最終章〜お嬢様と海兵隊は永遠だってよ!〜
第127話 悲しみは雪のように
灰色の空から降る雪が世界を白く染め上げ、人々の気配が街角から限りなく希薄になった頃、ひとつの報せが国内を駆け巡った。国王エグバートの崩御である。
ヴィクラント王国の新年は君主の喪失という、ある意味では逆境から幕を開けることとなった。
葬儀は各地から貴族たちが集まるのを待っての国葬となり、王城内にある大規模な儀典用の館にて行われた。エグバートの遺体はそれまで大広間に安置され、腐敗が進まないよう動員された貴重な宮廷魔法使いたちが可能な限り維持に努めた。
もっとも、彼らの長時間ブラック労働はそう長く続かなかった。参集を命じられた貴族たちの動きが想像以上に早かったためだ。
領地で家族と共に過ごす年明けの時間もそこそこに、馬車を急がせて王都へと集まってきた彼らだが、「世代交代の始まりのタイミングで遅れたらどんな目に遭うかわからない」と考えたのは否めない。
貧乏くじを引かぬよう、多くの貴族は事前情報で最低限の準備を済ませており、王城の官吏たちが思っていたよりもずっと早く儀式を執り行うことができた。
式典では喪主を務めるウィリアムが遺族として、あるいは次期国主として将来を匂わせる勇壮な言葉を並べ立てていた。
もっとも、それらの端々からは父エグバートの功績を上回ろうとする野心が滲み出ており、好意的に見れば頼もしさとして映ったが、どちらかといえば多くの者には不安を感じさせるものとして影を落としていた。
そして、参列した貴族による献花が済めば葬送、埋葬と後は事務的に進んでいく。
「ここまで持ち堪えたのは、もはや執念と呼べるかもしれんな」
貴族たちの
秋まで持つとは到底思えないと宮廷医師にほぼ匙を投げられていながら、エグバートはそこから数ヶ月も昏睡に陥ることもなく、さらに年を越すことができた。これはまさしく彼自身に備わった強い意志によるものだろう。
あるいは、自分の死は避けられないとしても、すこしでもこの国のために時間を稼ぎ出そうとしたのかもしれない。
海兵隊メンバーのような地球出身者からすれば、国王という特権階級の頂点に存在する者の寿命としてはかなり短いものに感じられた。
しかし、医療技術が発展していないこの世界で病に侵された者の生還率を考えれば、これでもかなり健闘した部類と言えるだろう。
すくなくとも葬儀に参列した多くの貴族はそう思っていた。
「それだけ安心して逝くことができなかったのでしょうね。とはいえ、まさか年を越せるなんて、私も思ってはいなかったけれど……」
傍らに立つクラウスよりも幾分か若い男が、右手に持った
癖のある金髪にやや垂れ下がった目尻。小さな弧を描く薄い口唇がどこか不遜さを漂わせつつも、全体としては愛嬌のある顔立ちをした長身痩躯の男だった。
「そりゃあ同然だ、ハインツ。お前のようなヤツが王家の縁戚にいれば心配でおちおち死んでもいられん」
「ははは、辛辣だ。久しぶりに会ったというのに、
ハインツと呼ばれた優男はひとしきり笑いながら答えると紫煙を深く吸い込み、ややあってからそっと虚空に吐き出した。
「抜かせ。思ってもいないことを口にするヤツの芝居に付き合う義理はない」
「やれやれ、あなたは昔からちょっとした
わざとらしく肩を竦めて困ったような笑みを浮かべてる優男。異様なほど様になっているが、それでいてどこまでも芝居がかっているように見えた。
「悪いがお前に好かれたいとは思っていない。……それで、放蕩貴族がこんなところでどうした? 中で暢気な連中と酒でも飲みながら歓談していればよかろうに」
クラウスは砕けていながらも探りの響きを含めた言葉を男に投げかけた。
彼がやや面倒臭そうに会話をしている相手はハインツ・アウディア・ルーデンドルフ。このヴィクラント王国で数少ないながらも残る公爵家の当主であり、クラウスとは従兄弟の間柄にある。
アルスメラルダ家が貴族派筆頭であるとすれば、ルーデンドルフ家は第3の勢力――――中立派筆頭といえた。
常日頃から日和見主義とも蝙蝠貴族とも陰口を叩かれる身のハインツだが、これまでは王室派と貴族派のバランスが著しく損なわれかけた際にその調整役を担っていた、ある意味では影の功労者と呼ぶべき立場でもある。もっとも、それを正当に評価できている貴族は少ない。
「いやぁ、そろそろ
ハインツもまた“自身が演じるべき人間”を崩そうとはしない。どこで誰に見られているかわからないためだ。
たとえ従兄弟同士の関係であっても、貴族派筆頭と中立派筆頭が共にいることは関心を抱かれかねない。
