第184話 勝利の遊撃兵団
「総員停止、射撃準備!」
各部隊長の指示を受け、兵士たちは即座に射撃姿勢を取る。
即応性および機動力を重視した片膝立ちの射撃姿勢だが、こちらが擁する.30-06スプリングフィールド弾は有効射程で500m、最大射程でも2,000mを越えていた。
狙って当てられる距離ですら敵から飛んで来る矢の射程を遥かに凌いでおり、魔法のように敵を一方的に叩き潰せる。
「まさかこうも容易く有効射程の範囲内まで入り込めるなんてなぁ」
不敵に口元を歪めたのは第三歩兵小隊長を務めるダドリー伍長だった。
一期生として当時上級曹長だったメイナードに海兵隊魂を叩き込まれた彼は今や立派な遊撃兵団員の指揮官となっている。
彼はエルフ出身だが、入隊してからこれまで種族云々といった“どうでもいい理由”で出世が妨げられたことはない。求められるのはただ“階級に見合った能力”を持っているかどうかだけだ。
そしてダドリーにはそれだけの実力があった。
「ダドリー小隊長、そもそも連中は
副官のディルク上等兵が意見を述べる。
彼の推測は当たっていた。「所詮、傭兵程度では正規軍を蹴散らせない」と認識していたのもあり、自軍右翼壊走の情報が伝わっていないことも重なった結果、あり得ないほどの接近を許していた。
「だったら余計に逃せない機会じゃないか。よし、敵の騎馬隊をぶっ潰す!」
森にいた頃の大人しい――いや、貧弱だったダドリーはもういない。故郷に帰れば両親が卒倒するかもしれない。
もちろん、彼は微塵も後悔していない。
「他の小隊に負けるんじゃねぇぞ!」
「「「イエッサー!!」」」
綺麗に並んだM1903の銃口が睨みつけるのは、追いかけてきた部隊の背中ではない。アトラス軍主力前面を守る傭兵――そこに襲い掛かろうとする南海騎馬隊だった。
「欲をかくな! 狙いはシンプルだ!」
各部隊長は理解している。敵兵力を減らすだけなら目先の無防備極まりない歩兵を潰そうとしがちだ。
しかし、戦いがここだけのものではないと長期的に見られる者なら、まず自軍の損害をどこまで減らせるか考慮せねばならない。
一見楽して削れそうな相手を無視し、逆撃を浴びるリスクを取ってでも急所を抉り取る戦い方をごく自然に選んでいた。
すべては、この戦いで遊撃兵団の真価を見せつけるためだ。
「――突破後は合流してくる連中に任せておけばいいな」
アリシアたちがここまで慎重な動きを見せたことで、敵側もまた盛大に勘違いをしていた。これもまた水物ゆえに起こる戦場の不思議だったのかもしれない。
「敵の主力を食い破るぞ! 騎馬戦力を遊兵にしている間抜けどもに思い知らせる!」
南海騎馬隊を率いるユン・シーガイは果断な性格をしていた。
まさしくこのまま彼の目論見通りに戦況が推移すれば、最低限この戦いだけでも勝利を収めることができたに違いない。
「そう、優秀だから気付けない」
遠くから騎馬隊の突撃を眺める少女の唇が小さく歪んだ。
この場で最も致命的な勘違いをしたのもまたユンだった。
味方が戻ってきたところまでは見えていた。ところが、それはアトラス軍を片付けて援護に来たわけではない。敵から壊滅的な被害を受けた彼らと、それを追いかけてきた遊撃兵団を合わせてカウントしてしまった。
ゆえに真正面の敵に対する突破力を高めるべく、アリシアたちが狙う射線上に無防備な側面を晒してしまったのだ。
「「「今だ、撃てッ!」」」
示し合わせたわけでもない。それでも不思議なことに号令は同時に放たれた。
一斉に数百の銃が火を噴き、轟音となって鳴り響いた。無防備極まりない横腹を晒していた南海騎馬隊は、例のごとく馬が銃声に驚き暴れる前に.30-06スプリングフィールド弾によって薙ぎ倒されていく。
その程度の戦果では、訓練を積んだ兵士は浮ついたりしない。
滑らかな動きでボルトが前後し、弾き出された空薬莢が宙を舞う。地面に落ちたそれらは金属音を立てるが、大抵は幾重にも重なる銃声に飲み込まれていった。
「横合いからの奇襲だと!?」
「損害多数! 異常です! 士気が維持できません!」
副官から上げられた報告はほとんど悲鳴だった。
これはまだマシだ。実際に襲撃を受けた者たちは悲鳴を上げているか、それすらできなくなっている。
「ばかな! 伏兵の騎馬隊でもいたのか!?」
「正規軍にあらず! 傭兵です!」
「この程度の――くそっ、やむを得ん! 撤退! 撤退だ!」
瞬時にユンは状況を把握して命令を下す。これ以上の無駄な真似はしなかった。必要なのは起きてしまった事態に対する挽回のみだ。それさえあれば反撃のチャンスもやってくる。
そこまでの対応が即時にできる指揮官であっても、やはりアトラスの動きは予想すらできなかった。
「油断したつもりはないが、負けは負けだな……」
――アトラスが奥の手を持っていたとしても正体はなんだ? そもそも傭兵だと? 国軍でもない連中が?
