第83話 東からの誘い
「“戦勝記念パーティー”、ですか?」
「あぁ、そうだ。昨年末にアンゴールの侵攻を退けたあれの、な。それが近日、王都で開催される」
ソファにちょこんと腰を下ろし小首を傾げるアリシア。そんな彼女へと執務机に両肘をついて手を組み合わせたクラウスが淡々と告げる。
領地での事務処理を済ませにやって来た父親から呼び出された公爵令嬢は、突然のことに訝しげな表情を作るしかない。
「……ちょっとというか、わたしの理解をかなり越えているのですが。いえ、そもそもあれは局地戦レベルのことでございましょう?」
「そうだ、我々にとってはな」
「であれば、騒ぎ立てるような――――毎年起きている“恒例行事”で、特に珍しいものでもないと記憶しているのですが?」
そんな頼んでもいない季節モノへの備えとして、アリシアの母オーフェリアがフォーレルトゥン砦のような場所に嫌がらせ同然で長らく駐在する羽目になっていたのだ。
わざわざクラウスに確認を取ることでもない。だが、なにか裏があるのだろうと踏んだアリシアは敢えてそれを口に出した。
いってみれば、それほどまでに唐突で不可解な展開だったのだ。
「そんなこと私が知るか――――と言いたいところだが、目的はたいしたものじゃない。これといって良い話題がない中で、国内の士気高揚に利用したいだけだ。それが敵対派閥の功績であってもな」
さもつまらなそうにクラウスは溜め息を吐き出し、執務椅子に背中を預ける。
「なんともまぁ……。それだけこの国はネタがないのですね」
「……そういうことだ。はっきり言って閉塞状態だよ。物事の裏側ばかり見えてくるとイヤになるだろう?」
クラウスの苦笑交じりの問いかけに、アリシアはつい先日もシャルリーヌと会話してる時にそんな話をしたことを思い出す。
「ええ、本当に。とはいえ、もっともらしい言葉に踊らされる側にならずに済むのはありがたくも思いますが」
わざとらしく嘆息して見せるアリシア。
すでに自分がなんらかのトラブルに巻き込まれていると理解したためだ。
「そういうわけで、アンゴールの指揮官を見事に仕留めたお前にも式典に参加してもらう」
「指揮官を討ち取った? それは――――」
アリシアは本日何度目かとなる怪訝な表情を浮かべる。
「あの場にアンゴールの王子など初めからいなかった。いたのは東部を勝手に荒らしまわっていた反体制派の族長で、毎年の侵攻も実はその男の暴走によるもの。今回ついに策源を討ち取った――――そういうことになった」
クラウスの言葉を、アリシアは即座に理解した。
王都の勢力に対してお世辞にも良い感情を抱いていないクラウスが今回の思惑に乗ったのは、彼自身にとってもそのシナリオに書き換えたほうが、なにかと都合がよかったからだ。
アンゴールと一種の不可侵協定を結び、またスベエルクの立ち上げた商会を経由して限定的ながらも技術提供を含めた交易を行っていることは、当然のことながら王都には秘密となっている。
もっとも、交易を開始したことは放っておいてもすぐに発覚するだろう。
アンゴールからの交易品は次第にヴィクラント王国内へと広がっていく。その時点で露見を防ぐことは不可能だ。
ならば、初めから隠すことをせず勝利による“戦利品”だと堂々と公言すればいい。
ただし、その中に重要な品が紛れ込んでいようが、そこまでを詳細に掴むのは容易なことではない。
王都へ納める税には多少気を遣う必要もあるだろうが、それも必要経費の部類だ。
「……なるほど。たしかに我々で敵指揮官を討ち取っておりました。激戦のあまり失念していたようです」
オーフェリアは納得しているのか? などとは訊かない。
クラウスがアリシアへと決定事項を伝えた時点で、それはクリアされているはずだからだ。
無論、自分たちが命を懸けて守ってきた王国西部地方――—―そこを巡る戦いをなにもしていない王都の連中のダシに使われるのは気分のいい話ではない。
