第51話 狙撃手さんは語りたくない
砦を取り巻く
「あーあ、“お留守番”ってのもしまらねぇなぁ。なんだか置いてかれたみたいで寂しいもんだぜ……」
眼下では兵士たちが白兵戦に備えて各自の武器を壁に立てかけ、それに加えて敵の接近を防ぐための矢筒を足元に置いて守備位置についているのが見えた。
たとえ専門の弓兵によらない牽制だろうが、矢を空から降らせられれば敵も多少は怯まざるを得ない。
また、その周辺では矢を受け止めるための木の板でできた盾を持って走り回っている兵士も散見される。
彼らの表情は共通して緊張感に満ち、まさに真剣そのものであった。
逆に言えば、この場でエイドリアンがひとりだけ暢気に構え過ぎなのだ。
それは
俺からすればこれはまだピクニックだ。なにしろ、
唇が不敵な形に歪みそうになるのを堪えながら、エイドリアンは
少し風が弱まってきた。
エイドリアンは狙撃に影響が出るなと風速計を確認し直す。
「……いつもボヤきから始まっていませんか?」
同じく隣に伏せて双眼鏡を覗き込んだラウラが、吹き付ける寒風の冷たさなど感じていないかのように無感情に返してくる。
「そうか? あまり気にしたことはないな」
無感情な言葉へと返したエイドリアンの表情には特に気にした様子は見受けられない。
「そもそも、場が安定していないとその銃では精確に狙えないのでしょう? そういう風にお聞きしていますが」
続いて放たれたラウラの言葉は、まるで「与えられた役目に対していちいち文句を言うな」とでも言いたげに聞こえた。エイドリアンとしては苦笑するしかない。
……もしかすると、感情と気温を同調させているからクソ寒くても平気なんだろうか。
エイドリアンは横目でラウラを見ながらそんなくだらないことを考えた。
しかし、よくよく見ればそれは違った。単純に意識を狙撃手のケアにまで向ける余裕が今のラウラに存在しないからのようだ。
まだ敵の姿が見えないにもかかわらず、初めての大規模な戦いを間近に控えた緊張感からかラウラは
さすがにコレは茶化せないな、とエイドリアンは内心でつぶやいた。
これが自分の直属の部下なら「ちゃんとチビってもいいようにオムツは穿いてきたか?」くらいのセリフは言っていると思う。
そのあたりまでわかっていて、アベルはこの振り分けにしたのだろう。
自分が余計な軽口を叩かず淡々と役目を果たすための“ベストな相棒”を置いていったものだと感心したくなる。
「それもあるかな。まぁ、自分でコントロールできない動きは苦手でね」
すでに準備が整っているエイドリアンは静かに嘯いた。
思えばこうしてこの無表情な
アリシアとラウラには座学の教官という形で
「でも、それ以上に今回の相手は動き回るのが予想されるからな。俺みたいな役目のヤツが下手に動き回るのはかえって悪手になる」
緊張してるなら少しは気がまぎれるだろうか? そう思ったエイドリアンは言葉を続けていく。
スナイパーが戦場で狙撃位置を変えるのはよくあることだ。
いつまでも同じ位置で撃っていたら居場所の見当をつけられ砲撃されてしまうし、そもそも射線が確保できなければ標的に命中させることもできない。
一方で、今回の場合は機動力を持った騎馬兵が相手となる。
数と機動力に物を言わせてこちらの防御力を削りに来るだろうし、隙を見つけて内部に押し入ろうとする者も出てくるに違いない。
砦は進入路を作られてしまうと途端に優位性が大きく失われる。外に向けていた攻撃を侵入者の迎撃に割かねばならなくなるからだ。
なにも大がかりな攻城兵器がなければ砦を落とせないということではない。
もちろん、そうなることはわかりきっていたので、事前に
「まぁ、簡単に言えばこの編成だって適材適所ってやつさ」
