第112話 その一瞬、心、重ねて



 遠くから響いてくる地響きと幾多にも重なり合った兵士たち声。


 いよいよ戦が始まったのだ。

 

『こちらゲッコー。本部HQ、聞こえるか』


「こちら本部、感度良好よ」


 開戦の気配へと呼応するかのように、アリシアの無線機が通信を告げる。斥候せっこう部隊からだった。


 戦いに先んじて、アリシアたちは数名を選び偵察分隊スカウト・スクワッドとして放っていた。訓練時から才能を見せていた者たちだ。

 彼らは凄腕の狙撃手スナイパーでもあるエイドリアンによって率いられている。

 アンゴール戦と同様に、フォース・リーコン所属であるエイドリアンを野戦の銃兵としておくのは無駄だと判断し、当人も志願したため偵察部隊として存分に動いてもらうことにしたのだ。


『そいつはいい。さて、盛り上がっている連中のはしゃぎ声が聞こえていると思うが、いよいよ始まったぞ』


「ええ、聞こえているわ」


 通信機越しに遠くから雄叫びや騎馬が進む戦場音楽が聞こえてくるが、対してこちらには何の動きもない。

 これから殺し合いが始まるというのに、まるで他人事のようにすら感じられるほどだ。


『敵の規模は……こちらと同じであれこれ旗が混ざっているがおよそ3個大隊だ。騎馬の斥候がそちらに向かった。しばらくしてから数個中隊規模の連中が向かうはずだ』


 ――――2,000人近い規模か。国境の小競り合いというには結構な数ね。


 この世界では小隊だの中隊だのという編制ではなく、単純に〇人隊といったわかりやすいスタイルとなっている。

 そのため、アリシアたちの展開する左翼へ敵が迂回して来るとすれば100人隊が3~4個くらいのイメージだろう。

 ほとんど1個大隊だが、砦を攻める籠城戦ではないため、ちまたでよく言われる“3倍の戦力”まで投入してくることはないはずだ。全戦力の30%ほどを割くのは、たとえ背後を衝くためとはいえなかなか決断できるものではない。


「了解。斥候そいつらはスルーして。あとの報告は適宜上げてちょうだい」


『今なら敵の要人を潰せるがどうする、代行殿?』


「……非常に魅力的な提案だけど、。おおまかな流れだけを知らせてくれたら今はそれで結構よ」


『Rog.』


 簡潔な指示だけを伝え、アリシアは通信を終了させる。


「はぁ……。本当ならさっさと片付けてしまうべきなんでしょうけどねぇ……」


 もどかしさがつのり、腰に手を当てたままアリシアは嘆息する。


 王国全体の利益で見るなら、エイドリアンの言うように敵の指揮官を潰して壊走させ速やかに撃滅するべきだ。


 しかし、アリシアには踏み切れない理由があった。


「戦略的に正しいとわかっていても、やはり気は進みませんね。我々が命を懸ける意味がなくなってしまう」


 傍らに立つアベルが懸念を漏らすように、今現在行われている本隊同士のぶつかり合いの中でランダルキア王国諸侯軍の部隊指揮官を狙撃で仕留めればどうなるか。


「仕方ないわ。十中八九、横合いから戦果を掻っ攫われるだけだもの」


 “思わぬ拾い物”とばかりに適当な理由をでっちあげて自分たちの手柄として報告されるのは目に見えているし、諸侯の申告した戦果を確認するために王都から派遣されている軍監も実際に死体がある以上疑うことはないだろう。


 遠くの領地から駆り出されているにもかかわらず、他人に戦果を持っていかれるなどアリシアとしては到底許容できることではない。

 そもそも、なりふり構わないでいいのなら、アベルの召喚術という扱いでLAV-25A3を使って全力突撃すればいいのだ。弾が切れるまで暴れ回れば間違いなく勝てる。


 しかし、それでは何度も述べたように後々自分たちの立ち位置が面倒なことになってしまう。


「あたら兵――—―罪もない国民を死なせてしまうのはわたしだってイヤよ。他の貴族連中みたいに駒として見ることなんてできない。けれど、綺麗ごとを並べているだけではいくさに勝ってもいずれ政治で負けるわ」


 王都からの無用な横槍を避けるべく、銃の存在を公にしていなかったのが裏目に出た形といえるが、それらを勘案しても公表時に予想されるデメリットがメリットをはるかに上回ったのだ。


 もし万が一、既存の価値観に囚われず銃の有用性が認識されてしまった場合、王都から「すべて国が召し上げるので製造したものはすべて供出しろ。その上で国が管理して諸侯に配備する。配備の仕方は我々が考える」とされてはたまらない。間違いなく王室派が優先して回され、貴族派へは最後の最後になるだろう。そうなれば国内の軍事バランスがひっくり返る。


