第95話 訓練開始! 上級曹長殿のオリエンテーション~前編~



「“先任訓練教官シニア・ドリルインストラクター”のメイナード・ヘインズ上級曹長サージェント・メジャーだ! 本訓練中隊の指揮官を務める!」


 訓練兵たちの前をゆっくりと歩きながら、メイナードは声を張り上げる。


「 ……しかし、さっきから見ていればなんだ貴様らの体たらくは? どいつもこいつも訓練が始まる前から死にかけの家畜みたいなツラを晒しやがって反吐が出そうだ。訓練を舐めているのか?」


 いきなりの罵倒の嵐にアリシアたちは思わず噴き出しそうになった。


「貴様らが人生の落伍者だってことは理解していたつもりだが、雁首揃えてよくもこれだけクズが集まったものだ。兵士になるなんぞと息巻いてはいるが、そもそも博打バクチとマスカキ以外にその手を使ったことがあるのか?」


 本場海兵隊のブートキャンプでも近年はここまでやらない。

 だが、世界そのものが違うのは先ほどの整列時の“体たらく”でわかっていたため、訓練兵たちに発破をかけるには数倍の罵倒が必要だとメイナードは判断していた。


 わかってはいたけれど、開幕早々煽ること煽ること……。


 アリシアは内心で苦い笑いを浮かべる。


 線の細いアベルと異なり、185㎝の屈強な身体を持つメイナードからはいかにも古参の兵士といった印象を受ける。

 髪型はG.I.カットとも呼ばれる兵士御用達のクルーカットだが、サイドに二本ほど線を走らせるように刈り込んでいるため、凄みと同時になかなかにオシャレな印象を与えている。

 そんな人間が腹の底からの大声で罵声を放つものだから、もはや迫力しか存在しない。


「よく見れば排水溝に集まったゴキブリみたいなツラだな! そんなに人並みの生活が欲しいか!? 野良犬とエサや寝床を奪い合う生活がそんなにイヤか!」


 余談ではあるが、この世界の平民は栄養事情があまり良くないため、180㎝に達するような背の高い人間はきわめて少ないし、いても痩せぎすばかりだ。

 そもそも訓練兵たちが満足に食事をとれているならこのような形で兵士になる必要などない。そんな彼らからすれば目の前に立つメイナード上級曹長はオークかオーガあたりに見えているかもしれない。


「俺は元々異国人だが、今はヴィクラント王国の市民だ。基本的にはこの国のやり方に従う。しかし! 俺が生まれ育った国の軍隊はこうも見苦しくはないぞ! どんな状態から集合をかけても貴様らより数倍早く隊列を組める! このノロさはなんなんだ、俺をバカにしているのか!? お里が知れるぞ!」


 「市民?」聞きなれない言葉に何人かが首をかしげ、また「そんな兵士なんているのか?」などとザワつく。

 この期に及んでも一向に緊張感が増してこない空気がメイナードのかんに障った。


黙れボケナスShut Up, Motherfucker! 誰が許可なく汚ねぇクソを撒き散らしていいと言った! 話しかけられた時以外は口を開くんじゃねぇウジ虫どもが!」


 さらに強い怒鳴り声が訓練兵たちを竦ませる。


「なんだ、この腑抜けた空気は! これが兵士になろうとしている連中の動きか!? 畑のナメクジだってもうすこしマシだぞ? 貴様らはこの国に泥を塗るつもりか!? あ゛ぁ!? そこの貴様、答えろ!」


「そ、そんなことはありません!」


 水を向けられ答えたのは先ほど不幸にも中隊副指揮官に選ばれた男――書類ではたしかマックス・アルフォード、王都北部の街ザイストリッツにある商家の次男坊と書いてあった。

 平民にしては育ちが良さそうに見えるが、早速メイナードから目をつけられたようだ。


 アリシアとアベル、それにエイドリアンとレジーナは知らないフリをしているが、マックスの隣には見知った顔――—―ギルベルト・ジルバ・ゼーレンブルグの姿があった。


 調べられた範囲では学園を退学後に冒険者として登録し、ザイストリッツを拠点に活動。隊商の護衛などを通して名を上げ、アルフォード商会の食客扱いになっていたようだ。

 しかし、そんな情報を頭から信じるほど海兵隊員は純粋ウブで間抜けではないが、ひとまずここでは気にしない方向で進める。


「それでも中隊副指揮官か!! 口からクソを垂れる時は「サー!」とつけろと少佐殿が先ほど言われただろう! それすらも空き部屋だらけの脳みそに突っ込めないド低能か、貴様は!!」


