第190話 Ignition


「ティツィアーナ」


 アトラス軍の本陣で指揮官級の打ち合わせを終える際、真っ先に出て行こうとしたティツィアーナの背中に声がかかった。

 ティツィアーナと同じくほのかにピンクがかったプラチナブロンドの髪と細い鼻梁が彼女の血縁であることを窺わせる。


「……なんでしょうか、お兄様」


 不満の表情をを隠しながら振り返ると、兄にして今回の総大将である第二王子のベルナルディーノ・フィアーテン・アトラシアが王族らしい華美な鎧に身を包んで立っていた。


「言うまでもないが、おまえは何かあった時の備えとして後方――本陣近くで待機していろ」


「……いつものことながら、ですね」


 ティツィアーナは小さく溜め息を吐き出した。それも見せつけるようにだ。


「ああ。おまえは昔から落ち着きがない。誰かが言っておかねばどうなるかわかったものではないからな」


 ベルナルディーノは妹の不遜な態度を受け、小さく口唇を歪めた。

 彼は妹の向こう見ずな性格を熟知しており、このやり取りも過去に何度交わしたかわからない。

 それでも――いや、幾度なく繰り返したからこそ、ティツィアーナにはいつもより兄の語気が強いように感じられた。

 

「信用がありませんね。我々は常に儀礼部隊として勝者を出迎えていたでしょう?」


 妹の態度をベルナルディーノはその通りに受け取らなかった。

 これは王位継承権の上位に位置する者が持つ独特の嗅覚かもしれない。


 前回の戦いからこの方、ティツィアーナ率いるジリアーティ騎士団が何やら傭兵の手ほどきを受けて軍事調練を積んでいるとの報告が内々に上げられたためだ。

 第二王子に焦りの感情はなかった。所詮は将来適齢期のうちに嫁に出される女子ばかりで武勲も皆無。政治的には脅威となる要素が微塵もない。それが国内の共通認識だった。

 ベルナルディーノ自身、今まで盗賊討伐の実績すらない女だらけの騎士団と侮っていたし、それは今でも変わりない。それでも妙な思想を受けて突撃でもされては敵わない。無意味な死者を出した日には、儀礼部隊だから許されている貴族令嬢の騎士団入りも怪しくなってしまう。これはこれで国内の取りまとめに一役買っているのだ。


「わかったのか? わかったのなら返事をしろ」


「はい、お兄様」


 兄からの命令を受けたティツィアーナは、一切表情を変えることなく答えた。彼の考えていそうなことくらい事前に想定していたからだ。

 もちろん素直に返事はしたものの、彼女は最後まで命令を遵守するつもりなどさらさらない。


「それでいい。今まで通り余計なことは考えたりせず控えておればよいのだ。その方が兵たちも美しいままの姫騎士たちに迎えられて喜ぶ」


 ベルナルディーノは女性受けしそうな貴公子然とした笑みを浮かべて天幕を出て行く。

 それでも去り際、ティツィアーナへ向けた表情には隠し切れない侮蔑ぶべつが滲み出ていた。


 ――ふふ、今は精々大人しくしておきますよ、兄上。


 ティツィアーナは内心でほくそ笑む。

 何が何でも先走るつもりでいるわけではない。これは間違いないという“機”を見つければ騎士団を動かすだけだ。

 アリシアたちからもそこは念押しされている。


「殿下が全責任を取られる覚悟で、それでも高確率で武勲を挙げられると思った場合のみ突撃――もとい、前進を許可いたします」と。さらに訓練の成果を無駄にすることだけは絶対に許さないとも。


