第145話 ふたりはプリンス!!(後編)
「アウグスト殿下、よもや御国の権力闘争に身を投じる気になられたのですか? そういうことはお嫌いなように思えましたが」
アリシアもこの期に及んでは下手な腹の探り合いをやめ、単刀直入に問いかけた。
「さて、どうだろうな。ただひとつ言えるのは、俺もそれなりの責任を持つ立場ということだな。好き嫌いで片付けられる問題ではないよ」
断言はしてくれなかったが、アリシアは気にしない。
「この場で追求するつもりはありませんが、仮にそうだとすればスベエルク殿下が仲介されたのも多少は納得がいきます」
もしもこの2カ国が本気を出せば、ヴィクラント程度の国は簡単に滅ぶ。その混乱に乗じて周辺国が
(現状そこまでは望んでいないということね)
もしそのつもりであれば、わざわざ領主代行たる自分に会いに来た理由がわからない。王国の打倒を狙うなら警戒させるだけ損だ。それぞれの思惑が存在すると見ていい。
「なるほど。だんだんとこの会談の狙いが読めてきました。おふたりは、もしも我が国で何かあっても事態を傍観していただける代わりに国内を説得できる、あるいは有利に動けるだけの情報が欲しいのですね」
「さすがはアリシア殿。おっしゃる通りです」
先んじるようにスベエルクが答えた。
「おいおいスベエルク殿、俺の言葉まで 取 らないでくれないか」
「早々に答えを教えるな」と抗議の声を上げるアウグストだが、怒りの気配は見受けられない。
「これは申し訳ない。ですが、アウグスト殿だけでなく、
自身がこの場にいる意味を示すようにスベエルクは言葉を続けた。
王子の身分でありながら、本国の政情が安定していることもあって彼はアンゴールの代理人としてこの地へ派遣されている。本人が見聞を広めたいと言ったのもあるが、“ファーン”自身も後継者に経験を積ませ、さらには人脈も構築させたいのだろう。
そうした意味を理解しているがゆえに、スベエルクは自身の存在感をある程度示そうとしていた。
「意外……と言っては失礼ですが、武を尊ぶアンゴールの王子のお言葉とは思えませんわねスベエルク殿下。てっきり機に乗じて兵を差し向けてくるものとばかり」
アリシアもより多角的な情報を得るべくスベエルクに水を向けた。
「それは正しくもあり、同時に誤りですよ。力を追い求めるばかりで
ファーンの息子とて、けして安泰な地位ではないのだろう。他の有力部族も次なるファーンの座を狙っているだろうし、存在するかは知らないがスベエルクの
現“ファーン”の嫡子として、ライバルたちに対抗できるだけの功績を挙げ続けなければならないのだろう。
「困窮に付け込んで兵を差し向ける行為も、国を預かる為政者としては正しくありましょう。ですが、それでは武を尊ぶアンゴール――いや、なによりも“ファーン”が納得しない。ひとたび武をぶつけ合うのであれば、互いが万全の状況でなければ真の強者であることを示せませんゆえに」
男くさい笑みを浮かべてスベエルクが発したのはどこまでも武辺者の言葉だった。
甘いと思うが、同時に好ましく思える。
(ふたりの口ぶりからして、ヴィクラントの動向次第では双方に利点が生まれるのよね。じゃあ、それは何かしら)
アリシアは今一度内心で思案する。
ふたりとも何食わぬ顔で語ってはいるが、どちらも欲望渦巻く権力闘争の世界で生き残ってきた紛れもない
先ほどから時折見せているおどけた態度とてある種無意識のものなのだろうが、そこらの貴族令嬢を相手にしての油断など微塵も存在していなかった。
もっとも、評価されている彼らからすれば口を揃えてこう答えるだろう。「アリシア嬢を相手にして油断などするわけがあるか!」と。知らぬは本人ばかりであった。
「スベエルク殿にそこまで言われた上で俺が韜晦した物言いでもしようものなら、ケチなヤツみたいに思われそうでイヤだな」
草原の王子に対抗心を燃やしたわけではないだろうが、アウグストもまた語り始める。
「帝国とて盤石ではない。帝都でふんぞり返っている連中の無理な拡張政策が祟り、占領地の治安維持に兵力を割かれている状態なのだよ」
