第67話 東奔西走なんのその


「たいした胆力を見せたものだ! 定住の者は自らの力で掴み取ったわけでもない世襲の位ばかりを重んじ、根性があるかもわからんと思っていたが、案外そうでもないようだな!」


 喜色の混ざった張りのある声が響く。

 年老いて尚筋肉を蓄えた身体から発せられる圧力は弱まったものの、クラウスたちを探るような目は健在のまま口元を歪めて笑みを深める“ファーン”。


「そのような者もいるでしょうが、当家は武辺を誉としますゆえ」


「なるほど……。スベエルク、貴様が敗けたというのも、けっして油断が原因とはいえぬやもしれぬなぁ」


 剛毅な笑みを浮かべる“ファーン”の視線が、自身の息子であるスベエルクへと向けられる。


 突然話を振られた形となるが、スベエルクは言葉を発することなくただ小さく目を瞑るのみ。

 いささか曖昧ともとれる返事の仕方ではあったが、“ファーン”がそれに眉を跳ね上げる様子はない。


「そう恐縮するな。ワシは貴様が敗けたことの是非を問うているわけではない」


「はっ――――」


 恐縮したように小さく頭を下げるスベエルク。

 そんな仕草の中、彼はこの時点ですでに幾分かの安堵の感情を宿していた。


 もしもクラウスが早々に“ファーン”からの圧力に屈しているようであれば、「このような相手に敗けたのか!」と思われかねない。

 ファーストコンタクトがおおむね成功裏に終わったことで、この会談の流れはそう悪い方向には転がらずに済むのではとスベエルクに予感させていた。


 もっとも、実子である彼をもってしても一筋縄ではいかない“ファーン”が相手である。

 ちょっとしたことが切っ掛けで何を言い出すかわからない不確定要素も依然として存在してはいたが。


「さて、アルスメラルダ公爵」


 “ファーン”はクラウスに向き直るとわずかに居住まいを正す。


「ここはこちらから名乗ろう。ワシはシンギィウス・ファーン・ウランフール。知ってはいるだろうが、アンゴールの王をやっておる」


 堂に入った仕草で鷹揚に名乗りを上げる草原の覇者。

 対するクラウスもそれを受け、負けじと、だが静かに口を開いていく。


「クラウス・テスラ・アルスメラルダにございます。ご承知ではあらせられましょうが、ヴィクラント王国では公爵位に叙せられております。草原の覇者、偉大なる狼たる“ファーン”に拝謁できることを光栄に存じ上げます」


 流れるような動作にてその場で一礼するクラウス。

 礼節を表す動作として、この世界では普遍的なものだ。

 それを上級貴族たる優雅な動きで行い、そっと頭を上げると“ファーン”を正面から見据える。


「ははは、ますます面白い。年甲斐もなくはしゃぎそうになる」


 “ファーン”は小さく手を叩く。


「たとえ同じ言葉であっても、この場に入って早々に吐いておったらば、圧力に負けた小賢しい男として記憶されたであろうが、まさかそれを越えてワシと気勢の張り合いをしようと考える者がおるとはな」


「若輩者が生意気な真似をいたしました」


 面白がっている様子の“ファーン”を前に、クラウスはそっと頭を下げる。

 傍らのオーフェリアも妻としてそれに続く。


「いや、誇りと意地をしかと見せてもらった。口ではどれだけ大きなことをほざきよる者でも、こうして差し向いに立ってまみえてみれば器の程は知れようもの。すくなくとも、ワシが先に名乗ろうと思えるものであった」


 “ファーン”の口元に蓄えた髭の形が変わる。

 よくよく見なければわからないほどの変化であったが、相好をわずかに崩してクラウスに話しかけたのだ。


「貴公のような人間に会うためであれば、ワシは西でも東でも地の果てでも自らの足を運ぶことに躊躇いはない。気に入ったぞ、王国の西を治める者よ」


 自身の膝を両手で小さく叩く“ファーン”。

 クラウスは再度ゆっくりと頭を下げ、草原の覇者からの言葉を受け止める。


 相手に先に名乗らせたことをクラウスは誤解しない。

 先の戦の勝敗だとか彼我の国力だとか政治的な事情だとか、そういった諸々をすべて無視した上で、相手が自身の器を見せてこちらの位置にまで降りて来てくれたのだ。


「こちらこそ。真の英傑だけが持ち足り得る覇気と威、しかと拝見させていただきました」


「ふはは、社交辞令の応酬はもうよい。我らアンゴールはそういったものをあまり好まぬ。……まぁ、立ち話を続けるのもなんだ。貴公らの習慣で無礼に当たっては悪いが座って話そうではないか」


 手を差し出してクラウスたちに席を進める“ファーン”。


 ゲルの中に椅子はなかった。

 そして、ヴィクラント王国に客人を床に座らせるような習慣もまた存在してはいない。


 しかし、ここはアンゴールの地。そのようなものを気にすること自体が無粋というものであった。

 もっとも、勧められた場所はまったくの地べたではなく、毛皮で作られた絨毯のようなものが敷かれている。


 つまり、これが遊牧民にとって椅子の代わりとなるものなのだ。


「失礼いたします」


 勧められるままにクラウスはその場に迷わず腰を下ろし、その後にオーフェリア、そしてアリシアが続く。

 アベルは従者としての役目に徹し、アリシアの背後へと一歩退いて立つ。


 一連の動きの中、眉を動かす者すら誰一人としていなかった。


 ――――ほぅ。


 “ファーン”は感嘆を覚えると同時に、知らずのまま笑みを深める。

 ある意味では「地べたに座れ」と言われた貴族がどのような反応をするかと期待をしていたのだが、クラウスたちは感情の揺らぎすら見せることはなかった。

 それも、護衛に至るまでただのひとりすら。


 ――――なんと面白い連中か。


 笑い出したくなる衝動を懸命に抑える。


「まずはささやかながら贈答品をお持ちいたしました。お納めください」


 護衛のふたりに目配せをして、クラウスが公爵領で用意した贈答品を前に出すと、“ファーン”の表情にわずかな変化が生じる。


「はて、公爵。ワシの記憶違いでなければ、此度こたびの戦における勝者はそちらのはずだが」


 どういう意味かと“ファーン”は遠回しに訊ねる。


 スベエルクの表情がわずかに強張る。


 「返答によってはただでは済まさぬ」と凄む“ファーン”の視線。


 和やかに会談が進むと思われたばかりのところで、消えたはずの火種が燻り始めていた。


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