第33話 天にまします我らの神よ



 それから数日経ったのち、一台の豪奢な馬車が王都にある正光印教会本部に停められた。

 中から現れたのは、アルスメラルダ公爵クラウスとその娘であるアリシア。さらには従者兼護衛を務めるアベルの三人であった。


 突然の王国重要人物の訪問を受けて、教会側はにわかに慌てるも、クラウスたちはすぐに貴人に対する扱いを受けることができた。

 なんといってもそこは儀式を司る教会。成人の儀にて行われる“祝福”――――前世地球のキリスト教でいうところの洗礼により、貴族の応対についてもある種マニュアル化された部分があったためだ。


 そのため、アポイントメントがないにもかかわらず、さして待たされることもなくクラウスたちは上級貴族用の応接室に通された。

 応接セットに調度品。そのどれもが超一級の品で整えられており、貴金属類も惜しみなく使って圧倒的な存在感を放っている。


Whatいったい the Hellなんなんだ is thisこりゃ.......」


 そんなあまりに派手な部屋の造りを見て、前世の感覚が融合したアベルは、溜め息を吐きそうになる。

 それこそ、ヒップホップミュージックのPVが「高級車! オンナ! 俺成功!」みたい構成となっているのを見させられたくらいの成金趣味だ。

 見ればクラウスもアリシアも同じような表情を浮かべていた。


 三人ともこういった場所を飾り付ける政治的な面での必要性は理解していても、ここまでの過剰な成金趣味にまでには共感できないのだ。

 おそらく、こういう部屋にした趣味を持つ人間がいるのだろう。


「これが貴族向けの“配慮”らしいわよ、アベル」


 そんなアベルのつぶやきに対して、アリシアがきわめてつまらなそうに返す。彼女としてはまるでこの部屋の中身に興味が持てないらしい。

 そりゃウインドウショッピングよりナイフだからなぁ……とアベルは思うも、それは態度には出さない。


 教会の権威を見せつけるため、王国に限らず各国の教会本部はかなり豪奢な造りとなっている。

 それぞれの首都に置いていることもあるため、「教会は貴国を大事に思っていますよ」と総本山を含めても大きく見劣りしない程度には立派なものを建てているのだ。


 神の前には等しく平等を謳っているため、平民も特に制限を受けることなく立ち入ることはできるが、それはあくまでも虚飾を排した造りとなっている礼拝堂の一部でしかない。


 そもそも、貴族は礼拝堂になど慶弔関係の儀式の時以外は立ち入ることもない。

 平民を相手にしたそれとは別で貴族専用の入口が設けられており、アリシアたちがこの部屋に案内される途中で通ってきた場所でもある。

 そこは礼拝堂とは大きく異なり、贅の限りを尽くされた空間となっていた。


 要するに、“色々ある上客”向けの個別対応をしているというわけだ。


「すごいものだろう。……これが我々から搾り取った“お布施”によるものでなければな」


「物が無駄に多いですわね。それ以上に、調度品の趣味についてはコメントを差し控えさせていただきますけれど」


 クラウスの皮肉に、横に座るアリシアは依然として興味がなさそうに漏らすだけであった。


「おいおい、間違ってもは出してくれるなよ?」


 そんな娘の様子を見てクラウスが窘める。

 こんな性格だっけ?と思わないでもないが、娘は今難しい年ごろなのだ。……きっとそうだ。


「ええ、しばらく静かにさせていただきます。として、ね」

 

