第44話 言えずにいたモノ



 領地へ戻る前日の夕方。


 夕闇を待たずして雪が降り出しそうな鉛色をした空のもと、アリシアは学園の中でも人気の少ない場所にいた。

 彼女の向かいには男がひとり立つ。


「それにしても、まさかあなたから呼び出しを受けるなんて思っていませんでしたわ――――


 アリシアの放った言葉は、この冬の気温にも似てひどく冷たかった。


 とはいうものの、それは敵意を表そうとしてではなく、どうしても過去の経緯から少なからず身構えてしまうのだ。

 しかし、気持ちにまで余裕がないというわけではなく、スカートの下に隠された護身用の銃剣ベイオネットの存在を必要以上に意識するまでには至っていない。


「……ええ、私もまさか応じていただけるとは思っておりませんでした、アリシア様」


 アリシアからの対応を受けた上で、彼なりに冗談を言っているつもりなのだろう。ギルベルトは小さく微笑む。


「少し、お痩せになられましたか……?」


「ええ、少しばかり。このところ忙しなく動いていたもので……」


 やはり、父親が失脚したことで身辺が慌ただしくなっているようだ。

 ギルベルト自身も精神的に参っているのか、顔周りも以前の記憶と比べると幾分か痩せこけてしまったように感じられる。


 で選択を間違えていたら、自分も遅かれ早かれこうなってしまったのかもしれないのね……。


 さすがに気の毒だと思いかけたが、アリシアはそれを表情には一切出さなかった。

 もしも自分が同じ立場であったなら、きっとそんな同情を欲したりはしない。


 同様にギルベルトもそんなものを望まないだろう。

 事実、彼が元から有する意思の強さ――それだけは瞳から失われてはいなかった。


「それで、このように人気ひとけのない場所でどのようなご要件でしょうか?」


 この状況で「先日の雪辱を晴らすつもり?」となじるほど、アリシアにも情け容赦がないわけではない。

 だいたいの予想はついていたが、話を進めるために敢えて自分から切り出したのだ。

 さすがにこう寒い中で、色気もないような話を長々するほどアリシアは暇でも酔狂でもない。


 どちらかと言うとそうしてもいいのは――――


 一瞬浮かんだ顔。それをアリシアは脳裏から振り払う。


「ええ、すでにご存知かとは思いますが父が失脚しました。それにより我が家もかなりの苦境に立たされております」


 ずいぶんと控えめな表現だとアリシアは思うが、口に出して相手を貶めたい内容でもなかった。

 だからだろうか、返事らしきものが口から出てこなかったのは。


 まだ表沙汰にはなっていないが、なんらかの不手際を理由に近日中にゼーレンブルグ子爵家は取り潰される。


 子爵家は領地を持たない――――いわゆる宮廷貴族であるため王都にしか土地を持ってはいない。

 しかし、騎士団長を罷免されたカスパールはこの先収入である国からの貴族年金がなくなるため、今まで通りの生活を維持することは不可能となる。

 かつての栄光の残滓が残る王都は当人としてはあまり居続けたい場所ではないだろうし、遠からず離れることになるのではないか。


 金銭の相談ではないだろうし、報復……でもなさそうね。


 一瞬、いくつかの可能性がアリシアの脳裏をよぎるが即座にそれらを否定する。

 借財の相談を持ちかけるなら相応しい相手はもっと他に―――それこそごまんといるし、報復に出るとすればたったひとりでやって来るとも思えない。


「近々王都を離れることになりました。まだ正式に決まってはおりませんが、家族は母方の実家へと身を寄せることになるでしょう。また、それに合わせて私もこの冬期休暇と同時に学園から去ることになりました」


