第142話 話せばわかる


 アルスメラルダ公爵領、領都クリンゲルの商業区西側は、この1年で大きく様変わりしていた。行き交う人間の多くは肌の浅黒い西方系の顔つきが多く、大陸東部共通語以外の異国語も少なからず飛び交っている。


 なによりも注目すべき変化は街路の賑わいだった。

 西方から大量に運び込まれた加工肉や香辛料や毛織物、革製品などが店先に並べられ、それらを求めて王国各所からクリンゲルに集まった商人たちが我先にと買い物留めていく。

 そこかしこで客引きや値切り交渉の声が響き渡り、王都以外では珍しいまでの活況を呈していた。


「すっかり移民街みたいになってしまったわね。すごいものだわ」


 香辛料と煙草の煙が仄かに漂う中、目立たない程度に街並みを見渡しながらアリシアがつぶやいた。


「人の力には驚かされます。王都と違ってスラムになっていないのでそれが幸いではありますが」


「治安維持はうまくいってるのね。あ、スラムで思い出したけれど、元からいた犯罪組織の動きはどう?」


 人が集まる場所には、どうしても犯罪組織が生まれてくる。

 成功を掴めなかった者や額に汗して真っ当に稼ごうと思わなかった者など経歴は様々だが、アルスメラルダ公爵領とてそうした影の世界とは無縁でいられなかった。

 いや、むしろ経済が潤っているからこそ金の匂いにつられて集まりやすいとも言える。


「労働の素晴らしさを理解したのでしょう。自警団か業務委託メインの便利屋に業態転換したようです」


「いいことだわ。額に汗して働くなんて素敵なことよね」


 もちろん彼らがある日突然これまでの行いを心から悔いたわけでなく、背後には海兵隊と遊撃兵団が関わっていた。そう、彼らが悔いたのは主に自分たちの見通しの甘さだった。


 裏社会は「舐められたらおしまい」の業界なので、手勢込みでアリシア自ら圧力マシマシの交渉へ赴き、ついでにクリフォード主導で悪所に“仲介事務所”を立ち上げようとした。

 案の定、アリシアを調子に乗った貴族の小娘と勘違いした武闘派組織が襲撃をかけて来たため「市街地戦の訓練」の名目でショットガンなど新規武器の実験台となってもらった。


 結果は言うまでもない。


 見せしめもかねて壁にべったりの血痕と弾痕と、見るも無残な穴だらけの死体を残したことで、その後は誰も反抗的な態度を見せていない。そればかりか、公爵家からの“仕事”を受けて動いている始末だ。

 事前に周辺の盗賊・山賊を殲滅しておいたのも正解だった。外から呼ぶ助っ人すら存在しない時点で彼らに勝ち目はなかったし、付近の住民も領主の治政を上回るメリットなどないため協力しなかった。

 最初から勝負は見えていた。ゼロに何をかけてもゼロなのだ。


「わかってもらえるよう誠意をもって“話し合い”に臨みましたから。西方の民にちょっかいも出さず自分たちの縄張りで大人しくやっています」


 淡々と語るアベルの言葉に罪悪感は欠片も存在しなかった。

 裏社会などと名乗ってはいるが、所詮は他人に厳しく自分に甘い連中揃いだ。「何者にも縛られたくない」とほざきつつ、命の危険を感じたら早々に他組織の傘下へ入るウジ虫以下の歩く産業廃棄物である。同情の余地などありはしなかった。


「あちらに手を出したら耳か鼻を削がれても文句は言えないわ。言うつもりもないけれど」


 犯罪組織の縄張りを余所者に荒らさせない代わりに、自分たちが手を出した場合も助けない――「いざ戦いとなった場合の遊牧民の恐ろしさを体験したければ好きにしろ」と通告してある。そこまで知能が低ければ滅ぼされても仕方がない。所詮この世は弱肉強食なのだ。


「法に反しない限りは自由です。この世界ではあり得ないくらいの好条件ですよ」


 アベルは本気でそう思っていた。



 幾分か話が逸れてしまったが、アリシアたちが歩いている場所は“西からやって来た人間”が多く集まって暮らしているため、そのままのネーミングで“西方区”と呼ばれている。