魔法か何かはわからないが、想定外の戦力に横合いから殴りつけられたのは間違いない。
もちろん彼は知る由もないが、状況を一瞬でひっくり返したのはアトラス軍主力ではなくアリシアたち遊撃兵団だ。
南海の敗因は――気付けと言う方が無茶ではあるが――軍事技術の進歩から言えば武器もそうだし、数世代先とも言える兵士の機動力まで予測できなかったことに尽きる。
南海軍全体に大国としての慢心があったのは否めない。接近する敵――それも歩兵を
「まさか傭兵がこのような力を……。どこから流れて来たのだ?」
指揮官は唸るしかない。
“たかが傭兵風情”がアトラス主力軍よりも遥かに高い打撃力を持っていたなど、イカサマと罵りたくなるレベルだ。神でもなければ予想すらできなかった。
「次はこうはいかんぞ……!」
戦場を脱するために指揮を取りながら、
視線を彷徨わせると、丘の上に布陣している一団――そのひとりと目が合ったように思えた。
「引き際を見誤らないし、判断も早い。長いこと戦の経験のないアトラスが相手にするには分が悪そうね」
「そうですね。ようやく今になって騎兵隊のお出ましのようですし」
どういうわけかはわからずとも、危機的状況を脱したアトラスは、さすがにこの隙を見逃しはしなかった。
進軍ラッパの音が響き、南海軍騎馬隊を受け止める予定であった歩兵部隊が割れ、次いで一斉に矢が放たれる。もちろん、今さら撃ってもたいした戦果にはならない。
さらには、生まれた隊列の隙間を縫うように、ここまで温存しておいたアトラス騎兵部隊が無傷のまま追撃を開始した。
「あれはいくらなんでも遅すぎだわ」
アリシアは小さく鼻を鳴らした。
ちなみに遊撃兵団が布陣しているのは、周囲の風景が一望できる高い丘の上だ。
戦線からはやや離れているが役目が終わった以上、無駄に終わるとわかりきった追撃戦に参加するつもりはなかった。
「追わないのですか?」
「無駄よ。アベル、わかっていて訊いているでしょ?」
問いかけたアベルの腕をアリシアが軽く叩いた。
敵を撤退させるだけの切っ掛けは作った。深追いの必要はない。
今は各小隊長を無線機経由で集合させている。一部の
「ふん、口ほどにもない連中だったな」
「別に何か罵声を浴びせられたわけでもないのでは?」
「大軍だから勝てるって態度が出てたじゃねぇか。そりゃ勝てるかもしれねぇけど、相手にしたらムカつかねぇ?」
兵士たちが軽口を叩き合っている中、ひとりがあるものに気付いた。
「なんだありゃ? 女騎士?」
追撃に飛び出て行った騎馬隊の後から馬に乗った身なりの良い騎士の姿があった。ひと目見てわかる女だらけの集団だ。身分は貴族の係累なのだろう。ゴテゴテとまでは言わないが鎧の装飾が比較的に華美に仕上げられていた。
実戦向けではなく見栄えが良い外交儀礼などで使われる部隊なのかもしれない。
そんな彼女たちを動員したのは士気を上げるためか、はたまた別の理由があってのことだろうか。
「さすがにわたしはああいうのは作ろうと思わなかったけれど――」
アリシアは小さく笑みを浮かべた。
一団を率いていると思われる青みがかった髪の少女の視線と、アリシアのそれがはっきりと交差していたからだ。
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