だが、その感情を殺すことで得られる利益があるのであれば、それを取りに行くのが責任を持つ者の役割なのだ。
だから、アリシアはクラウスの決定を受け入れた。
「……よろしい。早速だが、式典は3週間後だ。たしか2週間後が学園の卒業式だったな」
娘の内心での葛藤を察したか、一瞬だけクラウスの表情に苦い笑みが宿ったがそれもすぐに消えた。
アリシアもその変化に気付いたが、分別を持っている彼女は見なかったことにする。
というよりも、“変わった先の話題”がアリシアの思考を占有してしまった。
「ええ。ようやくあの学園からおさらばすることができますわ」
さすがに今となってはもう溜め息しか出てこない。
そもそも、公爵家内で選りすぐりの高等教育を受けていたアリシアは、人脈構築以外で学園に行く必要などなかったのだ。
それが他の貴族たちに交じって通ったのにはふたつほど理由がある。
ひとつには、他の貴族子弟とのつながりを作っておくこと。
これは将来どういった場で役立つかわからない。アリシアとしても重要性は理解はしていた。ゆえにシャルリーヌとの交友関係などは成果のひとつともいえる。
そして、ふたつめは婚約者で元カレの第二王子ウィリアムと、結婚前に仲を深めておくこと。
これがアリシアにとっては最優先事項だった。
要するに「政略結婚ではあるけれど、すこし時間をあげるから、お互いを知ってちゃんと仲良くなっておくんだよ」という猶予期間でもある。
しかし、それがまさかあのような結末になるとは誰も予想していなかったに違いない。
アリシアの運命をあらゆる意味で激変させることになった学園生活。
最大のターニングポイントは、やはりあの婚約破棄騒動だろう。
「まったく、とんだケチがついたものだな。人生の節目のひとつだというのに。めでたいことではあるが、そうでない部分もある」
そんな背景を知るからこそ、クラウスは言葉を抽象的な表現のみに留め、ただただ苦い笑いを浮かべるしかない。
娘のナイーヴな部分へ無遠慮に言及するほど、彼は人の感情の機微に疎くはなかった。
「今となってはもう過ぎたことですわ、お父さま。昔を嘆くばかりの弱いアリシアはもうおりませんの」
特に気にした様子もなく淡々と語るアリシアを見て、表情を曇らせていたクラウスはすこしだけ表情を和らげる。
「はは、そう言ってくれると公爵家当主としては心強く思えるな。もっとも、父親としてはすこし寂しくもあるが……」
「あら、それではまるでわたしが嫁に出て行くようではありませんか」
そう口にしながらも、そのつもりは毛頭ないと表情で暗に宣言するアリシア。
もちろん、クラウスも娘の本当の想い人については先刻承知している。
「王都のボンクラどもに娘をやれるか。まぁ、パーティーでは他家の者と知り合う機会もあろう。だが、阿呆が身の程を知らず名乗りを上げてきた日には、そいつを一族郎党ことごとく滅ぼすくらいの覚悟は持っているぞ」
「冗談――――ではないのですね。ええ、わかります」
実父の瞳に浮かぶ意志の炎を見たアリシアは、すこしだけ表情を引きつらせて答えた。
――—―もしかして、お父さまにも
唐突にそんな不安に駆られるアリシア。
海兵隊のすごさは身をもって理解しているが、それゆえに使い方次第ではとてつもない劇薬として作用することも知っているのだ。
「申し出られてから断るのも面倒だからな、余計な虫は速やかに叩き潰して差し上げろ」
「……善処いたします」
貴族としてそれはどうなの? と思わないでもないがクラウスの目は本気であった。これはダメだ。完全にダメである。
「それはさておき、来週末には王都の別邸に移動しておきたい。それまでに同行する人員の選定を含め必要なことは済ませておくように」
「かしこまりました」
こうして、アルスメラルダ公爵
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