 ちょっと素を出し過ぎたとアリシアが反省の意味を込めて言うと、ちょうどそのタイミングでドアがノックされた。


「これはこれは。アルスメラルダ公爵閣下御自ら……」


 ゆっくりとドアが開くと恰幅のいい中年の男が、大層かしこまった様子で中へと入ってくる。

 その身なりを見て、アベルはこの者が何者であるかを理解した。


「久しいな、グァルディーニ大司教。突然の訪問となってまことに済まない」


 マウリツィオ・グァルディーニという名の大司教が、クラウスたちを聖職者らしい営業スマイルで出迎えた。

 そろそろ芋虫に進化できそうな太い指に嵌る煌びやかな指輪の数々が、彼の成功と権威と趣味を表していた。

 そして、その中でもひとつだけ飛び抜けた極めて精緻な細工の施された白金プラチナの輝きが示す通り、彼はこの国における正光印教会の責任者でもある。


「いえいえ、神の家はいつでも開かれておりますゆえ。……それで、閣下ともあろうお方が、本日はどのような御用であられましょう?」


 教会の中で大司教まで出世してくる中で、貴人と接してきた経験も数え切れぬほどあるマウリツィオ。彼は表情に笑みを張り付けて決して表には出さないが、クラウスの来訪を不審に思っていた。


 なにしろクラウスは、この国における反教会派筆頭と目されていた人物だ。

 それがアポイントもなしの礼拝とは、いったいどういった心変わりが起こったのであろうか。


「いやなに、最近はろくに礼拝もできていなかったからな。せっかく王都に滞在している期間でもあるし、娘も連れて来ようと思ってな」


 しかし、クラウスの言葉を受け、マウリツィオの疑念もすぐにどこかへ消えた。

 後継ぎでもない娘を連れて来ている時点で、込み入った政治の話をしに来たのではないと早々に結論を下したためだ。

 むしろ、この娘のことなのだろうと“風の噂”を知るマウリツィオは断じた。


「お初にお目にかかります、グァルディーニ大司教猊下。アリシアと申します」


 クラウスの横に足を揃えて座っていたアリシアが、柔らかな笑みを浮かべると静かに軽く一礼する。

 思わず、マウリツィオは目が吸い寄せられてしまう。


 すらりとした身体つきに細い線を描く見事な鼻梁を持っているが、そこに貴族令嬢にしばしば見られる不健康な様子は一切なく、白磁に近い肌からは漲る生命力のようなものさえ感じられる。

 貴族どころか王族までを含む様々な女性を見てきたマウリツィオにとっても見たことのない、背筋がぞくりとするほどの美少女であった。


 高位貴族の令嬢として洗練された所作を見るととてつもない逸材のようにも見えるが、こんな美しい娘が婚約破棄をされるとは……。

 もしかすると、この国も長くはないのかもしれないとマウリツィオは思った。


「これはアリシア様、ご丁寧にありがとうございます。……なるほど、そういうことでしたか」


 マウリツィオも内心での思考は表に出さず、精一杯の柔和な笑みを作ってアリシアに返す。


「……貴殿もご存知かもしれないが、少し前に色々とあってな。いずれ娘も教会の世話になるかもしれぬ。そうなれば、多少の“心づけ”も必要かと思ってな」


 ――――やはり、そうか!


 やや迂遠な言い方をするクラウスの言葉でマウリツィオは確信に至った。

 やはり、彼の得ていた情報通り、クラウスの娘――――アリシアは第二王子であるウィリアムから婚約破棄されて以降、どうしようもなくなっているのだ。


 一方、当のアリシアは座って話を聞いているのが退屈になったのか、ソファから立ち上がると窓際へと歩いて行き、さっきから気になっていたのか部屋の調度品をまじまじと見物しだす。

 その姿に、自分の婚約破棄について神経質になっている様子は微塵も見られない。


 ……話題の当人がなんとも呑気なものだ。どれだけ甘やかされて育ってきたのか。

 だが、公爵令嬢でこの程度のおつむならかえって御しやすいかもしれんな。それにあの美貌。使


 まるで緊張感のないアリシアの振舞いから、マウリツィオは彼女を甘やかされて育ってきた世間知らずのお嬢様と断定した。

 そんなマウリツィオの頭の中で、今後の計算が急速になされていく。


 この国ヴィクラントでは女性領主などあり得ない話だった。

 よほどのこと――それこそ、流行り病などで当主やその嫡男を含む男子が全員死亡する事態でも起きない限り起こり得ない事態だ。

 ラウラは上記のケースに当てはまるが、生き残ったのが彼女ひとりだったこと、また婿を入れて再興させるにも王室派と貴族派の政治バランスが崩れかねない危惧があったため最終的に家は取り潰されている。

