第22話 人のデートを邪魔するヤツは



「……アベル、屋敷に戻ったらラウラに言って、この辺りを調べるように指示を出してちょうだい」


 スレヴィの鍛冶屋を出て少し歩いてから、周りに人がいないことを確認した上でアリシアは静かに口を開いた。


「公爵家を動かされるおつもりですか?」


 アベルは眉をわずかに動かす。

 その脳内で、メイド服に身を包み赤い髪をなびかせる怜悧れいりな美貌がチラついた。


「そうなるかしらね……。でも、ラウラならギリギリってところじゃない? もちろん、お父様には許可を得るつもりだけど」


 ラウラは、アベルと同じくアリシアと幼馴染同然に育ってきたメイドの少女である。

 厳密に言うならば、というべきかもしれない。 


 元々彼女は、アルスメラルダ公爵家とも親交の深い伯爵家の令嬢だった。

 しかし、数年前に流行病にて両親親族が亡くなり、そのまま後継ぎ不在のまま家が没落してしまったため、公爵家で彼女を引き取ったのだ。

 もちろん、それにはアリシアが強く望んだのも関係している。


「たしかに、向いている仕事ではありますが」


 アベルは静かに同意する。


「ラウラを危険に曝したくはないけれど、あの自身はそれを望むでしょうからね……」


 そう、ただ引き取られるという境遇に負い目を感じたラウラは、メイドとして働くことを選んだのと同時に公爵家の諜報関係を司る部署への配属をも望んだのだ。

 平民に身を落とし、どのような明日とも知れなくなった自分を救ってくれた恩人――――アリシアに仕えるためである。


 アベルが表からアリシアを守る存在ならば、ラウラは影からそれを支える存在として生きることを選択したわけだ。


 二年ほど前、アリシアが学園に進むにあたって、アベルが従者として王都に出て来ることになった。

 そのため、ラウラは領地の公爵家本邸に残っていたのだが、今回の件を受けてアリシア専属へと配置換えが起こり、つい先日王都へと出てきたばかりであった。


「意外と言っては失礼ですが……そのようになさるとは思いませんでした」


 アベルの口調はアリシアを非難する類のものではなく、どちらかというと真意を訊ねるような響きであった。


「……べつに彼らに同情したからってだけではないわよ? ただ、なんとなくだけど勘が騒いでいるの」


 同情したことは認めるんだな、と素直に言うアリシアを見てアベルは内心で苦笑する。


 こういう素直な振舞いを見ているのは悪くない。


「正直な話をするとね、たとえ王都であってもどこの手合いかわからない連中に好き勝手やられるのは。まぁ、わたしのナイフになにかあったら困るからだけど」


 取り繕うようにして最後に言葉を付け足すアリシアを見て、アベルは転げまわりそうになった。


 素直なアリシアどころか、前世で言うところの『ツンデレ』を見ることができたのだ。

 ゲームの中では最初から最後までデレることもなく、一種の“ツンギレキャラ”であったアリシア。その貴重なデレシーンである。

 これが冷静でいられようか。いや、いられるはずもない。


 反語表現を思わず使ってしまうほどに、心の中で上がりまくっているテンションをポーカーフェイスで抑え込んでアベルは口を開く。

 その際にも、こんなことなら『海兵隊支援機能』でビデオカメラでも出しておくべきだったと臍を噛んではいたが。


「やはり警邏に任せておく気にはなれませんか?」


「面白い冗談ね、アベル」


 即答だった。


「……だって、話を聞いている感じだとなんだかアテにならないみたいだしね、彼ら……。民からの信頼と税があってこそ生きていくことができるというのに、なにをやっているのかしらねぇ……」


 警邏とは名乗っておきながら、基本的に彼らのお仕事は貴族とか商家とかの財産を持つ人間を優先するスタイルだ。

 たとえスラムではないにしても、貴族を常日頃から相手にしているわけでもない職人街をまともに巡回してくれるかと言えば……。

 まぁ、しないでしょうねぇ――――と脳内で結論が出たアリシアは溜め息を吐く。


 公爵家として圧力をかけることはできないでもないが、そんなことをすれば騎士団を統括する内務卿あたりが凄まじく嫌な顔をするだろう。

 それは「自分たちの縄張りを荒らすな」という至極当然の反応なのだろうが、それなら文句を言われないようしっかり仕事をしておけと言いたくなる。


「あのぉ……」


 そんな中、不機嫌になりかけていたアリシアの耳に鈴の鳴るような声が届く。

 思考の渦に沈みそうなところで、ふと横合いから遠慮がちに声をかけられたのだ。


「お花はいかがですか?」


 続く声を受けて視線をそちらに向けると、声の主は小柄な少女だった。

 ずいぶんと言葉遣いと声色にギャップがある。

 顔つきが特別幼いというわけではないのだが、顔から読み取れる年齢を考えると若干背が低い。


 ……ドワーフの女の子?


