第2部~お嬢様、新たな世界に飛び出すってよ!~

第1章~お嬢様、姫騎士たちをどうにかするってよ!~

第175話 Beyond The Sea


 水面みなもに映った月が寄せ返す波に合わせゆらゆらと揺れている。風もなく静かな夜だった。


 眠れない海鳥たちが時折声を上げる。闇の中を自由に飛べない彼らは、ただ夜が明けるのを待つしかない。


 鳥たちが営巣する磯近くに大型船が停泊していた。

 危険だからと地元の漁師すら寄り付かない場所を選んだのはアトリア半島周辺を荒らしまわっている海賊船だった。

 これだけ揺れがなければ眠りやすい――と言いたいところだが、赤道近くとなるため風がなければ蒸し暑く寝苦しい。船室に押し込められた男たちが密度を高めている部屋ではもっとひどいものだった。

 寝ずの番で見張りに出させられている下っ端もまた、なるべく風の通る舳先へさきへ移動して、夏の夜の暑さから少しでも逃れようとしていた。

 見習いである彼からすれば、中で寝ていられる連中が信じられなかった。「よくもまぁあんな場所でグースカと眠って……」と思うが、結局は慣れの問題なのは間違いないし、いずれ自分もそうなっていくのだろう。


「……?」


 ふと何か水の音がした。


「魚か?」


 不安になって声が出る。そっと船の下を覗き込むが何が見えるわけでもない。

 灯りを持ってくれば良かったと後悔するが、残念ながら彼はそこまで職務に熱心にはなれなかった。そもそも勤勉であれば海賊などにはなっていない。


「ちっ、なんだよ……」


 小さく舌打ちをして男は正面に向き直った。苛立ちが言葉となって漏れ出てくる。


「はぁ~、カシラも慎重に過ぎるんじゃねぇか? どこでもいいからさっさと上陸させてくれねーのかよ」


 海賊の本領といえば略奪である。

 女を掻っ攫って売っ払って金に換える。その前にちょっと楽しんでもいい。これに勝る喜びがあるだろうか。

 もちろん、彼はまだその“役得”にあずかったことはない。


「早いとこ近くの村でも襲って、女をヨォ――」


「南大陸初遭遇がこんなウジ虫? ……呆れるわね」


 耳元で発せられた言葉を脳が認識――する前に、男の腰に灼熱感にも似た激痛が生まれ全身が激しく痙攣。


「か……か……」


 口を押えられているのもあるが、身体が自分のものではなくなったように思える。声さえまともに上げられず、やがて全身から急速に力が抜けていく。

 身体が倒れないよう支えられていると理解した時には、男の意識は二度と浮上することのない深淵へ沈んでいた。


「クリア。このまま一気に船内を制圧するわよ」


 闇の中で目出し帽バラクラバを被った影――声から辛うじて少女とわかる――が敵の肉体に突き立てたナイフを引き抜き首元に指示を出した。

 わずかな光も反射しないよう、刀身にコーティングが施されたコンバットナイフの血糊を息絶えた男の服で拭い取って鞘へと納める。


『『『了解』』』


 通信機越しに応答の声が上がり、乗り込んできた無数の影が最小限の音だけで船内へ侵入していく。各種装備に身を包んだ黒ずくめの兵士たちだった。

 無造作に置かれたロープなどの船具をすり抜けて、するりするりと進んで行く様は、まるで闇と同化しているようだ。

 ともにいた見張りも、空気が抜けたような音がひとつだけ響くと、その場に崩れ落ちる。亜音速サブソニック弾を使った見事な狙撃だった。


「なにもあなたが先陣を切らなくても良かったのですが……」


 闇に溶け込んだ集団が暗視装置を作動させて内部へ突入していく中、ひとつの影が少女に近付いてきてそっと声をかけた。突入部隊と同じ装備で、抑音器サプレッサーやレーザーサイトを取り付けたMP7A2を手にしている。


