第23話 貴族はつらいよ



 それからの二週間も、なんだかんだとあっという間に過ぎ去っていった。


 風の噂で国王が体調を崩したなどと聞こえてきたりもしたが、それはあくまでも噂話の域を出ないものであったし、なにより今のアリシアの関心はそこには向かなかった。


 どうしても人攫いの件が気になっていたアリシアは、独自に調査へと乗り出していたのだ。

 厳密には、領地にいるクラウスから正式に許可を取り、彼女の専属メイドとなっていたラウラに調査してもらっていたのであるが。


「例の件、それらしき場所は特定できました。当初はスラム街が拠点かと考えていたため、少しばかり時間をとることになってしまいましたが……」


 メイド服に身を包んだ細面の美少女が淡々と語った内容。それがアリシアを新たに悩ませることとなった。


「倉庫街とは、さすがに意識の範疇になかったわね……」


 あの職人街の隣に位置する倉庫街。そこで馴染みのない集団が目撃されているとの情報が得られたのだ。


 よくよく考えてみればいい隠れ蓑である。

 倉庫街なんて、職人街以上に朝から昼にかけての物の出し入れにしか使われないエリアだ。

 夜な夜な人知れずなにかをするには絶好の場所ですらある。


 もっとも、攫った人間を荷物扱いしているようで、アリシアはすさまじい嫌悪感には襲われていた。


「たしかに盲点と言ってもいいわね。ありがとう、引き続き調べてちょうだい。なにかあったらすぐに知らせて」


 いかに王都とはいえ、そこに暮らす人々は朝日が出たら動き出して夕日が沈めば家に帰る生活がほとんどで、よほどの事情でもなければ夜中に出歩く人間なんてまずいないのだから。


 しかし、それがわかったとしてどうするか――――アリシアは悩んでいた。


「承知いたしました」


 一礼して部屋から出ていこうとドアまで歩いたところで、ふとラウラが立ち止まった。


「……ひとつだけよろしいでしょうか」


 振り返る際にラウラの持つストレートの赤い髪がわずかに翻った。

 いちいち所作が堂に入っている。自分よりもずっと令嬢っぽく見えるかもしれないとアリシアは思う。


「どうしたの?」


 思わず見惚れそうになりながらも、アリシアは首を傾げる。

 言い残したことがあるなんて、仕事において完璧主義と言われるラウラにしては珍しい。


「正直、程度の低い犯罪組織が拠点として使うには不自然なくらいです。それなりに調べてもはっきりと全体像が見えないことも気になります。物や人の流れなどが……」


 どうやら、ラウラこの事件の裏になにかあると見ているらしい。

 それと同時に、主人であるアリシアが強く関心を持つがゆえに、ラウラはその身を案じずにはいられない。


 夏期休暇を前にアリシアがどのような目に遭い、そしてそれにどのように立ち向かったか。それらを知っているからこそ、ラウラは言い知れぬ不安に駆られるのだ。


 あの訓練で「決して逃げ出さない」と覚悟を決めたがために、敢えて進む必要のない苦難の道を自分から歩むことになってしまうのではないのかと――――。


「アリシア様、もしのでしたら、くれぐれもお気をつけて。わたしにできることであればなんでも申しつけて下さい」


 見る人間の大半が冷たい印象を受ける氷の美貌。その彫像のような口唇をわずかにやわらげてラウラは一礼した。


「ありがとうラウラ。でも、安心して。無茶はしないわ」


 ラウラの不安が伝わってきたアリシアは、心配させまいとにこやかな笑みを返す。


「それでは失礼いたします」


 ラウラが退室するのを待ってアリシアは椅子に背中を預けた。


 まるで見透かされているみたい。

 ……いや、見透かされているのだろう。ラウラとの付き合いもアベルの次くらいに長い。


 しかし、ラウラはこのまま自分が突っ走っていくとでも思っているのだろうか?