 アリシアはそう直感で感じた。

 

「あら、綺麗なお花ね」


 少女が手に持った花籠を見ると、そこには白の中に淡い水を宿した花弁を持つ綺麗な花が並んでいた。


 そうだ、こんな時は綺麗な花でも眺めて気分を落ち着けよう。

 アリシアの決断は早かった。


「……いいわ。それじゃあ、まとめていただこうかしら。そうね……その籠の中身全部で」


「えっ?」


「あ、なんなら籠もつけてちょうだいな。そのままもらうと持っていくのが大変だから」


「……えっ? あっ? えっ?」


 柔らかな笑みを浮かべて手を差し出すアリシアとは対照的に、矢継ぎ早にあれこれと決められてしまったドワーフの少女は驚いた表情を浮かべていた。

 本当に全部でいいのかという内心の不安を表すように、おずおずを差し出された籠いっぱいの瑞々しい花。

 不思議なことに、それはこんな王都の片隅で手に入るとは思えないような一級の品だった。


「ありがとう。これ、お代ね」


 それらを優しく受け取って、アリシアは皮袋から取り出した何枚かの銀貨で代金を支払う。

 籠ごと持っていってしまうのだし買い替えも必要よねと少しばかり色をつけておいたが、花の母数が多いからすぐにはわからないだろう。

 正直なところ、持っている貨幣の種類に対して花の単価を考えると、銅貨になるであろう釣り銭をもらっても仕方がなかったのもある。


「こんなに……! ありがとう、お姉さん!」


 代金を受け取ったドワーフの少女は驚きの顔を一瞬浮かべたが、それからすぐに満面の笑みを浮かべた。

 それもそのはず。

 アリシアは知らないことだが、いつものように胡乱げな視線を向けられたり邪険に扱われることもなく、それどころか持っているものすべてを買ってくれたのだ。

 そんな少女にとって、目の前のアリシアは女神かなにかかと見紛うほどの存在となっていた。


「いいのよ。ちょうどお花が欲しかったところだから。また今度来た時にもお願いね」


「はいっ!」


 最初の伏し目がちな視線はどこへやら、笑顔を浮かべてアリシアに返事をする少女。

 それからぎこちないながらも一礼して、少女はとてとてと歩み去っていく。


「豪気ですな」


 少女が去っていくのを見送るアリシアにかけられるアベルの声。それは少し物言いたげに聞こえた。


「貴族が財を貯めこんでも仕方ないわ。どんどん使ってモノの流れを促していかなきゃ。まぁ、は気まぐれと言わざるを得ないけれど」


 受け取った花籠を軽く掲げながらアリシアは小さく苦笑した。


 アリシア自身もわかってはいる。

 ここでひとりを相手に少しばかりのお金を使ったところで、先ほどの問題が解決するわけではないことは。

 だから、“気まぐれ”と言ったのだ。


 王国としてはここ数十年は大きな戦争もなく長い平穏の中にあるが、そのおかげで様々なものが停滞しているとも言える。人材しかり財貨しかり……。

 特に財貨の流れに至っては、貴族にばかり集中していて、それが世に遍く分配されているとは到底言えない状態だ。

 これでは国が発展するはずもない。

 それこそ、王都の一部――――富裕層の住まう地区さえ維持できればそれでいいくらいの意識しかないでは? とアリシアは思ってさえいた


 ……なにかできることはないのかしらね。現状で公爵家うちが財を吐き出しても、下手をすれば身代が傾くだけでなんの意味もないし。


 考えてはみたものの、この場ですぐに浮かぶはずもなかった。アベルのように異界の知識があるわけでもない。


 邸宅に戻ったらアベルと相談しながら考えてみよう。

 いっそのこと、どこか傾きかけた老舗の商会でも買収して商売の真似事を始めてみるのもいいかもしれない。それはちょっと面白そうだ。


 とりあえず……まずは家に帰ろう。


「――――っ」


 そんなところへ、背後からの足音。

 軽く身体を横に移動させて絶妙のタイミングで足払いをかけてやると悲鳴が上がる。


 アリシアの横を通り過ぎたみすぼらしい恰好をした男が盛大に顔面から地面に突っ込み、残った慣性のまま数十センチほどスライディングをすると、そのまま動かなくなった。

 倒れたままピクピクと痙攣しているのを見るに、衝撃とその後のによって気絶したらしい。

 おそらく、しばらくは顔を洗うことさえも拷問となるだろう。


