第143話 ふたりはプリンス!!(前編)
「な、なぜ、アウグスト殿下がここに!?」
間抜けな反応だと思いつつも、アリシアは問わずにはいられなかった。
しばらく前に北方で別れたはずの相手が、急に自国の西方に現れたのだから当然の反応だ。
北の国境でカマした威嚇程度では帝国のヴィクラント侵攻を諦めさせることができなかったのかとアリシアは一瞬身構えそうになる。
(もしかして、あれじゃ終わっていなかったってこと? ……いや、おかしいわ)
アリシアは内心に沸いた疑念を即座に否定した。
緒戦の侵攻先でもないアルスメラルダ公爵家を混乱させる戦略的な意味がない。
あるとすれば先の遭遇時に見せつけられた“軍事力”を封殺するくらいだが、仮にこの場でアリシアをどうにかしたところで、あれそのものが消えてなくなる保証などどこにもない。
第一、誰の“魔法”によって引き起こされたすらわかっていないのだから、そのためにアウグストのような者がリスクを冒してまで自ら敵国に赴く必要性も考えられなかった。
「おっと。ひとつ間違えているぞ、アリシア殿」
「なんでしょうか?」
アウグストの指摘にアリシアはふたたび身構える。
「俺は“殿下”などではない。エスペラントにある布問屋の三男坊で――」
「ちょっと待ってくださいまし! 三男しか合ってないじゃないですの! しかもさっきご自身で「久しぶりだな」っておっしゃったでしょう!?」
大真面目な顔でアウグストはアリシアの言葉を否定しようとしたので、無礼とわかりつつ言葉を遮――いや、“ツッコミ”を入れた。
先ほどからまるで理解が追い付いていないどころか困惑しきりだったため加減もできない。最近のアリシアにしては珍しく余裕がなかった。
「なんと奇遇ですなぁアウグスト殿。わたしもアンゴリアン商会の会頭としてこの地に来ておりまして――」
「スベエルク殿下もです! そんなところで同調しないでくださいません!?」
突然現れたアウグストだけでも手に余るのに、スベエルクまでもが嬉々としてこの悪ノリに参加し始めた。
思わず「茶番はやめろ!」とふたりの王子を怒鳴りたくなったアリシアだが、これんばかりは寸前で暴言を耐える。相手の身分がどうとかではなく、いくらなんでも淑女のやることではなかったからだ。
「……そもそもですが、おふたりは敵対国同士の間柄なのではありませんか?」
至極もっともな発言が、頭痛を堪えたアリシアから溜め息と共に投げかけられた。呼吸に合わせて混乱もまた波のように引いていく。
「ああ……」
「それはですね――」
ところが、ふたりはその反応を待ち望んでいたように顔を見合わせてにやりと笑う。
「「敵国同士だから、どちらも商会の関係者を名乗っているんだ(ですよ)」」
不俱戴天の敵であるはずのエスペラントとアンゴールのVIPふたりが出会い、そして驚くほどに
「そういえば風の噂で聞いたぞ、アリシア殿。貴国を取り巻く状況はなかなか面白くなっているようだな」
空気が落ち着いたところで三者は腰を下ろして会話を始める。
アウグストとスベエルクが隣り合う形で、アリシアはその対面側だ。呼びつけた側だからと上座を譲られたが、王子ふたりを相手にとんでもないと固辞させてもらった。
アベルはいつものように背後――壁に寄ってマックスと共に控えている。
「さすがはアウグスト殿下ですわ。大陸に覇を唱えんとするエスペラント帝国は“良い耳”をお持ちのようで」
いきなり来るわね……とアリシアは内心で苦い笑みを浮かべた。
もう二言三言世間話でも挟むかと思っていたところで切り込まれたにも関わらず、自分でも驚くほどの冷静さを保ったままでアリシアは答えた。どうせ言及されるに違いないと思っていたのもある。
そもそも、外で商人たちが噂をしているくらいなのだ。すでに周辺国には広がっている。むしろ、そこに触れられない方が危険だった。
「そういったつまらん世辞はいい。……時にアリシア殿、さっきからその殿下殿下と呼ぶのをやめてくれないか。俺にはちゃんとアウグストという名前があるのだぞ」
