第117話 次なる戦場を見据えて


 明くる日の朝方、アリシアたち選抜騎馬部隊は東部貴族たちが主力である逆侵攻部隊の後方を走っていた。


 斥候せっこうも含めた先発部隊は、昨日の会議で煽るに煽ってその気にさせた王室派東部貴族たちに任せている。

 そのため、横合いから奇襲でも受けない限りはいきなり矢が飛んでくる心配もない。


「ねぇ、アベル。あなた気合いは入ってる?」


 手綱を握るアリシアが小声でそっと問いかけた。偶然だろうが乗る馬も主の言葉へ応えるように小さく鼻を鳴らした。


「いきなりどうされたんです?」


 隣で馬を進めるアベルが苦い笑みで応じた。

 口でこそそう返したものの、彼も主人の言わんとしていることは理解しているようで、また似たような思いも抱いているのだろう。


「王都の穴熊連中に無理矢理駆り出された戦だからかしらね。油断してるつもりはないのよ? けど、イマイチやる気が出ないわ」


 アベルなど限られた者の前でしか見せない、長い長い溜息をアリシアは吐き出した。


「銃兵隊の初陣ういじんも済ませました。正直に申し上げて消化試合なのは否めませんね。あくまでも他所の戦に顔を突っ込んでいる状態です。無理もないことかと」


 同じく騎馬部隊に随伴するメイナードが野太い声で答えた。

 彼は訓練教官陣の総責任者にもなっており、こうして実際に戦力化された部隊が実戦でどのように戦ったか、そして今後どのような改善点があって、新たに何を取り込むべきかを自分自身の目で見るために戦闘にも参加している。


 ……というのは表向きの理由で、実際の新兵訓練ブートキャンプはすでに元公爵領軍の退役下士官や曹長クラスでこなせるようになっているため、准士官となったメイナード自身がやらねばならないことがなくなっていたのだ。


 そのため祖国アメリカのテキサス州――牧場育ちで騎乗の経験も豊富ということから半ば強引に理由をつけて本戦いに参加していたのだ。

 実戦経験豊富な人間が増えるのは頼もしい限りだが、間違っても余所の兵の動きがナメクジみたいだと怒鳴りつけたりはしないでほしい。心配なのだ。


「……帰っちゃダメかしら」


「ダメです」


 さわやかな笑顔でアベルが応じた。メイナードはふたりのやり取りを見て小さく肩を鳴らしている。


「といはいえ、万が一ここで形勢をひっくり返されて敗走となれば目も当てられません」


 喪失した兵力を各地からかき集めて補い、春に再度戦いを挑むとしてもやるべきことが大幅に増えてしまう。掠め取られた領土の奪還作戦を行い、その上で新たな利益を得るために敵国に攻め込まなければいけないのだ。

 こうなった際にヴィクラント王国が切る戦費は今回の動員の数倍に及ぶだろう。


 しかし、頭では理解していても心に響かないのだ。とにもかくにも気合が入らない。

 シッテンヘルム伯爵が言っていたように、“本当に国が一丸となっているのであれば”、アリシアも気合いが入らないなどと腑抜けたことは言ってはいなかったはずだ。


 このままアベルとどこか遠くにでも行ってしまいたい。そんな現実逃避が思い浮かぶ程度には気が乗っていなかった。


「わかっているのよ。本気で勝てると勘違いしている連中に任せておいたら、ランダルキアだけじゃなくて各国まで動き出すのもね」


「なかなか割り切れるものではありませんね。国力の低下が見えているとなれば」


 政治劇に巻き込まれているとはいえ、国が脅かされているのは事実だ。東部が西部がなどと言ってはいられない。

 それ以上に、これを座視すれば最終的に多くの国民が様々な形で戦禍せんかを被るのは明白だった。言うまでもなく彼らに罪はない。


「ただの貧乏くじよ」


 王家を支え、貴族同士が団結し、外敵からの侵略を跳ね除ける。

 アリシアにとってはそれがどうしても虚しいお題目に見えてしまう。


 国をより良くするためにまず自身の領地を富ませ、そこで得た富を民にまで行き渡るようにして財貨の循環形態を作り出し……と、クラウスもアリシアもあれこれ考えながら日夜為政者として取り組んでいるつもりだ。

 ところが、肝心の王家トップが機能不全を起こしかけており、そこにぶら下がっている貴族たちが躍起なのは足の引っ張り合いと己の栄達ばかり。

 外敵の脅威に晒されにくい島国ならまだしも、周囲を他国に囲まれていながら危機感というものがまるでない。


 もしも他国アンゴールからの攻撃先がアルスメラルダ公爵領でなかったら今頃どうなっていただろうか?

