第200話 夢見る少女じゃいられない


 南海との戦いからおよそ1週間後、いよいよ最高潮に達した夏の暑さは、そこに暮らす人々に外出を躊躇わせるに足るものだった。

 それでも、同じく最高潮に達した熱気ともいうべき戦勝気分が街路を賑わせ、行き交わう人々にも溶けたような笑みを浮かべさせている。


「今日も暑いねぇ」

「ああ。だけどおかげで冷水が美味いぜ。これもめでたいいからだな!」

「さすがはアトラスの精鋭が集まった軍よなぁ」

「なんでも総大将まで討ち取ったらしいじゃないか」

「それなぁ、これは大きな声では言えないけどよぉ。どうもそれを成し遂げたのはティツィアーナ王女殿下らしいぞ」

「ふーん。戦に強い王族が世に出られるならまことにめでたいものよ」

「そうだなぁ。頼りになる方はおったほうがええわ」

「兄妹で仲良く国難に立ち向かって欲しいもんだ」


 それぞれに思惑などはあるものの、ここしばらくの嫌な気分が今は軒並み吹き飛んでいた。

 物売りから羽振りの良い商人まで、誰もが明るい顔を浮かべて道を行く。

 そんな中を、家紋も何もない四頭立ての馬車が二台、街の大通りを抜け王城へひっそりと入っていった。


「こんな時に家紋なしの馬車?」

「いやいや、こんな時だからかもしれないぞ。まぁ俺たちには関係ないさ」


 彼らも最初はそれを小さな違和感として受け取ったが、所詮王城で起こるものなどは雲の上の出来事。自分たちには関係のないと決めつけ、すぐにその存在を忘れた。

 今の彼らはそんな些細なことよりも侵略者を退けた祖国の強さに酔いしれていたかったのだ。

 たとえそれがいくらか誇張されたものであったとしても、これといった娯楽のない平民たちにとって、祖国が戦に勝ったという血湧き肉踊る話――吟遊詩人が語る神話の英雄譚を思わせる騎士や兵士の活躍こそが目下の関心事だった。


 彼らは知らない。今まさにこの国の行く末を左右するであろう歴史の動きが、王城で巻き起ころうとしているのを。




「では、事前に書簡で交わした内容通り、今回の会談は正式な国交の樹立を前提としたものと捉えてよろしいでしょうか?」


「ええ。我が国に否やはございません」


「それでは――これが我らの初の邂逅となりますわ、宰相閣下」


 士官向け――階級章は大佐の――ブルードレスに身を包んだアリシアと、礼服に身を包んだウルバーノが握手を交わした。


 この日、アトラス国はウォーヘッド傭兵団――ではなく、アルスメラルダ公爵家遊撃兵団をヴィクラント王国からの正式な使節として出迎えた。


 急遽作られたという会談用の広間には、それぞれの関係者が正装にて控えており、調度品も相まって厳かな空気を醸し出している。

 この場にいないのは王族くらいのもので、ほぼほぼ正式な国交の場と認識して問題はないだろう。


「本来であれば国から外務官僚を連れて参るべきでしたでしょうが、戦もありましたためそちらは日をあらためさせていただきます。よろしいでしょうか?」


 アリシアは貴族令嬢の身分ではあるが、遊撃兵団を率いる者――とりあえずは軍人として参加している。

 言ってしまえばヴィクラント側の文官は不在に等しいのだが、この場でそれを気にする者はいなかった。


「ええ、そこは構いません。きちんと貴国が示してくださったものが現実となれば、我らとしては望外の喜びとなることでしょう」


 とにもかくにもアトラスはヴィクラント側の一挙手一投足を注視している。

 本当にこの国が南海を退けられるほどの軍事力や技術力を持っているのか。それが参加者にとって最大の関心なのだ。


「ふふふ、約束は違えませんわ」


 先ほどまで行われていた会談――それぞれの国家の情報を開示する場でも、ヴィクラントからは銃といった武器を供与する、またアトラス側で内製化を進めていくためのプランについても比較的細かい説明がなされており、参加者の多くはそこを疑っていない。


