第34話Death,Come Near Me



「ど、どこでこれを?」


 クラウスの不意打ちを受け、明らかにうろたえるマウリツィオ。それはあまりにも浅慮な反応といえた。


「……? そこは「なんですかこれは?」とでも訊くべきだったな。それとも、こういう腹芸は苦手かね、マウリツィオ」


 クラウスの更なる指摘が余裕を奪い、マウリツィオは衝動的に「しまった」という表情を浮かべる。

 完全にこの場の主導権を握られてしまった。

 それ以上に、いったん崩れた勢いというものは修復することは難しい。

 もっとも、それを許す者はこの場に存在してはいなかったが。


「……まさか、あの倉庫の倒壊は……。いや、それよりもあの司祭は……」


 どれだけうろたえているのか、訊いてもいないことまで口にし始めるマウリツィオ。


「さてな……。それよりも、だ」


 マウリツィオの問いを無視し、クラウスは鋭い瞳で目の前の“敵”を睨み付ける。


「人攫いなどという不逞な行為を働いただけでも貴様らをこの国から追い出してやるところだが、この毒物はなんだ! 貴様ら、これを使って第一王子を弑逆しようとしていたな!」


 羊皮紙を手で打ち付け、抑えようもない怒気を漲らせたクラウスの詰問。それにマウリツィオは答えられない。

 しかし、クラウスはそれに構わず続ける。


「最低でも騎士団のどこかが絡んでいるところまではわかったが、これ以上は貴様を直接問い質すしかないと思ってな。だから、こうして来たくもない教会まで足を運んできたわけだ」


「そこまでわかっていて、敵陣に飛び込んできたというのか……」


 クラウスに対して信じられないものを見るような目を向けるマウリツィオ。彼の常識ではありえないことだったのだ。


「敢えて火中に飛び込まねばならんこともあろうよ。しかし、残念だったな、マウリツィオ。ウチの大事な娘を貴様ら教会なんぞにくれてやるものか! 大人しく観念してすべてを吐け!」


 これまで溜まっていた鬱憤を叩き付けるように、クラウスはトドメとばかりに言い放つ。


「く、クソォ! 田舎貴族がぬけぬけと! だが、甘いぞ、アルスメラルダ!」


 滝のような汗を流していたマウリツィオが、突如としてその巨体からは想像もできない素早い動きを見せる。

 その身体が向かったのは、窓際で不思議そうに事態を見守っていたアリシアのところであった。


「きゃぁっ!?」


 突然のことに驚くアリシアの首に、マウリツィオの太い左腕が回される。

 右手にはどこから取り出したのか、銀色の輝きを放つ短剣が握られていた。


「よくも私の野望の邪魔をしてくれたな! しかし、肝心な部分で詰めが甘い。娘がこうも呑気で助かったぞ……」


 人質を取ったことで、一気に形勢逆転ができたと凄むマウリツィオに、表情を変えたクラウスが腰を浮かせかける。


「き、貴様、マウリツィオ! こんな真似をしてただで済むと思っているのか!」


 娘を人質にとられ激怒するクラウスに、マウリツィオはそれまでの苦い表情を豹変させる。


「それはこちらのセリフだ、アルスメラルダ! 貴様が我ら教会を相手に畏れ多くも繰り返してきた数々の挑発行為。常々邪魔だとは思っていたが、まさかここまでやってくれるとはな!」