どこか寂しそうに、それでいて懇願するようにアウグストが答えた。見たところ本心からのようである。
「そういうわけには参りませんわ。こんな跳ねっ返りの小娘でも、王国貴族の端くれではございますので。ご尊顔を拝するに際してご無礼がないよう気を付けているのです」
「なんと余所余所しいものだ。冗談でもいいから先ほどスベエルク殿に見せたような感じにしてほしいのだが。ふたりが親密そうで疎外感を感じてしまうぞ」
いやいやいや。付き合いが長いわけでもないのだから無茶を言わないで欲しい。それにどちらかといえば親密を超えてスベエルク殿下には未だにアプローチされているのよね……。
内心の感情を
アウグストの目的がわからない以上、軽口に安易に応じるのは危険だ。警戒が解けないかぎりは最低限の――まさしく形式的な受け答えをするしかなかったのだ。
「僭越ながらアウグスト殿。アリシア殿はあなたがここを訪れた理由が読めず身構えておられるのですよ。まずはそこをきちんと説明しなくては」
見かねたスベエルクが横から助け舟を出した。
困惑しきりのアリシアを見て、さすがに悪ふざけがすぎたと思ったのだろう。
「……ああくそ、帝族生まれの悪い癖だな。皆、遠慮して訊き返してこないから、
アウグストはアウグストで自分の会話の進め方に問題があったことに気付いたらしく、乱暴に髪を掻きながら自分自身に毒づいてアリシアへ向き直る。
その際漏れ出た言葉から、これまでの人生でアウグストの経験した苦い思い出が垣間見えた気もしたが、アリシアは見なかったことにした。ここは触れないでおくのが礼儀というものだろう。
「なにもそう難しい話じゃない。颯爽と戦場に現れ、“交渉”だけで帝国軍を追い返したあなたともう一度直に話してみたくなったのだよ、部下の目を気にせずにな。もちろん、これは冗談や世辞ではないぞ」
「身に余る光栄ですわ。ここは信じておかないと話が進みそうにありませんわね」
当然ながらアリシアは鵜呑みにしなかった。
確実に本題は別なところにあるはずだ。そうでなければ彼がここにいるはずがない。
「つれない反応のままか。しかし、我ら王族や貴族とはそういうものだったな」
「ええ、まことに残念ながら。儘に振る舞うことなどできない生き物です」
言葉では突き放しつつも、アリシアはわざとらしく肩を竦めて見せた。言葉にできないがゆえの彼女なりの「御身の事情は理解しました」というサインだった。
彼女なりの配慮を理解したのか、アウグストも小さく口唇を笑みの形に歪める。それは彼がこの場で見せた初めての笑顔らしき表情であった。
「しかし……どこまで愚かなのですかね、王国の跡継ぎ殿は」
ふたりの間の空気が和らいだと感じ取ったスベエルクが話題を変えた。
一方、アウグストの表情がわずかに引き締まったことから、アリシアと話してみたいと言いつつも、やはり本題は“王都の件”なのだろう。
「同感だ。我が国の宮廷にもアホな王族は山ほど……はいないかもしれないが、それにしてもここまでひどいヤツは見たことがないぞ」
応じたアウグストから放たれたのも呆れの声だった。
もっとも、それは彼が見てきたものへの想いも幾分か含まれているのだろう。まるで理解できないといった表情ではなかったことがそれを如実に物語っていた。
「長年戦にも巻き込まれてこなかった平和の証拠といえばそれまでですが、それでも怠惰は怠惰だ。アンゴールであれば一族の主要な地位から追い落とされている」
一方、常に動き回っているような遊牧民には理解できない感覚らしく、スベエルクは冷淡に断じた。
「両者の感想がほぼほぼ一致したところで……どうかな、スベエルク殿。いっそのこと我ら2国でヴィクラントに攻め入ってしまうというのは。海が手に入るぞ」
唐突にアウグストが、とんでもないことを口にした。
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