第45話 自分、不器用ですから
―――でもま 、過去に諸々あったにしては、悪くない別れ方ができたんじゃないかしら。
ふたたび動き始めた馬車の中で、先ほどと同じく外の景色を眺めながら、アリシアはひとまずそう結論付けた。
これ以上考えても正解は見つからないように思えたのもある。
いずれにしても、
あまりズルズルと引きずらないのがアリシアの長所だった。思い切りがいいとも言うが。
「しかし、一年経って本当にあの
そして、そんなタイミングで空気を読むという行為に生来縁のないエイドリアンが、未だ感傷に浸っているアリシアに向かって真正面から訊ねた。
いきなりの言葉に、アベルとレジーナがそれぞれ「なんでそこで目に見える地雷を踏みに行くんだ……」と言いたげな表情を作る。
無論、エイドリアンはそんなものを気にしない。
「まぁ、あまり褒められた行動じゃなかったでしょうね」
問いを受けたアリシアは苦笑しつつ口を開いた。
普通ならこの時点であまり深く突っ込んでほしくないと気付くだろう。
「過去に彼との間で何があったかも聞いています。だからこそ、そのような相手にああやって手を差し伸べた理由が知りたかったんです」
ところが、エイドリアンはさらに一歩踏み込むことを躊躇わなかった。
彼は生来、
「エイドリアン、それはさすがに――――」
いくらなんでもやりすぎだとレジーナが割って入ろうとする。
エイドリアンの言葉に同意できなかったわけではなく、あくまでも自分たちがこの世界における“新参者”に過ぎないという意識からの言葉であった。
「いいのよ」
アリシアはやんわりとそれを制止した。
「気になるのもわかるから」
現状、話してかけてきているのはエイドリアンだけだったが、それを横で聞いているレジーナとて無関係ではない。
むしろ、
そして、エイドリアンの隣に座るアベルもまた、部下が先走っているような状況下にもかかわらず止めようとする気配は一切見られなかった。
つまり、アベルとしてもこの会話は決して不要なものではないと判断しているのだ。
――――試されているのかしらね。
アリシアはどう答えるべきか考え始める。
無遠慮な行動に出たと思われたエイドリアンだが、彼はここ数日の間行動を共にする中でアリシアのことを早くも新たな主人として認めつつあった。
だが、そのすべてがエイドリアンにとって好意を抱く行動というわけではない。
もちろん、それは“あって当然のこと”である。
育った環境だとか性差だとの差異は純然と存在しているし、エイドリアンとてそこが理解できないような人間ではない。
実際、アベルのことにしてもエイドリアンは無条件にすべてを認めているわけではないのだ。
もしそうであったならば、それは“崇拝”となんら変わらない。エイドリアンはそう考えていた。
理由もなく信じることのできるものなど、それはもはや“宗教”だ。軍人にも宗教を信じている者はいるだろうが、それは軍人としての責務を負った上で頼るべきものではない。
だから、エイドリアンは問う。
“自分が命を預けるに足る相手”か知りたいからこそ、エイドリアンは疑問を感じた時に直接問うことにしているのだ。相手の真意を測り、それが妥当なものであるかどうかを知るために。
ひどく不器用な生き方ではあるが、そうやってこれまで生きてきた以上、今さら捨てることのできないものでもあった。
「でも、同情で無責任なことを言ったつもりはないわ。領地に戻れば、公爵領の軍とは別でわたし自身が持つ兵力も必要になるでしょうからその布石みたいなものよ。
なんとなく、エイドリアンの持つ“そんな部分”を察したアリシアは努めて冷静に語る。
もちろん、言葉の上ではそう言ったものの、感情的な側面が一切なかったわけではない。
しかし、それは馬鹿正直に話すものでもないと思う。
「もし本当に来たとしても、
これはアリシアの偽らざる本心であった。
