第20話 楽しい楽しいショッキング
「えっと、こんな形状で短剣――――いえ、ナイフね。それを作って欲しいのだけれど……。できるかしら?」
「あ、あぁ、そ、そりゃあ構わないけどよ……」
手ずから引いた簡易図面を持ち込んできた少女を見て、この鍛冶師の店主を務めるドワーフは眉を
というよりも、その顔全体が若干引きつっていたと言ってもいい。
目の前に広げられた図面に書かれているナイフが、今までに見たこともない異様な形状をしているのもそうだが、なによりもそれを持ち込んできた
目の前にいるのは、一見質素に感じられるものの良質の素材で作られた服を身にまとった商家の人間と思しき娘である。
キャメルカラーの編み上げブーツを履き、ネイビーカラーに襟と袖部を白くしたクレリック仕様のワンピースを着ているあたり、彼のような無骨な職人にもわかるくらいの結構なお洒落さんだ。
素性に関することは混乱している時に聞いたのであまりよく覚えてはいないが、なにやら商会がどうのこうのと言っていた気もする。
商人の娘にしてはずいぶんと独特の気品めいたものがあるようにも感じられた。
しかし、ヒト族の社会階級の細かいことは彼にはよくわからないことだし、現時点では知る必要もないだろう。
……まぁ、とりあえず商家の人間としておけば済む話だ。
もちろん、
「お嬢ちゃん。アンタ、いったい何者なんだ……?」
店主がなおも頬をヒクヒクさせているのは、彼に向かって笑顔で話しかけてくる可憐な少女――――アリシアが、つい先ほどちょっとした“大立ち回り”を演じたことが原因であった。
「だーかーら! 俺たちの武具を作らせてやるって言っているだろうが! それがなんでこんなバカ高い代金になるんだよ! おっさんの店の未来への投資だと思えば安いもんだろう!」
「あ゛ぁ? ふざけるんじゃねぇぞ? それなりのモノを作るんだから、カネだってかかるに決まってるだろうが。それを安くしろだァ? モノの価値もわからねぇヤツに作る武器はナイフ1本もありゃしねぇ。とっとと消えて失せやがれ、クソガキども」
「な、なんだとぉ……!?」
店に入ると、客と店主の言い合いが繰り広げられていた。
衣服や装飾品など――――年頃の少女が好むであろうショッピングを早々に切り上げたアリシアは、王都でも職人街と呼ばれるエリアの端へとやって来ていた。
実のところ、アリシアにとっては当初からメインの目的地であったと言ってもいい。
だんだん令嬢感がなくなってきている気もするがアベルは何も言わない。
いや、さすがに自分が原因の大半を占めているため言えなかったというのが正確だろう。
そんな中、質の良い武器や防具を作ると評判のドワーフの店に入ると、いきなり店主と客が揉めていた。
さすがに、
「……ねぇ、アベル。市井の事情には詳しくないのだけれど、こういうのが普通なの?」
酒場といった酔客が集まるではケンカなど特に珍しくもないとアリシアも知識の上では知っていたが、まさか鍛冶屋に来てまでそれを目撃するとは思っていなかった。
「いえ、例外でしょう。品のない客――――もとい、チンピラが無茶を言っているだけですね、アレは。ああいう値切り方をしてはいけないという悪い見本でもあります」
一触即発の空気の中、まったく動じた様子のないアベルとアリシアはひそひそと言葉を交わす。
まったくなんなの……と思ったアリシアが視線を渦中に向けると、見るからに勘違いした冒険者と思われる大柄の男ふたりが店主のドワーフに詰め寄っていた。
「冒険者かぁ……。あんな連中ばかりとは思いたくないけど、これじゃあそうなっちゃうわよねぇ……」
身分の差を差し引いてもあまりに品のない行為だとアリシアは眉を
この王国において、冒険者とは巨万の富を得るために危険に向かっていくなどと夢とともに語られることもある。
しかし、実際は貧困など諸々の理由により手に職をつけられなかった者たちを救済する社会のセーフティネットとして作られたシステムである。
当初は多くの伝説と呼ばれる冒険者を輩出したが、創設から時を経るにしたがって弊害もまた生まれつつあった。
国からの圧力を受けて体質が変わったとかではなく、下手に社会的地位を手に入れたと錯覚した低位冒険者の横柄な振舞いである。
ある意味では『社会の底辺』と揶揄されることもあるだけに、その反動的な側面もあるのだろうが、いずれにしてもそれは自らの首を絞めるに他ならない行為であった。
そして、今まさにそれをアリシアは目の当たりにしているのだ。
「いいか? 痛い目を見る前にもう一度だけ忠告してやる。ごちゃごちゃ言わずにさっさと武器を作るって頷けばいいんだ。それとも反抗的なヤツがいるって教会にタレこまれたいのか? お前らドワーフみたいな『亜人』がヒト様のために働けるだけでも――――」
もはや交渉ではなく脅迫になりつつあった。
向かい合う人間のことを一切無視して、肥大化した自意識だけが先行して出た醜悪な言葉。
かつて自分にも向けられたモノにも似たそれが、アリシアの中にある“なにか”に触れた。
気づいた時には足が前に出ていた。
「ゴチャゴチャうるさいわよ、さっきから」
男の言葉を遮るように、双眸に剣呑な光を宿したアリシアが前に出ながら言葉を放つ。
本来なら止めるべきなのかもしれないが、後ろに控えるアベルはそれを見守るだけである。
「あ? なンだおめぇ? ここは上等なおべべを来たガキの来る場所じゃねぇぞ?」
