第185話 余計な好奇心は姫騎士でも殺す


「せいれーつ! 駆け足はじめ! レーフ! ラーイ!」

「「「レーフ! ラーイ! レフライレフッ!!」」」


 日課の訓練に参加した兵士たちが声を張りながら海岸を駆けていく。今となっては教官は必要とせず、各部隊長が率先して部下を引っ張っていっている。


 戦い――と言っても序盤でしかないが――を終えたアリシアたちは、南大陸での拠点としてちょこちょこと目立たないよう改造を進めている漁村まで戻って来ていた。


 いつまでも傭兵団を前線に拘束していては費用ばかりがかかるため、アトラス側は正規軍以外を一番近くの街まで下がらせ待機させている。

 南海軍に与えた損害が大きく彼らを撤退にまで追い込み、同時に自軍の消耗が驚くほど少なかったからこそできた歴史的にも稀有な例だったのは間違いない。


「すんなり帰してくれたのは驚きだったわね。おかげで自由にできているけど」


 兵士たちの訓練を眺めながら、アリシアは海からの潮風を全身に浴びつつそっと言葉を漏らした。


「何かあってもここからならすぐに対応できると判断されたからでしょう。結果オーライではありますが、たしかに動きやすい場所です」


 横手に立つアベルが微笑を浮かべたまま答えた。


 この漁村は、他の傭兵団が待機している街ともさほど変わらないくらい前線に近い。機械化はされておらずとも、高度に近代化された遊撃兵団ならば誰よりも早く前線に復帰できるだろう。

 無論、アトラスはそのようなことまで理解してはいない。


「もっともメインの理由は他にありそうですが」


「身元も得体も知れない連中と他の傭兵を一緒にしておきたくなかった?」


 アベルの言葉を先回りするようにアリシアが問いかけた。

 彼女もまた特例とも呼ぶべき処置を報奨で与えたとは考えていなかった。


「有り体に言えば。我々のような存在がいるだけで、余計なトラブルになるのは目に見えています。そのあたりの鼻は利いたのでしょう」


 遊撃兵団が大戦果を上げてしまったため、他の傭兵団との扱いに差をつけたくなかったのだろう。そうなれば物理的に隔離するしかない。


 実際、まさか初戦から傭兵が大戦果を上げるなど考えてもいなかったはずだ。なんなら傭兵の多くはあそこで使い潰してしまってもアトラスとしては構わなかったに違いない。アリシアはそう考えていた。