「そう、ですか……。わたしにはよくわかりません」
エイドリアンの言葉を受けたラウラが小さくつぶやいた。
……どうもこれは気にしているな。
明らかに
元々喋らないヤツが喋る時はだいたい何かある。エイドリアンはラウラの秘めた感情に気が付く。
アベルから聞いたラウラの過去から推測するに、彼女は公爵家――――アリシアから受けた恩を返すためなら自分の命すら天秤に乗せてくるだろう。
だからこそ、今回のような時に恩人たる彼女のそばで戦えないことにもどかしさを感じているのだ。
「要はな、あっちに人数を割き過ぎても効果的じゃないんだよ」
面倒くさいとは思ったものの、エイドリアンは必死に脳味噌を働かせて彼のキャラに似合わない道理を説く。
これから戦いが始まる以上、万全の態勢で臨まなければ自分の身が危なくなるのだ。
軽口は叩けても会話をしたくないなどと贅沢は言えない。
そもそも、今回の振り分けにしても、
敵の指揮系統を攪乱させるため
「わたしはアリシア様のおそばで戦うには不十分と見られたのでしょうか……」
双眼鏡から目を外して俯くようにつぶやくラウラ。
おいおい、俺の話を聞いてるのか……。 てか、少佐たちは俺にコレをどうしろって言うんだよ……。
正直、エイドリアンからすれば、アリシアもラウラも実戦経験の差などあってないようなものだ。
おそらく本人たちの前では言わないだろうが、他の二人に訊いてもそう答えるはずだ。
それがこのような組み合わせになったのは、アリシアが自ら打って出ることを選んだからに過ぎないし、よっぽど無茶をしなければL-ATVのような装甲を持った車両の中にいた方がココにいるよりかえって安全だ。……まぁ、そこは敢えて口にするようなことではない。
それに、ラウラとてそのあたりは理解しているはずだった。
……ま、若さ故ってヤツかねぇ。イロイロあるわなぁ。てか、とりあえずはこのお嬢ちゃんに自分も戦えるってことをわからせてやればいいんだろ? 面倒臭いがそれも先任の役目ってやつか。
エイドリアンは実に彼らしい即決具合で、深く考えることを早々に放棄した。
「暗い暗い!
エイドリアンの言葉に慌てて双眼鏡を覗き込むラウラ。
レンズ越しに広がる草原の向こうには、いつの間にかいくつもの黒点――――こちらに向かって進軍してくる騎馬兵の姿が浮かび上がっていた。
「あ、あれは――――」
「見えたか? ――――おっかないヤツらが来るぞ。銃を構えろ」
手を数回開いて握ってを繰り返し血流を安定させ、M40A7の
そのまま右手を
「ゲッコーよりカウボーイ。歩兵換算で数個
騎兵の編成単位はよくわからないため、エイドリアンはざっくりの数だけを報告した。どちらかというと戦闘開始を告げるためでもある。
『こちらカウボーイ。予想通り敵は先発と後発で分けて来たな。本命は後発だ。こちらは後ろが投入されたタイミングで突入する』
インカム越しにアベルの声が返ってくる。今頃はどこかで風景に擬装している頃だろう。
ならばこちらも役目を果たさねばならない。
「
通信を終了させると、エイドリアンは
馴染んだ感触が身体へと伝わり、本格的に態勢が整ったことでスコープを覗き込んだ目が一瞬すっと細まる。
セーフティを指で弾くようにして解除。ふたたび指先をトリガーの近くへと持っていく。
ゆっくりと息を吐き出して意識を集中させていくと、手に伝わる心臓の鼓動さえもが邪魔になってくる。
煩わしくさえ感じられるそれらをすべてを自分の制御下に置いて、初めて遥か彼方の標的を穿つ狙撃が可能となるのだ。
昂揚しそうになる感情を抑えつけたエイドリアンは静かにつぶやく。
「さぁ、パーティの始まりだ……」
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