 これだけの情報でそんな短慮に駆られるなんて――――。


「思われてるんだろうなぁ……」


 ひとりきりになってしまったこともあったのだろう。

 部屋にはちょっとだけしょんぼりした様子のアリシアが取り残された。










 曇り空の下で悲鳴が上がる。

 職人街の通りを歩いていたアリシアが、前方から千鳥足で歩いて来た酔っ払いの指をへし折ったせいだ。

 ぶつかりそうになった時に、酔っ払いとは思えないほどの素早さでアリシアの腰に伸びてきた無遠慮な手が邪魔だったので、ちょっとばかり


「それにしても困ったものね……」


 溜め息とともにアリシアの口からつぶやきが漏れた。


 スリに遭ったことやこのあたりの治安に対してではない。

 結局、ラウラから得られた情報をどう使うかが決まらないまま、注文したナイフを受け取るべくここまで来てしまったからだ。


 正直なところ、ここから先については自分――――いや、公爵家を動かすような話ではないと思う。


 そもそも、王都の治安維持任務は本来騎士団の下部組織たる警邏の仕事だ。

 いくらアテにならないからといって、そこへ部外者の自分が足を踏み入れるのはどうなのだろうか。

 もし下手に自分たちが解決などした日には、縄張り意識を剥き出しに騎士団から「手柄を横取りした」とでも言われかねない。

 そうなれば絶対にまた面倒事が増える。それは避けておきたい。


 では逆に、今回知り得た情報を騎士団に提供したら彼らが動いてくれるのかというと、それもまた微妙なところだろう。

 しかも、


 仮に公爵家として情報提供をしたとしても、「なぜそんなことにアルスメラルダ公爵家が関心を持っているのか」という話に必ずや発展するはずだ。

 隙さえあれば高位貴族の失脚を狙っている人間など掃いて捨てるほどいる中で、痛くもない腹を探られる愚挙を犯すわけにはいかない。


 それに、警邏が断片的であれ情報を持っていながら、ロクに動いていないこともアリシアは気になっている。


 ここから考えられる最悪のパターンは、この一件に“権力が絡んでいるケース”だ。


 こうなってしまうと、騎士団ないし警邏に情報を提供するだけで要らぬ藪をつつくことになる。

 もちろん、多少の牽制にはなるかもしれないが、根本的な解決にはまるでならない。手を変え品を変え、またいずれどこかで同様の事件が起きるだけだ。


 それに、そもそもアリシアは“ただの公爵家令嬢”に過ぎず、王国内においてなにかしらの地位ポジションを持っているわけではない。


 公爵たる父クラウスも領地での執務が中心となっていて、現在は王都に常駐してはいない状態だ。

 そんな中で、もし王国の恥部を明らかにするような真似をすれば、最悪の場合、秘密裡に“始末”されてしまいかねない。

 秘密を握ったとしても、それは有効に利用できなければなんの意味がないのだ。


「いっそ、騎士にでもなろうかしらね……」


 とうとう思考が行き詰って、変な冗談が乾いた笑いを伴って口から飛び出る始末だ。


「今さら騎士の訓練なんて受けたところで、おそらくお遊戯程度にしか感じられませんよ、今のアリシア様には。実戦を繰り返したきた組織であればまだしも、今の騎士団は剣を振ることが得意な貴族が自己満足に浸るためだけの組織ですからね」


 隣を歩くアベルの冷静なツッコミで、アリシアは冷静さを取り戻す。


 いずれにしても無茶を通すには、必要なものがあまりにも多すぎる。


 「貴族に生まれたらなんでも思い通りになる」くらいに思っている人間も学園にはいるが、それがどれだけ幸福な範囲でしか世界を見ていないか今ならよく理解できる。

 それが悪いとは言うつもりはない。ただ、知らない方が幸せなこともあると少し寂しくなっただけだ。


 横を歩くアベルに目を向けるも、彼は自分からなにかを言おうとはしない。

 アベルのことだ、自分が思いつくような程度のことなら、同じようなことはとっくに昔に考えついているはずだ。

 ……なのになにも言わないのは、まずは自分で考えろということなのだろう。


 新兵訓練ブートキャンプは終了したが、あれ以来アベルはアリシアが自分で判断して行動するよう期待しているフシがあった。


 まるで、将来わたしを領主にでもさせようとしているみたい。

 ……まぁ、いずれにしてもそれに近いことは考えているのだろう。


 そうアリシアは思う。


 正式に婚約破棄されてしまった以上、アリシアはよっぽどの転機でも起こらない限りは社交界にも顔を出すことはできない。

 あくまでもアリシアのざっくりとした予想だが、アベル――――おそらくクラウスも含め、この先自分がひとりでも生きていけるようにしたいのではないか。


 女が爵位を継ぐことなんてできないのに……。


 極論で言えば、アリシアはたとえこの国に居場所がなくなり、外へ出るような事態になっても、今の自分ならそれなりに生きていけるとは思っている。

 だが、それは貴族として生まれ、今までこの国に育てられてきた身としてはあまりにも無責任に感じられる。


 ……でもまぁ、それは追々考えましょう。


 今からそんなことに考えを巡らせても疲れるだけだと、ひとまず今はアリシアも考えるのをやめることにした。


「……そういえば、この辺りだったかしら……」


 見覚えのある景色に、アリシアはこの前出会った花売りの少女のことを思い出す。 

 また来るとは言っておいたが、今日はそれらしき姿が見えない。

 あるいは、以前にも増して治安もよくないみたいだから外出を控えているのだろうか?


「そういえば、今日は姿が見えませんね。どうします? 先に鍛冶屋へ行きますか?」


 アリシアの表情を見てなにを考えているか察したのか、アベルがさりげなく声をかけてくる。

 本当に、よく見てくれている。


「……ええ、そうしましょう」


 まだ帰り道もあるし先に用件を済ませてしまおう、とアリシアは考えを切り替え、小さく微笑みをアベルに向けて返す。

 ちょっとだけさみしいなと思いながらも、アリシアは目的の鍛冶屋に向けて足を進めることにした。



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