「いくらなんでもぶっちゃけすぎじゃありません?」
「調べれば早晩わかることだ。それで、急に頭角を現してきた俺を潰したいのか、くだらん争いに巻き込まれそうでな。先ほども言ったが、俺だけならまだしも部下を巻き込むわけにはいかん」
さらっと口にするには重すぎる内容だった。それなりの国力がある相手なら反帝国勢力へ接触するなどやり口はいくらでもあるだろう。
「これは純粋に疑問なのですが、わたくしがここまでお聞せいただけるのはヴィクラント程度では帝国にちょっかいをかけられないと思っているからですか?」
「逆に訊くが出せるのか?」
挑むようなアリシアの問いかけに、アウグストは笑みを深めてさらなる問いかけで返した。このようなちょっとしたところで彼の持つ血の気の多さが窺える。
「わたくしたちの戦力は頭数に入れない試算ですが、それでも出せなくはないでしょう――――。ですが、その後が問題過ぎます」
アリシアは小さく首を振った。
「……だろうな」
応接椅子に背中を預けたアウグストは、自身の思考を取りまとめるようにしばらく天井を眺め、それから鷹揚に頷いた。
「まことお恥ずかしい限りですわ。欲に目が眩んで突っ込んだ挙句、故郷の土を踏めずに戦死しまくって国がガタガタになるのが見えておりますから。この期に及んで現実が見えていない北部貴族たちには困ったものです」
「ははは、アリシア殿は美しい顔に似合わず辛辣なのだな!」
腹を震わせて愉快げに笑うアウグスト。スベエルクは無言で瞑目していた。
「辛辣で結構です。たとえあのような者たちでも各地に封ぜられた領主であり、その地に生きる民に責任を負う立場ですから」
「然り。忘れている者は殊の外多いが」
続いてアウグストから向けられたのは真意を探るような眼差しと同意だった。
一瞬の迷いがアリシアの心中に生じるが、今は会話を続けるしかない。それに、ここは下手に言葉を濁さない方がいいだろう。
「平和も良し悪しですわね。すべてに鈍くなる。東部での戦も終わろうとしているのに、他でもそのようなことをすれば緩慢な自殺のようなものでしょう。為政者ならわかるはずなのですが」
アウグストには気付かないふりをして、アリシアは正直に心の内を晒しておく。
途中から彼女自身も気付いていたが、すでにこれは“共犯者同士”の会話となっていた。
ただひとつ気になるのは――――少し口が軽すぎるように感じられる部分だ。
「そうだな……。あなたの意見は正しくもあり、同時に誤りでもあるかな」
疑問を覚えるアリシアへ不意にアウグストが発した言葉には、これまで感じられた覇気のようなものがなかった。それどころか、寂しさすら漂っているようでさえあった。
「……とおっしゃいますと?」
ほとんど反射的だった。自分でも気づかないうちに疑問の声がアリシアから漏れ出ていた。ここに来てアウグストがそのように口にした理由がアリシアにはわからない。
「誰もが強くはなれない。貴女のように道を貫くことができず、闇の中からやってくる欲望と踊ってしまう連中は思っている以上に多いのだよ。その上で甘い言葉をかけられればどうなるか」
今度は不愉快さを隠そうともせずアウグストは吐き捨てた。彼自身も腹に据えかねているものがあるらしい。
「言うまでもないが――――どこか裏で糸を引いている奴がいるな」
「ええ、ここにも末端が」
言葉と共に乾いた音が立て続けに響き渡った。――そして破壊された天井裏から何者かが木の板と一緒に落ちてくる。
小さく痙攣しているが、どう見ても至るところからの出血がひどく致命傷だった。これで助かりそうにない。
「あまり私が出張るのはどうかと思ったので、ギリギリまで静かにしておりました」
弾倉の中身を撃ち尽くし、銃口から煙を発しているH&K MP7A2
「あいかわらず非常識な武器だ。天井ごと破壊してくれるとは思わなかった」
それまで黙っていたスベエルクがそっと目を開いた。姿勢は先ほどのまま、表情はどこか愉快そうだ。この時点で理解できたことがある。
「
アベルは小さく笑ってスベエルクに向かって答えた。もっとも、目だけはあまり笑っていなかった。