 自主退学ということか。

 さすがにこのような時にどのような言葉を返していいかわからず、アリシアは無言のままだった。


 ギルベルトに気にした様子はない。

 むしろ、深く追求しないでいてくれることに感謝しているような気配さえあった。


「それは――――いえ、そうなるとギルベルト様もご両親について行かれるのでしょうか?」


「いえ、私は私で自ら生きる道を探さねばなりません。……これを機会として冒険者になろうかと考えています」


 さすがのアリシアも予期せぬギルベルトの言葉に驚きを隠せなかった。

 貴族の子弟が泊付けにやるならまだしも、その世界に本格的に足を踏み入れるとなればただごとではない。


「王国に仕える騎士としての道は閉ざされてしまいました。ならばと思い、別の形で祖国に報いることをしようと決断したのです」


 ギルベルトが語ったのはおそらく“表向きの理由”だけであろう。


 取り潰された家の人間となれば、母方の実家に戻るにしても居候のような形となる。

 娘であれば修道院に入れるなり遠戚に嫁入りされるなりの方法もあるだろう。

 しかし、それが男となると、どうしようもない暗愚の当主が強制的に隠居させられるような事態でもなければ引け受ける者がいなくなる。


「食い扶持は自分で稼げということでもありますがね。弟もいますので」


 自嘲気味に笑うギルベルト。

 おそらく、「貴族身分から転落したので稼げる年齢のお前は自分でなんとかしろ」とでも言われたのだろう。


 彼は嫡男であるが、事実上のお取り潰しとなった家では後生大事にしていても仕方がない。家計を圧迫するだけだ。

 おそらく、彼の年若い弟がその“スペア”としての役割を、本来とは別の意味で発揮することになるのだろう。


「あの模擬戦で敗れて、私は初めて気が付きました。自分は“騎士”という形を追いかけていただけなのだと」


 ギルベルトは語り出す。

 アリシアを見つめるその目に、恨みの感情は存在していなかった。


「私はあの夏の日、それを目指す者としてあるまじき行動をとってしまった。そのことを悔やみ続けていました。本当に申し訳ないことをしてしまったと――――」


 そう続けたギルベルトの顔は苦痛に歪んでいた。


 なるほど、これが断罪を成功させた者が見ることのできる“敗者の顔”なのだろう。

 しかし、ギルベルトを大地に這わせた時と同じく、アリシアの心には何の満足感も生まれはしなかった。

 むしろ、どう表現していいかわからない心苦しさのようなものが渦巻くだけだ。


 いっそ、何の感慨も生まれないくらいドライになれたらよかったのかしらね……。


「……もしも」


 沈黙に耐えきれず、アリシアは口を開いた。

 この時、自分の脳裏に生まれた考えは、果たしてただの偶然の産物であったのだろうか。


「もしも、今後ギルベルト様の足が当家の治める地に向かれたのなら、一度我が屋敷をお訪ねください。何かお力になれるやもしれません」


 アリシアの口から出た言葉に、ギルベルトは一瞬大きな驚きの表情を浮かべた。


 まさか、あのような仕打ちをしてしまった相手から、恨み言や追い打ちをかける言葉ではなく、自分の身を案ずるような言葉出てくるとは思ってもいなかったのだろう。


 もちろん、そんな表情はすぐに隠される。

 少なくとも彼も貴族の子弟としての教育を受けた身であった。


「……もし私が生き延びることができたのなら――――その時には是非とも頼らせていただきたく」


 ここでギルベルトは言葉を弄するような真似を選ばなかった。このアリシアの言葉とて社交辞令に過ぎないのかもしれない。

 だが、それは彼が“あの時”からずっと願っていた類の言葉だったのではなかろうか。

 事実、柔らかな笑みを浮かべたギルベルトの表情からは、心なしか憑き物でも落ちたような気配さえ漂っていた。


 アリシアは思う。

 ギルベルトがこうして自分と会おうとしたのは、実家の窮地をどうにかすべく権力者に取り入ろうとしたものではない。彼自身があの敗北によって新たに生まれたアリシアに対する罪悪感を払拭する――――言ってしまえば彼なりのケジメをつけたかったからなのだろう。


