第77話 少将閣下のご講評


「思ったよりもいい交渉ができたな。私や少佐の出番が回ってこなかったことも含めて」


 待機していたメンバーと合流し、ギルドの建物を出たところでリチャードが小さく伸びをしながら満足気に言葉を発した。


「ふふ、それは光栄に思いますわ」


 すこしだけ先を進んでいたアリシアが、その場で足を止めてくるりと半回転。

 リチャードに向けて身体をわずかに傾けながら、にこやかな笑みを浮かべて問いかけた。


 こうして相対すれば、地球由来の美容製品で手入れのされた美しい髪や肌こそあるが、朗らかな性格をした年ごろの娘にしか見えない。

 ちなみに、それらの品物はアベルが『備品支援機能』内に含まれる『MCX機能』(Marine Corps Exchange=酒保機能)で取り寄せたものだ。


 ――――生まれ備えた気品だとか諸々を除けば、まるで街娘のように振る舞うのだな。


 許されるのならば、本当はもっと自由に生きたかったのだろう。

 時折自身の従者アベルに向けられる視線から、リチャードはアリシアの心に秘められた願望の気配を感じ取る。


「ところで、少将から見たらあれは及第点をいただけるものでしたでしょうか?」


 ――――だが、立場がそれを許さない、か。


 一瞬だけ別の姿を見せたアリシアだが、すぐに公爵令嬢のそれに戻る。

 そんな光景にリチャードは一抹の寂しさを覚えた。


「ああ、文句なしだ。満点を与えたいくらいだったよ」


 新たな主人の意外な一面を垣間見たからか、幾分のリップサービス的な要素も含まれてはいたが、リチャードは相好を崩してアリシアに応じた。


「まぁ! お世辞でも嬉しいですわ」


 思ったことを回りくどい表現もなく口にしてくれるリチャードに、アリシアは好感を覚える。

 公爵家の令嬢という身分の高さもあるが、両親を除けば年上の人間で彼女とこのような付き合い方ができる人間は存在しない。


 しかも、ただ年齢などを嵩にかかっているわけではなく、軍人としての経験も豊富で知識に裏付けられた説得力もある。

 そういった意味でも、アリシアは新たな人材の参加に頼もしさを感じずにはいられなかった。


「世辞ではないよ。きちんとわかりやすい利益を相手に提示できていたからな」


「それは当然のことですわ。権威や精神論だけで人を動かせるものではないですからね」


 答えながら、つい気安い仲間といる時の癖で、アリシアは小さく肩を竦めようとする。

 だが、ここが往来の場と気付いて控える。


「ふむ。それがわかっていれば、いい領主になれるかもしれんな」


「とはいっても、所詮代行の身ではありますが」


 やや自嘲気味につぶやくアリシア。

 それを受けたリチャードとアベルは顔を見合わせて小さな笑みを浮かべる。


「十分だ。与えられている権限自体は領主そのものとほとんど変わらない。だが、それゆえに求められる水準も高くなる。公爵家という領地を預かることは一軍――――いや、小規模な国家を任されるに等しい」


「それはもとより覚悟の上です」


 そのために、まず冒険者ギルドを訪れたのだから。


「……さて、話を戻すが」


 今のうちからあまりプレッシャーをかけるのは良くないと判断したか、リチャードは話題を変える。


「ギルドについては上手くいっただろう。向こうとしては懐の痛む要素は一切ない。元々たいした働きをしていない低位冒険者とやらをこちらで引き受ける上に、給金も出すのだからむしろ厄介者を片付けられると内心では踊りだしたいくらいに喜んでいるはずだ」


 先ほどの交渉を思い出したリチャードが愉快そうに笑みを浮かべる。


「あの支部長の目を見たでしょう? ありゃ完全に脳内でソロバンを弾いてましたよ」


「ならば、好きなだけ踊らせてあげましょう。そこに“埋伏まいふくの毒”――――と呼ぶにはいささか大げさかもしれませんが、仕掛けが施されているとも知らずにいるのですからね」


