第176話 Marine Crops Came Across The Sea
朝の冷えた潮風の中を海鳥たちが飛び交い、それぞれの鳴き声が幾重にも重なって波の上を滑る。
南大陸の北端から北東に向けて飛び出たイザリア半島を三百年ほど前に統一したアトラス国。半島の中ほどに位置する港町ポートルガでは、朝日が海の向こうから顔を覗かせる中、日焼けした漁師たちが漁の成果を積み下ろしていた。
南方独特の様々な色合いの魚たちが木箱の中で跳ね回る。それらを男たちの到着を待っていた女たちが手際よく種類ごとに分けていき、隣の競り場では商人たちが次々に競り落としていく。
食卓に登る運命となった魚たちを、今度は商人たちに随伴する雇われ魔法使いが作り出した氷で締め、鮮度を保ったまま市場へ運んでいく。
「はぁ……まさか港町の魚臭い場所で働くことになるなんて……。どうしてこうなった……」
「しっかり働いてくれよ、ちゃんと給料出すんだからさぁ。ほらほら、口より手を動かして! 氷が足りないよ!」
愚痴をこぼす魔法使いに雇い主が発破をかける。
大陸中央の南海国やその他列強間で繰り広げられる戦の影響により、故郷を追われた魔法使いがこのような場所にまで流れてきているのだ。
もっとも戦闘に使えないレベルの魔法使いでは、こうした肉体労働にしかありつけない。付加価値があるだけマシなため、これでも好待遇と呼べるだろう。
「おい、なんだありゃ……」
「どれどれ?」
人々が行き交う市場から続く港に、1隻の巨大な船が入って来たところで雑踏の賑わいはざわめきに変わっていく。
「か、海賊船!?」
「なんであいつがここに……!?」
「おい、どうなってるんだ!」
「衛兵を呼ばなくていいのか! いや、傭兵たちを先に……」
呆然としながらも絞り出すような驚きや困惑の声を上げる町民たち。
噂に聞くマストに翻る不気味な
「昨晩
「俺たちも漁に出る時沖合で出くわして驚いたが、帆を畳んで
漁具を片付けている漁師たちがざわつく男たちに声をかけた。
市場周辺がパニックにならなかったのも、彼らのように落ち着いて作業を続けている人間が周りにいたからだ。
「んな馬鹿な! こいつらがどれだけ沿岸部の村々を荒らし回ったか……」
「そうだぜ。傭兵たちだって手が出せなかったじゃねぇか!」
この大陸で荒事から雑用に至るまでの仕事を請け負う存在は“傭兵”と呼ばれ、個人業務から集団業務まで幅広く存在している。
とはいえ、彼らはあくまで陸上での活動が専門で、小舟くらい余裕で轢き潰せる海賊船を真正面から相手にできるものではない。
幾度となく停泊しているところを強襲しようとしたが、不慣れな海の上から乗り込むことはできず返り討ちに遭っていた。
「それが見事に制圧してのけたってよ。船長と副船長を捕らえたって話だ」
「うそだろ!? 完勝じゃねぇか! いったいどんな連中だったんだ?」
「今、ギルドで登録手続きをしてる。なんでも北の大陸から来たばかりの連中だってよ。若い女が率いていたな」
「はぁ!? 新参者だってのか!? そいつらが海賊どもを!?」
野次馬のひとりがおそらく今日一番の驚きの声を上げた。
「ていうか女って言ったよな、どんなオーガが率いてるんだ?」
「ちげぇねぇ。若いって言ってもメスゴリラじゃなぁ……」
「こうしちゃいられねぇ。見に行こうぜ!」
感想はそれぞれだったが、総じていてもたってもいられなかったらしく、町民たちはギルドの方へと走っていく。
それを漁師たちは作業を続けながら半ば呆れた表情で見送った。
「なんだか妙な感じだな……。海がどうってわけじゃねぇんだが……」
「波とかじゃねぇな。イヤな気配だ」
ふといつもと違う風が吹いた。気がつけば波も強くなっている。
海を知るがゆえに男たちは不安混じりの視線を海の向こうへ向けるのだった。
「捕虜を船ごと引き渡せと?」
――案外悪くない
通された応接室でアリシアが内心に反して彼女が示した態度は「何をふざけたことを」と言わんばかりのものだった。
「有り体に言えばそうだ」
傭兵ギルドの支部長を名乗る中年の男――シメオン・パドルーは仏頂面で答えた。
「お話になりませんわね」
圧力などまるで意に介さず、アリシアは鼻を鳴らして一蹴した。
「困ったことを言わないでくれないかお嬢さん。あれは重要手配されていた海賊船なんだ」
呻くような声だった。早くも圧されかけている。
「存じております。だから手土産に仕留めてまいりました」
そのへんで狩りをしてきたような口調でさらりと言ってのけた。
どこからどう見ても貴族の令嬢然とした少女が口にする内容ではない。
いや、そもそもどうして「今日から傭兵ギルドに世話になる」のが目的で“あのような手土産”を持って来るのか。
派手な真似をしてくれた。多くの者に目撃されている。
悪夢のような現実の数々がパドルーをひどく悩ませていた。すべてを投げ出して家に帰って眠りたい気分だった。
「そんないわく付きの船を好きに使っていいなんて言うと思うかね?」
「今日からギルドの一員となるのです。わたくしたちが責任をもって管理しますし、あなたがたも存分に我々をコキ使えばよろしいではありませんか」