「熱烈なアプローチね。殺気はなかったから、こんなことだろうとは思ったけれど」


 ぶつかり方からしてスリのようだが、本人にそれを問いただすことはできそうもない。

 気絶してしまったスリは放置して、ふたりは歩みを進めることにした。


「それにしても、人攫いを心配する以前の治安じゃない……。ほんと、警邏や騎士団はなにをやっているのかしら……」


 治安維持業務の空白を垣間見たアリシアは溜め息を吐き出す。


「その警邏は呼ばなくても?」


「こんなの相手にいちいち呼びたくもないわ。それに、アレだけの目に遭えば十分でしょう」


 本来、知らなかろうが貴族を相手に危害を加えようとした時点で手討ちにされても文句は言えない。

 しかし、アリシアにそこまでやるつもりは毛頭なかった。


 たしかに、あのブートキャンプで殺戮兵器キリングマシーンにはされてしまったが、それはべつに誰かを定期的に殺さないと寝つきが悪くなるというわけではないのだ。

 それでも、つい今しがた真っ当に生きている少女を見たばかりなので、は甘んじて受けてもらおうと思ってはいたが。


 まぁ、せいぜい同業者の餌食にでもなってもらおうではないか。


「しかし、いい足払いでした。アレを喰らえば素敵な色男ロメオになれたでしょうね」


 珍しく褒めるような言葉を聞いたアリシアが後ろを向くと、アベルが懐に手を入れたままにこやかに微笑む。

 あのままアリシアがスられていたら、懐から現れた“なにか”がスリを背後から強襲したに違いない。

 アリシアとしては、それが非致死性兵器レスリーサルウェポンであることを祈るのみであった。


「……なるほど、商家の人間って思われても面倒なのね。勉強になったわ」


 スレヴィの忠告を思い出しながら、アリシアは話題を変えるように小さく肩を竦めた。


 スリはおろか、チンピラ程度であればアベルが出ずともアリシアだけで制圧できるだろうが、それでも要らぬトラブルに遭遇するのは避けておきたい。

 少なくとも、スカートの下に隠したM6銃剣ベイオネットが閃くような事態は特に。


「こういう場所で下手にお金があると思われるのも考え物ですね。お付き風に私が後ろをついて行くのはあまりよろしくないのかもしれません」


 立ち位置をアリシアの後ろから横にシフトさせながらアベルは漏らす。

 わざわざ口に出さずとも、こちらの意思を汲み取って動いてくれる臨機応変さは、アリシアにとっては好ましかった。


「なら――――もうちょっとだけ、見えるようにエスコートしてちょうだい」


 思いきって、アリシアはアベルの腕に籠を持たない方の手を絡めてくっついてみることにした。

 格好だってちょっと小奇麗にしている平民くらいに見えるような物を選んでいる。これなら恋人同士が歩いているように見えたりしないだろうか。


「ちょっ、お嬢さ――――」


 アリシアは半分開き直っていた。

 どうせ婚約破棄をされた“瑕疵物件”扱いなのだ。社交界にも出れはしないし、当分――――下手すれば永遠に婚約者などできはしない。

 爛れた関係とかになるとマズいだろうが、少しくらいなら持て余す若さを楽しませてもらっても罰は当たらないと思う。


「ダメよ。今はお嬢様でもなく、ただのアリシア――――だとちょっとアレね。んー、これから外行きの時は“アイーシャ”にでもしようかしら。それでよろしくね」


 唐突過ぎてさすがに驚きを隠せていないアベルの言葉を遮りながら、アリシアはにっこりと笑いかける。

 完全に先手を取っていた。


「……言っても聞いてはもらえないんだろうな。わかりました、それで合わせましょう。……行こうか、“アイーシャ”」


 仕方ないと覚悟を決めたアベルの言葉を受けたアリシアは、自分の本当の名前が呼ばれたわけでもないのに胸が高鳴るのがわかった。


 なんだろう、この感じ……。

 

 ちょっと前まで婚約者であったウィリアムとの逢瀬では、ついぞ感じることのなかった感覚。

 従者を相手に恋人を演じてもらっているだけなのに、なぜこうも違うのだろうか。

 いくら考えてもアリシアにはわからなかった。


 でも――――不思議と心地いいからとりあえず今はよしとしよう。


 アリシアは淡い笑みを浮かべながらそう自分を納得させた。




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