第179話 Screaming Symphony


 北方の山岳地帯には死を告げる妖精バンシーが現れる。そんな噂が南海国北伐軍の間でにわかに広がっていた。


「はぁ? 謎の魔物に襲われて全滅? 何かの間違いじゃないのか?」

輜重しちょう部隊の生き残りの話だぜ? なんでもこのあたりじゃそこそこ有名な伝承らしい。鳴き声が聞こえると死人が出るとかなんとか……」

「そんな馬鹿な」


 実際に目撃した者が生き残ったわずかな人間だけなのと、バンシーの存在がアトラス国独自の伝承で語られるだけに過ぎず、今のところはちょっとした噂の域を出ていない。


「はん。辺境のしょうもない話だろ。くだらないな」


「どうせ魔物を見間違えたか何かさ。部隊の壊滅には同情するが……」


 問題としては生き残りが少ないため、幻覚の一種として処理されていた。

 もしもここで現場検証なりがしっかりと行われていれば、南海軍が後々被る損害はもう少し抑えられたかもしれない。


「大方、食糧目当ての野生の飛竜ワイバーンにでも襲われたのだろう。こんなつまらない報告を上げてくるな」


 司令部もさして問題視はせず、上がってきた報告書をさっさと捨ててしまった。

 これがメンゲルベルク帝国とのいくさであれば不審に思ったかもしれないが、今回相手にしようとしているアトラスは単なる弱小国である。


「中央からワイバーン・ウォーリアでも回してもらえれば、あんな国などすぐにでも落とせるだろうに……」


 司令官が溜め息を吐くように、大陸中央ではすでに中大型の魔物であるワイバーンを品種改良した、ワイバーン・ウォーリアが実戦投入されようとしていた。


 元々、数十年前から野生のワイバーンを軍用化すべく根気強く飼育を試み、乗馬など比較にもならないほど厳しい訓練を経た騎士が操る竜騎士ドラグーンの投入を、南海もメンゲルベルクも競い合うように行ってきた。

 飛竜の実戦投入というエポックメイキングが戦争を三次元の戦いへと変え、彼らを南大陸の両雄にまで押し上げたと言っても過言ではない。


「偵察用に退役間近のワイバーンは回すとのことでしたが」


「ないよりはマシだな……」


 地球感覚で言うなら中世時代に、数段飛ばしで飛行機が出現したようなものだ。


 こうした軍拡競争が、南大陸で発達してきた魔法技術により魔物を利用する方向に進んでいた。

 もちろん、歩兵用の武器の開発にも余念はなく、従来の弓矢に変わる実験的な武器なども試験的に配備され始めている。魔法技術の先行が、時計の針を速め諸国家をある種生き急がせている感は否めないが。


「ともかく、メンゲルベルクが動く前にカタをつける。武功を上げるには物足りぬ戦場だがな」


 多額の国費を投じて行われた技術の粋への自負が、一等国を名乗る彼らの眼を曇らせていたのは否めない。

 さらに言えば、文明レベルで自分たちの上をいく国が存在するなどと思えなかったのもある。もしそうなら、自分たちと同じように海を渡るなどして接触していたであろうから。

 この点だけで言えば、彼らの考え方は間違っていなかった。


 そう――予想をはるかに超えた存在の可能性を見落としていただけだ。






 イザリア半島は大洋に突き出た角だった。

 南大陸の北端から北東へ向かって緩い弧を描く形で伸びているが、手前を横断するような山脈によって容易に大陸中央へは抜けられなくなっている。


 だからこそ、近年ここを北半球進出の足場としたい列強国が狙っており、海賊船を使って干上がらせようと目論んでいるのだが、やはり最後は陸上兵力による侵攻は避けられない。


