第75話 新領主さま(代行)のご挨拶


 クリンゲルの街には冒険者ギルドの支部が置かれている。


 以前にも触れたが、この世界において冒険者とは、各国の――――簡易的ではあるが――――社会保障の一部を担う役割を負っていた。

 基本的に彼らは他国の脅威に対抗する国軍、もしくは諸侯軍の治安維持業務を代行することが主な役割となるが、その一方で依頼の中にはより危険な魔物の討伐などもあり、活躍次第では巨万の富を得られる可能性を秘めている。


 しかし、大半の者――――低位冒険者は、町などの治安維持などを国軍からの委託を受けるのがやっとだった。


 これは衛兵の下請け的な位置づけで、ある種の利権にもつながる逮捕権などは当然のことながら有しておらず、その報酬も日雇いの仕事と大差のないものだ。

 あくまでも衛兵の人手不足を補うためと、手に職をつけられなかった者が裏社会へ参加することを防ぐ応急処置的な意味合いしかなく、社会のセーフティネットと呼ぶにはいささか弱いシステムである。


 それでも、旨味などないに等しい衛兵の下請けでさえ応募倍率は非常に高かった。

 なにしろ命を危険に晒してまで魔物と戦う必要がないのだ。

 彼らにとっては飢えをしのいで生き延びることこそが重要なのであって、一攫千金を狙って文字通りの冒険することではなかった。

 

 討伐に出かけられない低位冒険者たちにとってみれば、自分より金を持っている人間など嫉妬や憎悪の対象でしかない。


 だから、アリシアたちが冒険者ギルドの内部に足を踏み入れた瞬間、負の感情の乗った視線が向けられたのも、ある意味では仕方のないことだった。


 思わず溜め息を漏らしたくなる気持ちを抑え、アリシアは内部を進んでいく。


 奥にある受付と思われるカウンターにはこれまた暇そうにしている職員の姿。

 とにもかくにも、まずは彼に話を通さねばならない。


 しかし、そこへ向かう途中、大柄な男に脚を伸ばされ行く手を遮られた。


「おいおい。ここはあんたみたいな身なりのいいお嬢ちゃんが――――」


「念のために訊くけれど、足の長いアピールか新手のナンパかしら?」


 男の言葉を遮るように放たれたのは、美少女の口を衝いて出るにしてはあまりにも冷たい言葉。


「それとも――――?」


 男は答えられない。

 続けて問いかてきたアリシアの手には、一切の躊躇いもなく腰から抜かれた短剣が握られていたからだ。

 そして、それが男の首筋にいつの間にか当てられていた。


 その場にいた人間――――もちろん、海兵隊を除く――――の中で、誰ひとりとしてその動作に反応できた者は存在しなかった。


 しかし、そんな驚愕に満ちた表情と周囲からの視線を無視したまま、言葉を発することなくアリシアは男に視線を送り続ける。

 「やるの?」 という視線を。


 互いの視線が数秒だけ交差。


 少女の瞳に宿る強い意志の輝きに耐え切れず、男は視線を逸らすように自分の首筋に当てられている短剣を見た。

 通常、このような場で刃を抜けば、そのまま殺し合いに発展しても仕方ないものとして扱われる。


 だが、アリシアの刃は短剣の鞘に収められていた。

 