 もちろん、これもギルベルトあるいはマックス本人への嫌がらせが目的ではない。

 メイナードはそういった諸々の背景は知らないので、選定基準も本当に偶然の産物である。


 むしろ、育ちが良さそうであるからこそ今のうちに教官が吊るし上げておかねば、後で他の訓練兵たちから舐められると思ったためだ。

 万が一特別扱いされたボンボンと認識されてしまうとヘイトを集めやすく、隊内でのいじめにつながりかねない。よくある話だ。


 団結するために共通の敵を作り出すことは有効だが、それを同じ訓練兵――――仲間に向けられては困るのだ。憎まれ役を引き受けるのは厳しくシゴきまくる教官だけでいい。


「サー、イエッサー……!」


「声が小さい!! 腹から声を出せカマ野郎! ……貴様ら、誰が見ているだけでいいと言った! タマはついているのか!! 全員で答えろアホども!!」


「「「サー、イエッサー!」」」


 他人事だと思っていた訓練兵たちも慌てて答えるが、そもそもただ突っ立っているだけの人間に腹から声が出せるわけもない。立ち方からしてなっていない。


まるで聞こえねぇぞI Can’t Hear You!! 100人分のクソ溜めか、ここは!!」


「「「サー、イエッサー!!」」」


 全然ダメだ。こんなことでは先が思いやられる。もう少しばかり精神をぶん殴ってへし折っておくべきだ。なぁにこれくらいで人間は潰れない。


 かぶりを振るように見せてアベルの方をチラリと見るとメイナードの意図を察したか軽く頷いた。「徹底的にやれ」ということらしい。


「よし、ひょろ長い色白。貴様の名前はなんだ?」


 ひとりばかりに集中砲火を浴びせても仕方がない。メイナードは近くにいた細身なエルフの前に立つ。

 尚、来られた本人は一瞬で死刑を宣告されたような表情になる。


「サ、サー! ヴェイニです、サー!」


 上級曹長からの猛獣にも似た眼光を浴びたエルフは狼狽えながら震える声で答えた。


「そうか、今日から貴様の名前は“もやしスプラウト”だ。そう呼ぶ」


「サー、イエッサー!」


 わけがわからないが反論は不可能だった。このオーガ相手では下手なことをすれば殺されかねない。


「言っておくが、もやし。ここでは菜食主義者ベジタリアン定食は出さん。泣こうが喚こうが身体を作るためなら肉でも食わせる。食えないって言うなら首を切り落としてでも流し込む! 帰るなら今のうちだぞ!」


「サー! 問題ありません、サー!」


 もはやヤケクソだった。まともに考えて答えていてはなにをされるかわからない。


 ヴェイニはヒトなど数が多いだけのいけ好かない種族と思っていた。それでも先ほど領主代行から見せしめに遭った現実を直視できない同胞のアホとは違う。

 自分は雇われる側なのだ。私兵扱いとはいえ王家に次ぐ規模の公爵家に雇われれば待遇は今までとまるで違う。


 なにもない故郷の森を出て、軽くない差別を受けながらも文明圏の生活に辛うじてあやかれている。そこに訪れた転機が今回の募集だ。人生をかけていると言ってもいい。早々に脱落して今の生活を続けるのはごめんだった。


 そして、同じことを考えている人間はヴェイニだけではない。

 一発逆転のチャンスだからこそ、うだつが上がらない冒険者たちもこうして応募してきているし、アリシアの言う通り書類審査では素行の悪い連中が何人も落とされている。いつ盗賊になるかわからないような連中の姿はなかった。


「ちっ、教会の司祭気取りかよ。それじゃあ俺はなにになれるってんだ?」


 どこかで鼻で笑うような声が上がった。

 つぶやきほどの小さなものだったが、メイナードの罵声以外に音も立てられない状況下でそれは異常なまでによく響き渡った。


「……誰だ! どこのクズだ、教会の手先のおフェラ豚め! 名乗り出ろ! この場でまとめてぶっ殺されたいか!?」


 かつてない怒号に場が痛いほどに静まり返った。全員に冷や汗が浮かび上がっている。もちろんやらかした本人は気が気じゃない。やらかしたことに気付いたがもう遅い。


「答えなしときたか? じゃあなんだ、こいつは魔法使いのババアの仕業か! 上出来だ、クズども! フニャフニャの頭がご立派様になるまでキツくシゴいてやる! ケツの穴からポーションを一気飲みして黄金のクソと合わせてふわとろのスムージーができるまでシゴき倒すぞ!」


 無駄口をたたいたバカが誰か、近くにいた訓練兵は当然わかっている。


 しかし、ここで下手に告げ口などしようものならどうなるかわからない。

 上級曹長殿より「許可があるまで口を開くな」と言われているのだ。何か言われるまで勝手な行動は許されない。


 徐々にではあるが訓練兵たちはブートキャンプの空気に飲まれつつあった。


「いったいなんだ、このクズどもの集まりは。こんな情けないサマを見せてすこしは世間に申し訳ないと思わんのか? ……貴様、その酒樽みたいな身体はなんだ。さっきクソを垂れたのは貴様か!?」