 ヴィクラントとアンゴールの間に国交は表向き存在しないため、便宜上かつ、わかりやすさを優先してのことだった。

 国と国の正式な付き合いではなく、個々が勝手に交易をしているという詭弁じみたやり方だ。世が平穏であればそれも見て見ぬフリをされたかもしれない。


『聞いたか。ヴィクラントの次期国王は諸国と戦うために各貴族に増税を命じたそうだ。聞いた通りの人間だな』

『本当か。領主への課税は拠点を置く商人への負担も同じだ。せっかくの交易が低調になりかねんぞ』

『王子にそういった財に関する知識がないのだろう。それどころか領主の抱え込んでいるノウハウまで国のために差し出せと言ってのけたそうだぞ』

『それこそ言葉も出ん。大きな声では言えないが正気ではない……。我々の立場にすれば、部族で交配させた秘蔵の駿馬しゅんばの種を寄越せと言っているようなものか』

『悪手だな。草原でそんなことをしようものなら、即いくさだ』

『ようやく稼げだしてきたのだから、もうすこし平和が続いてほしいものだ』

『はは、すっかり定住の者の言葉になっているな』

『抜かせ。おまえこそ店構えが――』


 アンゴール商人たちの会話が聞こえてくる中、街路をアリシアたちは歩いていく。

 彼女自身はそこまで語学に堪能ではないため、アベルが共通語に訳し伝えていた。


 漏れ聞こえてくる反応は、おおむねヴィクラントの将来を憂うるものだった。やはり異国人の忌憚のない意見の方が良い判断材料になる。


「商人たちがこれだけ噂をしているなら、周辺国にはとっくに知れ渡っているでしょうね。物の流れが変わっていないのは不幸中の幸いです」


 近年はこうして職業としての商人も武成ブセイから派遣されて来ているが、遊牧民アンゴールの気質が略奪を否定しない以上、あまりに隙を見せていると扱いが“交易相手”から“獲物”に変わってしまう恐れがある。

 秘密裏ではあるものの“ファーン”とアルスメラルダ公爵家で協定を結んでおり、黙って攻め込んできたりするとは思えないが、あまり良い傾向とは言えなかった。


「経済が上手く回っているのはいいことよ。今はいくら税収があっても足りる状態ではないから」


「こちらの事情はともかくとして、彼らが変わらず来てくれているのは安心材料です」


 話がデリケートな方面へいきそうだったのでアベルは軌道修正を図った。


 お忍びでの外出となるため、護衛はアベル、そして大隊からマックスの3人だ。

 本来であれば海兵隊メンバーだけで固めるケースが多いのだが、今回は「何事とも勉強だ。要人護衛の任務に就くこともある」と言って強引に連れ出した形となる。

 もっとも、先ほどから会話が微妙過ぎて本人は入る機会を逃し続けている状態だった。


「代行殿、目的地はあそこですか?」


 これ以上、聞くのも疲れる会話はご免とばかりにマックスが口を開いた。


「あら、いつの間にか着いてたみたいね。……さてさて、今回のお呼び出しは商売の話なのかしら」


 厄介事の気配を感じ取ったように小さく溜め息を吐き、意を決したアリシアは周辺でもひときわ大きな商館へと入っていく。

 何度か通された記憶のある応接室でしばらく待たされ、廊下を歩く人の気配を感じたところでアリシアは足を組んで姿勢を変える。


「商会の会頭風情が公爵令嬢のこのわたくしを呼び出すなんて、いったいどういうおつもりかしら?」


 扉が開いたところで、長い足を組んだアリシアが眉根を寄せて不機嫌そうに声を発した。

 受けた相手は柔らかな微笑を浮かべ、対面側の応接椅子へと回って腰を下ろす。


「ははは、棘のある言葉遣いもなんだか新鮮で素敵に感じられるな、アリシア嬢」


 イヤミをものともしない返しに、アリシアの顔は「つまらない」と言いたげな溜め息を吐いて、組んだ足と表情を普段のそれに戻した。


「新たな嗜好を開拓したみたいな言い方をされると反応に困ります、殿。今日の今日で呼び出されたのでちょっとしたイヤミのつもりで言ってみただけですから」


 相変わらず相手――アンゴールの王子スベエルク・ウーランフールは浅黒い顔に微笑みを浮かべたままだった。

 この人はいつもこうだ。アリシアは困惑せずにはいられない。

 以前はっきり求婚を断ったというのに、隙あらばこうしてアプローチをしてくる。適度に牽制しておく必要があるのだ。


「それはすまないと思っているが、少々急ぎの用事があってね。しかし、それなりの付き合いがある仲なのだから、このような場では“殿下”などと呼ばないで欲しいものだ」


「普通に無茶を仰られますわね。お気持ちはわかりますが、公式も非公式もない立場なのですよ、わたくしたちは」


 遊牧民の気質と言ってしまえばそれまでだが、この王子にはどうも腰が軽すぎるきらいがある。いや、それ以前に――殺し合った仲を“それなりの付き合い”と言ってしまるあたりはどうかしているとしか思えない。


「それで、ご用件は?」


 普段であればしばらくどうとない話を交わすものだが、アリシアは話を進めるべく話題を変えた。

 領主代行を直接呼び出したのだから相応の用件があるはずだ。そこは見誤らない。


「そうだった。実はあなたに会わせたい人がいてね」


「会わせたい人ですか?」


 アリシアは鸚鵡おうむ返しに小さく首を傾げた。

 また“ファーン”でも連れてきたんじゃないだろうなと思いつつ、スベエルク自身がそれほど緊張していないため、アリシアは気のせいかと不安を打ち消した。


「ええ。きっと驚いていただけると思います」


 何かを期待するように小さく笑ったスベエルクは、言葉と共に立ち上がってドアを開きに歩いていく。

 小さく軋む音を立てて開かれた扉の向こう。アリシアは思わず目を見張る。


「……は?」


 思わず間の抜けた声が出てしまったが、それほどの衝撃だった。


「久しぶり――そしてこういった形では初めてだな、アリシア殿」


「ア、アウグスト殿下!?」


 なぜかエスペラント帝国第3皇子アウグストの姿があった。

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