だからこそ、これといった外敵のいない南部で貴族たちの別荘地を管理して関連事業で莫大な富を築き、遊び惚ける放蕩貴族であろうとし続ける。
「そうやって道化を演じながら嗅覚に優れるから、公爵家のまま転封もされず生き残れるのか? さっきも遊ぶ金欲しさに領地から出てきたと噂されていたぞ」
正面を見据えつつも声を落としてクラウスは話を続ける。
今のところ付近に怪しげな気配はなかった。もちろん、
「正面から動いていながら生き残っているあなたほどじゃないよ。私に武の才はないからね。侮られてその隙を縫うような生き方が合っているのさ」
ハインツの言葉を素直に信じるほどクラウスは間抜けではない。
もし本当に腕っぷしの弱い優男であれば、とうの昔にこの男は死んでいるはずだ。金にものを言わせて優れた護衛を多数雇っているのもあるだろうが、今まで送り込まれた刺客が一度もハインツに肉薄していないと考える方が不自然だ。つまり、彼自身が刺客を返り討ちにしている可能性があった。すくなくともクラウスはそう思っている。
「ふん、計算づくな男がよく言うものだ。別荘地に来れば誰しもが気も口も緩む。溜め込んだ情報も少ないものではないだろうに」
「逆に訊くけど、情報は使いどころこそが大事では? ……特に今のような時期ではね」
誰かと同じようなことを言っているな。クラウスは内心で笑う。
「そうか。お前の持つ情報とやらが、この国に良き未来をもたらすものであることを祈るだけだよ」
答えて視線を外へ向けると、雪が強くなっていた。せめて今だけでもこの世の醜いものや悲しみを覆い隠すべく世界を白く塗りつぶそうとしているように。
降りしきる雪を眺めながらふたりは語り合う。王国は大きな分岐点を迎えようとしていた。
「良き未来ねぇ……。ウィリアム殿下が国王の座に就かれるのはもはや時間の問題だ。とはいえ、王国法により喪が明けるまでは即位できないのもまた事実」
ふとハインツがさらに声の大きさを一段階落として口を開いた。一方、クラウスは正面を見据えたまま何も返さない。
喪に服する期間だが、それは前王が逝去した時期によって変わってくる。
年を越せなかった場合は最短で半年間、反対に年が明けてからであれば次の年までと法によって厳密に定められていた。
クラウスのような貴族派の立場からすれば「よくぞ持ち堪えてくれた」としか言いようがない。国を取り巻く状況を考えれば、半年という期間は間違いなく値千金と呼べるものだった。
「そして、彼らには油断がある」
ここで第2王子派が大きく動いたかといえばそうではない。
この期に及んで王室派が事を急がないのは法に定められているのもあるが、それよりも国内外への影響――――有り体に言えば外聞というものがあるためだ。
急進的な動きは敵にも味方にも不要な憶測を招く。特に領土問題を抱えたばかりのヴィクラントとしては敵国に侵攻の材料を与えることになる。待ってさえいれば勝手に王冠が転がり込んでくるのだから余計なことは慎むべきだった。
また、国内――――特に宮廷内とて完全な一枚岩でない。王族を除き事実上の臣下トップに座るコンラートも、内務卿の権限のみで進めれば専横との謗りは避けられない。ここで焦って隙を見せるような真似はしなかった。
しかし、焦らないがゆえに少なからぬ慢心が王室派――――ウィリアムやコンラートに生まれることは避けられず、ハインツはそれを正確に見抜いていた。
「となれば、この一年の間に何が起こるかがカギだろうね」
どこか期待するようなハインツの物言いだった。
「お前が何を望んでいるかはわからないが、すくなくとも然るべき手札は揃えてある」
小さく鼻を鳴らしてクラウスは答える。
「陛下の崩御前に王太子となっていれば、他国との問題もあって期間を短縮させることもできたのだろうけれど」
「聞くところによれば、陛下は最期まで首を縦に振らなかったようだな」
「致し方ない話かな。あれではとても」
ハインツは苦い笑みを浮かべた。
「若く未熟なウィリアムにはそれ相応の時間が必要だ。それまでは旧臣たちで支えてやってくれ」とエグバートは言葉を遺している。
そこに何かしらの含みがあるように感じた貴族もいたが、多くは第1王子が復帰する気配のない中では何が起こるわけでもないと半ば諦め現実を受け入れた。
「だからか知らんが、神輿の担ぎ手が小賢しい真似をしてくれたようだ。この葬儀にしたってそうだぞ」
「はは、あれはあれで国のためを思っているのさ。すくなくとも自分の次くらいにはね」
「お前、どう思う?