 当然だろう。兵は死ぬために訓練を積むが、反面死に方こそがもっとも大事なのだから。


 その代わり、自分たちは国内の誰も知らない新たな力を手に入れた。

 今日からは長年愛用して来た剣ではなく、各自の馬に括りつけたアレが真価を発揮するだろう。

 物語の騎士になれなかった寂しさはあるが、戦場を駆け抜け名を上げるにはこれしかないと思った。


 ――国内からの見方も、その後もすべてはこの一戦にかかっている。だからこそ安易な動きはできない。


 手綱を握った拳を無意識に握り締める中、ついにアトラス軍前衛が動き出す。布陣していた南海側が前進を始めたためだ。

 前回の戦いで勢力圏を押し戻したため、山岳地帯を抜けたばかりの南海と比べ、地形的にもアトラスが横に広く布陣しており有利な形となっている。


「殿下、いよいよですね……!」


「フィオレッラ。気持ちはわかるが、もう少し副官らしい落ち着きを見せてくれ。初陣とはいえ、最後はそこが戦果を左右するぞ」


 騎士団設立当初からくつわを並べてきたフィオレッラが感慨深げに言葉を発した。貴族令嬢としては短めにしたオレンジ色の髪が風に揺れる。

 副官の力のこもった言葉に、ティツィアーナは自身の肉体に入り込んだ無駄なものが少しだけ抜けていくのを感じた。


「失礼いたしました。ですが、この戦い次第では周辺国の反応も変わってきます。そう考えれば未熟と言われようが気持ちは高揚します」


 ティツィアーナとて彼女の言い分はよくわかる。自分とて王女の立場がなければ似たような発言をしていただろう。


「無論、承知しているさ。尚のこと訓練の成果を発揮せねばならん。少しでも大きな波紋となるようにな」


 緊張を帯びた表情でティツィアーナは頷く。

 今回の戦いで再度南海軍を撃退できれば、周辺国にも呼応させる形で各方面から半島に蓋をする山岳地帯を抜けて集結し、南海北方辺境鎮定軍の本拠地へと駒を進められるはずなのだ。

 彼らはアトラスが陥落すれば次は自分たちだと理解している。

 軍事力で同等程度にして国交が深いわけでもなく様子見状態だ。切っ掛けがなければアトラスに巻き返しの目がないと判断したところで恭順の姿勢を見せるだろう。


「国家に真の友人はいない」と知ったようなセリフを聞いたことはあるが、自分が当事者になるとまるで笑みも浮かんでこない。


 無理をして皮肉げに笑おうとしたところで鼻がむず痒さを覚え――


「くしゅん! くしゅん!」


 近く本格的な夏を迎えようとしているのに、突如としてティツィアーナの口からかわらしいくしゃみが飛び出る。

 いくら男勝りな態度を貫こうとしても、こういうところだけはきちんと乙女であるのが垣間見えてしまう。


「むっ。お風邪ですか、殿下?」


「いや、おおかた誰かが噂しているんだろう。さぁ、いよいよ始まるぞ……!」


 たとえ自分の噂話でもこの問題を共有してくれればそれでいい。そう考えるとあれほど身体を支配していた緊張も少しだけ解れてくるのだった。






「――なんて思ってそうよね、お姫様たち」


 今頃ジリアーティ騎士団が初陣間近でバチバチに緊張しているに違いない。

 アリシアは騎兵銃部隊――竜騎兵ドラグーンを率いながらアベルに語りかけた。

 試作品レベルに留まったカービンモデルのM1903(通称ブッシュマスター・カービン)を装備しており、歩兵に比べて取り回しが良くなっている。


「かもしれません。ですが、我々も他人事ではありませんがね」


 主人の軽口を咎めるようにアベルが困惑気味の笑みを浮かべて言葉を返す。いつもよりも控えめな態度だった。


「もちろん承知の上よ? だから、様々なリスクを覚悟の上でこの国に味方して武器まで供与する姿勢を見せているんじゃない」


 視線は「もう少し話題にノってよ」と言っていた。

 アリシアの軽口はこれでいて自分自身の緊張を緩和するための方法でもあった。


「ならば、猶のこと活躍をせねばなりません。我々も――そして彼女たちも」


 アベルは変わらぬ毅然とした態度で答えた。

 当然のように主人の内心も理解はしていたが、今やそれなりの戦いを潜り抜けてきた遊撃兵団を率いる司令官が初陣のお姫様たちと同じようでは困る。ゆえに塩対応と言われかねない苦言を呈したのだ。


「ああ、そうだった。あくまでわたしたちは添え物。あるいはきっかけに過ぎないのよね」


「切っ掛けと言うべきか、枯草の山に飛んできた火花とでも言うべきか……」


 何度も言うが、このままアトラスが負けては南大陸北方は南海の支配に傾き、いよいよ海洋進出が本格化する。

 ヴィクラント王国としてはエスペラントやランダルキアなどの周辺国との情勢が落ち着かないまま、南大陸の列強――いや、双翼のひとつと海を挟んで向き合うことになる。

 それは必然的に、今以上に海上戦力にリソースが割かれることを意味する。こればかりは当時もっとも必要であった陸戦兵器を優先させた結果、本当に船舶関係は研究段階であり先回りしてガレオン船などの答えを教えようにもヴィクラントの余力も限られている。

 それは海兵隊の本気でカバーできるが、無理に底上げした実力では後々の不幸を招くだけだ。


「じゃあ、火の粉らしく今度はもっと燃やし甲斐のあるものに飛んでいくとしましょうか。――聞いていたわね? 総員、戦闘準備! お嬢様たちの露払いをするわ! 撃鉄を起こしなさい!!」


「「「We got you , Ma’am!!」」」


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