第76話 お嬢様ネゴシエーション
「これはこれはアリシア様。本日はどのような御用件でしょうか?」
応接室に通されたアリシアたちは、ほどなくしてノックの音と共に部屋に入ってきた柔和な表情の壮年の男に出迎えられる。
公爵家の人間が、冒険者ギルドの支部長と実際に顔を合わせる機会は、はっきりいってないに等しい。
あるとすれば、新年の挨拶くらいではないだろうか。
もちろん、それにしても領地によって付き合いの濃さというものはある。
アルスメラルダ公爵領はどちらかと言えば薄い方だった。
にもかかわらず、当主でもない娘の名前を覚えていることにアリシアは感心せずにはいられなかった。
支部長を呼びに行った先ほどの職員が、慌てながらもきちんと来訪者の名を伝えた可能性もあるが、それはそれで職員がそれなりに優秀であることの証左にもなる。
この様子なら、この後に待っているであろう交渉についても、それなりの手ごたえになるかと期待ができた。
ちなみに、この部屋にいるのはアリシアの他にはアベルとリチャードのみ。
残る四人は、冒険者たちがたむろしていた場所で待機している。
トラブルが起きなければと思うが、もしなにかあってもエイドリアンとレジーナだけで十分に対処はできるだろう。
ある意味では不測の事態に備えた最強の布陣ともいえるわけだが、今のところはふたりとも完全な付き人役に徹しており、
「はじめまして、支部長殿。すでに名乗る必要もないでしょうが、わたくしはアリシア・テスラ・アルスメラルダ。実際にはもうしばらく先のことにはなりますが、公爵閣下より本領の領主代行の任をおおせつかっております」
「あぁ、これは大変失礼をいたしました。私はノーマン・ダウリング。このギルド支部の支部長を務めております。公爵家の方がお越しになられるなどとは夢にも思っておりませんで、とんだ不調法をいたしました」
アリシアからの名乗りを受け、遅れながらも首を垂れて言葉を返したギルド支部長――――ノーマンは、そのあとで視線をそっと来訪者たちへと向ける。
貴族を相手とした場合、たとえ必要であっても同じ言葉を、それも直接的な表現を繰り返すことは非礼ともなりえる。
彼は視線だけで「用件は?」と再度アリシアに問いかけていた。
「いえいえ、先触れも出さずにこちらこそ失礼を。だからでしょうか。先ほどこちらへ伺った際、冒険者の方からなかなかに愉快な“お誘い”を受けましたわ」
こともなさげにアリシアが口にした言葉を受け、ノーマンの顔色が瞬時に青くなる。
間接的な言い回しであったが、下のホールにたむろっている低位冒険者どもが、よりにもよって公爵令嬢にちょっかいを出したと気が付いたのだ。
「そ、それは実にご無礼を……。すぐに問題の者を処――――」
「いえ、それは構わないのです。まさか公爵家の人間が来訪するなどとは思っておられなかったでしょうし」
顔色を悪くしたノーマンの言葉をやんわりと遮って、アリシアは話の向きを変える。
あの冒険者にしても、アリシアのことを貴族とは知らずに声をかけたのだ。
この世界で貴族が持つ権力からすれば不敬罪に問うこととてできないわけではないが、その程度のことで処罰などされては困る。
たとえ低位冒険者が世間から穀潰し同然に扱われていようと、アリシアたちが進めようとしている計画には必要となる候補者のひとりなのだから。
「はぁ……」
ノーマンは「それでいいのか?」と言いたげな反応を示した。
これは最初に言い出したのがアリシアだったということもあってのものだろう。
「ただ……ざっと見たかぎりでも、結構な数の冒険者の方々が時間を持て余しているように見えましたわね」
「ええ……。恥ずかしながら、討伐依頼を除けば彼らすべてを動かせるだけの依頼はないのです。もちろん、それだけ治安が安定していることでもあるのですが」
基本的に、冒険者に回ってくる委託業務は衛兵の下請けや領地の巡回などだ。
言い換えれば、それは公爵領軍の手が回らない部分を補うことでもあり、公爵領軍が仕事をしている場合、当然のことながら業務委託は回ってこない。
ノーマンは「お前らが仕事を寄越さないからだ」と取られないよう、なるべく遠回しな表現に努めていた。
「あまり迂遠な物言いも続けるのも疲れますわね。……今回、こうして支部長の貴重なお時間を頂戴しているのは、ひとつ依頼とでも申しましょうか、公爵家からの提案があるのです」
「提案、でございますか……?」
ノーマンはわずかに眉根を寄せる。
突然訪問してきた小娘がなにやら言い出そうとしているのだから、身構えるなという方が難しい話だ。
そんな支部長の内心を察しつつ、アリシアはゆっくりと口を開いていく。
「ええ。公爵家では現在広く人材を募集しています。もちろん、それは内政部門にかかわる人間ではありません」
もしそうならば冒険者ギルドに来る必要はない。
王都に暮らす下級貴族の次男や三男など、貴族として最低限の教育は受けつつも部屋住み状態にある人間を探すべきだ。