「往生際が悪いぞ。このまま逃げられるとでも思っているのか?」


「ふふ、逃げて見せるさ。それに、ここまで進んだ計画の邪魔だけはさせん!」


 アリシアを身体ごと強引に引っ張りながら、大司教は壁際まで後退していく。


「……出て来い!」


 目を血走らせたマウリツィオの叫びとともに、部屋の中に作られた隠し部屋と思われる場所から短剣を持った男たちが飛び出してくる。


 クラウスもアベルもさして驚くことはなかった。

 やはり最初から訪問自体を警戒されていたということなのだろう。


 素直に帰るようならそれまでだし、もうしそうでなければということか。


 ――――面白い。


 目を据わらせ、口の端を歪めたクラウスが静かに立ち上がろうとする。


「閣下、ここは私が」


 クラウスの動きを感じ取ったアベルが、それを制するように短く言って前へと進み出ていく。

 その際、クラウスに向けて問うような視線を送るアベル。

 それを受けたクラウスは、先ほどまでのものとは異なる種類の笑みを浮かべ口を開く。


「任せる。マウリツィオ以外、


 不敵な笑みとともに放たれたクラウスの言葉を合図としたように、短剣を持つ男たちがアベルを取り囲もうと間合いを詰める。


 アベルは軽い構えをとっただけで動く気配は見せない。相手の意図を察したからだ。


 おそらく、最初から狙いはアベルただひとりなのだろう。

 たしかに、いきなり公爵家の当主とその令嬢に直接手を出すのは順番を間違えている。


「ふん、これだけの人数を相手にたったひとりでどうするつもりだ! 小僧、痛い目を見る前に逃げ出すなら追わないでやるぞ! それとも主神の与えし試練と受けるか?」


 目の前の美少年がこの後で痛めつけられる光景を想像したのか、マウリツィオは喜悦の笑みを浮かべて嗤う。

 先ほどまでの青い顔はどこへやら、そこには小馬鹿にしたような態度さえ浮かんでいた。

 まずは護衛を無力化して、そこからクラウスと“交渉”すればいいとでも考えているのだろうか。


 聞いていて辟易するくらい下卑な言葉だが、後半部分についてはアベルも悪くない選択肢だと思う。


 ――――相手が自分たちでなければ。


「尻の方まで門戸を開いてそうな連中おフェラ豚に嬲られるとはぞっとしないな」


 アベルは吐き捨てるように挑発の言葉を投げる。


 こちらを無力化するのはついでで、クラウスとアリシアの心を折ることが目的なのだろう。

 その後どうするかまでは興味もないが、少なくともこの場では人数の差を利用して自分を嬲ろうとしているのがアベルにはわかった。


 ――――だからこそ、容赦はしない。


「減らず口を……。やれっ!」


 苛立たしげに放たれたマウリツィオの命令とともに、急所を敢えて外すようにして突き出された短剣がアベルに迫る。

 それを、アベルは気だるげな表情のまま、素早く放った左手で腕ごと掴んで捻り上げる。


「がぁっ!?」


 予想外の反撃に対応のできない男は苦鳴を漏らしながら、握っていた短剣を床に落とす。

 そのまま腕を捻り続けると、男は痛みに抗おうとするあまりその場で回転しアベルが背後に回り込んだ形になる。


「痛い目と言ったな? それは、?」


 敢えて相手に見せつけるように言い放つと、アベルは男を動けなくするために使っていた左腕ではなく、フリーになっていた右腕を男の首に回す。

 そして、今度は新たに自由となった左手をその上にある頭部へゆっくりと持っていく。


 一瞬のうちに起きた出来事に、周りの男たちも何もできないでいる。


「や、やめ――――」


 これから何をされるのか、男は本能的に理解したのだろう。

 先ほどまでアベルを嬲ろうとしていた両手で、アベルの右腕を掴んで必死の抵抗を試みる。

 それだけでは恐怖を消す事はできず、悲鳴混じりの声まで上げようとした。


 しかし、それを最後まで言い切ることはできない。


 部屋に響く鈍い音。


 それと同時に男が力を失って床に崩れ落ちる。

 ぴくりとも動かない男の首があらぬ方向を向いていることから、頸骨けいこつを折られたのだと誰もが理解した。


「……間違えたな。痛い目に遭わせるのを忘れた」


 たった今、おぞましいばかりの凶行に及んだにもかかわらず、忘れ物でもしたかのようにつぶやくアベル。

 その途端に、周囲の男たちからそれまで表情に貼り付いていた獰猛さが剥がれ始める。

 たった一撃で、相手が常人でないと気付かされたのだ。


「痛い目を見る前に逃げ出すなら――――さっきなんて言ったんだ、カマ野郎?」


 軽く首を傾げて問いかけるアベル。この時点で男たちは逃げ出すべきであった。

 しかしながら、突然の事態に脳の処理がまったく追い付かない。

 また、ここで主人を見捨ててしまえば自分たちの社会的な地位が死んでしまう。

 そんな迷いを一度牙を剥いたアベルが見逃すはずもなかった。


 瞬間的に鋭い踏み込みで近くの男まで接近すると、喉目がけて貫手を繰り出し気道を潰し、呼吸を途絶させて無力化。

 動けなくなった二人目の犠牲者おとこを無視して、アベルは三人目へ肉迫。

 自分に向かってくる相手への恐怖から慌てて短剣を振るおうとするも、その軌道を正確に把握していたアベルは鋭い手刀を手首へと叩き込む。

 凄まじく重い一撃が三人目の手首を粉砕。三人目は悲鳴を上げて短剣を取り落とす。


 そして、重力に捕まって落下する短剣の柄を、アベルは右足で救い上げながら左足を軸にそのまま横に身体を回転するように一閃。

 蹴りの勢いに乗せて放たれた短剣は、依然動けないどころか呼吸もできずに蹲って意識を消失させかけている二人目の頭上を飛び越えるように飛翔。そのまま隙をついて背後から襲いかかろうとしていた男の右目に突き刺さる。


