第191話 UFOの夏


 赤道近くの真夏の日差しは、もはや熱波というよりも熱線となって頭上から大地に容赦なく降り注ぐ。

 時刻は真昼を過ぎたあたりで空には雲ひとつない。ますます殺意を増した炎天下はおおよそ人間が活動すべき場所ではなかった。


 しかし、その大地に今、数千を超える人間たちがひしめき合っている。

 戦場には経験した者ならよくわかる特有のひりついた空気が流れている。


「始まるわね……」


「今回はどちらもやる気でしょう」


 あとはどちらからともなく駆け出すだけだ。それで灼熱の大地に地獄が生まれる。


 再度押し寄せた南海軍は、辺境の蛮族たちに煮え湯を飲まされた雪辱を果たしこの地を平定しようと舞い戻って来た。

 対するアトラス軍は、先日の勝利の勢いに乗ってこのまま侵略者たちを半島から追い出し祖国を守り、ついでに周辺国との連携を強め地域の盟主に躍り出たい。


 双方譲れぬものを背負っているがゆえに、本来不可視の闘志が揺らめく陽炎と重なってこの場にいる兵士たちを飲み込もうとしていた。


 この前と同様、左翼に配置されたアリシアたち遊撃兵団も戦場の空気を真正面から浴びているが――正直、彼らはこの空気に早くも慣れつつあった。


「遊撃兵団前進準備! 我々竜騎兵ドラグーン二個中隊は戦端が開かれ次第敵前衛にひと当てするわよ!」


 よくもここまで遊撃兵団のためだけの馬――それも銃声に驚かないよう訓練されたもの――を集められたものだとアリシアは唸りそうになる。

 アンゴールの王子スベエルクの協力がなければ、実現は到底不可能だったかもしれない。彼らとの関係は今でこそ物理的に遠くなったが本国との間で強く結びついている。


「歩兵三個中隊は後から竜騎兵に続いて。基本は様子見で射撃は指揮官の判断で許可するわ。迫撃砲小隊は別命あるまで待機!」


「「了解!」」『了解!』


 各部隊長からの返答を受け、アリシアは竜騎兵部隊を引き連れ前に進み出ていく。

 いくらなんでも周りが動く前に全力の突撃はしない。スタートダッシュでやりすぎるとさすがに味方から孤立してしまう。

 まずは全体の様子を見ながら手近な敵を削り取るつもりだった。

 後方の丘に陣取った迫撃砲小隊の出番も作ってやる――いや、彼らに支援してもらわねばならないので


「よろしいのですか?」


 馬を並べてアベルが問いかける。

 言葉ではそう口にしつつも止めなかったのだから、致命的な何か、あるいは問題点とはなっていないのだろう。

 すぐにアリシアは何を指しているのかに気付く。馬に少しだけ速度を落とさせ、アベルの横に並ぶ。これで続く幹部メンバーにもある程度声が聞こえるようになる。


「ああ、お姫様たちを待たずしてってこと?」


 そう、今回の本命は自分たちではない。もちろん忘れてなどいない。


「有り体に言えばそうなります」


 アベルも意地の悪い問い方はしなかった。この様子ならアリシアが失念しているとは思っていないようだ。


「意地悪なこと聞くのね。彼女たちの活躍の場を奪うつもりじゃないわ。あくまでも我々がやるのは強行偵察よ。……今さっき思いついた任務だけど」


「はぁ……。要するに我慢できなくなったんですね?」


 副官からの呆れ混じりの視線を受け、アリシアは目を逸らした。周囲からも同じような視線が向けられる。肩身が狭い。


「ちょっとちょっと? そうは言ってくれるけど、敵の情報すらろくに回して寄越さないのよ? それならこっちで動くしかないじゃない」


 小さく頬を膨らませてアリシアが拗ねる。まだまだこういうところは子供――少女の域を出ていない。


「堂々と命令をシカトした件については、あまり得意げに言わないで欲しいけれどね。お姫様たちに独断専行を良しとする気風が身についても困るから」


 レジーナが苦笑とともにツッコミを入れた。

 実際、戦いの流れが大きく変わったら躊躇せず動けと言ったに等しいので、ここでアリシアたちがやりすぎると今後彼女たちのブレーキがきかなくなる恐れがある。

 素人に近いからこそ、初陣の経験が根強く残る。それが勝利だとなおさらだ。