「サー、ノーサー!」


 身体的特徴を正面から貶されたに等しいドワーフが顔を真っ赤にして答えるが、メイナードには気にした様子はまるで見られない。


「一丁前に怒っているのか? ……くだらん!」


 メイナードは言い切った。


「俺からすればどいつもこいつも緩み切っているかひ弱かのどちらかだ! 楽をすることばかりを考えて、酒瓶か女のケツばかりを追ってきた穀潰しが貴様らだ! 今までどうやって生きてきたんだ? ママの愛情が足りなかったのか? 飲んだくれのクソ親父のせいか? それぞれが信仰を捧げる神に申し訳ないと思わんのか!? こんなクソどもを任されるとは神はなにか俺に恨みでもあるのか? どうなんだ、貴様!?」


「サー、イエッサー!!」


 慣れていないせいで思い切り間違えた。

 罵倒されたドワーフは早くも教官を名乗るオーガを人類史上稀に見る最高級のクソだと思い始めているが、それでも口に出したのはわざとではない。


「俺をクソだと言いたいのか、貴様!! この場で死にたいようだな!!」


「サー、ノーサー!!」


「本当に救いようのないパープリンどもめ。空っぽの頭の中にはカネか女とヤることしか入っていないどうしようもないゴブリンどもが貴様らだ。どいつもこいつもプライドだけは一人前だが、まるで中身のないドンガラ揃いだ」


 罵倒を繰り返しながら、メイナードは犠牲者2号となったドワーフから離れていく。


「わかっているのか? 親と先祖の名誉を汚すだけの生きる価値も無い人間以下の病気の害虫だぞ貴様らは。俺は長い間兵士をやってクソ新兵も腐るほど訓練してきたが、それでもどうやったら貴様らのようなウジ虫の群れが人間様の股から生まれてこられたのか到底理解ができん。いったいなんのせいだ? 先祖の血のせいか? それとも親の教育のせいか?」


 あまりの出来の悪さにメイナードの額に本物の青筋が浮かび上がってくる。


 そりゃ21世紀の地球じゃないんだから……。


 様子を見守っている海兵隊メンバーは少しだけ気の毒になってきた。そもそものベースが違うのだが、求める水準を得ようとすればやはり容赦はできない。

 訓練中隊を発足させた目的は公爵領軍の歩兵レベルは容易に凌駕する兵団を創設することであり、兵士として鍛え上げるために徹底的に個人の人格を否定し、隊を支えるひとつの部品に変えるしかない。


「おい、貴様に言っているんだ、スキン野郎Scumbag!! 死にかけのケダモノをファックして奇跡的に生まれたのが貴様か!?」


 ところどころの体毛が濃い獣人相手に侮蔑どころではないような罵倒を繰り出すが、まだまだメイナードは止まらない。


「サー! ノー、サー!」


「なんだその目は? 悔しいか? だったら、もっと凄んで見せろ!」


 今にも飛びかからんばかりの殺意を浮かべてメイナードを睨みつけるが、その程度でビビっていては上級曹長など務まるはずもなく逆に睨み返して獣人が先に目線を逸らす。


「 ……まるで迫力なし!死んだ魚だってもう少しマシな目ができるぞ! せいぜい練習しておけ! 次はビビるのも許さん!」


 ふたたびメイナードは中央へと戻っていく。


「もううんざりだ! 貴様らに比べたら倉庫で食い物を狙っているネズミの方がよっぽどマシだ! どうだ貴様ら! ゴミクズの中で腕に自信のある奴はいないのか? これだけ好き放題言われて悔しくないのか? 挑みにくる勇気を持った男はいないのか? やれるもんならやってみろ!」


 いったいどこからそんな罵声のための語彙を持っているのか、さすがの海兵隊メンバーも不思議になるほどだった。

 これに比べればアベルのブートキャンプはまだ優しかったかもしれないとアリシアでさえ思う。もっとも、その後の訓練内容に容赦は見られなかったことから、公爵家令嬢としてほんの少しだけ言葉の面では手加減されていたのだろう。


「どうした、ただ睨んでいるだけか? 100人もいて俺と殴り合う勇気もない腰抜けのスライム野郎しかいないのか? 腑抜け共が!!」


 メイナードが罵倒するたびに兵士たちの目がギラついてくる。

 間違いなく怒りのものだ。ろくにやる気の感じられなかった訓練兵たちの感情はもはや沸騰寸前にまで高められていた。


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