第188話 Over The Rainbow
「開始からひと月ほど経ちましたが――我らが兵団の訓練はいかがでしょうか?」
週に一度の面談として、アリシアとティツィアーナは漁村に建てられた不釣り合いなほど新しい洋館で相対していた。
「腕が下ってるわよ、だらしないっ! どっか故障でもしているのかしら!?」
「ノー、マァム!!」
それぞれのトップが話を始めようとしている間にも、ジリアーティ騎士団の団員たちは今も元気に厳しい訓練に明け暮れている。
かつてティツィアーナが彼女たちに求めた貴族令嬢らしさは、もしかするとこのひと月の間にどこか遠くへ行ってしまったかもしれない。
しかし、それもアトラスが国として生き延びられなければ無意味なものに終わる。
「とても有意義だよ、アリシア殿。まさにかねてよりわたしが望んでいたものと言える。もっとも、我ら騎士団の者たちはいささか厳しい訓練に疲れ果てているが」
ティツィアーナは笑うが、明らかに普段の精彩を欠いていた。さすがのアリシアも「それは殿下もでしょう?」とは言わなかった。
たとえ全身から隠しきれない疲労を滲ませていたとしても、本人がそうでないと言うなら“そう”なのだ。そこに触れてはいけない。
「して、今日のご用件は?」
頃合いかとアリシアは
「ふむ……そろそろだと思ってな」
「とおっしゃられますと?」
最初に話を振った側でありながら、アリシアは小首を傾げた。なるべくわざとらしく見えるように。
「わたしがこうして供も連れず足を運んだ時点でわかっているのではないかな?」
ティツィアーナはわずかに視線を強くしてアリシアに向ける。遊撃兵団の訓練を受ける中で、以前にも増して幾分か引き締まった表情だった。
「さて……どうでしょう。我々が考えていることと殿下のお考えが一致しているとは限りませんので」
鋭い視線を向けられても、アリシアは動じない。むしろ優雅に目の前の紅茶を啜った。
「道理ではある。……では、あらためてこう言おう。ここからの訓練の内容を変更してもらいたい」
ティツィアーナの言葉にアリシアは片方の眉を動かす。
「訓練内容の変更……。より厳しくですか? もしや殿下は純粋な被虐趣味か、部下に対する加虐趣味をお持ちなので?」
敢えてアリシアはとぼけて見せる。
「たしかに王族ともなれば、人に言えない趣味のひとつやふたつ持っているものだが……。あいにく、それを貴殿にカミングアウトしに来たわけではない」
わざわざ言ってのけるとは、まさかティツィアーナ自身もそうなのだろうか?
「だとしたら、ここではなく宗教施設の懺悔室をオススメしていたでしょうね」
すこしだけ気にはなったが、アリシアは詳細に触れたくなる気持ちを押し殺した。
「ははは! 宮廷の者たちにそれくらい
さも愉快そうに手を叩いてティツィアーナは笑う。どうやら王女殿下はこうした付き合いが好みらしい。
「わたしがここから先求めるのは、貴殿――いや、貴国の武器に順応するための訓練だ」
「貴国? わたくしは――」
「アリシア殿がこの国にやって来たのは、あれらの武器の威力を、目鼻のきく者に見せつけるためだろう?」
アリシアは曖昧に微笑むだけで答えない。
「今の段階では答えてくれないか……」
この反応はティツィアーナとしても想定の範囲内だったようだ。
「では、勝手に話を進めよう。これはあくまで私の推測に過ぎないが? 登場時に貴殿らは海賊船を拿捕して、これでもかというインパクトと見せつけた。また、先の戦いでも自分たちの有用性をこれでもかと見せつける戦果を上げている」
出来すぎなくらいだとティツィアーナはアリシアに微笑みかける。
「これで興味を持って接触してくる者がいればよし。いなければそれまでの国だったということで見切りを付けて傭兵団らしく去る。その算段はとっくに終わっているのだろうな」
「つまり、殿下は我々が何らかの思惑を持って動いていると?」
あくまでもアリシアはティツィアーナの考えを聞き終わるまで喋る気がないように思えた。
「ああ。わたしの願望もいくらか混じっているが、無い方がずっと厄介だと思わんかね? でなければ、古代文明の遺産でも掘り当てたのか知らないが、国家の後ろ盾も必要としない異常なまでの暴力装置が我が国の中に放置されていることになる」
言い得て妙だと思った。
たしかに海兵隊の軍事力はオーパーツと呼べるものであり、何も知らずに古代文明云々と言われれば「そうかな、そうかも……」と納得しかねない。
自分を取り巻く滅びの運命を回避するために走り回っていたら、知らないうちに強力になっていたのですっかり忘れていた。
いつの間にか使えるようになった本国配備のB-2Aステルス戦略爆撃機など、考えなしに行使したら世界を滅ぼしかねない力を秘めている。
「……そこまで殿下にご理解いただけているのであれば、こちらとしても有益なお話ができそうですね」
ついにアリシアは居住まいを正し、ティツィアーナに向ける表情を真剣なものに変えた。
「すでにご存知かもしれませんが、戦いで見せたあれらは魔法ではありません。種も仕掛けもあるがゆえに、運用にも費用がかかります。それを殿下にお支払いいただけるのでしょうか?」
簡単に言えば、弓や剣や槍と同じく武器の扱いなわけだ。
ティツィアーナはアリシアの言葉からそう判断した。
