第198話 そういうところだぞ
真夏の暑さが最高潮に達したアトラス王国の王都アトラスティアだが、溶けそうな気候に反して街はにわかに騒がしくなっていた。
このところ近海を騒がせていた海賊たちがめっきり数を減らしたのもそうだが、それ以上に自分たちの国土を飲み込まんと攻め入って来た南の大国――南海国の軍が、玉砕覚悟で迎え撃ったアトラス軍によって退けられたからだ。
もちろん、民向けの誇張表現が随所に織り交ぜられている。
正しい情報の伝達よりも、いずれはまた攻めてくる敵に対して立ち向かおうとする意志を育てねばならないからだ。「歯向かっても無駄」「恭順すれば利益がある」こういった
そう、市井の賑わいとは反対に、王城の一部には何とも言えない息苦しさにも似た空気が漂っているのだった。
「はぁ……。侵略者どもを追い返してひと息つけるかと思えば、また別の問題が山積みではないか……」
城内のとある部屋で、壮年の男が大きな溜め息を吐いた。
白髪が大半を占める頭髪を撫でつけた、まさしく熟練の文官という印象を与える。もっとも、現在はここのところの激務もあって、かなりの疲労感を表情へ滲ませ頬も不健康に
しばらく食欲がないのも体調の悪化に拍車をかけているのは疑いようもない。暑さで弱っているだけではなさそうだ。
「ええ、困ったことに休む暇すら与えてもらえません。前線から戻ったばかりだというのに」
壮年の前には年若い男が立っているが、顔に感情らしきものは浮かんではいない。反面、声色にどこか余裕が感じられ、それが壮年の男の神経を苛立たせてくる。
「そう言うな。
「あいにくと補佐官の任は先日外れるよう、“急な辞令”を受ておりますが、宰相閣下」
名前とともに表情の下に潜む態度に言及されても、年若い男――マルセル・ド・バルバストルは特に動揺を見せない。
むしろ彼に皮肉を投げかけた壮年――内務卿を務めるウルバーノ・ド・ソルレンティーノ侯爵が効果を得られず顔を
「“外された”と言わないとはな。よもや前線の空気を吸ってすこしは成長したのかね?」
「残念ながら成長期はもう何年も前に終わっております。あとできるのは横に伸びるくらいですな。王城の皆様方と同じです」
痩身のバルバストルが言っても嫌味にしかならない。
少々意地になって問いかけた結果、返って来たのは全方位に敵を作り出しそうな、減らず口だけだった。
どのような皮肉ならこの男の表情を多少なりとも変化させられるのかとウルバーノは内心で唸る。
「宰相閣下に対してあまりにも無礼ではありませんか、バルバストル殿」
秘書官のセラフィーナが言葉を挟んだ。
彼女はマストリーニ男爵家令嬢でもあり、バルバストルの貴族社会の序列を軽視した態度を見ていられなかったのだ。
ウルバーノはそれを軽く手を掲げて黙らせる。
「……前言撤回しよう。相変わらず余計な言葉が多い。騎士団を追い出された件から始まり、あらゆる場所をたらい回しにされてもまだ懲りていないのか、貴様は」
「これは大変失礼いたしました、閣下。どうにも思ったことを口にしてしまう癖が治りませんで」
まったくそうは思っていない態度でバルバストルは浅く一礼した。彼はセラフィーナを一瞥もしていない。その価値を見出していないのだ。
「ちなみに、ここ最近の配置換えの数々においては、様々な経験ができて非常にありがたいと思っております。前線でよいものを見られましたし」
――そういうところだぞ!
所作すべてがウルバーノを余計に苛立たせるが、この男のペースに乗ってはならぬと我慢する。
尚、セラフィーナは先ほどの無視されたのもあって怒りに震えていた。
「貴様は自身がそれなりに優秀だと理解しているだろう。もうすこしなんとかならんのか」
「私に何の価値もなければ、とっくの昔に僻地の雑務役で終わっていたでしょうね」
わかっているのだから余計にタチが悪い。
この男はとにもかくにも異質だった。
元騎士という異色の経歴ながら、彼が態度と人格に多大な問題があるだけで文官としてもひどく優秀なのは、不承不承ではあるが多くの者が理解していた。
数字に強すぎるせいで、所属していた騎士団の不正蓄財を暴いて両成敗的に罷免されてからこの方、彼は様々な役目を転々としている。まともに勤め上げたのはティツィアーナの家庭教師役くらいだろう。皆がそこで不敬罪で首を刎ねられると確信したが、なぜかこの男は無事にそれを乗り越えて生還した。
「姫殿下の推薦もあったよ。数字だけなら最高の人材だとね」
「まことにありがたい話です」
ティツィアーナの存在もさほど意に介していなかった。
いずれにせよ、今回見舞われた非常事態が、彼に中央へ返り咲く機会を与えたのは間違いない。それが正解かどうかは今の時点では誰にもわからないが。
「白々しいものだ。貴様の態度については今さら触れるのも無駄だが、それにしても前線で何を見てきた? 楽しそうな貴様の
「はて。我が国が勝利を収めし喜ばしき時に、閣下は何か他に興味をお持ちに?」
またもバルバストルはわざとらしい態度を取る。