 もしも彼らが気にかけているとすれば、おそろしいまでの牙が自分たちに向かないかどうかだった。


 ――おそらく彼らは本気を出していないし、この国を武力で占領するつもりはないだろう。


 ウルバーノをはじめとした嗅覚の鋭敏な者たちはそう判断していた。


 そうでなければ数百人の兵士を送り込むだけに留まらないはずだ。

 大軍の派遣ができない理由はあるのかもしれないが、だからといって不遜な態度を取ることだけは命に代えても避けねばならなかった。

 今後は現実の見えない貴族たちが余計なことをしないとも限らない。考えるだけでウルバーノも、今は置物に等しいバルバストルもセラフィーナも頭が痛くなってくる。


「そういえば、貴殿は公爵家のご令嬢と伺っておりますが、貴国では女人が軍を率いることもあるのですかな? ……失礼、我が国ではそういった例はないもので」


 話題を変えようとウルバーノが素直な疑問を口にする。

 アトラスでは“はねっかりの王女たち”が騒がしいので騎士団を作ってやったに過ぎない。彼らの常識ではこれでも精一杯の譲歩を見せた認識なのだ。


「たしかにおっしゃるとおり珍しい例ではございますが……ないわけではございません。わたくしの母も一軍を率いて、長年異民族から国境を守護しておりました。共に戦ったことももちろん」


「なるほど……。戦歴をお持ちとなれば、やはり貫禄――これは違いますな。なんと申しますか迫力が違いますな」


「女の身でもこの程度はできるようです」


「いや、そういったつもりはなく……。気になったのは特にその……貴殿らの装束で……」


 答えを間違えたかとウルバーノの額に汗が滲む。


 アトラスはこれまで周辺国と積極的な国交を重ねてきたわけではない。どちらかと言えば外交には不慣れなのだ。

 そんな中で、相手方の姿格好ブルードレスから漂う美しさと勇壮さを、同時に傍慣れる並々ならぬ気迫を前にすると緊張せずにはいられない。


「ああ。これはブルードレスと呼ばれるものです。国軍に採用されているものとは異なりますが、これが我らの“誇り”でございますわ閣下」


 アリシアはにこやかに答えた。

 自分の役目はこの場で相手にどんどんヴィクラント王国を脅威に感じてもらうことである。武力による威嚇といったものは用いず、勝手にそう思ってもらうのだ。


「我らも……見習わねばなりませんな……」


 実際にはそのような行為が必要ないほど、ウルバーノたちは抵抗してやろうとする気を失っていた。


 先の戦いを分析すればするほどに、ヴィクラントの助力失くしてあの勝利はあり得なかったとの結論が出ている。

 自分たちも戦った。その上で命を賭して――犠牲を払って勝利を収めている。本来は勝者として喜ぶべき側なのだ。


 しかし、現実を見ようとすれば見ようとするほどに勝った気にはなれなかった。


「軍事教練などもできればと考えておりますわ。……ああ失礼、先走ってしまいました。調印式はまた後日となりますが、先行して閣下たちにお会いできたわたくしとしましても、両国の関係がそれぞれに新たな価値や良き未来をもたらすことを祈るのみです」


 こぼれんばかりにとびきりの笑顔を浮かべて、アリシアは再度ウルバーノの手を握った。


 のちにアベルはこの時の出来事について、苦笑交じりに部下たちへ語っている。


「あの時のアリシア様は、機甲部隊を率いて王城に殴り込んできた時のオーフェリア様そっくりだった」と。


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鉄血の海兵令嬢(旧題:まりんこ!~立ち塞がる敵はすべて倒す! 不屈の悪役令嬢は異世界を海兵隊と駆け抜ける~) 草薙 刃 @zin-kusangi

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