第66話草原の覇者


「こちらになります」


 屈強な遊牧民の男――――おそらくは護衛隊長と思われる人間に案内され、アリシアたちは草原にぽつんと立てられた真っ白な布張りの建物に向けて歩いていく。


 その周囲には、厳かな雰囲気を放つ男たちが配置されている。

 ひとりひとりが、かつて王国西部方面軍の将としてオーフェリアが対峙してきたアンゴール兵と比較しても、一度として相まみえたことのないほどの気配。

 彼らの視線は客人たるクラウスたちを向いてはいないが、会談の場を警戒する目つきは尋常なものではない。


「……この様子じゃ、“ファーン”が来ているというのも本当そうね。ここまでの精鋭、見たことがないわ」


「王子を迎えに来るともなれば、それなりの準備が必要なんだろう。あのように質素に見えるテントも彼ら独自のものと見れば不自然でもないかな」


 オーフェリアからの言葉にクラウスが鷹揚に答える。


 事前にスベエルクから聞いていた話では、目の前にあるのは“ゲル”という遊牧民が暮らすテントらしい。

 定期的に移動をする生活のため、折りたたみやすさを重視しているらしくそれほど大きなものではない。

 ぱっと見ただけでは質素な造りに感じられるが、手入れが行き届いていることからアンゴールの中でも貴人を迎え入れるものなのだろう。


「ファーン殿に拝謁するにあたり、なにか気を付けることなどは?」


「特には。暮らす場所も何もかもが異なる者同士、互いの言葉や習慣が不理解なものであることなど、我らが王は承知しております」


 ただの兵卒にしては品のある護衛隊長からクラウスに返されるのは、こちらが異邦人であることは知っているという慇懃な答え。


 あまり友好的には見えないなとばかりにクラウスは小さく肩を竦める。

 彼の傍らには引き続き妻のオーフェリアが立ったまま進む。彼女の秀麗な顔に浮かぶのは小さな笑み。


「試しているのかしらねぇ、こちらを」


「おそらくは」


 公爵夫妻からやや距離を空けてアリシアとアベルが並び、アンゴール側の様子を見ながら密かに言葉を交わす。


「このような形で定住の民とアンゴールが会談するのも、初めてのことに近いですからね。私としてはあまり歓迎すべき態度ではないのですが……」


 会談相手を試すような真似を目の当たりにして、困惑しきりなスベエルクの言葉がアリシアたちのさらに後ろから発せられる。


「貴族のような面子が服を着て歩いている人間に、たかが護衛があのような態度を取ればどう反応するか――――かしらね」


「だろうな。だが、“大旦那”はそんなヤワな手に乗る相手じゃないだろ」


 そして、最後尾をエイドリアンとレジーナが贈答品の荷車を運ぶ。


「大旦那って、アンタもうちょっとこの世界の常識を覚えなさいよねぇ……」


 傍らを歩くエイドリアンに向け、レジーナは呆れたような視線を送る。


 先般の砦を巡る戦いで、アベルを介してクラウスと面識を得たエイドリアン。

 どうも彼はアベルの主人アリシアの親ということで、クラウスのことを“大旦那”、オーフェリアのことを“姐さん”と呼んでいるようなのだ。


 性格に多大な癖がある彼なりの敬意・好意の表れなのだろうが、アベルとアリシアは苦笑するしかない。

 まぁ、そのあたりはクラウスもオーフェリアも異世界人の感覚として理解はしており、時と場さえわきまえてくれればと思っているため大事には至っていない。


「ほら、その大旦那は大丈夫そうだぞ。ボヤボヤしてないでさっさと進め」


 笑みを浮かべたままアベルが小さく手を叩いて一行を先に促す。


 先触れで聞いている範囲では、あちらには“ファーン”とその護衛が数名。

 さらにあの屈強な護衛が代表としてこちらの案内役となるらしい。


「お通り下さい」


 ゲルの布をそっと持ち上げられ、クラウスたちが先にそこをくぐり抜ける。


「――――!」


 内部へと踏み入ったクラウスとオーフェリアに向けられる圧力。

 思わずふたりは身構えそうになってしまう。


 続いて中に入ったアルスメラルダ公爵領勢もまた背筋に悪寒が走っていた。


 白い狼の毛皮を敷いた場所に泰然と腰を下ろすのは壮年の男。


 ――――この男が……!


