第144話 ふたりはプリンス!!(中編)


 突然の物騒な言葉を受けたアリシアは、衝撃で急速に体温が低下していく錯覚に襲われていた。


(ちょっといきなりやめてよね……)


 そう、あくまでも相対しているのは大国の王子ふたりだ。それを忘れてはならない。冗談の飛び交う会話だからと油断すれば、このようにあっさりと爆弾を放り込まれる。


 そもそも、本来であればいち貴族の娘に過ぎないアリシアが直接会えるような人物ではないのだ。こればかりは王族としての教育を受け、数多の権謀術数を潜り抜けてきている彼らとは踏んだ場数がまるで違う。海兵隊の訓練をクリアしたとはいえ、アリシアでは付け焼刃も同然――残念ながら役者が不足していた。


「そうですね、たしかに悪くない提案だと思います」


 スベエルクもアリシアが緊張を深めていく様子を楽しむかのように言葉を返した。

 こうして政治的な会話の中に身を置くと、あの“ファーン”の実子だけあってひと癖もある人物なのだとあらためて理解できる。

 惚れたなんだとアプローチをしてくるからといって、必ずしも味方になってくれるわけではないし、そんな意識では領主代行失格だろう。


「ですが殿下、なかなかそうもいかない事情があるのですよ。我々としては西部方面軍――アルスメラルダ公爵家とぶつからないで済むのなら応じたかもしれません。戦の果てにアリシア殿を手中に収められるとしても、それを躊躇させるほどには痛い目に遭っている」


 ただ追従するような振る舞いをスベエルクは選ばなかった。とはいえ、さりげなく自分の惚れた相手に言及するあたりが実に抜け目ない。


「……ふむ、草原の民は何かしら学んだのだな。最近我が国の西部方面軍が苦戦していると聞くのはそれが理由か?」


 何かを察したようにアウグストの目が据わり、圧力が増したように感じられた。


「さてどうでしょう」


 歴戦の勇士から並々ならぬ圧力の込められた視線を受けても、スベエルクはにこやかに微笑むだけだった。彼とて草原を駆けて培ってきた戦士であり、多少の威嚇に反応するような未熟さはとうの昔に捨てている。

 アウグストの口ぶりからすると、アルスメラルダ公爵家から購入している複合弓コンポジットボウなどが活躍しているようだが、自らの手の内を晒す素振りも見せない。


「たしかに、我が国もアリシア殿の率いる兵たち……でいいのか? 正直に言って彼らとは戦いたくないな。意味なく仲間を大地の肥やしにしたいとは思わない」


 北方での記憶がよみがえったのだろう。アウグストは小さく顔を顰めた。


「そのように考えられない愚か者がいるようですよ、この国の東の方に。単純にアルスメラルダ公爵家の“真の実力”を理解していないだけかもしれませんが」


 スベエルクの発した言葉は正鵠を射ていた。


 身内に疑われるような、つまるところ公爵家の立場を悪化させないよう、国内で知られているのは“銃”に関する情報だけとなっている。

 アンゴールとの戦で使われたL-ATVや自動小銃だとか、帝国軍と自軍まで“威嚇”したガンシップだとかの存在は一切知られていない。前者は情報統制によって公爵家内部でも高い機密扱いにされているし、後者は北部貴族の盛大な勘違いで「迷い竜によって引き起こされたもの」と処理されている。


 そもそも、海兵隊――今は特殊作戦軍となったが――のような常軌を逸した力を持っていると察する方が無理筋なので、これに関しては一概に王都を愚か者の集まりと断ずることはできない。その他の政策については弁護の余地はなかったが。


「「……やはり攻め滅ぼしておくか」」


 またしてもふたりの剣呑な声が重なる。これは最早示し合わせてやっているんじゃないのとアリシアには思えてきた。


「おふたりとも? 当事国の貴族の前で国盗りを画策しないでいただけますでしょうか?」


 いつしか自分そっちのけで会話を繰り広げているふたりに、アリシアは容赦なく呆れ交じりの声を上げた。最初はあった遠慮も段々なくなってきている。あるいは“悪い癖”が出てきたのかもしれない。


