い続けられるかどうかだけだ。そのために今は“安定”が必要だったし、敵国と講和できるのであればそれで構わないとも思っている。


 アリシアのことはウィリアムの頑なな態度が気になったが、彼からすれば子ども同士の痴情の縺れに過ぎない。感情が先走っているだけで、まさかそこまでの事態にはならないだろう。そう思いこむことにした。


 最悪の支配者的な思考を目の当たりにしても、コンラートは身の振り方を転換することができなかった。彼もまた古いタイプの貴族であり、そこが才能の限界だったのかもしれない。


 だからこそ、彼はウィリアムの言葉の本気度を見誤ってしまった。


「そうです、ウィル様。いっそもう王都に軟禁してしまえばよろしいのでは?」


 甘く蕩けるような声がウィリアムの脳髄に沁み込んでいく。この少女だけはどんな時にも自分を肯定してくれる。醜い世界で唯一の理解者だった。


「名案だな、レティ。今夜は晩餐会だからすぐにとはいかないが、後日気が抜けたくらいのところで先ほどのでもいいし適当な理由をつけて呼び出すか」


「ええ、そうしましょう」


「ははは……。これが成功すれば、いよいよ俺が国を動かせる……」


 ウィリアムの表情には歓喜の色が滲ん出ていた。まるで積年溜め込んでいた何かを解き放たんとするかのように。


「はい、


 そして、青年の傍らに立つレティシアの瞳にも、種類は違うが似たような輝きが宿されていた。


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