第147話 幸せは歩いてこない


「近々帰るぞ」と簡単な無線連絡だけを寄越し、領地の屋敷へ戻って来たクラウスは帰宅も早々にアリシアとアベルを呼び出した。


 ちょっとした連絡程度なら設置した無線機を使えば済むことなのだが、父としてはこうして直に娘と会話をしたいのかもしれない。

 とはいえ、いつの間にか秘書のような立ち位置におさまっているリチャードを伴っているあたり、それなりに重要な用件があって来ていると見るべきか。


 公爵家当主が代々使っている執務室で向かい合った親子の間には、どこか探り合うような空気が漂っていた。他人行儀というわけではなく緊張感に近いものだ。

 互いに平静を装ってはいるが周囲を取り巻く情勢に、少しばかり神経質になっているのかもしれない。


 窓の外を流れていく、春の穏やかな時間のようにはいかなかった。


「東部で続いていた戦いだが、無事に我が国が勝利を収めたそうだぞ。ランダルキア南部の都市を落としたらしい。聞くところによればリーフェンシュタール辺境伯家の兵力が大いに活躍したようだ」


 おもむろにクラウスが口を開いた。同じタイミングで室内へ丁寧に淹れられた紅茶の香りが仄かに漂う。


 当然だ。


 アリシアは口にこそ出さないがそう思った。


 指揮官が運用さえ間違えなければ、海兵隊式の訓練を受けスプリングフィールドM1873で武装した2個中隊の兵士が戦況に影響を与えないはずがない。

 もしも彼らが活躍しなかったなどと聞いた日には、怒り心頭になったメイナードがリーフェンシュタール領へ教官勢と共に再教育のため殴り込んでいたかもしれない。


 そんな事態にならずに済み、アリシアは内心でほっと胸を撫でおろした。


「左様ですか、それはまことに重畳。彼らに“投資”した甲斐があったというものですわ」


 初手から事件は起きなかったとアリシアは安堵の笑みを漏らす。依然として気が抜けないことに変わりはなかったが。


「そう言ったらそうなんだが……。もうすこし加減した物言いはできないのか?」


 ドストレートな娘の言葉を受け、やや困ったような表情でクラウスは笑う。

 アリシアの物言いが間違っていない上に、“このメンバーだけの場だからやった”とわかっているため苦言を呈しにくいのだ。


「ふふふ、ご生憎ではありますが、もう何も知らなかった頃のアリシアはおりませんので……」


「そうか。父親としては寂しいものだ……」


 ここしばらくで何度目かになる親子のやり取りだった。

 強いて言うなら、定型文テンプレートで答えるアリシアの表情にこれまでは幾分かあった気負いの感情が見られなくなっていた。


 従者であるアベルとリチャードは、お互いに主との立ち位置を保ったまま会話の成り行きを見守っている。

 どちらからも水を向けられない以上、出しゃばるつもりはなかった。今やれることといえば、主人のカップの中の紅茶の減り具合に気を配るくらいだった。


「それで、お父さまがこうして直接戻っていらしたということは、またしても何かあったのですか?」


 迂遠に問いかけるアリシアだが、クラウスが最初に切り出した話題から大方の予想はついていた。いい加減、末期国家を見ているようで笑えてくる。


「ああ、だ。今度の件で戦勝式典をやるらしいぞ」


「はぁ……」


 怪訝な表情でアリシアは答えるも、返事は曖昧なものだけに留めた。今まで得た情報だけではまだ判断材料が足りていなかった。


「領土までしっかり獲得しているからな。今度はアンゴールの時とは違って大々的にやるそうだ」


「それはまぁ……」


「観兵式まで考えているらしいぞ。昨年のと違って、ウチが参加しなかったから張り切っていると見るのは邪推だと思うか?」


 クラウスが意味ありげに笑い、内心に渦巻く感情の行き場を求めるように軽く左手を掲げてみせた。


「呆れますね。そうまでして国威発揚の場が欲しいと。まぁ、次期国王に内定したも同然の身ともなれば、地盤固めにあれこれ考えざるを得ないのでしょうけれど……」


 小さく鼻を鳴らしてアリシアはとりあえずの理解を示す。あくまでも言葉の上に過ぎないが。


「確固たる勝利を広めたいのは理解できなくもない。もっとも、開催する当人はそれに費やされる金がどこから出ているかまでは関心がないようだがな」


 クラウスの口調は世を嘆くようでありながら、ともすればアリシアを煽ろうとしているようにも聞こえた。


「想像に過ぎませんが、自分の財布からでなければ関係ないのかもしれませんね。あるいは何も考えていないのでしょう。我々領主側からすれば悪夢でしかありませんが」


 アリシアは父親から向けられる“ジャブ”を軽く受け流す。

 娘の激発を待っているように見えたが、やはり今の時点ではこれといったリアクションを起こすほどではないように思う。まずそうまでするクラウスの真意が読めない。


「そういったわけで、来月開催される式典に出席するようお達しが出た」


 今はまだ無理かと思ったクラウスは話題を変えた。


「お父さまは公爵に叙せられているのですもの、当然でありましょう」


 なにも驚くような話ではなかった。

 国を挙げての式典であれば当然各地から貴族が集められる。下級貴族は王都まで出てくるための“諸々”がなかったりするので来られない者もいるが、さすがにそれを責めるような真似はしなかった。「貧乏貴族がいくら集まったところで華々しさが増えるわけではない」という諦めや見下しもあるのだろう。