「個人でどうこうしていい代物じゃないんだよ……」
口ではそう言いつつ、どこかばつの悪そうな雰囲気を出しているので、彼の意思で結論を下したわけではなさそうだ。
港に入ったあたりで小舟で衛兵に取り囲まれ、それから事情を説明してからずいぶんと待たされた。きっとあれこれあったのだろう。
「これは異なことを。傭兵ギルドなら有効活用できるわけでもないでしょうに」
不満げに答えながらも、現時点でアリシアはおおよその予想がついていた。あまりに聞き分けが良いと舐められかねないためわざと態度を強くしているのだ。
「運用に関して我々が答える義務はない。そもそも他所から来たおたくらに――」
「そこからは私が答えよう」
もうすこし詰めてやろうかと思ったが、寸前で別の声がして部屋に新たな人間が入って来る。痩身の男だった。
「バルバストル殿……」
支部長からバルバストルと呼ばれたのは、線の細い容貌と相まって神経質そうな印象を受ける男だった。
整髪料で撫でつけられた灰色の髪にフレームの細い眼鏡をかけており、服装は華美でこそないが、質の良い生地を使い品良く仕立てられていた。
貴族階級の人間だろうか。アリシアは直感的にそう思った。
「お役人様かしら?」
立ち上がったアリシアはそっと一礼する。自然で優雅な美少女の動きにシメオンはますます困惑するばかりだ。
「……どうしておわかりに?」
男の表情がわずかに変わった。眉の角度が変わっただけで非常にわかりづらいが、これでも驚いているらしい。
「物腰が傭兵ギルドの職員とは思えなかったからですわ」
シメオンへの嫌味を混ぜておくのも忘れない。
「支部長の部屋に遠慮なく入って来られる方なら、選択肢は限られます。貴族というだけではギルドへ干渉できないでしょうから、領主かはたまた派遣されてきた文官か……」
支部長の仏頂面がより深くなったあたりから察するに、権力側が動いたのだろう。そのあたりの具合を見るために港町へ入ったのだが、思った以上に動きが早かった。
北大陸にあった冒険者ギルドと似て、傭兵ギルドもまた国家の完全な支配下には入らず運営されるようだが、完全な独立などやはり不可能なのだ。
「海賊どもを制圧したと聞いてどんな荒くれ者かと思って来ましたが、なかなかに聡くあられるようだ。私はマルセル・ド・バルバストル。この領地に派遣され領主の補佐官を務めている」
元来の性格なのか居丈高な印象を与えるものの、マルセルの人を見る目は色眼鏡になってはいないらしい。
シメオンに対してはわりと雑な対応だったが、こちらが小娘だからと侮った態度を取らないのは意外だった。単純な国は違えど貴族同士の意識があったからかもしれないが。
「北の大陸から来られたのでしたか? 海を越えて?」
「ええ」
隠すような内容ではない。アリシアは鷹揚に頷いた。
「見たところ貴族の血統に連なる方と存じ上げますが……」
マルセルはすこしだけ切り込んでみた。
少女本人もそうだが、背後に控えている副官らしき少年もまた貴族の振る舞いを身に着けているように感じられた。
「ええ、詳しい話は身の恥になりますのでご容赦いただければ。ただ政争で身の置き場が――」
「ああ結構です。初対面から不躾な質問をしてしました」
あれこれ聞き出そうとすれば警戒される。そう考えたバルバストルは静かに手を掲げて少女を止めた。
「傭兵として我が国に“貢献”いただけるのであれば細かい事情は問いません」
最終的に国が活動を許可するとしても、まずは
「では、あの船は国が接収すると?」
「話が早くて助かります」
あらかじめ仕入れていた情報によれば、件の海賊船はこの国で建造された軍用船よりも高性能らしく、リバースエンジニアリング目的で是が非でも入手したいのだろう。
たしかに価値もろくにわからない傭兵ギルドに持たせておくなど宝の持ち腐れだ。
「もちろん然るべき対価はお支払いいたします。傭兵として登録された以上、ギルドが手数料を取るでしょうがケチと思われない額は用意するつもりです」
資金の出処はどこだろうか。この領地からだと結局然るべきところへ戻っていくことになる。なるほど、気前のいい話になるわけだ。
「それは助かりますわ。新天地にたどり着いたばかりで何かと入り用ですので」
アリシアは気付かないフリをした。あくまで好意に感謝する形でにこやかに対応する。
国家権力に
「それでは私はこれにて失礼します」
本当に用件だけで構わないらしく、立ち上がったバルバストルは思わせぶりな仕草のひとつもなく部屋を出て行こうとする。そういえば名前も聞かれなかった。
「わざわざご足労いただきありがとうございました」
気になるところはあったが、アリシアはそっと立ち上がってふたたび一礼してみせた。
すっかり蚊帳の外に置かれてしまったシメオンだが、今度は心の余裕があったのかアリシアの振る舞いを素直に美しいと思えた。
「ええ、またお会いしましょう」
別れ際に小さくバルバストルが口にしたのを、アリシアも、そしてアベルも聞き逃さなかった。
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