第131話 静寂を破り裂いて


 重なる木々の枝葉に遮られ陽光も届かぬ薄暗い山道さんどうには、未だ冬の冷えた空気が漂っており、年の暮れから降り積もった雪もそこかしこに残っている。

 未だ冬眠状態にあるのか、魔物はおろか動物たちの気配も辺りには見られない。植物たちも長きにわたって頭上に冷たい蓋をされながら、春の到来をただひたすらに待って眠りについている。記憶の彼方へと忘れ去られたように、ただ生物の気配のない世界だけが広がっていた。


 ヴィクラント王国北部――――エスペラント帝国との国境部にあるこの山道は、地元でも山を知り尽くした猟師が春から秋にかけて使うくらいで、すこしでも管理を怠ればたちまち獣道と化してしまう。

 そんな人気とは無縁の場所を黙々と進んでいく集団があった。


 金属と金属の擦れ合う音が静寂を切り裂くように重なって薄暗い空間に響き渡る。無言で進む彼らの存在を誇示するような雰囲気を醸し出している。

 一団の総数こそ30人にも満たず少ないものの、構成比率としては騎馬が4割、その周りを歩兵が固める形となっていた。

 馬に跨る者たちの多くが、槍ではなく装飾付きのランスやグレイブと呼ばれる大型肉切り包丁に長柄をつけたような武器を携えているも、その動きにぎこちなさはほとんど見られない。明らかにこうした隠密行動に慣れている。

 そして、中核を担う騎兵たちはそれぞれに目立たない程度に意匠をこらした金属鎧を纏っており、高貴な血統に名を連ねる日の当たる存在ではないが高度な訓練を受けた集団であるとひと目でわかるものだった。


「細作からの情報によれば、ヴィクラントの備えは西や、特に昨年戦のあった東へと向いており不十分だとか。仕掛けるには好機ですな」


 ひとりの兵士が指揮官に話しかける。事前に周知された情報であり幾度も確認を済ませた話題であるが、こうも何もないと手持ち無沙汰なのだろう。


「たとえそれが事実であっても油断はするな。我らは寡兵ぞ」


 彼らが身に着ける装備に紋章の類は存在しない。

 だが、会話からもわかるように、この道を通りヴィクラントを目指そうとする存在はひとつしかなかった。そう、エスペラント帝国の兵士である。


「すでに敵国内に侵入している。季節柄いないとは思うが猟師にでも発見されては面倒だ」


「騎兵が仕留めますよ」


 返答に思わず指揮官は舌打ちしそうになる。経験の若い兵士だけに慢心があるのだろう。


 こういう空気はあまりよくない。そう、過去に潜入で危機に陥った時も――――


「こちら司令部HQ。“パフ”、聞こえる? 目視で敵を確認したわ」


『こちら“パフ・ザ・マジックドラゴン”、待ちくたびれました。敵集団は追跡できています。いつでもどうぞ』


「それじゃあ早速出番よ。攻撃を許可します。大いにやってちょうだい」


『Roger that』


 離れた山頂付近から男たちを監視していた少女から言葉が発せられた次の瞬間、猛烈な驟雨しゅううの如き炎が上空から降り注いだ。


「て、敵襲!」


「魔法!?」


「そんな、ここが――――」


 複数の音が発せられたことから、それらがこの世界でも限られたモノのみが可能とする高位魔術だとはわかったが、この時点ではすべてが遅かった。

 いや、もし早期にわかっていたとしても何も出来なかったのは間違いない。

 渦中にいて不幸にも即死できなかった者にとっては、聖光印教会の聖典にある「この世の終わり」が訪れたかと思ったほどだ。

 目の前で人間が一瞬で血霧と化す光景など、幾多の戦場を潜り抜けてきた彼らであっても初めてのことだった。もっとも、それさえもすぐに最初で最後の経験となる。


「ば、バカな……」


 時間にすれば、ほんの数秒の出来事にもかかわらず、舞い上がった粉塵が晴れた頃には大半の兵士が山道ごと耕され肉片と土の混合物となっていた。


「ど、どうして……。まさか、露見、していたとでも……」


 仲間の身体が盾となり、偶然生き残ることができた指揮官らしき男が呻く。

 両足を爆風によって吹き飛ばされた状態で血の跡を残しながら地面を這いずる姿が、生き伸びようとする執念を感じさせた。


「頑張って潜入したところお生憎さまだけれど、あなたたちのやりそうなことくらい、こっちはとうにお見通しなのよ」


 焼け焦げた空気の中に響き渡る声。山頂の方面から音もなく現れた男たちに守られるように中央に立つ少女から発せられたものだった。


 輝くような金髪に、静かに世を見据えるような翡翠色ジェイドの瞳。こんな場所にいるとは思えないほどの場違いな美貌を有しているが、少女が浮かべる表情に油断といったものは欠片も存在しておらず、鋭い視線を瀕死の男へと向けている。


 冬の森の中でも目立たないようなまだら模様の格好は、相手が貴族や騎士のような存在であれば眉を潜めたかもしれない。

 だが、潜入作戦の経験を持つ男の目にはこのような場所でも敵に発見される可能性を抑えられる画期的な装備として映った。


 それらの情報によって、男は目の前に立つ少女が何者であるか理解する。姫将軍オーフェリアと並び、もっとも出会いたくない人間のひとりだった。


「ア、アリシア・テスラ・アルスメラルダ……」


「あら、わたしの名前をご存じだなんて。有名になったものね」


 自分の部隊を滅ぼした敵の正体に気付くと同時に、獣が低く唸るようなあるいはもっと不気味な何かを思わせる音が頭上を通過していく。力を振り絞って頭上を見上げると、吹き飛ばされた木々の間から覗く青空を翼を広げた巨体が横切るところだった。