「「おっと、これは失礼した」」


 悪い顔から我に返ったふたりが同時に謝罪を述べ、次いで仄かに放たれていた圧力が霧散した。


「僭越ながら……」


 絶好のタイミングを見計らっていたように、それまで無言で控えていたアベルがそっと口を開いた。なんということはない、呟くような声だった。

 しかし、その瞬間、この場の誰もが部屋の温度が急激に低下したような錯覚に襲われる。紛れもない、それでいて静謐さを湛えた圧力が放たれていた。


「どちらも武辺の御方ゆえ、おふたりが昂るのは当方にも理解はできます。ですが、そんなことをなされた日には、我々も“本気”を出さなければいけなくなりますので……」


「貴様ァ、従者の分際で無礼ではないか!」


 怒りに目を見開いたアウグストが声を張り――――

 

「……ちっ、つまらん。驚いてもくれんのか。主従揃ってちょっと場慣れし過ぎだ」


 すぐに元に戻った。


 この程度の“悪戯”では、右も左もわからずついてきたマックスくらいしか驚かせられそうにないと察したためだ。いささか趣味が悪いという自覚はあったらしいが、元々の性格が気安いためやってしまったのだろう。

 この性格では帝室に生まれて生きてくるのはさぞや大変だったに違いないと一時的に傍観者へ戻ったアリシアは思う。


「ご期待に添えず申し訳ありません。殿下がそのような俗物じみた反応をする御方とは思えませんでしたので」


 従者として出過ぎた真似をしたことに深く頭を下げつつも、アベルはアルスメラルダ公爵家の存在をアピールしておくのも忘れない。

 王族相手だからと下手に遠慮すれば舐められる。雰囲気に呑まれがちだが、少なくともこの場が公式の場ではないことを失念してはいけない。


「いかにも傲慢な帝族っぽく聞こえると思ったんだがなぁ。おそらく、そちらの王子様ならこんなことを言ったんじゃないかと想像するのだが」


 アウグストの問いかけを受けても、アリシアは曖昧に微笑むだけに留めようとするが、それでいてどこかぎこちなかった。


「……やめておきましょう、女性の古傷に触れるのは。モテなくなりますよ」


 フォローするようにスベエルクが微苦笑を浮かべながらも咎めるような声色で語りかけた。「もうちょっと空気を読んでくれ」と言わんばかりの表情だった。


「そうか? これでも祖国じゃそれなりにモテる方なんだが……」


 スベエルクの配慮に気付いたアウグストは、いささか大袈裟気味におどけながら話題を強引に逸らした。

 その“王子様”に婚約破棄されたのが目の前にいるアリシアだ。自身の失言に気付いたのだった。


「では、そこから玉の輿に乗りたいご令嬢、一発逆転で王妃になりたい諸々を除くと?」


「……やめてくれ、スベエルク殿。そう言われるとちょっと辛くなる」


 言葉選びを間違えた感情と空気を誤魔化すように、アウグストは小さく肩を竦めた。立場的に気安くアリシアに頭を下げることもできない彼に許された、たったひとつの逃げ道だった。

 誰もが必要性を理解している“儀式”を経て、短く息を吐いたアウグストはおもむろに居住まいを正す。


「少々おふざけが過ぎてしまったな。……あらためよう。今日こうしてスベエルク殿に仲介してもらってこの地へやって来たのはほかでもない。アリシア殿と話してみたいと告げたのも事実だが、その中で。本当の目的はこれだ」


 アウグストが向ける瞳に偽りの色はなかった。もっとも、それゆえに受け止めにくいものもある。


「領主代行に過ぎないわたくしにこの場で答えろとおっしゃるのはいささかご無体が過ぎません? 本来であれば父を紹介するところですが」


 驚きを受け止めながらアリシアは努めて冷静に答える。


「重ねて言うが、俺は帝国の代表として真意を問いに来ているわけではない。アンゴールとの間で交わされたような密約を結べるほどの権限は第3皇子の俺にはないからな」


 逆に言えばここでどれだけ語ろうとも、アウグストの発言はなんの効力も持たない。


「それはわかりますが」


「アリシア殿もご存知の通り宮廷は魔窟だ。先日の不戦についても俺の責任を追求しようとする勢力は存在する。あの時点で俺をハメようとしたかは関係なくな」


 誰もが騎士ごっこの脳筋皇子だと思っていたところで急激に頭角を現し始めた逸材だ。一気に後継者争いの首位に踊り出られては堪らないと警戒する者は少なくないのだろう。


 さて、それらの事情をこの場で明らかにしてみせることの意味は果たして何だろうか。


 視線だけをアベルの方に向けると、小さくだが鷹揚に頷いてくれた。それを見て、アリシアもこの会談へ積極参戦する覚悟を決める。


 ――うん、下手に考えるだけ無駄よね。


 そう判断したアリシアは彼らの口から直接聞くことにした。

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