 いずれにしても、二人にとってはこれが今生の別れとなるかもしれない。

 きっと、そうなった時に後悔したくなかったのだとアリシアは考えた。


 冒険者は成功者の功績こそ大々的に語られるが、その裏でひっそりと帰らぬ存在となった数多の敗者については語られることもない。

 ギルベルトが冒険者の道へ進むというなら、それこそ明日も知れぬ身となる。


 だから、そんな言葉が出てしまったのだろうか。


 我ながら甘いわね――――アリシアは自嘲する。


 だが、同時に思う。

 人は“過ち”を繰り返しながら前に進んでいく。


 アリシアがレティシアに対して行った行動も、ギルベルトがあの時アリシアを断罪する側についていたのも、それぞれ背景などに差異こそあれ“過ち”のひとつなのだろう。

 それを“過ち”であると理解しているからこそ、アリシアはそれを繰り返さぬように生きていこうとしているし、ギルベルトもこうして直接別れを告げに来たのではないだろうか。


 たった一度の“過ち”さえも許せない、そんな狭隘な人間に自分はなりたくはない。


 アリシアの口を突いて出た言葉はそういった感情が原因だったのかもしれない。


「それでは、おさらばです。お身体にはどうかお気をつけて」


「ええ、ギルベルト様も」


 短く言葉を交わして別れる二人。

 元々、ほんの少しだけ――――だが、ある意味では深い関りがあった両者の道が、再び交わる時は訪れるのだろうか。それは誰にもわからない。


「――――終わったわ」


 ギルベルトの姿が見えなくなった頃、そっとつぶやくアリシア。

 それが襟元に隠したマイクに向けて話しかけたものだとは、もしこの場に彼女を見張る者がいても気付くことはないだろう。


『……あまり、こういった無茶はされないようにしていただきたいです』


 片耳に挿したイヤホンの向こうから、溜め息混じりのアベルの声が聞こえてくる。

 ギルベルトと二人きりで話すということで、アベルは距離を置いた場所から二人の様子を監視していたのだ。

 鼓膜へと伝わってくる声の様子からすると、周辺に伏兵がいないかを相当に警戒していたらしい。


「そうね、最悪の事態を想定するなら迂闊だったと思うわ。でも、そこは任せているから」


 そう言って小さく笑みを浮かべると、アリシアは校舎の方にちらりと目を向ける。三百メートルほど離れた場所にある大きな木の方へ。


『……信頼してくれるのはうれしいんですがね。さすがにこの世界での初任務が“相手が妙な動きを見せたら撃て”ってのは心臓に良くないですよ。トリガーにずっと指がかかりっぱなしだった……』


 それまで一切の気配を遮断してギリースーツに身を包み、木の枝葉に偽装して抑音器サプレッサーを装備したM40A7 ボルトアクションライフルを構えていたエイドリアンが、大きな息を吐き出しながら通信に割り込んできた。


「あら、海兵隊マリーンは任務を選ばないんでしょう? 」


『……あいたたた、こりゃ一本取られました』


 してやられたという言葉に反してエイドリアンの声はずいぶんと楽しげだ。

 それはさながら新たな世界での第一歩に、何か予感めいたものを感じているようでさえあった。


「でも、おかげで落ち着いて話ができたわ。それと、言いたいことを言うのもね」


「我々が冷や汗を流した甲斐はあったということですね」


 満更でもなさそうにエイドリアンが軽口を挟む。


「ええ、ありがとう」


 正直なところ、つい先ほど――――それこそここに来るまでは、アリシアにとってギルベルトは会いたい相手ではなかった。


 ――――もし次に会った時は、もう少し普通に話せるかしら。


 ギルベルトとの会話を終えたアリシアが浮かべる表情には、かつてなら抱いたかもしれない負の感情は一切含まれてはいなかった。







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