あくまでギルベルトと話した時の言葉は、彼が少しでも“マシな未来”を掴めるかもしれない切っ掛けを与えただけで、最後まで面倒を見てやる義理にまで言及したものではない。
自分自身を甘いと思ったアリシアだが、そこはアベルの薫陶もあり、本人の自覚のないところでドライな部分もしっかりと育っていた。
「これは強引な考えかもしれませんが、王室派に
エイドリアンは問いを重ねる。
しかし、それは感情に任せて物を言っているわけではないと、アリシアはエイドリアンの瞳に宿る理性の色に気がついていた。
「そうね。でも、ゼーレンブルグ子爵家がなくなった以上、彼の性格では公爵領を内部からどうこうできはしないでしょう。もちろん、迎え入れる際にはあらためて調査なりは必要になるでしょうけれど」
政治向きではないギルベルトの性格を考えれば、内部からの扇動というのは考えにくい。
だが、それはあくまでも“今のギルベルト”であったなら、だ。
一年という期間が彼をどのように変えるかはわからない。
泥に塗れる中で
いささか例外的かもしれないが、たった二ヶ月で自分がどう変わってしまったかを考えれば、そこを考慮に入れないわけにはいかなくなる。
だからこそ、“その時”にはまた見極めが必要になるだろう。
こんなものでどうかしらね。アリシアは自分なりの答えを返したつもりだった。
「……なるほど、お嬢様が俺たちに一定の裁量権を認めてくれるようでしたので安心しました」
ゆっくりと息を吐き出しながら答えたエイドリアンはそこであっさりと引き下がった。
それこそアベルとレジーナが意外そうな顔を浮かべるほどに。
そんなアベルたちの反応を見たエイドリアンは、今になって急に恥ずかしくなったかのように小さく笑ってから口を開く。
「少佐とレジーナには言うまでもないだろうけど、俺は海兵であることにはそれなりの誇りを持っている。もし貴族だからとかそんな理由で、現実を無視した命令が下されるようなら命を預けることはできませんからね。試すような物言いをしたことは謝罪します」
そこまで続けてすっと頭を下げてみせるエイドリアン。
ますます彼という人間を昔から知るアベルとレジーナは驚きを隠せなくなる。
アベルなどは「あのエイドリアンがまともなことを言っている……。まさか召喚時になにかミスが……?」とつぶやいていた。
アリシアはそこまで言われるエイドリアンが過去にどんなことをしでかしたのか興味が出てくる。
とはいえ、今はそこに触れるのはやめておいた。
まぁ、空気が和らいだ今、敢えて
「いいのよ、気にしないで。あなたの懸念はごもっともだしね。わたしだってたまたま先祖が偉いポジションに収まっただけの小娘だもの。それだけで納得できるものではないでしょう」
歯に衣着せぬアリシアの大胆な物言いに、エイドリアンとレジーナは少なからぬ驚きを覚える。
いくらこの世界の人間が早熟とはいえ、知り合って間もない人間から意見を受けてここまで合理的に考えられるものなのかと。
これが格の違いかと二人は思った。
「まぁ、プロの意見に耳を傾けられないようであれば、所詮はその程度の器しかなかったってことに――――」
アリシアが続く言葉を発したところで、突然馬車が停められた。
御者席の真後ろに作られた緊急用の連絡窓が、短いながらも鋭いノックを伴ってすっと開けられる。
「……お話し中のところ申し訳ありません。襲撃です」
ラウラが緊張感を孕んだ声で告げる。
――――その瞬間、馬車の中の空気が一気に変化した。
それは緊張感が生まれたというよりも、「ついに来たか」という
誰が指示を出すでもなく、各自が積んであった自分の“得物”へと素早く手を伸ばしていく。
そして、それに伴って馬車内部の温度までもが急激に上昇したような感覚が生まれていた。
「敵は?」
停まった馬車から銃を携えたアリシアはゆっくりと外に出る。
