第146話 それぞれの覚悟


 アルスメラルダ公爵領北部、人の気配など微塵もない場所に作られ、多くの新兵たちが汗と涙を垂れ流した遊撃兵団訓練場。

 ここは兵舎くらいしかなかった当初のものから大きく拡張され、今ではちょっとした要塞レベルにまで発展していた。

 訓練中の兵団員たちの掛け声以外にも銃声や車輛のエンジン音が鳴り響き、ひどい時には航空機やヘリが離発着していくため、ひっそりとしていたのも本当に最初の頃だけだった。


 ここだけ世界が違うようにしか見えないが、これらは様々な出来事を経て、アリシアやアベルが一切の自重をやめたせいである。

 あるいは軍事基地を作り始めた時点で自重もクソもなかったのかもしれないが、彼らからしてみればすべては滅びの運命を回避するためだった。


 もしも転移者あるいは転生者がこの地を見たとすれば、「なんで乙女ゲー準拠の世界に物々しい軍事基地が? ショッピングモールとか他に作るものがあるんじゃない?」と呆れ果てたことだろう。


 だが、アリシアたちならこう返すに違いない。


「何者が仕組んだか知らないが、そもそも転生者をアメリカ合衆国海兵隊員から選んだのがいけないのだ」と――――。



 少々話は逸れたが、今では兵士たちにも銃が行き渡り、その他の環境が整備されたため上官へ申請を出すことで自主訓練として射撃も行える。

 遊撃兵団では、跳ね上げトラップドア式であったスプリングフィールドM1873に代わり、ボルトアクション式の後継銃――――同じくスプリングフィールド造兵廠M1903へ移行しつつある。

 技術的難易度の観点から選定されたM1873だが、海兵隊メンバーが思っていた以上に早く量産化と配備が進んだため、さらなるアドバンテージを稼ぐべく後継銃が求められた。

 従来の鍛造・切削からプレス加工を採用すると製造技術側の難易度が格段に高くなることもあって、この世界の技術の粋を集めて生み出せる現時点での限界はM1903までと見られたのだった。

 こうした動きの背後には国内で発布された悪名高き“技術管理法”の影響も多分にある。


「いつ寄越せと言われてもいいように“試作品”を仕上げておくわよ。ちゃんと皆も扱いに慣れておくように。


 領主代理であるアリシアは、M1903以降の技術水準の銃に関して「完成していない技術なのでまだ渡せない」と言い張るつもりだった。

 仮に遊撃兵団にM1903が一定数配備されていたとしても、それは“先行量産の試作品扱い”だ。誰がどう見ても詭弁だが、そこまでを要求された時点でおそらく王都との関係は断たれ――――“事が起きる”。


 兵団内部でも聡い者はそうした嵐の前の匂いを密かに感じ取っており、いつ何があってもいいようにと自主訓練に余念がないのだった。




 標高の高い地特有の乾いた大気の中に轟音――――ライフルの銃声が木霊する。それはこの地に従来よりも鋭い音となって響き渡った。

 黒色火薬から進化した高性能炸薬を使用する.30-06スプリングフィールド弾の咆吼と衝撃は、それを操る射手ライフルマンを心の底から痺れさせるものだった。


「こんなスッゲェモン身体が覚えちまったら、もう弓矢生活には戻れないぜ」と下品に言ったエルフがいたとかいないとか。


 遊撃兵団の範囲だけであればこれも笑い話で済む。

 しかし、銃という新世代の、しかも訓練さえすれば誰でも使える武器・兵器の登場によって、この世界もまた弓や魔法を打ち合う時代には戻れなくなり、いずれは技術の発展と共に国家総力戦すら起こり得る領域へ足を踏み入れたのだった。


 そのように日々情勢が変化していく中、大隊副官となったギルベルトはシューティングレンジの後ろでM1903の射撃訓練を続けるマックスの姿を見守っていた。

 鋭い銃声の後、滑らかに前後したボルトの動きに連動して空薬莢が排出され、木の床を叩いて金属の澄んだ音を立てる。

 ブリーチブロック式のM1873とはもはや比べるべくもなく、また試作品で撃ったレバーアクション式のライフルよりも発射速度も速く、精密射撃時の安定性はずっと高い。

 手にした銃と一体化しようとするようにマックスは微動だにせず、百メートル先に設置された「このバカ、民の心わからず!」と、どこかで見たような人間の似顔絵が貼られた標的を狙って弾丸を送り込んでいく。