 あるいは、


「今はあまり深く考えない方がよろしいかと」


「うん。そうね……」


 進軍はそれなりに快調に進み、中継地点の廃村へと辿り着いた。

 何かがあって捨てられた村だ。この世界では戦乱と、盗賊と、魔物で村が消える。地球とは違う意味でシビアだ。


 ありがたいことに井戸はまだ使えるようだった。

 これで水の補給はできる。馬は機動力を与えてくれる代わりに大量の水を必要とするのだ。


「馬で思い出したけれど、そういえば銃を持った騎兵――なんていうんだったかしら? あれの整備を急がなくちゃいけないわね」


 銃兵は強力だが、やはり連れて来られなかったことを鑑みても徒歩かちでは機動力が絶対的に不足している。

 トラックでもあれば話は別だが、残念ながら内燃機関の開発はやっと蒸気機関の試作が終わり、公爵領の工業生産に使い始めたレベルだ。

 工兵部隊を増強し急ピッチで進めているが、ガソリンエンジンまではどれだけ急いでも数年はかかる。


「ああ、竜騎兵ドラグーンですね。できれば後継銃の開発が完了してからが望ましかったのですが……」


 不承不承といった様子でアベルは引き連れてきた兵たちを見た。


「そうも言ってはいられないでしょう。焦りたくない気持ちは同じだけれど、世情が許してくれそうにないわ」


「でしたら、あくまでも非常措置になりますが、今回のスプリングフィールドM1873の銃身を切り詰めたカービンタイプを持たせれば最低限の運用事態は可能と思われます。当然射程に影響は出ますね」


「まともに運用するにはそれくらいしかないってことね。でも、それをクリアしたとして、今度は馬の調達が悩みの種になりそうだわ……」


 アリシアは嘆息した。

 もちろん、彼女とて竜騎兵の速やかな編制が無茶であることくらい百も承知している。


「こればかりは『海兵隊支援機能』でもどうにもなりませんからね。重騎士のように重い鎧を乗せないだけ機動力は確保できますが」


 さすがに馬を召喚するような都合のいい機能は備わっていない。どうやら馬は海兵隊員でも兵器でもないらしい。変なところで融通が利かないものだ。


 騎乗技能を持つ者――――貴族出身者を中心に竜騎兵中隊を作りたいところだが、遊撃兵団そのものですらまだ2個中隊しか存在していないのだ。

 銃兵はとにかく次から次に志願兵を入れて新兵訓練を施しているが、これでも大隊規模となるにはまだまだ時間を要する。


「やることが山積みじゃない……」


 これと並行して各地から馬をかき集め、どれほど最短で編制しても来年の春に4個小隊くらいの戦力が配備できれば御の字だ。

 これと並行して銃兵隊の拡張も行うのだから、訓練教官への負荷もかなりと大きくなる。

 もちろん、馬の数だけを揃えてもダメだ。馬を銃声や砲声に慣らさなければならない。

 先ほどランダルキアの騎兵部隊が壊滅したのも、初見殺しの意味合いとて多分にあったが、やはり馬が銃声に驚き混乱状態から暴れたのも大きい。


「さてさて。色々考えていたら、すこしはやる気も出てきましたか?」


「……ちょっとは、ね?」


「その意気です」


 答えながらアベルはそっと微笑んだ。


「わかってるわ。命がいつもにも増して軽くなるのだから、さすがに気を締め直すわよ」


 ここからはより激しい戦場だ。流れ矢の心配とてある。一番いいのは前線に出ないことだが、残念ながらそれが許される世界ではない。

 指揮官に先陣を切らせながら、指揮系統あたまを失った途端、なにもできずバラバラに壊走する集団に成り下がるしかないのだ。


 使

 生き残るために戦うにしても、もっと他にやり方というものがある。


 だからこそ、生き残り、武勲を立て、そして独自の軍団を編制し、無能な者どもに殺されるようなことがない仕組みを作らなければならない。


「リーフェンシュタール辺境伯の御嫡子に情けないところは見せられませんしね」


「そうだったわね。いけないいけない」


 アリシアには簡単な報告のみとしているが、すでにアベルたちが仕込んだ諸々の計画は着々と進みつつあった。


 揺れる馬上でブリーチブロック式のM1873に弾薬を装填するのは非常に手間がかかる。下手をすれば取り出した弾丸を落としてしまいかねない。


 それをカバーするには、弾丸を内部に固定された弾倉へ一括して押し込める挿弾子クリップを使用するスプリングフィールドM1903ボルトアクションライフルの開発が必要であった。


 実際、M1873が遊撃兵団で採用――――量産開始となった時点で銃器開発チームはすでにM1903およびセミオートマチックライフルに取りかかっている。おかげでレジーナや新メンバーのほとんどが今回の遠征に参加できなくなった。


 だが、これも“次”を見据えてのことだ。


 今回の戦の勝敗がどうであれ、まともな脳みそを持っていれば銃に目をつける存在が現れるだろう。今まで戦いを独占してきた貴族や騎士たちが強固に反対する可能性もあるが、そんなことを言っていて変化を受け入れられなければ国が滅ぶ。

 そして、そうなった際、貴族派が革新武器を独占するのを避けるため“M1873を国へ供給するよう王命が下る”可能性がある。


 もちろん、それ自体は拒否しない。


 大きくは技術だが、それ以外にも製造ノウハウや設備など、一からそれらを準備してものにするにはかなりの時間がかかる。そのためアルスメラルダ工廠で生産する銃本体や弾薬の供給を一定期間独占できるはずだ。

 しかも、型落ち品M1873をこちらの裁量で供給しつつ、自分たちは最新型に置き換えていくのだ。そう上手くいくとも思っていないが、備えだけはしている。


 何度でも言うが、すでに“戦い”は始まっている。


 国の外とも、そして内側とも――――。



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