 怒りに沸騰しかけた男だが、同時になけなしの理性が奇跡的に機能を果たし、彼の脳内を様々な思惑が駆け巡っていく。


 ここで退いてしまうことで、明日から同業者に舐められる可能性はおおいにある。

 とはいえ、わずかでも妙な動きを見せれば、今度こそ鞘から放たれた白刃が男の喉を切り裂くだろう。


 しかし、それ以上に、目の前にいる少女が自分には逆立ちしても勝てない相手――――それこそ高位の冒険者と同等以上の力があると直感的に理解していた。


 ギルド内部でアリシアと男を中心に渦巻いていた剣呑な空気。

 周りでふたりを見ていた冒険者たちも各々、自身の得物に手を添えて、次に何が起こるかを見守っていた。


 少女が男を害そうとするのであれば止めねばならないし、男が逆上した場合も同じことをする必要があった。


「す、すまなかった……」


 程なくして顔を青くした男は視線を完全に逸らし、謝罪の言葉とともにそっと足を引いた。

 命を懸けてまで己の自尊心を守ろうとはしなかったらしい。


 それを受けて、アリシアも挑発にならない程度に鼻から息を吐き出すと、短剣を握る手を静かに引いて腰へと鞘を固定する。


 同時に、場の張り詰めた空気が弛緩。

 アリシアはやっとカウンターへと進むことができた。


「ずいぶんと面白い“お嬢様”に仕立て上げたな、少佐」


 背後で一連の動きを見守っていたアベルにリチャードがそっと問いかける。

 上官に視線を向けた従者の青年は、すこしだけ困惑したような表情を浮かべていた。


「ありがとうございます。……まぁ、少しばかり詰め込み過ぎた気もしますが」


 アベルはやや困惑の混じった笑いを浮かべる。


 同時に、ちょっかいをかけた男のことを無傷で済んで幸運なやつだと認識してもいた。

 すくなくとも、王都のスリだけで何人もアリシアに指をへし折られているのだから。


「なに、あれはあれで自分の役割を理解しての行動だよ。越えていいラインだけはきちんと理解している。元々、聡明なのだろう」


 納得したような表情で小さく笑みを浮かべるリチャード。

 明らかに事態を楽しんでいる節があった。


「ええ、私には勿体ないくらいの主人です。だからこそ、彼女の運命を狂わせる存在を許さない」


 強い意志のこめられたアベルの視線は、まっすぐにアリシアへと向けられていた。


 一方、そんな視線が向けられていることには気付かず、アリシアは短剣の鞘をそっと撫でながら受付まで歩いて行く。

 カウンター越しに一連の流れを見ていた職員らしき中年の男が、やや非難するような目で彼女を見てくる。


「あ、あんた、いくらなんでも無茶しすぎだよ……。これから冒険者になるってのにいきなりやらかすなんて……」


 声が上ずっていたのは最悪の事態を想定していたからだろうか。


 アリシアは「失礼な、そんな短慮に走るわけないじゃない」と言いたげな表情を浮かべたが、もし声に出していればその場にいた全員が「おもいっきり走りかけただろ!」と同時にツッコミを入れたことだろう。


「悪いけれど舐められるのはあまり好みじゃないの。それと、わたしが来たのは冒険者になるためじゃないわ。……ギルド長を呼んでもらえるかしら?」


 小さく息を吐き出して、アリシアは職員に対して説明と同時に要求を口にする。


「いやいや、お嬢さん。そんないきなり来た上に身元もわからない相手をギルド長に会せるなんてできないんだが……」


 呆れたような表情を浮かべる職員の男。


 どうもどこぞの商会から世間知らずのお嬢様あたりが、お付きを連れてやってきたと思っているようだ。

 自分へと向けられる思春期特有の病に罹った者を見るような視線が、妙にアリシアには痛々しく感じられた。


「……あぁ、申し遅れておりました。わたくしはアリシア・テスラ・アルスメラルダ。公爵閣下より来月から領主代行を務めるよう仰せつかっている者です」


 面倒臭くなってきたアリシアは、自らの素性を明かしつつ公爵家の家紋で封蝋がされた書状を取り出してカウンターの上に置く。

 すると、ギルド内が一斉にどよめいた。


「……はぁっ!? もしかして、公爵家のご令嬢様であらせられますか!?」


 職員が素っ頓狂な――――それこそ口から心臓でも飛び出そうな勢いで大声を出したのも、この場へ走った衝撃に拍車をかけた。


「おいおい、あのお嬢ちゃんがあの『死神の鎌デスサイズ』の娘の……」

「あぁ、西から攻めて来たアンゴールの軍を退けただけじゃなく、その敵将まで捕虜にしたっていう……」

「え? そりゃ公爵領の兵士が優秀だったからって聞いたぞ?」

「馬鹿、兵士優秀だったんだよ。あのお嬢ちゃん、自ら敵将を迎え撃ってガチンコ勝負で倒したんだってよ……」

「ウソだろ? だって、貴族の娘だぞ?」

「お前、飲みすぎちまったか? オーフェリア将軍の娘だって忘れているだろ」

「うっ、あの“鬼姫将軍”か。マジおっかねぇ……」


 人の噂が広まるのはなんとも早いものだった。


 耳に入ってくる言葉が恥ずかしくなったアリシアは、それらを半分以上聞き流す。

 気を紛らわせようと、カウンターの向こうの相手の返事を待つことにするのだが、驚愕に囚われた彼は口をパクパクさせるだけで動く様子がまるで見られない。


「さて――――ギルド長をお呼びいただけますわよね?」


 敢えてアリシアはお願いではなく、既定路線となっているかのような喋り方に切り替える。


「……は、はい! ただいま呼んでまいります! しばらくお待ちを!」


 現実に還ってきた職員の男は弾かれたように立ち上がると、踵を返して奥へと走り去っていった。




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