第118話 さらば青春の光


 領主それぞれの兵が合流し、ひとまとまりとなった追撃軍は昼前に廃村を出発した。

 騎馬兵が先行して歩兵は後から支援する形だが、戦力の分散および逐次投入とならぬようそれぞれの速度は可能な限り合わせている。


 アリシアをはじめとした選抜メンバー20名は、リーフェンシュタール辺境伯の嫡男であるヴィンフリートが指揮する100騎の騎馬隊に随伴している。


 もっとも、嫡男といっても彼の指揮権は名目上のものだ。初陣というだけで、いきなり兵の指揮を任せるようなことはあり得ない。

 実質的な部隊の采配は辺境伯が選んだ副官であり、寄り子――王国からではなく承認を得た上で上位貴族から禄を得ている貴族――である騎士爵のリュディガーが取り仕切っている。

 動きを見ている限りは冷静で落ち着きがある。嫡男を騎士爵に任せるということはそれだけ当主からも優秀と認められているのだろう。


「お初にお目にかかります、アリシア殿! アベル殿! おふたりと一緒にくつわを並べることができて光栄です」


 馬を並べた少年、ヴィンフリートが話しかけてくる。てらいもない爽やかさすら感じる話し方だった。


「こちらこそ光栄ですわ、若様」

「ヴィクラント貴族として共に戦えることを神に感謝します」


 アリシアとアベルは言葉を返しながら、少年の姿を失礼にならないない程度に眺めた。

 まだ若い。聞けばなんでも来年の春から学園に通うのだという。つまり14~15歳といったところか。学園デビューよりも戦場デビューが先とは地球人の意識を併せ持ったアベルには皮肉に感じられた。

 中央に近い貴族子弟からすれば考えられないような経歴だ。それこそ他国との国境線に近い場所へ領地を持つ貴族の宿命なのだろう。


「風の噂ではありますが、おふたりが昨年アンゴールとの戦いにおいて八面六臂はちめんろっぴの活躍されたと聞き及んでおります」


「「ああ……」」


 思わずふたりは遠い目をした。

 王都からすれば気に入らないであろうが、人の口には戸が立てられない。当時は会話もなかったが式典にはリーフェンシュタール辺境伯も、同じく東部貴族たちも参列していたはずだ。アリシアたちの武勇伝がヴィンフリートへ伝わっていても何ら不思議ではない。


 ただ、できればそのようなキラキラとした目で見ないでほしい。


「なんでも古の魔王のようにお強かったばかりか、敵の指揮官まで討ち取られたと! 月並みな言い方ですが憧れます!」


 少年は戦場にいるのが似合わない幼さ――あどけなさを漂わせていた。

 もっとも、どのような風体ならばこのクソったれな空気に相応しいかはアリシアにもわからない。ただ、場数を踏むことで勝手に慣れていくだけだろう。


「……ヴィンフリート殿、お褒めいただけたのは身に余る光栄ですが、あくまでもそれは噂です。あの勝利は王国西部方面軍の奮闘あってのものですわ」


 西部方面軍のほとんどはアルスメラルダ公爵家の息のかかった兵士であるため否定はしていないようなものだった。そんな背景を知らないヴィンフリートはますます笑みを深めていく。


「ご謙遜をなさるなんて……。ですが、共に戦えるのであれば問題はありません。今日はしっかり学ばせていただきたく」


 武勇という文字だけでも、少年の胸をときめかせる何かがあるのかもしれない。アリシアたちを見るヴィンフリートは目を輝かせていた。


 アリシアは返事に窮した。

 こういうのは苦手だ。皮肉を向けられたりあなどられたりすることはあっても、純粋に褒められるのはどうも慣れていない。


「それでは尚のこと、お見せするに恥ずかしくないだけの指揮をせねばなりませんわね」


 声が上ずったりしないよう注意しながら答えた。

 視界の隅でアベルの肩が小さく震えていたような気がする。あとで“お話”が必要かもしれない。


「そのようなことは。指揮の面ではすでに実戦を幾度となく積まれたアリシア殿に遠く及ばないのは間違いありません。ですが、私はすこしでも戦いに役立ちたい。日々訓練に励んでいるぐらいですが……」


「いえ、訓練に勝るものはございません」


 アリシアは期待を持たせないよう淡々と答えた。

 実戦は訓練で得たものを容易に覆すが、それでさえも訓練の基礎があって初めて生き残れるものに過ぎない。たまたま生き残ったアホが「実戦は最高の訓練!」などと世迷い事を吹聴するのは唾棄すべきものだった。


「ところでアリシア殿。実戦を経験されたあなたにひとつお伺いしたい。戦いにおいて最も重要なのは何でしょうか?」


「“数”ですわ」


「……は?」


 アリシアは迷わず答え、対するヴィンフリートの表情は引き攣ったように固まった。


「あるいは“選択肢”と言い換えることもできるかもしれません。いずれにせよ、必要な場所に敵を上回るだけの兵力を用意・投入し、余計な小細工をする前に圧し潰すことです。これ以外にございません」