「ぎぴっ!?」


 勢いよく刺さった短剣が、脳まで達したのだろう。

 刺さった状態のまま一瞬四人目は奇声を放って硬直したが、一瞬身体を痙攣させるとそのまま声もなく後方へと倒れていった。


 それと同じタイミングで、手首を潰された三人目の側頭部にアベルの上段を狙った回し蹴りが炸裂。勢いを殺せずにその身体はクラウスの方へと吹き飛んでいく。


「流れ矢だぞ、アベル」


 自分の方へ飛んできた男の襟首を掴むと、クラウスはそのまま片手だけで自身の後方へ腕を回し、男を頭から床に叩きつけた。

 鈍い音が聞こえたことから首の骨が折れたのだろう。床に倒れた男は小さく痙攣するだけだった。


「おっと、これは失礼致しました」


 アベルはクラウスの方を向いて謝罪する。


 それを見た最後の五人目はチャンスと思った。

 仕留めるためではない。遅まきながら逃走する機会と判断したのだ。

 目の前の怪物から逃げ出そうと、出口である後方の扉へと向かおうと踵を返す。


 だが――――。


 その背中に突如として凄まじい衝撃が発生。そのまま意識は消し飛ばされる。


「逃げるなよ、試練なんだろ?」


 アベルが全身のバネを撓ませるようにして放った飛び蹴りが、五人目の脊髄を粉砕しながら弾き飛ばしたのだった。

 意識と下半身の感覚を失った男の身体はドアに衝突。そのままドアの蝶番を破壊して廊下へと飛び出ていく。

 部屋からの脱出には成功したが、彼はもう二度と自分の足で立って歩くことはできなくなっていた。

 もっとも、その前に全身を襲った衝撃の影響で絶命するだろうが。


「……ここが教会で良かったな。すぐに葬儀をやってもらえるぞ。なぁ、大司教殿?」


 あっという間に男たちを制圧したアベルは、大した動きでもなかったかのように涼しい顔を浮かべていた。

 そこでマウリツィオは遅まきながらに悟る。目の前の少年が、相手にしてはいけない類の存在であることを。


「さて、頼りの仲間たちはみんな主神の御許に旅立ったようだが……?」


 アベルが視線を送るとマウリツィオは一瞬びくりと身体を震わせる。

 だが、すぐに何かを思い出したように笑みを浮かべる。


 圧倒的な暴力の奔流に勢いを飲み込まれかけたが、自身の腕の中にある人質アリシアの存在を思い出したのだ。


「まだだ!」


 自身を鼓舞するように叫んだマウリツィオが肘を使って壁を叩くと、隠し通路の入口が現れる。

 教会のように王城に劣らず要人が出入りする施設であれば、この手の仕掛けは当たり前のように用意されている。


「おっと、動くなよ……? 動けばこの部屋が公爵令嬢の血で染まるぞ!」


 アベルたちを威嚇するように、マウリッツォはアリシアの頬に短剣を近付ける。

 腕の中でアリシアから小さな悲鳴が上がる。


「よもやここまでやるとは思っていなかった。だが、このまま貴様の娘を連れて本国へ帰れば私の勝ちだ。 ぎょくを握った我々を相手に何ができるか楽しみだな! 安心しろ、この娘は立派な修道女にしてやろう!」