(悩んでいるのだろうな……)


 先日、アリシアとアベルの主従コンビに連れられ街へ出て行った彼は、基地へ戻ってから神妙な表情を浮かべることが多くなった。

 何があったのかとやんわり訊ねても、「任務上答えられない」と首を振るだけだ。

 いくら生真面目なギルベルトでも額面通りには受け取れなかったが、相当のことだと思い追求はしなかった。おそらく後で訊いても同じ反応が返ってくるに違いない。


(それにしても不思議なものだ……)


 一歩引いて周りを眺める立場になると、ふとそんな思考が湧き上がってくる。

 実家が没落して冒険者となり、泥に塗れて日々の糧を求めながら、人知れず野垂れ死んでいくと思っていた生活が今や信じられないほどに一変している。


 とはいえ、「どうしてこうなったのだろうか?」などと主体性もなく流されたアホの世迷い事を唱えたりはしない。

 伯爵家に生まれ騎士を目指してきた人生への未練がないとは言い切れないが、今のギルベルトは遊撃兵団の洗礼を受けたことで、昔の甘ったれた貴族のぼっちゃんから敵を打ち倒すクソったれの殺人機械ファッキン・キリングマシーンへと生まれ変わっている。

 たとえ偶然であろうが、兵団に入った時点で、もはや考えてどうにかなる次元はとっくの昔に過ぎていた。今やアルスメラルダ公爵家と一蓮托生だ。手遅れである。


「あなたは参加しないの?」


 不意にギルベルトは背後から何者かに話しかけられ、現実の世界に引き戻された。


「大尉殿」


 振り向いた先にはレジーナ・グラスムーン大尉の姿があり、思わずギルベルトは直立不動の姿勢で敬礼してしまう。新兵訓練ブートキャンプの記憶は未だ色褪せず脳裏に深く刻み込まれていた。


「ギルベルト三等軍曹サージェント、あなたもやる? 必要なら誰かに持って来させるけど」


 軽い答礼を返しながら、レジーナは微笑みながら手に持った銃を掲げて見せた。

 彼女が手にしているのもマックスが撃っているのと同じM1903だった。弾薬を中心として銃器の開発に携わっているため初期生産品の射撃試験も自ら行うのだろう。


「あー、いえ……。大隊副官の任を仰せつかってはおりますが、彼の護衛の役目が終わったわけではないので。もちろん、軍務に差支えがないようにしておりますが」


 ギルベルトはやんわりと断ったが、どうにも緊張しきりである。素性がようとして知れない上官勢の中でも、レジーナはアリシアの姉貴分みたいなところがあるため余計に苦手意識が出てしまっているのかもしれない。


「ふふふ、あなたにも“事情”があることは理解しているし、軍務に影響がないかぎり咎める気もないわ」


 ライフルを担ぎ直して、微笑んだレジーナは鷹揚に頷いた。ギルベルトが辞退するとあらかじめ予想していたような様子だが、自分と変わらぬ見た目の美女の微笑みにドキリとしてしまう。


「ではなぜ私に声を?」


 わかっていながら声をかける心情が理解できず、ギルベルトは疑問を投げかけた。


「あら、ずいぶんと寂しいことを言ってくれるのね。“同僚”に話しかけるのはそんなにおかしなことかしら? それとも……わたし、嫌われているのかしら?」


 生真面目なギルベルトの反応を楽しむように、レジーナは殊更寂しげに見える表情を浮かべて問い返した。


「い、いえ、そういうわけでは……」


 困りきった表情を浮かべて狼狽えるギルベルト。どうもこういった相手――――家族以外の異性と会話する経験そのものが少ないらしい。どうしていいかわからず焦っているのが丸わかりだった。

 それでもこのままではまずいと思ったか意を決したようにギルベルトは口を開く。


「自分で口にするのもどうかと思いますが……私は元々お嬢様に敵対的な派閥に属しておりましたし、模擬戦とはいえ実際に戦いを挑んだこともある身です。そんな自分が上官殿たちからの信頼を得られるとは……」


