第94話 訓練開始! お嬢様の訓示


 明くる日、訓練施設に領都クリンゲルから乗り合いの馬車が到着する。

 それぞれ最低限のものではあるが、持参した荷物を兵舎に置かせると全員が訓練場に集められた。


 おそるべきことに集合をかけてから経過した時間は20分ほど。兵舎前の広場の隅から、アリシアたちは訓練中隊の兵士たちの様子を密かに眺めていた。


 彼は特に整列もしていない。いや、なにより緊張感が微塵も存在していなかった。

 おおまかにヒト、エルフ、ドワーフ、獣人がそれぞれ種族同士でかたまって尻を地面につけてだらしなく座っているだけだ。


「この国はそういう文化なのか?」


 海兵隊メンバーがエッカルト伍長に問いかけると彼は小さく首を横に振った。


「正直どう思う?」

「論外ですな」

「このままならいない方がマシです」

「なんの使い道もありません。弾避けにするにも食糧がもったいない」


 とはいえ、結論を出すのは早計である。元々誰もやろうとしないことに手を伸ばそうとしているのだ、こうなるのはわかりきっていた。


「……やれるだけはやってみましょうか」


 できるかぎりの準備をした以上、あとはやるだけだとアリシアは覚悟を決めて合図を出す。


「傾注! これより領主代行を務められるアルスメラルダ公爵家ご令嬢アリシア様からお言葉がある!」


 速足で進み出ていったメイナード最上級曹長サージェント・メジャーが声を張り上げると、訓練兵たちがのんびりと立ちあがる。一応は最低限の常識を持ってはいるらしい。本当に最低限だが。


 尚、今日のお嬢様アリシアは海兵隊の野戦服に身を包んでおり、説明されなければそうとはわからないかもしれない。


「よく集まってくれたわね。募集の話を聞いた時点である程度はわかっているでしょうけれど、これからあなたたちには公爵領の遊撃部隊として働いてもらいます」


 適当に集まったはずの人間たちが、見事なまでに綺麗に分かれた集団に向けて設置された台の上に立ったアリシアは口を開いた。

 左右に等間隔で立つアベルたち海兵隊メンバーと公爵領軍退役士官である伍長たちは直立不動のままだ。


「けれども――――」


 アリシアは一度言葉を切る。


「そのためには、実際に部隊を率いる彼らの訓練をクリアしてもらう必要があります。無条件に兵士になれるわけではないことはあらかじめ理解してもらいたいわ」


 アリシアの口調がそれまでのものから一変、その瞳に剣呑な色が混ざる。


「ふん、この領地では女がまつりごとに口を挟むのか」


 小さな、しかし誰もが静まり返っている中でその声は場にはっきりと響き渡った。


「……なにか問題が?」


 発言した者の近くへと歩み寄っていき、アリシアは真正面から視線を向けて訊ねた。


 さすがにここまでの反応は予想外だったのか男――――年若いエルフはわずかにたじろいでしまう。

 容貌が整っていることで知られているエルフだったが、多少の者ではアリシアの磨き上げられた美しさには敵わない。

 公爵令嬢のはっとするような美貌も多少は影響しているだろうが、なによりも注がれる視線の鋭さにエルフの青年は怯みかけていた。


「い、いかに我らが一族と傭兵としての契約を結んだとはいえ、たかが女に教えを乞うことなど――――」


 わずかにアリシアが動いたと思った瞬間、予備動作なしで鞘から抜かれたナイフが若いエルフの首筋にあてられていた。

 以前の冒険者ギルドで見せた時とは異なり、今度は完全な抜き身の刃である。


 もしあとほんの少しでも力を加えれば、刃は皮膚とその下にある頸動脈を切り裂き血が飛沫のごとく噴き出すのは間違いなかった。


「……あなた、なにか勘違いをしているようね。結んだのは傭兵契約ではなくて、兵士としての契約よ。雇われてもらっているのではなく、。たとえ冗談でもわたしたちへの侮辱的な表現は厳に慎むべきね」


 刃物を突き付けているとは思えないほどの穏やかな口調で、アリシアは講義をする教師のように正確な内容へと訂正する。


 ただの貴族のお嬢様と思っていた少女にここまでされては黙っていられない。


 若いエルフの顔は羞恥と怒りで真っ赤に染まっていたが、あまりの異質さに動くこと――いや、口を開くことさえできなかった。


「わたしが欲しいのは統率下で戦力になる人材よ。たいした人物でもないくせに性別だとか種族だとか、そんなくだらないプライドばかりが先行して、物事に正確な判断が下せない人間ではないわ」