「正直に言うと、直轄の領地も持たないわたしに出せる金など知れている。だが、先ほど言った“算段”ではないが、そこも貴殿らは見越してアトラスに留まっているとわたしは考えている。すくなくとも、我が国には代金があると思ったからあれらを見せたのだろう?」
もしかしたら、思わぬ“当たり”を引いたかもしれない。アリシアは表情には出さないものの、ティツィアーナへの評価をあらためた。
最初は単なる男嫌いな百合趣味のお姫様かと思ったが、貴族令嬢出身のひと癖もふた癖もありそうな部下たちをある程度まで鍛え上げられたのはまさしく才能と言っていい。そうした能力があったからこそ、早期に訓練へと順応できたわけだし、女だけを集めたのはちょっとした反骨精神とかそのあたりなのだろう。
「あくまでも代金の徴収は戦後を見据えた話ですが――貴国に眠るであろう資源との引き換えであれらの武器を供給するのはやぶさかではありません」
ごくりとティツィアーナの喉が鳴った。
これは下手をすると悪魔との取引に等しい。立場としてはこちらが不利なのだ。考えなしに承諾しては祖国が食い物にされかねない。
「なるほど。なれば貴国と手を結んだ後の我が国の立ち位置を聞いておきたい」
「立ち位置ですか?」
アリシアは微笑みを崩さない。まるで「これくらいの毒は見抜いてもらわなければつまらない」とでも言いたげだった。
試されている不快感を覚えなくはないが、むしろティツィアーナは背筋がゾクゾクと震える興奮を覚えていた。
自分でも意外なほどの感情の昂りだった。王族の血のどこかに窮地を楽しむ悪癖が眠っていたのかもしれない。
「ああ。たとえ王都へ諮るにしても、南海に敗れた場合と同じ扱いを受けるようでは戦いそのものが無意味になる。違うかね?」
「間違いございません。だったら今すぐ降伏した方がマシになります」
「であろう? なら、可能な範囲でいいから教えてもらえるだろうか? 貴国が我が国に求める立ち位置を」
ティツィアーナは小細工を弄するのをやめた。
幸いにして部下も誰もいない。ここで自身が心底を明らかにしたところで口を挟む者はいないのだ。まさしく千載一遇の機会だった。
「この場での言葉にどれほどの信憑性を感じていただけるかはさておき、我々に貴国を属国化するつもりはございません。海を跨いだ先の国家を支配するほどのノウハウも人材もない。ただ南大陸に覇権国家が生まれ、北上してくるのを阻止したいのです。その砦として貴国にはできるかぎり独立を保っていただきたい。これが正直な思惑です」
ここまでなら明らかにしてもいいと、アリシアは王国執政府から許可を得ていた。
蛮族のようにすべてを奪い取るような真似は避け、あくまでも互いの存在を認知し合った上で国交を築くべきだと国王への即位を目前したマクシミリアンは考えていた。
武に任せた覇権主義も不可能ではないが、もしも海兵隊の能力を借りれなくなった時、それはたちまちに破綻してしまう。
地球の技術を懸命に吸収しつつも地に足のついた発展を優先する――それこそが海兵隊という超常の集団と行動を共にしてきたゆえに辿り着いた為政者の結論だった。
「そうか……。やはり外の国だったか。正直、それだけの力を持ちながら、我々を未開の蛮族程度に思っていないならありがたい話だ」
納得がいったとティツィアーナは背中をソファに預けた。話が一定の方向性を見せたことで少し気が抜けたのかもしれない。
「わたくしはこの大陸の常識には疎いのですが――野蛮か否かは文明の発展度合いに依存しません。どのように理性的に振る舞えるか、同じくどれだけ節度をもって話し合いが行えるかですわ、殿下」
アリシアの言葉には確信の響きがあった。
すくなくともこうして会話ができている。ならば、互いの優劣を必要以上に考えることにどれほどの意味があるのか。
ティツィアーナにもその意志がしっかりと伝わってきた。
「なるほど……。しかし、アリシア殿。貴殿の言葉からはそれができない者を淘汰するようにも聞こえたが?」
問いかけつつもすでにティツィアーナは理解していた。
自分がこの場でアリシアの思惑を理解しただけでは無意味で、ここから先、自身の主張を押し通すだけの覚悟はあるのか問われているのだとも。
「貴国が生き残るためには、荒療治も多少は必要になるでしょう。それを甘受できるかです。もう殿下は渦中にいるのですよ」
少女は可憐に微笑む。
どこまでも美しく、それでいて幾多の戦場を潜り抜けてきた騎士よりも凄味があった。ティツィアーナも知らぬ間に背中に汗が浮かび上がっていた。
――悪魔ではないかもしれないが、鬼神の類は呼び寄せてしまったのかもしれない……。
「わたしも決めねばならぬのだな。己が道を」
「ええ。美しい虹も、その向こう側に至ってこそ意味があります。“年頃の病”に罹った姫殿下が来られた時はどうなるかと思いましたが、それは思い過ごしに終わったようです。良き出会いとなりそうで安心しました」
にこやかな笑みでアリシアは肯定し、そっと手を差し出した。
「ならばわたしも貴殿たちへ感謝を。我が国への多大な貢献になる」
「ふふ、礼にはまだ早いでしょう。すべては戦いに生き残ってからです」
やはりとんでもない怪物と手を組んだかもしれない。手を握り合いながら、ティツィアーナは早くも少しだけ後悔したくなっていた。
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