第65話そんなノリ要らんかった


 アルスメラルダ公爵邸に、手紙を携えた異国の商人がやってきたのは、新たな年を迎えてから月の半ばを過ぎた頃であった。

 フォーレルトゥン砦を経由していたため護衛の騎士を伴ってはいたが、その扱いがゆえに手紙が重要なものであることを皆は即座に感じ取る。


 丁寧に造られた羊皮紙製の手紙を受け取ったクラウスの表情は、普段の平静さのままに見えるものの、身内には微妙にひきつっていることがわかった。

 オーフェリアは彼の隣でラウラの淹れた紅茶を優雅な仕草で口元に運び、アリシアは対面に座りながらもやはり経験の差からか落ち着かない様子で、それぞれが手紙の開封を見守っている。


 席をはずそうかと思ったアベルだったが、クラウスから同席を強く求められ、今はアリシアの隣で静かに控えていた。

 いよいよ従者の扱いではなくなってきているが、そこについては墓穴を掘りかねないので言及はしない。


「ふぅ……」


 沈黙が流れる空気の中、手紙に目を通していたクラウスの視線が上がり、その口から小さな溜め息が漏れる。


「……アンゴールはなんと言ってこられたのですか?」


 陶杯を置いたオーフェリアが静かに訊ねる。

 手紙の差出人を口にしているが、どうやらそこは最初から見当がついていたようだ。

 実際、この時期に異国の商人が運んでくるものなど限られるわけで、アリシアとアベルも大方の予想はできていた。


「身代の引き渡しには応じる。交渉の用意あり――――と。それと……殿下、こちらを」


 この時点で、クラウスはすでに捕虜から客人の扱いとなっていたスベエルクを居間に呼び同席させていた。


「私が読んでも構わないのですか?」


「むしろ、殿読んでいただきたいところですね」


 戸惑いを浮かべて首を小さく傾げるスベエルクに、クラウスはクラウスで困ったような笑みを浮かべながら手紙を渡す。

 

「では、失礼して……」


 手紙の内容へと目を通すスベエルク。

 書かれた文字を視線がなぞっていく中、彼の表情がどんどん変化していくのがその場にいた全員にもわかった。


「な、なんですか、これは! 父――――“ファーン”が自ら来るですって……!?」


 手紙から目を上げてクラウスの方を向いたスベエルクから叫び声が上がる。


「そう驚かれるがね、殿下。その反応は私こそが出したかったものだよ」


 クラウスの口からも溜め息が漏れる。

 驚愕の反応リアクションをスベエルクに譲ることで、自身の感情の発露を代わりに処理してもらったのだ。


「スベエルク殿下、このフットワークの軽さは遊牧民の気質なのかしら?」


 そう問いかけるオーフェリアの表情にも、意表を突かれたからか苦いものがわずかばかりだが浮かんでいた。

 いかに王子たる息子が捕虜になっており、その交渉相手が大貴族であるとはいえ、一国の王ともいうべき人物がとる行動ではない。


「いえ……。まぁ、たしかに遊牧民アンゴールの多くはひとつの場所にじっとしていられない性格をしているとも言えますが……」


 どう答えていいのかわからないスベエルクは返答に悩む。


「なるほど。そうなると、これは当代“ファーン”本人の気質によるものですか」


 困惑しきりなスベエルクを見てオーフェリアは小さく笑みを浮かべ、やがて納得したような表情となる。


「おそらくは、そういうことになるものかと……」


 いよいよ汗が額に浮かぶ中、頬を掻きながら答えるスベエルク。

 彼自身もこればかりは予想だにしていなかった事態のようである。


「旦那様、最上位の礼服は用意させますが、その他はどのようにされるおつもりですか?」


 これ以上いじめるのはかわいそうだと、オーフェリアがクラウスに視線を切り替えて訊ねる。

 話を振られたクラウスは腕を組んで思案を開始。


「国内の貴族ならそれこそ爵位だなんだでどうにでもなるが、今回は相手が相手だ。手ぶらで行くわけにもいかんだろう。勝者の驕りと見做されでもしたら堪らないからな」


 話を振られたクラウスも言葉の意味を誤解せずに言葉を並べていく。

 当然のことながら、西方の覇者ともいえるアンゴールを相手に、局地戦で勝利をおさめた程度で傲慢な振舞いができるような余裕などアルスメラルダ公爵領にありはしない。


「でしょうね。……では、なにを持って行くか。用意もありますし早めに決めておかねばなりませんわね」


 オーフェリアは夫の補佐役として早くも動き始めていた。

 自分がこの屋敷にいられる間にできることはやっておきたいのだろう。


「殿下、こうなればすこしでも良い方向に進めるしかありません。お手数ではあるが、ご協力はいただけるだろうか?」


「ええ、もちろん。敬愛するアリシア殿のためになるのであればよろこんで」


 いくぶんか気持ちを落ち着けたか、スベエルクは笑みを浮かべてクラウスに快諾の言葉を返しつつ、アリシアに向けて過日自分が受けたウインクを投げかける。

 初めて遊牧民の王子に出会ってからこの方、何度目かを数える気もなくしたアピールを受けたアリシアは、まだ諦めていないのかと小さく肩を竦めてみせた。


「……うちの娘はあんな調子だが」


「構いません。そうであるからこそ面白い」


 アリシアからのつれない仕草を受けても、スベエルクはなぜか満足気に笑っている。

 それを見たクラウスは何か言いたげな表情を浮かべていたが、当人がそれでいいというのを無為に掘り返す必要はあるまいと考えるのをやめた。


「では、遊牧民の間で喜ばれるものを教えてもらえるだろうか」


 そうして、草原の覇者ファーンを迎えるための準備が始まった。




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