「……そりゃあ我らが兄貴分の死を
「十分だ」
語る男たちの表情に大きな変化はない。しかし、その肩口からはうっすらと怒気が立ち上っていた。
立場ゆえに政治的には対立する複雑な関係性ではあったが、エグバートを含む彼らは古くからの付き合いだったのだ。
そんな故人の遺志を優先させるなら、この葬儀にしてもごくわずかな関係者だけでしめやかに行われるべきものだった。
だが、それは息子ウィリアムと内務卿コンラートによって密かに握り潰されている。彼らから言わせれば、今はひとつでも国内を刺激するネタが必要であり国王の死さえも使えるならば活用すべきだったのだ。
そもそも、エグバートの在位期間となるここ数十年は、良い意味では平和を謳歌できたが、悪く言えばいまいちパッとしないものだった。
そんな王国にとって、一昨年のアンゴール戦と、昨年のランダルキア戦で得た勝利――――特に後者の持つ意味合いは大きく、たとえ王族が戦場に立っていなかったとしても、王の指示の下で貴族たちが団結して外的を打ち払った事実は政治的に無視できなかった。
国王の崩御は早くから予期されていたものであったが、現実問題として指導者を失ったことで生じる動揺はゼロにはできない。そのため、次世代に備えて内部をまとめるべく国を挙げての葬儀としたのだ。
更に言うならば、葬儀を次期後継者であるウィリアムの名で取り仕切り、対外的に世襲が確定したと情報を広めることで、権力の継承が済んだと国内外にアピールする狙いがあった。
「自分が生き長らえるために神輿の地位をとっとと磐石なものにさせる……なかなかに宿主思いの寄生虫だな」
「宿主を元気にさせ過ぎて、遠からず心中しそうな気配があるけれどね」
クラウスとハインツの言葉には容赦の欠片もなかったが、彼らと同じように感じる者とていないわけではない。
「身内の死を早速の政治に利用するとはまことに恐れ入る」
これは葬儀に参列したある貴族がウィリアムの演説を聞いて漏らした言葉である。
うっかり発言した貴族は周りの顰蹙を買ったものの、王室派・貴族派関係なく誰しもが口にしないだけで実は同様の感想を抱いていた。
葬儀まではコンラートの入れ知恵であろうが、演説に関してはウィリアムの意思が強く反映されているようで、春以降のランダルキアへの更なる侵攻を示唆している。
これは少なからぬ危うさを感じさせるものだった。
現時点で軍事的な才覚を見せていないウィリアムが、ここまで対外戦争にこだわるのは、やはり先王以上の功績を早期に欲しているからに他ならない。
もちろん、勝てばいい。そうなれば王国としても何らかの利益は得られる。
だが、もし反対に敗れるようなことになれば――――
いずれにせよ、この1年はそれぞれが自分の立ち位置を明確にするための準備期間であると受け止められた。
「とにかく、遺してくれた時間がすべてだな。そろそろ中に入るか。身体が冷えた」
「そうだね。たしか悪くないホットワインが置いてあったよ。給仕に持って来させよう」
ここで話は終わりとばかりにクラウスとハインツは踵を返し、政治の部隊へと戻っていく。
今は雪に覆い隠されているように、この国の未来はまだ先が見えないのだった。
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