「しかもオーフェリアにまで招待状が来ている。これはご機嫌取りの側面もあるのだろうが」


「お母さまにとっても気晴らしになるのでは? よろしいことかと」


「あのな、何かあった時に抑え役になるのは私だぞ? 厄介な話だろうが……」


 王室派が有利と情勢を読み間違えた馬鹿な貴族が、まかり間違えてオーフェリアに絡みでもしたら最悪血の雨が降る。それならはじめから“危険物”に火種を近づけるべきではない。


 とはいえ、上級貴族ともなれば好き嫌いで出欠を決められなかった。

 国としてまとまっているかは、当然ながら紛れ込んだ他国の間者から常に見られている。王家の縁戚である公爵家が式典を欠席したともなれば他国に付け入る隙を与えるだけだ。国もそれを理由に相応しくない振る舞いだと圧力をかけてくる。

 つまり、欠席するだけで叛意ありとされても文句は言えなかった。


「それも夫たる者の務めです」


 結婚などしたことはないので知らないが……と言いかけて、アリシアはなんだか妙に顔が熱くなるのを感じていた。自分は誰とそうなるのだろうかと考えてしまったのだ。


「言い忘れていたが、出席するのはお前もだからな」


「……お父様、おっしゃられた意味がよくわからないのですが」


 紅茶を口元に運ぼうとするアリシアの手が止まった。浮かぶ表情もどこかぎこちない。というか眉根が寄っている。


 この反応を見たくて、クラウスは式典の件を先に言わなかった可能性がある。自分が妻のことでからかわれると予想していたのだろう。実に大人気ない。


「私やオーフェリアだけでなく、アルスメラルダ公爵家領主代行のアリシア・テスラ・アルスメラルダにも出席するよう通達が出ている」


「まさか。何かの――」


「間違いではないぞ。アンゴール戦の戦功第一、去年の第1次ランダルキア戦役の立役者とも噂されるアリシアに是非とも来賓として出席してほしいそうだ」


 意趣返しか事態を楽しむようなクラウスの表情だった。


 王都では対ランダルキアの戦を明確に分けている。冬を挟んで休戦期間があっただけにもかかわらず、貴族派であるアルスメラルダ家が絡んでいない戦いを独立したものとして扱おうとしたためだ。

 最後の最後は王室派だけでやったことにしたいのだろう。かえって滑稽に見られるだろうによくやるものだとアリシアは呆れるばかりだった。


「ここまで梯子を外しておいて、よくもまぁいけしゃあしゃあと……」


 脱力してぼふっと応接椅子に背中を預けたアリシアは不愉快さを隠そうともしなかった。


 どうやら「主役からは外すが、せめてもの情けですこしくらいは評価してやるぞ。ありがたく思え」と言いたいらしい。


(そんなの要らないってのに。いや、もしかして……)


 思考の途中ではたと気付く。なぜアリシアを王都に呼び寄せるのか。その狙いがわかったような気がしたためだ。


「何かが起きるとすれば、間違いなくここだと私は踏んでいる」


 アリシアの内心に浮かび上がった疑問へ答えるようにクラウスが頷いた。


「そうなりましょう。主要貴族が王都に集まる場です。今後を考えれば最後にして最大のチャンスに他なりません」


 本当に言いたかった――真意を問いただしたかったのはこれなのだろうなとアリシアは答えながら考えた。


「ああ。そして、


 再度クラウスはアリシアを正面から見据えた。重ねるように、あるいは今一度覚悟を問うような眼差しであった。


 いよいよか……。アリシアは溜め息を吐きたくなった。


「おわかりかと思いますが、あらかじめ申し上げておきます。遊撃兵団は動かせません。観兵式に参加するわけでもないのですから王都へ移動させれば警戒されてしまいますし、下手な行動に出ればそれらの兵力がそっくりそのまま敵になります」


「それもわかっている。だからこの場で訊ねているのだ」


 そこでクラウスは、はじめてアベルとリチャードにも視線を送った。

 一切の遠慮をしない――――最低にして最大の戦力で事を起こせるか問おうとしているのだ。


「そういうわけですか……。承知いたしました。我々は常に備えねばならないのでしたわね。すぐに然るべきメンバーを選抜します」


 答えるアリシアの心中に、もはや葛藤はなかった。


「頼んだぞ。私は私で動くことがある」


 あの夏の日に動き出したこの国を取り巻く運命。ついに歴史が動き出そうとしていた。

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