 そんな来るべき侵攻を支えるため、補給部隊が山道を目指して森の中に切り開かれた道を進んでいた。橋頭堡を確保しに先行した第1北伐軍も追いつくためである。


「――なんだ?」


 耳のいい兵士が最初に異変を感じ取った。先ほどから妙な気配を感じていたがいよいよそれが五感にまで伝わってきた。


「どうした?」

「わからん、空気が震えているような……」


 他の兵士に問いかけられるが彼もどう言葉にしていいかわからなかった。


 昼を過ぎてから天候は徐々に悪化しており、初めは低く鳴り響く雷鳴か何かと思った。

 しかし、すぐにそれにしては妙――自分たちの知るものとは違うことに気付く。


「どうした!」

「わかりません! 空気が震えています!」


 連続して鳴り響く、鈍く何かが弾けるような荒々しい音。

 兵士たちは正体がわからず戸惑うしかない。


 突如として困惑の渦に突き落とされた彼らを置き去りにして、次第にこちらへと近付いてくる未知の異音。

 高速で回転する4枚のメインローターが空気を叩く――ゼネラル・エレクトリック社製T700-GE-401Cターボシャフトエンジンが生み出すものだった。


 そこに更なる現象が重なる。


「音……楽……?」


 突然、どこからともなく音楽が聞こえてきた。

 何に喩えるべきかもわからない不気味な腹の底に響くような音――


 瞬間、地面が大きく弾け、次いで炎を生み出した。巻き込まれた兵士たちの断末魔の悲鳴はその爆炎の中に飲み込まれた。


『Hojotoho! Hojotoho! Heiaha!』


「な、泣き声……!?」


 歌劇で流れる戦乙女ワルキューレの声などとは誰も知らない。

 一瞬で阿鼻叫喚の地獄を生み出し、仲間たちを肉片に変えた不気味な妖精の泣き声にしか聞こえないのだ。


 そして上空を飛び去って行く異形の怪物。

 違法改造にもほどがある外付けのスピーカーから、リヒャルト・ワーグナー作<ワルキューレの騎行>を流しながら、AH-1Zヴァイパー攻撃ヘリが再度襲いかかった。


「悪魔だ! 悪魔が蘇ったんだ!」


 半狂乱の悲鳴を上げ、荷を捨てて生き残った兵士たちは森の中深くに隠れようとするが“彼ら”には関係ない。

 機首に取り付けられたAN/AAQ-30 ホークアイ目標照準システムTSSの機能のひとつ第3世代型の前方赤外線画像監視装置FLIRがすべてを丸裸にし、真下で咆哮を上げたM197 20mm機関砲が人馬を肉片か血煙に変える。


「なんだと言うんだ! 化物でも呼び覚ましたのか!!」


 戦車の天敵である以上に、地べたを這う歩兵を狩り尽くす人狩り機マン・ハンターだった。


「地味な戦いです。本当にここが我々の戦場ですか?」


 赤外線画像が表示される多機能カラー液晶表示装置を眺めながら射撃手ガンナーが呟いた。

 たった今、70mmハイドラロケットが着弾し、M151弾頭が隠れていた人間をバラバラにした。おそらく生き残りは皆無だろう。


「言いたいことはわかるよ、少尉。だが中東でもゲリラの掃討戦だと油断していたやつらはみんな生きて故郷の土を踏めてない」


 操縦手兼機長の中尉がそっと窘めた。


「……おっしゃる通りでした。久しぶりの実戦なので緩んでいたようです」


「よろしい。……まぁあまり気を張るな。数万の大軍を俺たちだけで相手にしたいか? いくらこいつでもすぐに弾切れカンバンだ」


 声の固くなったガンナーを励まそうと今度は軽い冗談を挟んでみる。

 主力戦車MBTを吹き飛ばすのも、歩兵の集団を吹き飛ばすのも、ミサイルを消費することに変わりはない。現代兵器の持つ悩ましい部分だった。


「そういえば敵の本命にはドラゴンがいるんでしたか」


「らしいな。速さや小回りは向こうがよっぽど上だとか。油断してたらコクピット中で蒸し焼きにされるぞ」


「それは戦闘機部隊に任せたいです」


 ファンタジー世界でナマモノに焼き殺されるのは勘弁してほしい。それならまだ戦闘機に襲われた方がマシだ。


「本当にとんでもない世界に来ちまったぜ。マンハッタンを襲うゴジラどころかもっとひでぇ。こんなのは精々ジャパニメーションの出来事だと思ってたんだが」


 攻撃行程から離脱した操縦手にして機長の中尉が溜め息を吐いた。最初こそ説教めいた言葉を口にしたものの、彼は彼で悩みがあるらしい。


「沖縄で同期が持ってた英訳本を読ませてもらいましたがね。あれだって現代兵器が出てくるようなのは少ないみたいですよ」


「なんだって? そんなレアケースを現実にしても嬉しくないぞ」


「“召喚”とやらでしたかね。基準もよくわからないあやふやな力らしいです。デヴィットソン――あー、今はエルディンガー中佐でしたか――も大変ですね」


 不思議な力で若い貴族のイケメンになり、そのまま素敵なお嬢様を捕まえたことには触れなかった。彼にも良識があった。


「どうかな。すべては使い方次第だよ。俺たちが天秤の傾け方を間違えた小火もすぐに大火事になる。今のところ地味だが、これも後々意味を持つさ」


 弱い者いじめではなく、地上で戦う仲間が窮地に陥らないよう自分たちの仕事をこなしている。そう考えることでふたりは気を引き締めた。


 やがて他の敵がいないことを確認したヴァイパーは基地へと戻って行く。嘲笑にも嬌声にも悲鳴にも、あるいは嘆きにすら似たバンシーの声を響かせて。

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