 もちろん、圧倒的な技術の格差があればその限りではない。

 地球の大航海時代にスペイン兵がインカ帝国を数の差をものともせず滅ぼしたように、隔絶した技術があれば敵を蹂躙することも可能だ。それこそ『海兵隊支援機能』を最大限に活用すれば簡単に再現できるだろう。


 しかし、すくなくともこの戦いにおいて大半のヴィクラント兵は従来の戦い方をせねばならない。ならばそのセオリーに沿ったコメントが必要になる。アリシアは思考を巡らせていく。


「そんな……。こ、個人の武芸や練度、勇猛さではないのですか?」


 もしかして自分が知っている言語で話していないのではないか? そんな疑問がヴィンフリートの表情に浮かび上がっていた。それくらい、アリシアの言葉は彼の常識から外れているのだろう。


「それは決定打になりません。たしかに、戦闘の技術や精神力も勝利を収めるためには必要でしょう。しかし、それがあるからといって勝てるわけではありません。もう一度言いますが、大前提として戦いは数なのです。そして、それを戦いが始まる前に揃えられた者が勝つのです」


 戦いは9割方が始まる前に決まっている。アリシアはそのように海兵隊メンバーから教育を受けていた。

 武器の技術レベルもあるが、基本的にはどれだけ多くの兵を揃え、それを戦場まで万全に近い状態で持っていき、戦いで最後まで敵よりも高い士気を保つことができるか。そしてこれらは平時の間に整えるべきもので、急ごしらえでどうにかなるものではない。


「では、私のような立場の者はなにをすべきなのですか……?」


 ヴィンフリートは感情を表に出して反論することはなかった。

 おそらく根が素直な性格なのだろう。この国の貴族、しかも辺境伯のような大身貴族の嫡男でこうも真っすぐ育ってくれたのは奇貨だとアリシアは思った。


 この素直さがあれば戦場で生き残れるかもしれない。貴族としてはもう少し狡猾にならねばならないだろうが、部隊を率いる指揮官としてはその方が良い。下手な甘さを持ち、それに縋っていると思わぬところで足もとを掬われてしまう。


「そうですね――」


 アリシアは尚も考える。

 この先ヴィクラントが迎えるであろう時代の中で彼が生き残るには、たとえ聞き入れられるかはわからなくとも先達として言葉だけは尽くしておくべきだった。


 また、これこそが辺境伯が息子のところへアリシアを同行させた目的であるはずなのだ。


「ヴィンフリート殿、戦闘時の指揮官の役割は部隊を円滑に運用――――兵がやりやすいように指示を出してあげることです」


「兵が?」


「主役は彼らですわ。そんな兵たちを動かすために、敵の動きを見て、あるいは読んで、部隊の持つ能力を可能な限り発揮させることが肝要です。自分から積極的に敵を討ち取ろうとするものではありません。それは配下の兵に任せればいい」


「しかし、アリシア殿! それでは貴族として名が立ちません!リーフェンシュタール家を継ぐ者として戦わないわけにはいかない!」


 やはり若い。絵物語の騎士になろうとしている。

 まるでそれこそが自身の存在証明レゾンデトールだと思い込んでいるかのように。


「その意気は結構にございます。ですが、指揮官が真っ先に突っ込んでいけば無傷の敵と相見えることとなります。これがどれほど危険な行為かおわかりになられます?」


 そんな行為は自分だってやらない。お母さまはどうかわからないけれど……。


 思い浮かんだ“例外”を思考から打ち払ってアリシアは言葉を続けていく。


「それは――――」


「もしそこで討ち取られれば、残った味方は壊滅します。指揮官が武器をとって戦うのは、絶望的な状況にあって率いる兵たちを鼓舞する時くらいでしょう。それですらポーズでなければいけない。自分自身もそうですが、味方も死なせないために冷静さが求められるのです」


「死なないための……」


 おそらく今まで教わってきたことと真逆に近い言葉なのだろう。


 武勇に優れるか否かは関係なく、この世界の貴族は見栄――――名誉をひどく重んずる。

 自分がいざ死を目前にしてまで、しかもそれが保てるかはともかくとして「逃げるくらいなら戦って死ね」くらいのことは平然と言われかねない。

 もっとも、それを声高に叫ぶのは運良く生き残りながら現実が見えない愚か者か、あるいは箔付けに戦場へ出て“次の心配”がない大身貴族くらいのものだろうが。


「貴族としての美学も結構ですが、指揮官は否応なしに敵から狙われます。すべての敵が狙ってくるのです、もっとも死にやすい立場にいるかもしれません。しかし、味方を生きて帰すために死んではいけない。極限の状況下で生き延びるために知恵を絞らねばなりません。武器を振るうことではないのですよ」


「では戦うことはいけないのですか?」


「どうしても必要な時はあるでしょう」


 アリシアの脳裏にスベエルクとの一騎打ちが脳裏に甦る。


「結果的にそうなってしまうこともあると思われます。しかし、部隊を率いている以上、そこから逃れるために、いち兵士のように戦おうとするのは違う。それでは指揮官は務まりません」