 アベルが呆れ交じりに言い、クリフォードも同意の言葉を漏らす。

 彼もアリシアの方針を事前に得ていたことと、自身の知識から将来起こりうるであろう結果を導き出していた。


「あら、毒だなんて。ちょっと利益を提示して見せただけで、冒険者ギルドが協力を申し出てくれたのよ? なら、それをありがたく受け取るだけだわ」


「褒め言葉のつもりですよ、お嬢様」


 さも心外とばかりの表情を浮かべるアリシアに、クリフォードが嘯いてみせる。


「そうは聞こえないから不思議だわ。まだ会ったばかりなのに、ジョンソン少尉にはひどい言われかたをされたものね」


「これは失礼いたしました、マム。生まれながらに素直なもので」


 ふたりが繰り広げる会話はいささか芝居がかっていたが、そこに険悪なものは一切なく、純粋に会話の雰囲気を楽しんでいるものだった。


「……いい時間です。そろそろ食事にしませんか?」


「うん、いい考えね」


 アベルからの提案を受け、同意したアリシアを先頭に海兵隊メンバーはそのまま街の中を歩き、その中で近くで見つけた食堂へと入る。


「いらっしゃいませー。こちらへどうぞー」


 女性店員の案内を受けて店内を進み、木で作られたベンチシートのような椅子に腰を下ろす。


「メニューはあちらになりまーす」


 壁に掛けられたメニューを眺める。

 特に事前情報もなく直感で入ったものだが、品揃えは多く常連客らしき人間もちらほら見える。

 これは“当たり”のようだ。


「日替わり定食を7つ」


 海兵隊は簡潔に完結する。

 そのため「えーっと、なににしようかな~」などと悩む者は存在しない。


 ただ、何人かはメニューに書かれたアルコールの部分を名残惜しそうに見ていた。

 さすがに主人の付き添いで来ている上に、昼間から酒を頼むような真似は躊躇われたのだ。


 気づいたアリシアが薄く微笑みを浮かべるが、アベルは一部の熱い視線を完全に無視していた。

 それがおかしくて余計に笑いそうになる。


 店員がアリシアたちの席から離れて厨房に引っ込むと、メンバーたちは店の中を見渡す。


 昼時分ということもあるだろうが人の出入りが多い。

 お世辞にも上品と呼べる雰囲気ではないが、領都に暮らす平民たちのありのままの生活を垣間見たかのように賑やかだ。


「お待たせしましたー。日替わりですー」


 先ほどの店員が食事を届けに来た。

 さすがに7人分を一度に運ぶことはできないので他の店員が手伝いに来ていた。


「あら、美味しそう」


 豚肉を香辛料でじっくり焼き上げたものに、付け合わせの野菜がすこしとパンとスープが添えられており、それぞれの料理から立ち上る香りが食欲をそそる。

 平民の食事としてはこんなものなのだろうか? とアリシアは思った。

 しかし実際のところは、このクリンゲルが栄えているからできるのであって、他の領地であれば量も種類もずっと少ないことの方がむしろ標準的であった。


「日替わりがいちばんお得ですよー。わたしもまかないはいつも日替わりにしちゃいますものー」


 にこやかに説明してくれる女性店員。

 間延びした独特の喋り方ではあるが、見ているだけで和んでくるような素朴さだった。


「それだけでまた来たくなっちゃうわね」


「それはぜひとも! ……ここだけの話ですけど、週末のシチューが絶品なんですよー」


 ひっそりと教えてくれる内容に、アリシアは今度はアベルとふたりだけで来てみたいと思った。

 彼は自分の従者なのだからそれでもまぁおかしくはないだろう。

 そう誰が知るわけでもないのに、アリシアは脳内で言い訳を並べる。


「なるほど、いろいろ工夫しているのね。ずいぶん繁盛しているのもそのせいかしら?」


 笑みを返しつつアリシアは店員に向けて訊ねる。


「そうですねー。西からの品物が流れ込むようになったのもあると思いますー。商人さんも以前に比べて増えてますし。こちらで人も雇っているって聞きますし、景気はいいんじゃないですかねー」


 おそらく、この店員もそんな景気の恩恵に与っているのだろう。

 しっかりと食べているらしく肉付きも良いし、服装も古着ではあるだろうが比較的質の良いものに身を包んでいた。


「アンゴールの人たちも最初は先入観なんですかねー、ちょっと怖かったですけど、今では大事なお得意様ですよー」


 よく見れば、奥のテーブルでアンゴール人らしき集団が食事をしていた。

 今まで他国で暮らすことなどなく完全なアウェイとなるはずなのに、彼らにそれを気にして人目を憚るような様子は見受けられなかった。

 もちろん、横柄な振る舞いも現状報告で上がってもきていない。


 それは当然のことながら、彼らの王国における最上位者たるスベエルクが睨みを利かせているからだ。

 スベエルクは公爵家屋敷に逗留していたが、先般の会談を終えて以降は領都に商会を構え、自身の屋敷を持って生活をしている。

 まさか会頭がアンゴールの王子だとは誰も思いはしまい。


「そうなのね。さて、冷めないうちに楽しませてもらうわ」


「ええ、ごゆっくりどうぞー」


 にこやかな笑みを残して女性店員は去っていく。


「それじゃあ、早速いただきましょうか」


 アリシアが促すとそれぞれが食事に手をつけ始める。


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