 大きな声で笑うマウリツィオ。この時点で彼は勝利を確信していた。


 しかし、自分を見るアベルもクラウスも自分が予想したものとは異なる視線を向けていた。


 そう、何も知らずにはしゃぐ気の毒なものを見るような目を――――。


「……あいにく、枯れ木じみた生活は送りたくないの。あと、いい加減放してくださらない?」


 突如として発せられた言葉。

 それまでとは打って変わって、静かな口調で放たれたアリシアの凛とした声がマウリツィオの耳朶を打った。


「……なに?」


 マウリツィオの口から間の抜けた声が漏れ出た瞬間、素早く放たれたアリシアのブーツの踵がマウリツィオの左足の甲に突き刺さった。


「い……いぎゃああああああっ!?」


 喉をつく絶叫がマウリツィオの口から放たれる。

 突如として襲いかかった激痛により、マウリツィオは右手に握っていた短剣を床に落としてしまう。


 その時にはすでにアリシアは次の行動に出ていた。


 素早く床に落ちた短剣を蹴って遠ざけると、そのまま一気に腰を落としながら床を踏みしめ左肘をマウリツィオの鳩尾に叩き込む。


「ごぶっ!」


 凄まじい衝撃に、マウリツィオの口から息が吐き出され呼吸が途絶しかける。


 しかし、これだけでアリシアは止まらない。


 マウリツィオの腕の拘束が緩んだことを確認し、そのまま左脚を軸にその場で横向きに回転。

 軽く“くの字”になって苦しんでいる相手の襟元を両手でそれぞれに掴み、さらに体勢を崩させるべく自分の体重をかけていく。

 そして、回転で得た力を上手に使いながら、アリシアはマウリツィオの無事な方の足を、差し入れた足で後方から思いっきり刈ってやる。

 それだけで呆気ないほど簡単に、マウリツィオの巨体が支えを失って宙を舞った。


「ぐぅえっ!」


 自分の体重が完全に仇となり、背中から床へと勢いよく叩き付けられたことで、マウリツィオは肺から空気を失いそのまま意識を失ってしまった。


「バカなことを……。もう少しちゃんと情報を得ていれば、わたしに手を出そうなんて思わなかったでしょうに……」


 アベルから教わった格闘術――――柔道の“大外刈り”を繰り出し終えた姿勢から、僧衣を掴む手を離して元に戻りながらアリシアはつぶやく。


 もしマウリツィオの知り得ている情報が最新のものであれば、今現在のアリシアが学園で婚約破棄を言い渡された時以前とは、まるで違う立ち位置にあるとわかっていたであろう。

 最初に出会った時からマウリツィオの見せた反応からだいたい予測はついていたが、おそらく婚約破棄されて進退窮まったままだと思っていたに違いない。


 しかし、その事実をアリシアは不審に思う。

 ウィリアムの派閥には、正光印教会本国で枢機卿を務める重鎮セノフォンテ・プレディエーリの息子ファビオ・プレディエーリがいる。 

 そこからマウリツィオに情報が伝わらなかったのだろうかと。 


 しかし、疑問はひとまず意識の外へ追いやり、アリシアはクラウスを見る。


「……お父様、身柄は押さえました」


 クラウスを見てにこりと笑うアリシア。行動はともかくとして笑みは素晴らしいなと思った。


「……お父様?」


「あ、あぁ……。アベル、人を呼んできてくれ。次席の責任者で構わん」


 娘の見せた華麗な投げ技に驚いたままだったクラウスが慌てて次の反応をする。


「承知致しました。ちなみに、そちらもグルだった場合には?」


「なら他にを連れて来てくれればそれでいい。あとは


「承知しました」


 不敵に笑みを浮かべた後で恭しく一礼するアベルを見て、事態を見守っていたクラウスはようやく安堵の溜め息を吐くことができた。


「マウリツィオが筋書き通りに引っかかってくれたから良かったが、やはり肝が冷える。こんなことをするのは二度と御免だぞ、アリシア」


 さすがのクラウスも、アリシアが自らを囮にする行為には緊張を感じずにはいられなかったらしい。

 額の汗を拭うクラウスを見て、アリシアは本当に心配をかけたのだと申し訳ない気分になる。


「ご心配をおかけして申し訳ありません、お父様。ですが、この場でグァルディーニ大司教を逃がさないようにするにはあれしか手はないと思いました」


「……そう深刻に受け止めなくていい。だが親というのはな、アリシア。いつだって子どもの心配をせずにはいられないものなんだよ」


 まぁ、それでも強く逞しくなった娘の姿をこの目で見られたのは大きな収穫だ、とクラウスは内心で続けた。


 アベルの施した訓練によってアリシアが成長したことはクラウスもわかっていた。

 だが、肉体的な意味でもここまでのものになっているとまでは思っていなかったのだ。

 クラウスとしては、あくまでもアベルが実行役、ラウラが情報収集役となってアリシアの意思を反映させているものだとばかり思っていた。


 しかし、たった今見せた大立ち回りにより、本人も並々ならぬ成長を遂げているのだと気付かされることになった。

 自分の子どもが、知らない間にひと回りもふた回りも大きく成長してしてくれたことをクラウスは喜ばしく思う。


「少し、寂しいかな……」


 その反面、なんだか愛する娘が急に遠くへ行ってしまったような気にもなって、クラウスはなんとも形容のしがたい寂しさから小さくつぶやいてしまうのだった。





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