男の片割れ――――ドワーフの店主と揉めていた男が、振り返ってアリシアを見る。
声をかけてきた相手が少女とわかるや否や、威嚇するように言葉を放って睨みつけてくるあたりがなんとも小物臭い。
「聞くに堪えない
しかし、それを真正面から受けるアリシアは涼しい顔のままだ。
それが男の神経を刺激するのだが、アリシアは関係ないと言わんばかりに言葉を続ける。
「まったく……。
男の問いには一切答えず、アリシアはアベルからそっと差し出された革の手袋を嵌めながら、溜息交じりに心の中に溜まっていた不満を漏らす。
「な、なにをワケのわかんねぇことを言ってんだぁ?」
まるで意に介さず言葉を続けるアリシアに、男は怪訝な目を向ける。
「それとも、パパとママの愛情が足りなかったの? こんな人気のない場所でないとデカい態度もとれないなんて」
「な……! なにをごちゃごちゃ言ってんだ、このクソガキャァ!!」
たとえ致命的に察しが悪くとも、最後の部分で自分が盛大にバカにされたことだけは雰囲気でわかったのだろう。
すでに店主との会話によってキレる寸前だった男は、口角から泡を飛ばしながら、最後のひと押しをしたアリシア目がけていきなりの平手を飛ばした。
客に対する男の凶行を目の当たりにした店主が、思わず腰を浮かしかける。
だが、大半の人間の予想を覆し、アリシアはそれを掲げた腕の返しで難なく受け止めた。
「んなっ――」
平手を止められた男は驚きのあまり言葉を失っていた。
片割れの男も、いや店主さえも同じような顔を浮かべている。
だが、その反応も至極当然の物だった。
いきなり現れた相手が、冒険者として日々魔物と戦っている自分の平手を易々と受け止めたのだ。
しかも、荒事とは無縁としか思えない少女が。
そんな相手を
「なに? わたしの顔に触れていいなんて許した覚えはないわよ、
そもそも次元が違うのだ。
それこそ毎日のように“
「悪いけど、商談の邪魔よ」
アリシアはにこやかな笑みを浮かべた。
たった今、目の前の相手から危害を加えられそうになったとは思えない。
――と思った瞬間、それまで動きを見せなかったアリシアが予備動作なしで動いた。
全力で振るわれた草刈り鎌のような強烈極まる足払いが男を襲う。
「ごべっ!?」
完全に不意を打たれた男は、真横に回転するようにして床に打ち付けられる。
その際に身体の側面だけでなく、側頭部までも強かに打ったのだろう。
そのまま意識を彼方へと飛ばしたのか沈黙してしまった。
「あらあら……。ちょっとした足払いのつもりだったのだけれど……。あなたも付き合う相手は考えた方が良いんじゃないの? ねぇ?」
つまらなさそうにそう言うと、アリシアは残ったもうひとりに視線を向けると微笑みを浮かべる。
それは紛れもなく肉食獣の笑みであった。
「け、けひゃあッ!」
得体の知れぬ恐怖に駆られたように、残る男が奇声を発してアリシアに襲い掛かる。
混乱しているのだとしても冒険者とは思えないような素人丸出しの動きであった。
「ひどいものね。部下だったら
大振りの――――いわゆるテレフォンパンチとなった拳を最低限の動きでさくっと身を引いて躱すと、アリシアは無防備になった男の鼻っ柱に向かって右拳を打ち込む。
みしっという音がして、白目を剥いた男がくぐもった呻き声と鼻血を出しながら床に崩れ落ちる。こちらも早々に気絶してしまったようだ。
追撃の予備動作に移っていたアリシアだったが、あまりの手ごたえのなさに完全に拍子抜けしてしまう。
「うーん、こっちの方が弱かったわね。……さ・て・と」
そう言ってアリシアが視線を向けると、店主が一瞬だけビクリと身体を震わせた。
「作ってもらいたいものがあるのだけれど、いいかしら?」
アリシアとしては遠慮がちに声をかけたつもりだった。
店主の反応を見るにちょっとやり過ぎただろうかと思ったものの、あのまま放っておけば、カウンターの下から飛び出した店主の武器なりが冒険者ふたりを血祭りに上げていた可能性が高い。
そうなると自分の用事も果たせなくなってしまう。
少々頭に血がのぼってしまった部分はあったものの、アリシアの判断はどこまでも合理的であった。
「あ、あぁ……」
かろうじて返事はできたものの、店主は目の前で起きている光景がとても信じられないでいた。
ガラの悪い冒険者たちが自分のための武具を作れと喚いているところへ見知らぬ少女が現れたかと思ったら、毒を吐きつつ制止に入り、逆上した冒険者たちをそのまま一撃で叩きのめしてしまったからだ。
「そうそう、アベル。そこのふたり、寝る場所を間違えているようだから、ゴミ捨て場にでも捨ててきてちょうだい」
未だ困惑している店主を放置して、少女は指示を出す。
昏倒したふたりの冒険者は、アベルと呼ばれた付き人がすぐさま外へと捨てに行った。
その際、細身の付き人が大の男ふたりを軽々と引きずっていたように見えたが、店主はすぐに勘違いだと判断して記憶から消し去ることにした。
コイツらは間違いなくヤバい――――。
ふたりを昏倒させた手並みもそうだが、どちらも一連の動作があまりにも
新たに現れた客の得体の知れなさに、普段あらくれ者を相手にすることの珍しくない店主ですら、しばらくの間唖然とするしかなかった。
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