 だからこそ、最初にアルスメラルダ公爵領の戦力のみで実戦証明コンバットプルーフしなければならず、そんな諸々の事情が今の事態を生みだしていた。


「ならば、確固たる戦果を挙げるしかありませんね」


「ええ、そのつもりよ」


 草原の向こうへ睨むような視線を向けながらアリシアは答える。


『本部、敵に動きあり。大きな傾きのない状態にれたか、本隊から離れて一部敵が迂回した。規模300。騎馬兵だ』


 こちらを歩兵だけと判断して、騎馬戦力で圧し潰すつもりなのだろう。


「了解、やっと出番がきたわね。――――総員、迎撃準備! 敵の騎兵が来るわ! 中隊長からの指示があるまで撃ってはダメよ!」


 エイドリアンからの連絡を受け、アリシアは拡声器から指示を飛ばす。

 塹壕で待機していた兵士たちが横との間隔を一定に空けながら、スプリングフィールドM1873を一斉に前方へ――――敵がやって来るであろう方向へと向ける。


 模擬戦時に騎兵への有用性が証明されているため、今回も同様に拒馬きょばを設置してある。

 馬防柵ばぼうさくのような大掛かりなものは効果も高いが、この後予定している機動戦の邪魔となり、また今回は使った拒馬にしても木材の運搬や調達に手間を要する。

 将来的には有刺鉄線ゆうしてっせんによる鉄条網てつじょうもうへの移行を計画しており、現在“工廠”にて量産体制に入っている。


「アルフォード三等軍曹サージェント、ゼーレンブルグ三等軍曹。ここからの指揮は各中隊に任せます」


 アリシアはマックスとギルベルトを呼び、以後の指揮を各長へと委ねる。


 といっても、自分たち打って出るわけでもなく迫りくる敵にライフル弾を撃ち込むだけだ。これなら射撃訓練となんら変わらない。もし違うところがあると言えば、モタモタしていて突破されたらそのまま死ぬくらいだろう。


「「イエス、マム!」」


 ふたりの中隊長は即座に姿勢を正して敬礼。持ち場へと走る。

 それぞれに“思惑”を持ってはいるだろうが、おくびにも出さないのは、まさしくこれまでに経験してきた訓練のなせる業だった。

 

 ――――まぁ、

 

 黙っている以上、アリシアとしても触れるつもりはない。ただ、今は兵士としての義務を果たしてもらうだけだ。


 そうしているうちに、馬蹄ばていが地面を叩く音が鳴り響いてくる。

 数百にも重なっているせいで、地面までもが揺れているような錯覚に陥りそうだった。


「おい、おまえブルってんのか?」

「バカ野郎、これはやっと戦えるってぇ喜びだ。おめーこそビビってションベン漏らすんじゃねぇぞ!」

「誰が漏らすか! コイツでばっちり仕留めてやんよ!」

「うるさいわね、いつまでもあんたらは! 敵が来たわよ!」


 塹壕の中では様々な言葉が飛び交っているが、各長の命令以外は完全に軽口の類だった。


 しかし、誰もそれを咎めようとはしない。なにしろ遊撃兵団としての大規模な戦はこれが初めてなのだ。

 特に第2期志願の兵士は長距離行軍演習もそうだが、賊の討伐のような実戦経験がまだない。そのため、第1期兵士たちを上手く配置して戦力が大きく偏らないようにしている。


 とはいえ、それも気休めに過ぎない。戦いの雰囲気に呑まれたら終わりだ。実力も出せずに死んでいく。古今、枚挙に暇がない。


 兵士たちもそれだけは新兵訓練ブートキャンプで散々に叩き込まれているからか、自分たちを奮い立たせるべく軽口を叩き合う。

 口からくだらない言葉を吐き出しておけば、それと一緒に緊張や不安がすこしでも出て行ってくれると信じて。


 敵との距離が近い。もう500メートルを切るだろうか。一斉にこちらへ目がけて騎馬が突っ込んでくる。

 目を凝らせば、馬上にある敵の表情まで見えるような気がした。どの顔にも殺意が滲み出ている。

 ……いや、そう感じるだけだ。実際に顔まで見えてなどいない。戦いを前に緊張が幻視を生み出しているのだ。


 スプリングフィールドM1873を構える兵士たちの瞳孔も緊張のあまり収縮。視界が狭まっていくが、神経が興奮状態にあってはそれにも気付かない。

 そして、高鳴る自身の心臓が、叫び声を上げるように強い鼓動を繰り返す。ライフルの照準があちこちに動こうとする。

 小さな揺れだ。だが、その揺れは数百メートル先では大きなズレに繋がりかねない。


 ――――うるさい。邪魔だ。止まってしまえ。


 多くの兵士が深く考えることなくそう思った。

 生き延びるためにこれから死に物狂いで戦おうとしているのに、心臓が止まってしまえばいいとは皮肉でしかなかった。


 まだか。まだか……!


 永遠にも思える待ち時間に兵士たちの汗が噴き出してくる。指はすでに引き金へとかかっている。


 ……引きたい。命令はまだか!?


 一刻も早く、この緊張から解放されたかった。


「撃てぇっ!」


 中隊長からの号令が放たれた瞬間、誰ひとり遅れることなく引き金を引き絞っていた。


 寸分違わず重なり合った銃声の群れが、素晴らしく、それでいて凄まじいまでのひとつの塊となって戦場の片隅で轟音として鳴り響く。



 そして、この世界へと産み落とされた“銃”が自身の存在を歴史へと刻みつける産声でもあった。


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