 クラウスが彼女をメイドとして受けられらたのも偶然でしかなかった。


「閣下がご心配になられるお気持ちはよくわかります。たったひとりのご息女のこととなれば……」


 マウリツィオはそれらしき言葉を並べてみる。敢えて言いきらないのもテクニックだ。

 もちろん、そこに同情の気持ちなど髪の毛ほどの重さも込められていない。


 そもそも、クラウスに男の後継ぎはいない。

 一説にはアリシアが生まれた際に王族派から圧力がかかったとも言われているらしいが定かではない。

 いずれにせよ、今のままではアリシアが婿を取るか、遠戚かどこかから養子を迎えて新たに後継ぎにするしかないとされていた。

 しかし、前者を選ぼうにも第二王子から婚約破棄をされた娘となれば、いかに公爵家の令嬢とはいえ誰も手を上げることなどあるまい。

 そうなれば、最早他国に嫁がせるか、こういう場合の受け皿となっている教会の修道院に入れるしかない。


「それはまこと結構なことです……。高貴な血に連なる方が教会の門を叩きその教義に触れることは、主神も大層お喜びになられることでしょう!」


 言うまでもなく、この場で一番喜んでいるのは言葉を発しているマウリツィオ自身である。

 彼は転がり込んできた幸運に、踊り出したい気分となっていた。


 なにしろ、あの反教会派筆頭として知られるクラウスが、娘の面倒を見てくれと自分のところに頭を下げにきたのだ。

 本国には王国へ派遣されていた時代に、クラウスから煮え湯を飲まされた高位聖職者も少なからず存在していると聞く。

 今回の件をうまく利用すれば、その者たちを出し抜いて将来的に枢機卿に選出されるための“箔”をつけることすら不可能ではないと考え始めていた。


 そうだ、アリシアの修道院入りにしても、過去の経緯から言うに言い出せなくなっていたところに自分から働きかけたことにでもすればいい。

 あとは困り果てているであろうクラウスの足元を見て、お布施の値上げでもしてやればいいのだ。

 派閥の長へそれなりの上納金を納めれば、本国も自分への対応を変えてくるかもしれない。


 なんの前触れもなく降って湧いた千載一遇の好機チャンスに、マウリツィオは感情をコントロールするのが困難になりつつあった。


「……し、して、“心づけ”とはどのようなものを? 王国の重鎮となる公爵家からのものともなれば、私としても本国へ伝えねばなりません。事前に私が確認をさせていただいて――――」


 ニヤニヤと笑みを浮かべそうになる頬を懸命に自制心で押さえつけながら、マウリツィオはクラウスに向けて尋ねる。

 これで下手な金額など提示してこようものなら、遠回しに「ふざけるな」という内容でネチネチ責め立ててやるつもりだった。身代が多少傾くくらいでも構うまい。

 この状況は、そんな大胆な思考をさせる程度にはマウリツィオの気を大きくさせていた。


「これだよ、


 しかし、そんな中で突如としてクラウスが口調を変えた。

 それと同時にテーブルの上へと広げられる羊皮紙。


「なんでしょうか、いったい……?」


 クラウスの豹変ともいえる態度の変化を受けて、マウリツィオは怪訝な顔を浮かべる。

 ところが、テーブルの上の紙面に書かれた内容を脳が理解すると、マウリツィオの表情は瞬時に固まってしまった。


「理解したか? 王国民のと、ご禁制の毒薬の受領書だ。教会は我々のあずかり知らぬところで、ずいぶんとをしているのだな?」


 クラウスの浮かべる肉食獣じみた笑みを見て、マウリツィオは心臓が口から飛び出そうになった。



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