 貴族令嬢風情が何を偉そうに語っているのかしらね……。


 アリシアは内心で嘆息した。

 自分はほんの少しまで温っちい人生の中にいて、たまたま海兵隊に巡り会えただけのお嬢様だ。

 それがさも世間を見てきたかのように上っ面だけのもっともらしい言葉を並べている。語れるほどの経験はないと自分では思っている。

 ほとんどが実戦を潜り抜けてきたアベルたち海兵隊メンバーからの受け売りだ。


 でも、この少年にはそんな見てきたような言葉で諭さなければならないのだ。彼が死んでしまわないためにも。


「しかし……敵と戦わないと臆病者に思われると教わりました……」


 ヴィンフリートに浮かんだのは苦渋の表情だった。

 怯懦きょうだそしりを受けたくないのだと、主の会話を聞くだけに留めていたアベルは気が付く。

 この世界の貴族は名誉をひどく重んじる。一度何らかの烙印らくいんを押されてしまえばそれを覆すのは容易なことではない。この少年はそれを恐れているのだ。



 答えたアリシアの表情に、少年のために無理無理答えている気配は存在しなかった。確固たる自信に裏付けられた言葉だった。

 ヴィンフリートもそれに気づいたのかアリシアを見る目がわずかに変わったようだった。


「誰しも臆病さは持っています。どれほど強がっていても、その表情の裏にはきっと死への恐怖といったものがある。勇猛な指揮官となろうとするのもいいでしょう。しかし、それが向こう見ずなものであった場合、結果的に敵よりも味方を殺してしまいます。とにかく冷静さを保ち、本当の意味で強くなることです」


 それは自分自身に向ける言葉でもあった。

 皆が評価するほどアリシアの心は強くない。仲間に助けてもらわなければこんな風に偉そうな言葉を並べることすらできなかっただろう。


「アリシア殿、武功を挙げられたあなたが言うのだからそうかもしれないが、それでも私は……」


「焦ってはなりません。諦めない限り評価は覆ります。……ヴィンフリート殿、わたしの部下にはかつて王都の学園で共に学んだ者がいます」


 なおも食い下がろうとする少年の言葉を遮るようにアリシアは口を開く。

 やや無礼であるがタイミング的には仕方がなかった。


「いきなり何をと思うかもしれませんが、彼は騎士を目指してひたすら武芸に打ち込んできました。故あってその夢は叶わず巡り巡って公爵領の兵卒となりましたが、彼はその逆境に負けることなくさらに自分を高めようと訓練に打ち込んできました」


 上げられる報告や時々見に行った訓練で、彼のことはしっかりと記憶に残っている。何度考えてもこうなったのは不思議でしかないが。


「ですが、元々そうであったわけではない。いくつもの困難や挫折を乗り越えた上でそうなったのです。増長させたくないので本人には言いませんが、いつか機会があれば紹介させてください」


 ギルベルトのことだ。彼はマックスと共にこちらの話が聞こえないくらい後方を走っている。聞こえないと思ったから話のネタにしたのだ。


 海兵隊と出会わずとも、たったひとりで冒険者として生き延び、商会の信頼を勝ち取るまでに成長した。自分よりずっと強いのではないか。

 ヴィンフリートとは同性で年も近い。どういう変化が起きるか見てみたい気持ちがある。

 実際に紹介するかどうかはわからない。生き延びればそういう機会もあるかもしれない。それくらいの気持ちだ。


「もうじき戦いが始まります。いずれにせよ、今日からの戦いでご自身の目でたしかめられてはいかがでしょう。周りの部隊や兵、さらには副官殿の動きをよくご覧になられるのがよろしいかと」


「……わかりました、アリシア殿」


 いきなり言われて納得できないこともあるだろう。彼の常識からすれば思いもしなかったことを年上とはいえ女から言われているのだ。受け入れがたくて当然だ。


 だが、それを表情に出さない程度には賢明で大人になろうとしていた。


 本当に良い少年だと思う。貴族にしておくのがもったいないくらいだ。


 ヴィンフリートが副官に馬を寄せたのを見届けてから、アリシアは近くを進むアベルたちに話しかけた。


「話しながら色々考えてみたけれど、やっぱり自重はしない方向でいきましょう。辺境伯に任されたのもあるし、こんな戦で彼を危ない目には遭わせたくないわ」


 アリシアはそう投げかけた。

 いい意味で自分たちを踏み台にしてくれればと思う。ここで命を落とすようなことにはなってほしくない。


「承知しました、アリシア様。今時――これはちょっと違うかな? それでも珍しいくらい良い若者です。我々で守ってあげましょう」


「無傷で辺境伯にお返しせねばなりません。しかし、機会があればぜひ我らの訓練に参加させてみたいものですな。育て甲斐がありそうだ」


 アベルとメイナードそれぞれが答える。

 彼らも少年のことが気に入ったようだ。一部は気に入りすぎている気もするが……それにはあえて触れまい。


「ふふっ、ようやく勝つ気になってきたわ」


 アリシアは短く告げると、背負ってきていたM-14の槓杆チャージングハンドルを引き、響き渡る装填音をもって意識を切り替えた。



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