「りゅ、竜……!?」


 両足から大量の失血が続き、すでに思考が朦朧もうろうとしつつある中で、男は湧き上がる驚愕に呻く。


「相手がわたしたちでなければ、今回も上手くいったでしょうね」


 敗者をあざけるわけでもなく、少女――――アリシアはあくまでも冷静な口調のまま評する。


 エスペラント帝国はこれまで、周辺国と戦を繰り返すことで領土を拡大してきた。


 そのためには小規模な戦の勝利では不十分で、帝国軍は領土を掠め取るべく少数精鋭で敵の背後へと浸透。主に補給路を叩き、時に最短ルートで敵国の領主を狙い撃ちにしながら、後から進軍してくる主力の数で電撃的に押し潰す戦いを得意とする。

 主力が国境線に集結し始めた時には、先制攻撃を担う部隊はすでに敵地の中へと深く侵入しており、迎撃に向かう戦力をすり抜けるようにして彼らは重要拠点・重要人物を破壊もしくは暗殺、占領、そして無力化してきた。


 本来であれば、専門の訓練を積んだ小規模な部隊を補足し殲滅することは、この世界の魔法および科学技術では不可能に近い。

 領主がよほど神経質であっても、常に敵の侵入ルートを警戒して領軍を巡回させることは費用の関係から大身貴族でもなければ続けられなかった。

 よしんばその条件をクリアして彼らを発見出来たとしても、今度は機動力に優れる精鋭部隊の動きを迅速に本体へ報告する手段が限られている。

 あるいは早馬を使えばどうにかなるかもしれないが、敵に騎馬戦力が存在する以上、対抗できるだけの騎馬戦力を送り込めばたちまち接近を察知されてしまう。


 例外として『魔信』のようなリアルタイムに近い通信手段もあるが、大掛かりな設備とそれなりの人数の魔力を消耗するためまず持ち運びができない。この重量といった問題に加え、「敵の浸透部隊を発見。場所は〜」程度のやり取りにはコストがかかりすぎるのだ。


「まともに戦わないのは悪いと思うけれど、ちょっかいをかけてくる連中を相手に手段を選んでなんていられないのよ」


 しかし、海兵隊にそんなものは関係ない。

 西方の安全がそれなりに保証され、東部は余程のことがなければ自国戦力で対処できる見込みが立った今、投入可能な軍事的リソースは帝都の動きに即応できるように、そして次に脅威度の高い北方へと向けているためだ。


「ヴィクラントは……古の魔物を、味方に、つけ、た、とでも、いうのか……」


 その言葉を最後に、たったひとりの生き残りであった男は意識を永遠に手放した。


「……もはやいくさとも呼べないわね」


「後方を脅かす戦い方に出てきたのです。容赦する必要はないかと」


 小さく鼻を鳴らした少女――――アリシアへと隣に控えるアベルが答えた。


「わかっているわ。こんな数の敵まで相手にしていたら手が足りないもの」


 アリシアがこうした行動がとれるようになった背景には、少し前に解禁された『海兵隊支援機能』――――いや、アップデートされて新たに『統合軍事支援機能』と改称されアメリカ特殊作戦軍USSOCOMの能力を引き出せるようになったことが大きい。


 リチャードとクリフォードが仕込んだ、公爵家に雇われた者を中心とした間諜対策カウンターインテリジェンスも帝国の情報を掴むなど、着実に効果を上げており事前の備えもできていた。

 しかし、それらに加えて、今回のアップデートで北部国境から数十キロ地域の高高度をMQ-9リーパーがほぼ24時間で飛行可能となったことで事態は大きく進展。空からの監視によって仮想敵国の軍事行動の兆候を見逃さない体制が構築され、彼らはその高度警戒網にまんまと引っかかったのだ。


「だけど、空からの攻撃がここまで一方的だなんて思いもしなかったわ」


「航空戦力が相手にもあれば厳しいですが、実用化されていないのは幸運でした」


 今回、通報を受けて王国内に侵入を果たしたエスペラント帝国軍特務部隊に上空から襲いかかったのは、AC-130U “スプーキーII” 局地制圧用攻撃機ガンシップであった。

 MQ-9から任務を引き継ぎ、越境からほぼリアルタイムで監視していたAC-130U は、確認のため駆け付けたアリシアからの命令を受けると同時に、コールサインである魔法の竜マジックドラゴンの名に違わぬ圧倒的な火力を見せつけた。

 結果は圧勝などいった生易しいものではなく最早虐殺レベルだった。現状この世界ではどの国にも対抗できる手段は存在しないだろう。

 アリシアさえその気になれば周辺国の首都に炎の雨を降らせることもできるが、それは彼女にとっては意味のないことだった。


「この力を、王都自分の国に向けるような事態になるのだけは避けたいわね……」


 本当の敵は彼らエスペラントではないとばかりにアリシアはつぶやく。


 冬という仮初の平和が終わり、静寂を破り裂くように世界は争いという炎のさなかへ踏み入ろうとしていた。


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