御者台から降りて傍に立つラウラが示す方向を見ると、数百メートル先からこちらに向かって駆けてくる十騎ほどの人を乗せた馬が見えた。
「こちらを」
アベルの差し出した双眼鏡を受け取って見ると、見た目はボロを纏った盗賊のようではあるが……。
しかし、アリシアは違和感を覚えた。
盗賊らしき集団の持つ武器が真新しいこともそうだが、
「盗賊……に扮しているだけでしょう。つい先ほどからこちらの様子を窺っていました。多少ではありますが訓練された動きです」
アリシアの問いにラウラが間髪入れず報告を上げてくる。
発見した時にはもう双眼鏡を使って相手の動きを確認していたらしい。
「まったく、感傷にも浸らせてくれないのね。……無粋の極みだわ」
アリシアが大きく溜め息を吐き出しながら、声のトーンを少し落としてM27 IAR(
金属と金属が擦れ合うことで奏でられる音が鳴り響き、殺意が金属の形となって薬室に装填された――――戦闘準備が整ったことを告げる。
同時に、それはまるでアリシアが続けて吐き出したかったであろう悪態を代弁させているようでもあった。
「ならば、相応しい対応をしてやるまででしょう。……ラウラ、馬を放せ」
アベルの指示を受け、ラウラは馬車を引いていた二頭の馬の馬具を外す。主人から拘束を解かれた馬たちは不思議そうにこちらを見ていた。
さすがに、これから起こる戦闘に備えるためだとは理解できないのだ。
しかし、一方の“敵”はそれを降伏のための準備と判断したのか、こちらに向かって来ている馬の速度が少しだけ上がった気がした。
「連中やる気満々か。じゃあ、俺は上に乗らせてもらいますよっと」
エイドリアンは呑気な声を出してM40A7を肩に担ぐと、その細身の身体に似合わぬ身軽さを発揮して動かなくなった馬車の上へと昇っていく。
「指揮官らしき人間を確認。馬の使い方が盗賊にしては丁寧だ」
アリシアとほぼ同じ感想をつぶやくエイドリアン。
その口数はいつもよりも明らかに少なくなっていた。
「配置完了」
続く言葉の通り、すでにエイドリアンが覗き込んだスコープの
命令さえあれば、いつでも音速を超えた弾丸を送り込むことができる。
「待て。近くになにか――――馬車は隠れていないか?」
アベルがエイドリアンを制しながら訊ねる。
自身で確認することもできたが、臨戦態勢にある以上、狙撃用スコープを覗き込むエイドリアンに探させた方が確実だ。
彼は隠れている存在を狩るエキスパートなのだから。
アベルからの指示を受け、スコープから目を外したエイドリアンは、
現在、
「……発見。約七百メートル先。敵を正面に二時の方向。丸見えです」
簡潔な報告が上げられる。
普段なら、「
すでに身体は微動だにしていない。狙撃手としての“戦闘態勢”に入っているのだ。
「そうか。なら、
アベルから放たれたのはきわめて簡潔な指示だった。
「
返事とほぼ同時に、普段のエイドリアンからは想像もつかないほどに繊細な手つきで引き金を絞り込む。
鋭い銃声が鳴り響き、馬に乗った男のひとりが血飛沫を上げて仰け反った。
そのまま、銃撃を受けた男はもんどりをうつように馬上から地面に向かって転げ落ちる。
距離が遠いため音までは聞こえてこなかったが、どさりというよりもぐしゃりという音が聞こえてきそうな落馬の仕方だった。
そして、地面に倒れた男はそれ以降ピクリとも動かない。
当然だ。百キログラムを超える重量物すら吹き飛ばすほどのエネルギーを、直径わずか7.62mmの弾頭に集中させて身体を突き破るのだ。
現に顔面に直撃を受けて地面に転がる指揮官の死体は頭部が破壊されており、ほとんど元の形を留めていなかった。
「――――
エイドリアンがボルトを引きながら静かに告げた瞬間、
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