「たまには実戦を経験しないと身体が錆びついちゃうわ」


 声と共に、少女の形をした影が小さく笑った。隠された表情から覗く翡翠色ジェイドの瞳のわずかな動きで男はそう判断していた。


「中の方はどうなっているかしら」


武装偵察部隊フォース・リーコンなら、この程度の作戦、何の問題もありません」


 交わされるのは世間話のような他愛のない口調だった。両者の間に緊張の気配は見られないが――それもそのはずだ。

 抑音器サプレッサーを使っているため銃声は聞こえてこないが、確実に内部では戦闘とも呼べない“蹂躙”が行われている。

 奇襲を受けるなど予想もせず熟睡している無防備な状況で、現代兵器に身を固めた熟練の兵士たちが踏み込めば海賊刀カットラスくらいしか持たない彼らに勝ち目などあるはずもない。いや、武器を振るう時間さえ与えられないだろう。


「楽勝なんでしょ? それでもわたしが戦っちゃダメなの?」


 不満げな声だった。


「お気持ちはわかりますがね? 指揮官が率先して戦うものではないとヴィンフリート殿におっしゃられたではありませんか」


 敵の程度は知れているとはいえ、室内戦では偶発的な遭遇が起こらないとも限らない。少女の出番は譲歩しても甲板までだった。


「――そんなこともあったわね」


 過去の自分を思い出したか、どこか気恥ずかし気に少女は答えた。

 煩わしいしがらみから解放されて気持ちが浮かれているのだろうか。少しくらいは戒めなければと自分に言い聞かせる。


「報告! 船内の制圧が完了しました! 負傷者なし! 捕虜は船長・副船長と思われる者だけです!」


 船室から出て来た突入部隊の隊長が駆け寄ってきた。

 後方では部下たちが見慣れぬふたりの拘束された人間を連行している。


「それぞれ個室で眠りこけておりました。残りの海賊たちは――」


 言葉を途中で切って捕虜を見ると、彼らは一瞬で抵抗の素振りを止めた。


 まぁ言うまでもないことだろう。眠っている間に天へ召されたのだ。


「ご苦労さま。無事で何よりだわ」


 少女は笑顔で労う。


「ここで尋問するのもマズいので、どちらも騒げないようにしています。重要書類なんかはなさそうですが、我々では判断できないので持ち出せるものは持ち出しています」


「もう用はないわね、船はあとで曳航するとして……。ひとまず撤収するわよ」


 作戦完了の報せを受けて、少女は窮屈でたまらなかった目出し帽を脱いだ。

 夜の闇の中でも降り注ぐ月光を受け、燦然さんぜんと輝く美しい金色の髪が露わとなる。


 ヴィクラント王国アルスメラルダ公爵家令嬢、アリシア・テスラ・アルスメラルダのはっとするような美貌が月明りの下に浮かび上がった。


「中佐、すこし気になるものが……」


 隊員のひとりがそっと近寄ってきた。


「これは……」


 差し出されたものを見たアベルの気配と声色が変わった。アリシアもそれを見て視線の色が変わる。


「これを……海賊が持っていたと?」


「ええ。見つかったのはひとつだけですが……」


 突入要員のひとりが持って来た箱の中にあったのは――


 北大陸の基準ではあるが、明らかに技術水準にそぐわない“異物”だった。

 これをどう考えるべきか。地球とは微妙にバランスの異なる技術発展の中で自然と生み出されたものなのか、あるいは自分たち海兵隊と同じような何者かが――


「早くも不穏な気配が漂ってるじゃない」


「はは。わかっていて送り込んだんじゃないかと思いますね」


 事態を仕組んだハインツの胡散臭い笑みがふたりの脳裏に浮かび上がった。


「いいじゃない。かえって楽しみだわ。いったい何が待っているのかしらね――」


 いつしか風と共に流れ込んで来た雲により、月は覆い隠されていた。








 鉄血の海兵令嬢(旧題:まりんこ!) 第2部 始動















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