なぜアリシアをここに呼び寄せたか、本当の意味で理解したためだ。
「これでは近接戦闘でも不意を打てて勝てるかどうかだな。スベエルク殿が、ともすれば臆病と感じるまでにこの地を警戒している意味がようやくわかったぞ」
アウグストが片手を挙げ「彼だけが悪いわけではない」と声を発した。
よく見ればわずかに腰を浮かせている。後ろ腰に隠した短剣へ手を伸ばしていたようだ。
「これが帝国や草原の仕業でないなら、消去法で聖光印教会でしょうね。あそこは昔から
空の弾倉を床へ落とし、次のものを装填させながらアベルが言葉を放った。これくらいの疑いは向けさせてもらうぞと暗に言っていた。
「まだ諦めていないのか。各国の権力へ食い込むことを」
「むしろ、当然の権利だと思っているのでは? 彼らはいつだって自分たちの思い通りにならないことを嫌がります」
いつぞや教会関係者のファビオから襲撃を受けたが、今になってみれば個人的な復讐だけであのように暗殺者を動かせるとは思えない。間接的に協力していた者が背後にいたはずだ。
「なにしろお嬢様を都合2度にわたって幽閉しようとした連中ですからね。何かを企む時にはハエ並みの嗅覚を発揮する連中です」
いつしかアベルの言葉には隠し切れない殺気が滲んでいた。
さほど重要視していなかった人物が垣間見せた“本性”に、スベエルクもアウグストも背中に汗が浮かび上がっていく。
「……やはりそうか。あの連中はそろそろ自分たちの分を弁えるべきだと思うが」
内心の動揺は面に出さずアウグストは同意した。この調子では本国でも教会には手を焼いているのだろう。人類最大宗教というのはけして大袈裟な表現ではない。
「お困りですか? 必要であれば総本山ごと吹き飛ばしても構いませんが?」
アリシアはわざとらしく、精一杯にニヤリと笑ってみせた。アベルが前に出ている間に自身が入るタイミングを測っていたようだ。
「答えがわかっていて訊くのはどうかと思うが……それはそれで混乱が大きくなるのでやめてくれ。というよりも、できるのに潰していない時点で何か事情があるのだろう」
自分に被害がないとわかったか、アウグストの口調には事態をとことん楽しもうとする気配があった。
単純に背景を聞けるというよりも、謎めいた部分のあるアリシアたちに触れられることが楽しいと言わんばかりに。
「これはあくまでも個人の意見ですが――――」
いよいよ佳境かと表情を引き締めたアリシアは居住まいをわずかに正す。
「政治と宗教は早々に分離させるべきだと思っております。論拠のない熱狂は現実を容易く覆い隠し、国を傾け、あるいは割りますので。いくつの戦が先導されたかわかりません。……ゆえに、破壊こそ幻想を以てではなく、見える手によってなされるべきです」
「ふむ……。“神の見えざる手”では話がひとり歩きするだけ、我々に神話は必要ないか。たしかにそれでは骨を折る意味がないな」
すっかり冷めてしまった茶で口唇を湿らせながらアウグストが問いかけた。
「まさしく。切る手札はここぞというタイミングでなければなりません。その時が来つつあると思っております」
「では、我々は手を組めるのかな?」
テーブル越しに右手を伸ばしてくるアウグスト。アリシアはそれを微笑んで拒絶する。好意を向けてくれるスベエルクの手前だからではない。
そう。まことに申し訳ないが、己の手を委ねる相手はもう決めてあるのだ。
「おおっぴらにはできませんけれども。むしろ、我々が見逃してもらう立場では?」
「表面上はな。だが、もしそうなった時はどうする?」
アウグストは笑う。どこまで興味が尽きない様子だった。
「仮にわが国で大きな動きがあり、何者かが新たに権力を掌握しようとも、覇権を唱えさせるつもりはありませんわ。その代わりとして、我らが前に立ち塞がる敵は――――すべて叩き潰してのけて御覧に入れましょう」
精一杯の笑みを浮かべ、アリシアは“求められるであろう答え”を紡いでいく。
すでに、舞台には演者も観客も揃いつつあった。
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