第197話 Marine is Rising


「傭兵団だと……? 下賎げせんな傭兵ごときがこの天幕に入っていいと思っているのか!? 衛兵、こやつらをつまみ出せ!!」


 ベルナルディーノが怒声を上げるが衛兵は飛んで来ない。彼らの代わりになだれ込んで来たのは、目出し帽バラクラバを被りあたりに漂う夕闇の空気が人の形をとったような黒ずくめの集団だった。


「残念ながら王子殿下、衛兵は来ません」


 アリシアがそっと語りかけた。

 威圧をするわけでもなく、淡々と事実のみを告げる口調だった。


 それゆえに絶対強者の脅しでしかなかった。正体を知るティツィアーナはひとり頭を抱えそうになる。


 ――動けぬ。我が身を捨ててでも殿下たちを守らねばならぬが、どれほどの意味が……!


 黒装束の集団は彼らの衣装と同色の杖に似た武器を持ち、マルディーニ伯をはじめとした一部の者は、それらがジリアーティ騎士団やウォーヘッド傭兵団が用いたものに近いと即座に気が付いた。

 細かい仕組みはわからずとも、ほぼ漆黒に染められたそれは不気味な迫力を放っており、過去に数々の武具を見て振るった経験から、より洗練されたものとして彼らの目に映った。


「え、衛兵をどうしたというのだ!」


 未だ事態が飲み込めないでいるベルナルディーノは震える声で問いかける。


「正式な手続きを経ていてはいつになっても話が進みませんので、こちらで制圧させていただきました」


「せ、制圧……!?」


「目的は何だ。我らの首か」


 狼狽する第二王子の代わりにを、マルディーニ伯が言葉を発した。本心からではなく“探り”のようなものである。

 彼を筆頭とする武闘派の貴族たちは警戒こそ露わにしたものの剣を抜いてはいない。

 勝てるビジョンが浮かばなかったのもある。


「どうやら誤解があるようです」


 アリシアは困惑の表示を浮かべた。

 周りの何人かは「こんだけのことしといてよく言うよ」と思ったが、ややこしくなるので覆面の下にすべてを押し込める。


「兵たちについてはご安心を。


 ――やはりな。


 マルディーニ伯の予感が確信に変わる。

 もしも彼らが敵――南海の送り込んだ間諜であるなら、それこそ先の戦いであれだけの活躍する意味がない。目立たず戦果もほどほどに、ただ“その時”を待っていればよかったはずだ。


 よって導き出される結論は――


「本来はこの場に出て来るつもりはありませんでした。ただ、王子殿下が功績を上げたティツィアーナ殿下を更迭しかねない勢いでしたので、不本意ではありますが介入させていただきました」


 アリシアは少しだけ表情を和らげて微笑みかけたが、正面から受けたベルナルディーノからすれば肉食獣の表情にしか見えなかった。


 現実逃避もかねて王子は視線をさまよわせるが、チラリと見えた天幕の隙間からは衛兵たちが拘束され転がっているのが見えた。いよいよもって逃げ場がない現実を突きつけられただけだった。


 ――こんな暗殺者のような連中が実在するのか!?


 先ほどまでは戦果を上げられなかった焦りから冷静さを失っていたベルナルディーノだが、生命の危機を覚えて頭から血の気の引いていくと少しずつ状況が理解できるようになる。


「なんなんだ貴様たちは……」


 この期に及んで王族の権威をもって威嚇するような真似はしなかった。

 声すら上げる間もなく制圧されたとなれば恐るべき手際だ。ひとまず相手の出方を窺ってからでも遅くはない。そう自分に言い聞かせた。


 ――もしや……?


 何か思考の空白部分に嵌るものを覚えてベルナルディーノは妹を見る。

 ティツィアーナもまた兄からの視線の意味を誤解しなかった。そっと刺激しないように、それでいて力強く頷いて見せた。


 いくさまつりごとの経験が不足しているだけで、彼もけっして暗愚ではない。

 本当に素質が危ぶまれるのであれば、国王とて総大将など任せるはずもなく、とっくになんらかの理由で跡目争いから外れて療養の名目で修道院なり適当な僻地に飛ばされている。


「敵でないなら……目的を聞こう」


 王子は自分の意思で覚悟を決めた。

 少数で南海軍左翼を押し返し、中央にも援護に出られるような軍勢だ。おそらくこの天幕を吹き飛ばすのも容易なのだろう。

 生まれて初めて生命の危機を覚えた環境の中で、ベルナルディーノは生き残るために自らを変化させていった。平時であれば世間知らずの王子のまま終わっていたかもしれない。才覚の多寡はあれど歴史の転換点に現れる素質を持ってはいたのだ。


 しかし、そうした変化について来られない者たちもいた。

 先ほどのベルナルディーノにおもねってティツィアーナの足を引っ張ろうとした貴族たちが声を上げた。


「殿下! 危険です!」

「そうです! このような素性の知れぬ者たちの言い分を信じるなど!」

「あまつさえ本陣へ侵入しただけでも不敬に――」


「黙れ!」


 ベルナルディーノが怒声を放つ。

 ただし今度は癇癪の類ではなく、はっきりとした自身の意志を感じさせるものだった。


「そうですね……。傭兵と名乗ってはおりますが、正確に申し上げますと我々は傭兵ではなく――強いて言うなれば“義勇兵”にございます」


「“義勇兵”、とな……?」


 聞き覚えのない単語だった。


「然り。我らは使者です。平和をもたらすと大言を吐くつもりはございませんが――」


 アリシアは微笑みを深めて言葉を切ると、そっと手を掲げて従者に合図を送った。


 しばらくすると外から腹に響くような音が聞こえてくる。


「お見せしたいものがございます」


 短く告げてアリシアたちは外へ出て行く。


 ベルナルディーノもティツィアーナも、その場にいたすべての者が少女たちの後に続くしかなかった。


「我らは北の大陸にありますヴィクラント王国より使者として派遣されております」


 音はますます大きくなり、一部の兵士は空を指さして何やら騒いでいる。


 見れば夕闇迫る空から何かがこちらに近づいて来る。怪しげに点滅する光を放ち、天を震わせるような音をまき散らす存在は神話の生物としか思えなかった。


「「「あれは翼竜!?」」」


「いいえ、違います。“我らの武力”です」


 アトラス陣営が上げるざわめきの声を、振り返ったアリシアはよく通る声で否定した。


 彼女がティツィアーナたちを見据えたのは、まさしくAH-1Zヴァイパー攻撃ヘリコプターが地上近くに舞い降りて来た瞬間だった。


「我らが望むのは貴国執政府との会談――可能であれば国王陛下とのそれです。このまま周辺国を含めて大国の草刈り場とならぬための話をいたしたく」

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