しかし、アリシアが求めているのはそのような人材ではなかった。
「なるほど。ちなみに、当方の不勉強でまことに恐縮ですが、それと冒険者がどのように繋がるのでしょうか?」
ノーマンの問いを受け、アリシアは小さく微笑みを浮かべる。
すでにこの支部長はこの次にどのような発言が飛び出るか、大方の予想くらいはつけているはずだ。
だが、そこでアリシアを急かそうとはしないあたり、この男は貴人との付き合いかたをそれなりに理解していると言えた。
「なかなか仕事にありつくことができない――――いえ、もっとストレートに言いましょう、価値を生み出さない低位冒険者を公爵家に派遣するつもりはありませんか?」
「……! そ、それは……」
予想はしていたにもかかわらず、ノーマンは衝撃のあまり二の句が継げなかった。
アリシアが口にしたことはこの国――――いや、この世界の社会構造に切り込む内容であったからだ。
厳密にいえば、この時点で彼の予想は微妙に外れたことになる。
ノーマンはてっきり冒険者の中でも優秀な人材を引き抜きに来たと思っていたのだ。
支部長の驚愕の表情を目の当たりにしたアリシアは「ああ、予想が外れたのね」と内心で小さく肩を竦めた。
「人材の引き抜きが目的ではありませんよ。ただ、領主代行となる際に、わたしの権限で動かせる小規模な“現場要員”が必要になりそうなものですから。それを冒険者の方々に担ってもらおうかと考えているのです」
そもそも、人材の引き抜きなど冒険者ギルドの権益を正面から侵すことに他ならず、それを行えば両者の関係悪化を避けることはできない。
たしかに公爵領では領軍の働きによって治安が安定しており、冒険者の出る幕自体が少なくなっている。
むしろ、ギルドが公爵家から仕事を委託してもらっている状況下であって、雇い主の要求を拒否することは非常に難しい。
しかし、そのような強権を発動させては無意味な禍根を残すだけだ。
「もちろん、ギルドを通じての派遣ですので、本来手数料となる分はお支払いいたします。おおまかにはこちらに書かれております」
そこでアリシアは羊皮紙ではなく紙を取り出した。
公爵家が発行する正式な書類ではなく草案に過ぎないものだ。わざわざ羊皮紙を使ってまでそれっぽく書く必要はない。
ちなみに、これもまたアリシアが公爵家の新たな財源にしようとしている手札のひとつだった。
「これは……。いや、しかしそれでは公爵家の負担ばかりが増すのではありませんか?」
書類を手にしたノーマンは高速で内容に目を通していく。
そこへ書かれていることを把握しようとするあまり、彼は新たな技術――――紙の存在にはまるで気づいていなかった。
「あら、心配してくださるのですか? ですが、そちらには何のデメリットもないでしょう」
アリシアの言葉には「最低限の内容が伝われば十分でしょう? 詳しく語るつもりはないわ」と言外の意味を含んでいた。
「ですが、公爵家にはメリットがあると」
「ふふふ、否定はしないでおきますわ」
にこやかにほほ笑むアリシアの表情を見て、ノーマンは一連の発言が彼女なりの“譲歩”であることを即座に理解した。
いったいなにが公爵家の利益になるか、現時点でノーマンにそれはわからない。
なにしろ、ギルドは派遣する人材を最初に取りまとめるくらいで、そのあとは何もしないでいいに等しいのだ。
それ以外の負担――――兵士の訓練だとか、彼らの住環境だとかそういったものに必要となる費用は、すべて公爵家で見るつもりでいることも書類から見て取れた。
――――ここで余計な好奇心を見せるのは、藪の奥にいる毒蛇を引っ張り出すことにもなりかねないな。
ノーマンは目の前にいるうら若き美少女が突如として得体の知れない存在に見えてきたが、そんな感覚すらも気合で打ち消した。
最終的に、ノーマンの損得勘定はここは黙って受け入れるべきとの判断を下した。
ヴィクラント王国の中でもトップクラスの繁栄を遂げている公爵領の領都にいるとはいえ、やはり王都に戻れるものであれば戻りたい。
今回の件を利用すれば、ギルドのヴィクラント王国本部への上納金を増やすことは間違いなく可能だ。
そうすれば支部長からの昇格の可能性も見えてくる。
本部から毎月毎月「もっと利益を上げろ」とネチネチ言われる側から、イヤミったらしく言う側に回れるまたとない機会なのだ。
もちろん、本部は本部でさらなる上位組織である総本部からあれこれと言われるのかもしれないが、それを補って余りある地位につけるかもしれない。
「なかなかに悪くない話だと思いますが、いかがでしょうか?」
「……素晴らしい案だと思います。冒険者ギルドとしては、ささやかではありますがぜひともご協力させていただきたく!」
唐突に巡ってきた出世のチャンスを棒に振るような選択肢は、すでにノーマンの中からはきれいさっぱり消え去っていた。
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