 国は違えどそのあたりの思惑はわかる。多くの貴族とはそういうものだ。そうでなければあそこまであからさまな配置はしまい。


「だとしても監視の目くらいは必要だと思うけど? 寝返られたら困るとかあるでしょう?」


「それすら含めてあまり関わりたくないのかもですね。あるとすれば――」


「失礼します! お客人が参られました!」


 兵士のひとりが駆け寄ってきて敬礼をしながら告げた。

 どこか困惑しているようにも見える。


「お客? いつぞやの役人かしら? バルバドス殿だったかしら?」


 様子がおかしいと気付いたアリシアは助け舟を出す。


 バルバドス……ではなく、バルバストルなんだがな。

 アベルは思ったが口は挟まなかった。来訪者が確定してからでも遅くはない。


「はい。いいえ、そうではなく事前の先触れもなかったものでして……」


 勤務中ははっきりとした物言いを身体に叩き込んでいるのだが、珍しく兵士は言い淀んだ。何か理由がありそうだ。


「構わん、話せ。ここはヴィクラントじゃない。何が起きるかわからん戦時下にいるんだ。都度判断するしかない」


 アベルが促す。どちらかというと有無を言わさない圧力だった。役割としてはこれでいいはずだ。


「それが女性だけの集団なのです。アトラス国ジリアーティ騎士団を名乗ってはおりますが……」


 彼は先日の戦場で姿を見ていなかったのだろう。アリシアはすぐに記憶から出て来た。


「わかりました、会いましょう」


「よろしいのですか? 間違いなく面倒な話になると思われますが」


 アベルが苦笑混じりの表情で問いかけてくる。


「面倒事なのはわかっているわ。でも、追い返したらそれはそれでもっと面倒な方向に転がりそうだもの」


 アリシアも眉を小さく八の字にして困惑を示した。


「先ほど私が言おうとしていた件ですが、『厄介事には手持ちの厄介事をぶつけてしまおう』と考えるんじゃないか、でした」


 にこやかにアベルは微笑んでいる。


「それ、すこし言うのが遅いわよ」


 いつもなら愛しいはずの笑顔だが、今はちょっと殴り付けてやりたいものに見えた。





「お初にお目にかかります。ウォーヘッド傭兵団の団長アリシアです。家名につきましては身の恥となりますのでご容赦頂けますと幸いです」


 アリシアはそっと名前だけを名乗った。貴人に対する振る舞いとしては大陸は異なるがそれほど間違ってはいないだろう。

 南大陸にまでアルスメラルダ家の名は伝わってはいないと思うが用心に越したことはない。


「わたしはティツィアーナ・フィアーテ・アトラシアだ。この国の王女である。わたしが率いるジリアーティ騎士団として貴殿らに頼みがあって馳せ参じた次第だ」


 ――本物の姫騎士か。これはまたすごいのが来たわね。


 容姿からはそれほど武骨な印象は受けない。あえて騎士の喋り方にしているようだ。

 控えている副官もそんな感じだ。騎士団自体がおそらく形から入ったクチなのだろう。

 なんとなく彼女たちの立ち位置がわかってきた。


「映えある騎士団の方々とお話ができるとは光栄に存じます」


 正直、接触してくる可能性があるとすれば彼女たちくらいだろうと、ある程度は予想もしていた。

 南大陸――すくなくとも情報を拾える範囲に女権国家があるとは聞いていない。そんな中で、騎士団のメンバーがことごとく女性で、トップまでもがそうであるなら、必然的に王族が絡んでいると考える方が自然だ。

 戦場で彼女たちを見かけた時から予想していたアリシアは、各国の王族相手に何度も綱渡りじみた対応をした経験もあってさほど動じなかった。


「貴様、女っ! 傭兵風情の身で王族であられる姫殿下に白々しい態度、無礼であろうが!」


 劇的な臣下の振る舞いを示さないアリシアの態度を不遜ととったか、女騎士のひとりが剣の柄に手を伸ばした。


「フィオレッラ、やめなさ――」


 ティツィアーナが制止の声をあげようとしたところで、副官と双方の言葉どころか呼吸が止まりかけた。

 とてつもない――心臓を直接手で握られたような圧力が全方向から浴びせかけられていたからだ。

 剣呑な空気どころではない、まぎれもない“殺気”だった。


 その強さには程度の差こそあれど、全方向から「必要とあれば一切容赦なく暴力を行使する」と宣言していた。まるで抜き身の剣を首筋に押し当てられているような気分だった。


 ――なんなんだこれは! 傭兵団程度の身で持ち得るものではない!


 いくら児戯じぎと陰口を叩かれてこようが、これまで必死で武芸に打ち込んできた彼女にはそれが瞬時に理解できた。

 だから、この場で権威を押し通す真似は最悪な未来を招き寄せるとまで想像できた。


 アリシアはにこやかな表情のまま手を掲げている。無論、目だけは一切笑っていなかった。


「しばらく粗野な傭兵生活をしてまいりましたので、失礼な振る舞いがあったのなら謝罪します、ティツィアーナ殿下。たしかに、わたくし、いや我々は――」


 じんわりと全身に汗が浮かび上がりつつある女騎士たちを前に、アリシアは表情を普段のものに戻してから一度言葉を切った。


「貴国に雇われた傭兵の立場です。ゆえに雇い主クライアントに対して無礼を働くつもりもありません。ですが、敬意を向けられるには相応の規範を示すものです。それがこちらを侮蔑するものであったなら――」


 わずかに細められた翡翠の瞳には有無を言わさぬ迫力があった。


使


 ティツィアーナの全身が粟立った。権威で恫喝どうかつできる相手ではないし、すれば逆効果だ。姫騎士はそう悟った。


「わ、わかった、アリシア殿。部下の非礼をお詫びする」


「殿下!? 王族がこのような下賎げせんな輩に――」


「黙りなさい……!」


 ほら、冷水を浴びたのに懲りずにもうこのような反応をしている。できることなら溜め息を吐いて見せたいほどだ。

 フィオレッラもそうだが、プライドだけは一人前の団員たちがどこまで納得してくれるかで気が重くなる。いや、何が何でも納得させねばならない。それこそが王族であり団長である自分の役目なのだ。


 でなければ、


「礼節の重要性は、貴族の末席にいた身としてわたくしも存じているつもりです。ですが、今は話を先に進めたく。部下の方々はあなたの責任で静かにさせてください。無論、外で待っている者たちもです」


「承知した。フィオレッラ、外の者たちにも伝えて来なさい。わたしは今回、冗談の類は一切含めていない。わかったな?」


「……はい」


 フィオレッラに「絶対に余計なことは言うな」と視線で釘を刺してティツィアーナは頷き、さらに言葉にして念押しをした。

 副官もさすがに姫殿下が本気で言っていると理解したか、完全に納得したわけではなさそうだが外へ出て行った。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」


「わ、我々の訓練を依頼したいのだ」


 周りで聞いていた兵士たちの視線が一斉に集まった。不思議なことに彼らの顔色はどれもこれもほとんど青に近かった。

 中には小声で話している兵士たちもいる。「マジかよ……」「気の毒っていうかなんていうか……」そんな声が聞こえてきた。


「「「…………?」」」


 間違いなく、わかっていないのは当人たちだけだった。


 あとは皆理解している。今となっては地獄ではないが、“当時”は地獄だった道を彼ら――もとい、彼女たちは志願しようとしているのだ。


「それはそれは……しばらくは戦いまで時間もありそうですし、お受けするにやぶさかかではございません」


 アリシアが浮かべた笑みは「厄介事が来た」と辟易しつつ、同時にチャンスが巡ってきた喜びと綯い交ぜになった複雑なものだった。


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