 周りの訓練兵たちにも視線を向けて言葉を続けるアリシアだがまるで隙が見られなかった。ここですこしでも妙な動きを見せようものなら即座に首を掻っ切られる。

 その程度のことはエルフの男にも理解できた。


「すこしはわかってくれたようね」


 アリシアが殺気を霧散させて刃を引くと、エルフの男は滂沱と汗を流した状態でその場にへたり込む。


 誰も彼を笑おうとはしない。

 たとえ異種族を心の中ではバカにしていてもそれだけはついぞ起こらなかった。


 当然のことながら、早くも被害者――――もとい仲間意識が芽生えたからではない。

 もしそんなことをすれば、次に同じ目に遭わされるのは自分だと本能的に理解したからだ。


「よろしいかしら? これ以上の“見せしめ”を作るほど暇じゃないの。……でも、わたし程度にこうもいいようにされるようじゃ、どちらがお嬢様かわからないわね」


 侮蔑ぶべつの感情を敢えておもてに出し、アリシアは訓練兵たちを見回した。

 訓練兵たちの目に剣呑な光が宿る。しかし、まだまだ弱い。


「先に言っておくわ。訓練は厳しいものになる。だけど、それを乗り越えた暁にはあなたたちが活躍できるだけの戦場と名誉、それに実利は用意してみせるわ。素質がないと判断した者は初めから落としている。あとはそれを信じてついてこられるかよ」


 はっきりとした口調で告げ、アリシアは引いていく。「あとは訓練教官たちに任せる」ということだ。


 主人の動きに呼応して、例のごとく教官の制服に身を包み、キャンペーンハットを被ったアベルが進み出てくる。

 もちろん、その他各員も似たような服装ではあるものの、階級章は各自のものになっていた。


「聞け!!今日から8週間かけてこの訓練部隊の――――以後、訓練中隊と呼称する――――総指揮官アベル・ナハト・エルディンガー少佐メジャーだ。なんだこのだらしない集まり方は! 貴様ら、シメられる前の羊の群れ以下か!! 5列横隊で整列しろ!」


 いきなりの怒声に困惑しつつも、モタついていてはどんな目に遭わされるかわからない。

 練兵たちはなるべく同種族だけで固められるように移動していく。癖のようなものだった。

 訓練中隊に参加しているどの種族も、自分たち以外の種族はすべてアホの集まりだと思っており、そんな意識があるものだから動きもひどく緩慢だ。


「 ……そこの背の高い優男、貴様を暫定的だが中隊副指揮官カンパニー・サブリーダーに任命してやる。ボサっとしているな、訓練兵どもに指示を出せ!」


 近くに“見知った顔”と比較的まともな顔があったので、後者の方に面倒事を押し付けた。

 いずれにせよ訓練兵側は訓練兵側で内部からまとめる人間が必要なのだ。


 あわれな生贄となった青年の号令を受けるも、やはりまとまりのない集団では整列までに3分近くかかった。他種族に至っては明らかに不承不承といった様子だ。

 

中隊Company傾注Attention!もう一度言っておくぞ! 俺はこの兵団の総指揮官、アベル・ナハト・エルディンガーだ。ここに並んだ俺たちのことは『訓練教官殿ドリルインストラクター』と呼べ。細かい階級――序列については追って教える。それと、貴様らが俺たちに向かって口からクソを垂れる時は、その前後にかならず「サー!」と付けろ!」


 厳密に言えば、アリシアやレジーナ、キャロラインには「サー」ではなく「マム」で答えなければいけないのだがそこも追々でいいだろう。


「貴様ら、まさかとは思うが志願した程度で立派な人間だとでも思っているんじゃなかろうな? あらかじめ言っておくが、貴様らクソ新兵ファッキンニューガイには何の期待もしていない!」


 矢継ぎ早に繰り出される罵声に候補生たちは目を丸くする。

 目の前にいるのは怪しげな格好をしているが間違いなく貴族の血統に名を連ねる者だ。


 そんな人間――――しかも、見た目は秀麗な男から信じられないような罵詈雑言が飛び出てくるのだ。怒りよりも先に驚きが湧き上がってしまったのも無理はないことだろう。

 訓練兵リクルートたちの様子を見てアリシアは笑いを堪えていた。


 ――――たぶん、わたしもあの時は同じような表情を浮かべていた……。いえ、もっとひどかったかも。


 どこか懐かしさを感じつつ、同時にこれからの8週間を思うとアリシアは彼らが気の毒に感じてしまう。


 しかし、この訓練に耐えられなければ精強な兵士にはなれない。

 領軍式に鍛える方法もあるのだろうが、それではあまりに時間がかかりすぎるし、それなら領軍から兵士を回してもらえばいい。


「どこかで兵士をしていた奴もいるようだが、どいつもこいつもまるでダメだ。スライム以下のゴミクズのようにチンタラチンタラ動きやがって。腐りきっている。今までどんなクソ塗れの人生を歩んできたらそうなるんだ、貴様ら。……よし、ここからは先任教官に任せる」


 程よく罵倒して場の空気が温まったところで選手交代となる。

 実際の訓練教官はアベルではなくメイナード最上級曹長が務めるのだ。


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