 その件については召喚時に聞き及んでいたし、実際にギルベルトが学園を去る時にアリシアと面会した際には、彼が何かしでかさないよう狙撃手として待機していたエイドリアンとは別の場所で監視任務に当たっていた。


「疑ってなどいないわ。“あなたたちに何かあること”だけは気付いているけど」


 レジーナは小さく笑って、さらりと、まるで今日の天気に言及するような気軽さで答えた。

 当然ながら、言われた側のギルベルトは表情が一気に硬くなる。


「……そこまでわかっていながら、なぜ我々をそのままにしておかれるのですか?」


 先ほどとは異なる種類の困惑がギルベルトの口から絞り出すような声と一緒に漏れる。ますます理解できないと顔に書いてあった。


「うーん、そこはあまり説明したくなかったわね」


 もうちょっと肩の力を抜きなさいとばかりにレジーナは肩を竦めてみせた。


「……兄弟だからよ、一度兵隊となった者たちは」


 揶揄からかうような響きもなく発せられたレジーナの寂しげな声にギルベルトはハッとした。


「それとも、三等軍曹は共に死線をくぐり抜けただけの間柄じゃ信頼するに足りないかしら?」


「いえ、そのようなことは……」


 弱い声で答えながらも、同時に湧き上がってきたのは恥ずかしさと忸怩たる思いだった。


(どこまでバカなんだ俺は……! 信頼していなかったのは、自分の方じゃないか……!)


 あの訓練をくぐり抜けておきながら、自分はこの程度の成長しかしていなかったのか。そう考えると今すぐにでもレジーナが持つM1903で己の頭を撃ち抜きたくなる。


 苦渋の表情で俯くギルベルトの姿を見かねたレジーナは、小さく溜息を吐き出してから青年へと近づいて声をかける。


「わたしたちはね、三等軍曹。マックスを含めて何か明かせない事情があることはわかっている。でも、それを無理に聞き出すつもりはないの」


「それは――――」


 弾かれたように顔を上げるギルベルト。どうしてと続けようとしたところで、小さく微笑んだレジーナは彼の唇にそっと立てた指を当てて小さく首を振った。

 その際、かすかな香水の香りがギルベルトの鼻腔を撫でていった気がした。


「これ以上は野暮ってものよ。……ただ、あまり時間はないと思う。選ばなければいけない時は確実に近づいている」


「それでも、聞き出そうとしないのですか……?」


「だーかーらー、無理に答えようとしなくていいんだって。もっと肩の力を抜きなさい? そんなんじゃいざという時に使い物にならないわ」


 生真面目に応じようとするギルベルトに、レジーナは苦笑を浮かべた。


 他の男相手なら反射的に怒鳴り散らしてしまいそうなものだが、そうしないあたり、案外自分はこの若者を気に入りつつあるのかもしれない。

 そもそも、大隊指揮官となったマックスの護衛だからとか、元々貴族の子弟だからとかの理由で依怙贔屓えこひいき的にギルベルトを副官に任命したわけではない。

 兵団員の命を預かる以上、きっちりと各自の適性を見た上で決めた話だ。そもそも、そんなつまらぬ忖度をアリシアやアベルがするはずもない。


(まぁ、境遇に腐ることもなく頑張っていたのは知っているしね……)


 ギルベルト自身も語った元々のあれこれはアリシアから聞いただけの話だが、それでも冬の日に彼が語った内容は知っているし、兵団に入ってきてから訓練中隊のメンバーたちと築いてきた絆だとか弛まぬ努力を続けてきたことだってわかっている。

 表には出さないし誰にも言ったことさえもないが、おそらくレジーナは誰よりも彼が努力してきたことを知っていたし評価もしていた。


 もちろん、これらの理由は元々レジーナが美少年好きの性癖を持っているからではない。

 ……たぶん、おそらく、あるいは。


「べつに難しいことじゃないわ。ひとりの兵士として、兵団の人間として、その時にできる最善を尽くすだけよ。あなたは心配しているようだけど、彼だって、そう思っているんじゃない?」


 迷いを打ち消すように一心不乱に射撃を続けるマックスの背中を眺めたレジーナは、柔らかく微笑みかけながら答えるのだった。

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