「大いに。……軍監としての報告書はひと通り読んだ。ベルナルディーノ殿下が武勲を上げられなかったことは残念だが、それを補って余りある戦果を叩き出した。この勝利で我々が貴重な時間を稼げたのはもはや疑いようもない」
これ以上の無駄なやり取りを嫌ったウルバーノは少しずつ本題に切り込んでいく。
「まさしく。あとはこれを“天啓”だのなんだと騒ぐ輩が出ないことを祈るのみです。余計な真似でしかない」
「余計な言葉を並べるなと言ったばかりだぞ」
言葉では先ほどと変わらぬ口調で返したものの、ウルバーノの表情や仕草では一定の理解を示していた。
少し話は逸れたように感じられるが、この男はあまり無駄を好まない性格だと思い出して付き合うことにする。
「お言葉ですが閣下。安易に集団的な熱狂に持って行こうとするのは度し難い行為です。もしも勝利に浮かれた我らが居丈高に振る舞おうものなら、この後に控えた諸国との連合も勝手に潰れます」
「敵からすれば願ったり叶ったりだな」
「当然、離間工作も予想されます」
宰相相手でもバルバストルは一切容赦しない。
忖度してほしいのであれば、自分をこのような場には呼ばないと確信していたからだ。
「ふむ……。そうならぬよう、国内の引き締めを行う必要はあるか……」
顎に手を持って行ったウルバーノが唸る。
物理的な侵攻に合わせて、
敵国の思惑に乗せられて物別れに終わっては堪らない。せっかく稼ぎ出した時間がなんら意味をなさなくなる。
「これはあくまで個人的な希望ですが……味方の足すら引っ張る目障りな連中がいます。どうにかできませんか?」
「……今のは聞かなかったことにする。あれでも領地を持った貴族なのだよ」
こめかみを押さえつつウルバーノが溜め息を吐きながら答え、セラフィーナはまたも信じられないものを見るような目でバルバストルを見た。
宰相として彼も国内の“問題”については認識していたが、代々の爵位を持たない文官が貴族の更迭を示唆したのはあまり褒められた行為ではない。
とはいえ、バルバストルを咎めないのは自分にもあの連中を問題と認識している自覚があるからだった。
「ふむ、ある程度の決着が着くまでは無理ですか……。たしかに下手に改易など行えば敵に取り込まれるだけでしょうな。内患とは知りつつも適度な扱いはせねばならないとは頭が痛い」
「いい加減になされてはいかがですか! あなたは爵位も持たぬ――」
「今は
ウルバーノが鋭い言葉と視線を向けたのはバルバストルではなくセラフィーナにだった。
彼女は秘書官でしかないのだ。もしもこの調子で諸国の使者にでも接しようものならどうなるか。それを今のうちに教えねばならなかった。
「も、申し訳ありません……」
「ある意味では王族よりもデリケートな存在だよ。暴発するかわからない手合いは間違っても諸国との協議の場には連れて行けぬ。……であるならば引き締め先はどこに求める?」
やはり少しくらいは忖度しろと思いたくなったので、ウルバーノは強引に話題を変えた。その際、上司としてすこしだけセラフィーナへの行為を咎めておくのも忘れない。自分もそろそろ限界なので偉そうなことは言えないと感じながら。
「ひとまずロマリア教には冷静に人心を
「その役目だけを負ってくれるなら、彼らはうってつけだな」
「ええ。そういった意味では結果論に過ぎませんが、我らは国家に跨るような宗派を持たずにいて良かった。下手をすれば間諜以上に厄介な扇動をされますからね」
ロマリア教はアトラス王国のみに伝わる宗教だ。
大陸から切り離された環境ゆえ、土着の信仰が長い時間をかけて浸透し、迫害されてもいないので戒律も緩い。
執政府からすれば大陸中央で政治的に利用されている排他的なものではないのが今は救いだった。
「しかし……この国の一大事に他所の大陸からの使者とはな……」
羊皮紙を捲ったウルバーノは疲れ切った声を上げて椅子に背中を預けた。
会話の流れに任せて先送り気味にしていたが、彼の経験はここからが本当の厄介事だと確信していた。
「それが何か問題が?」
「……バルバストル、ここまで語っておきながら気付いていないフリはやめろ。これこそ私が“面倒事”と断じたものだ。今までとは大きく変わって第三国の思惑まで絡んでくる。いやそれよりも――――」
それまで避けていた話題を口にしなければいけないと思った瞬間、自分の頭の中で何かが音を立てて切れたのがわかった。
「なんなんだ! いきなり現れて戦場を引っ掻き回していったあの無茶苦茶な連中は!!」
ストレスの限界に達したウルバーノは羊皮紙の束を目の前に叩きつけて叫んだ。
散らばった紙には“ウォーヘッド傭兵団”の戦果が書かれていた。
ティツィアーナが総大将を討ち取ったことが霞かねないほど、彼らは凄まじい数の敵を大地に沈めている。雑兵だろうが何だろうが、生きていればふたたびやって来るであろう敵を確実に減らし大きな損害を与えたのだ。
バルバストルでさえ王族には一定の忖度をしたが、どう考えても本当の戦功第一位はアリシアたちだった。
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