「わたしがやらなくても、いずれ向こうの中で考えなきゃいけなくなるわよ。どうせ上手くいけば今度は足を引っ張ってくる連中が出るんだから」


「言い訳みたいで感心しないわねぇ」


「……とにかく! こちらの誰が大将か知らないけどね? 傭兵を使っていようがなんだろうが、各部隊が個々に考えて動かなきゃ勝てるものも勝てないわ! 頭が固すぎよ!」


 部隊を預かる以上、アリシアは兵士たちの命を捨てさせる責任を負っている。

 何度も言うが貴族だののクソつまらない戦術に付き合って被害を受けるつもりは微塵もない。だから功績を上げた上で好きにやらせてもらうのだ。


「それで頭を使って勝ちに行くわけ?」


うちの国ヴィクラントだってまだまだ言えたほどじゃないけどね。でも、どこもかしこもそうした意識が希薄過ぎやしないかしら」


 自身もこの世界出身のはずだが、すでにアリシアの思考は海兵隊のそれと同じだ。

 ティツィアーナたちが軍や騎士――男社会に染まっていないから訓練を抵抗なく受け入れられたように、アリシアもまたいきなり海兵隊式の訓練に放り込まれたせいで自然と何が無駄で無駄でないかが見えるようになっていた。


「あまりそのあたりには触れないようにしていましたが……」


 アベルが困ったように言った。

 元々の従者としての立場もあって迂遠な物言いだが、海兵隊中佐としては完全に肯定していた。


「命令だってひどくない? 『分厚い敵の左翼を押さえ込んで本隊の攻撃を支援しろ』ですって」


「うーん、磨り潰されて来いって言ってるわね」


 レジーナも苦笑している。


「自分たちが活躍するためなら傭兵団なんて使い捨て。終わり良ければすべてよし。未だにこんな感覚なのよ?」


「貴族の意識は一朝一夕では変わらないものかと。私も没落せず、いやもっと言えば訓練を受けていなければどうであったか……」


 ギルベルトが昔を思い出すようにしみじみと言った。

 あのお坊ちゃんも今や屈強な兵士――いや遊撃兵団の大隊指揮官となっている。

 騎士ではなくとも十二分以上に戦えることを理解しており、気負いのようなものは日々なくなり、今では余裕のある精悍せいかんさを身に纏っている。


「無茶を言われてるんだから。これでも命令を守ってるようなものよ」


 詭弁にも程があったが、一理あるとも言える。だからアベルも反論はしない。


「一応副官として訊いておきますよ? あまり目立ちたくなかったはずですが」


 アベルが念押ししたのは、主人の思考を言語化し、なるべく多くの人数で思惑を共有しておくためだ。

 当然、兵団の皆もそこは理解している。「前に言ったからわかっているだろう」では致命的な判断を下していた際に取り返しがきかなくなる。

 これは完全に貴族社会とは相反する考え方だ。


「最初はね。でも作戦は次の段階に入った。我々が活躍し、お姫様たちにも同じく活躍してもらう。そうすれば我々の思惑通りに進んでいくはずよ」


 アリシアの目が細められる。

 おそらく、予想が間違っていなければ、


「心配しなくても大丈夫、戦車も車輌も投入していないんだし。今回のわたしたちだけじゃ南海軍は殲滅できないでしょ?」


 そういう問題ではない。アベルは思ったが口にはしなかった。


「それより気になってることがあるの」


 少しだけアリシアの声が固くなった。


「と言いますと?」


「相手だってバカじゃない。何も対策をしてこないとは思えないの。こちらの飛び道具然り、空から降ってくる爆炎。辺境に派遣される軍だからってトップが無能じゃないのはこの前の戦いで見えた」


「だから強行偵察を?」


「対策されてるなら、そんなところにお姫様たちを突撃されられないでしょ。さて、もうじき――」


 そろそろ前衛の突撃が始まる。


 そう思ったところだった。


「なんだあれは!」


 先に進み出ていた本隊のほうから叫び声が上がった。

 兵士たちがしきりに空を指さしている。


 つられるように見上げると、なにかが強烈な速度で地上に迫ってきている。


 空から急降下でアトラス軍中央部に襲いかかって来たのは――翼竜ワイバーンだった。


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