 名乗りを受けずとも、この時点でクラウスとオーフェリアのふたりには直感で理解ができた。


 ゲルの内部に漂うのは堂々たる覇気と圧力。


 この男こそが、先般刃を交えたアンゴールの軍を率いし草原の若き狼スベエルクの父にして、遊牧民たちのファーンなのだ。


 長い年月を経たことでいつしか黒から灰色に染まった長い髪の毛を後方でくくりひとまとめにしている。

 浅黒い肌の精悍な貌には狼の如き双眸が光を放つ。

 陽光の降り注ぐ草原を馬蹄で駆け抜けて来た覇者だけが持つものだ。


 “ファーン”はクラウスたちを観察するように、じっと口を閉じたまま、訪れた客人たちを見つめている。


 スベエルクは面倒をかけた父に向け、軽く頭を下げると壁際へと寄って沈黙する。

 従者であるアベルも、この場では発言を許されているわけではないため、アリシアと共に目を伏せたまま口を噤む。


 いずれも、まず場の代表者であるクラウスか、“ファーン”が口火を切るのを待っているのだ。


 沈黙が場を支配する。

 “ファーン”が口を開かない以上、国は異なるが王に次する公爵位を持つクラウスが口を開くべきなのかもしれない。


 だが、クラウスは言葉を発しない。

 卑屈にはならず、かといってアンゴールに勝利した者の傲慢とも受け取られない穏やかな態度で“ファーン”へと視線を返すのみ。

 空気を通して押し寄せる圧力を受け流しつつも、相手がこちらの何を見透かそうとしているかを読み取るばかりか、その心底まで逆に見抜いてみせようとばかりに正面から草原の覇者を見据える。


 “ファーン”もまた、クラウスの沈黙と視線を受けながら口を開かない。


 ……刻一刻と、時間だけが過ぎていく。


 まるで、野生動物を相手にして、先に視線を逸らした方が負けみたいだな……。


 完全な傍観者となったエイドリアンは、場の張り詰めた空気など一切気にせず内心でそんなことを考えていた。


 不意に沈黙の場に音が生じる。


 かすかな音。

 “ファーン”が早く喋れと促すように、組んだ腕に当たる人差し指を動かし始めたのだ。


 ――――おいおいおい。捕虜の返還と同盟を結ぶ会談じゃなかったのか?


 予期せぬ“ファーン”の行動に、アベルの気分が重くなる。


 はっきり言ってしまえば、これは無礼に類するような仕草だ。

 それと同時に、“ファーン”からの圧力がじわじわと増し始める。


 クラウスの斜め後ろでは、容赦なく発せられる圧迫感にアリシアの額に小さな汗の玉が浮かび始めていた。


 それでもクラウスは口を開く素振りすら見せようとしない。


 こうなったらと腹を括り、とことんまで勝負をしてやるつもりなのだ。


 クラウスも、“ファーン”が発する圧倒的な覇気を受けて先ほどから強い緊張状態にある。

 だが、それでも自分の身体を限界までコントロールして、強い意志の下無言を貫き続けていた。


 礼服の下――――背中にはすでに冷や汗が流れている。

 しかし、それ以外の見える場所では絶対に見せるつもりなどない。


 そんな空気の中、傍らのオーフェリアは何か言いたげな表情を浮かべていた。


 「いつまで意地の張り合いをしているんだ、この男どもは」と言いたげな視線が、ともすれば無遠慮に“ファーン”と夫であるクラウスに向けられる。


「フゥ――――」


 不意に“ファーン”の口元が小さく開く。


 なにが出るかとアリシアとアベル、それとレジーナは身構えかける。


「ハハハハハハ! なんとも愉快だな、アルスメラルダ公爵領の者たちは!」


 それまでの圧力が瞬時に霧散。

 ゲルの中に響き渡る“ファーン”の笑い声が場を新たな局面へと作り変えていた。





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