第162話 Kingdom Come


「やはり追い詰められて気でも違えたようだな……。もういい。おまえたち、この女を捕らえろ」


 すっかりアリシアに気圧され覇気を失いかけていたウィリアムは、どうにか平静を装って護衛に指示を出した。


 この場でアリシアが何かを言ったところで、自分の優位はいささかも揺るがないのだ。

 アルスメラルダ公爵夫妻は今頃騎士たちによって捕縛されている。もし奇跡でも起きて出し抜けたとしても、城には守備兵がまだ多く残っていた。それらを退けてここに辿り着くことなど絶対にできない。


 ついに――自分はアリシアに“勝てる”のだ。


「フン、これ以上話していても無駄だな」


 不快の響きが相手にまで聞こえるよう、ウィリアムはこれ見よがしに鼻を鳴らした。

 それから大袈裟な口調で一方的に告げて踵を返す。これ以上アリシアと視線を合わせていたくなかったのだ。


 彼は言い表せない気味の悪さを覚えていた。

 どうしてアリシアがここまで落ち着いていられるのか、いくら考えてもわからない。本当に狂ってしまった以外に説明のしようがなかった。

 自分自身を納得させようとしても、違和感が拭い去れないのだ。


 だから、ウィリアムは面倒事から逃げようとする子どものような思考で強引にこの場を終わらせることにした。

 すくなくとも、これまで心の中に抱えていた澱を吐き出すことはできた。それだけでも彼は大いなる満足感を抱けていた。


 あとは教会にでも引き渡して、ランダルキアと講和を結ぶと見せかけよう。その間に銃とやらの大増産を行えばやつらも油断するに違いない。


 この時点で、勝利を確信したウィリアムに慢心があったのは否めない。

 まつりごとに関わる者が時として必要とする苛烈さに至ってはまるで足りていなかった。も し彼が戦を経験し、幾多の死線を潜り抜けていれば、この場で不確定要素たるアリシアを殺していたに違いない。


 後世で語られるこの騒動の方向性を決定づけたのは、暗躍していた勢力の介入もそうだが、大半は「第2王子ウィリアムの軍事的無能さに尽きる」とまで言われていた。


 だからこそ、彼は未だ気付けない。遠くから近づいてくる音――己の運命を決定づけるものの到来に。


我が存在なくしてライフルは意味を為さずMy Rifle, without me, is uselessライフルのない我もまた無意味Without my rifle, I am useless


 追い詰められたように見える――テラスの手すりを背後にしたアリシアは、近付いて来る護衛騎士たちには一瞥もくれずに口を開いた。


「なんだ? まだ世迷い事を口にしているのか? 観念したなら教会の聖句でも唱えたらどうだ。教会と言えば――今思うとファビオのヤツも不憫なものだ。盗賊ごときに殺されるとはな……」


 ますますもって薄気味悪い。立ち去ろうとしていたウィリアムは吐き捨てるように口にした。

 あとは任せ、このまま自室へ戻ってしまえばよかったが、やはり彼は自身の“仇敵”を放置できなかった。だから余計な言葉に時間を費やしてしまう。


 そうだ、部屋に戻ってレティシアと戯れイヤなことを忘れよう。もうすべては片付いたに等しいのだから。


 遅まきながらそう決断を下す。彼はこれ以上“忌まわしき記憶アリシア”に関わっていたくなかった。最後まで見届けるだけの覚悟がなかったのもあるが。


「いいえ、違う。これは信条――海兵隊信条The Creed of Marine。あなたにはが聞こえないの? すべてに決着をつける時が来た運命の羽音が」


「なんだと? ……いや、なんだこの音は!?」


 鈍い音が連続して繋がる腹を打つような音が近付いてくる。視線を向けると灰色の“何か”がこちらに迫りつつあった。


「なっ!? 飛竜!?」

「ヘリ!?」


 ウィリアムとレティシアの驚愕が重なったようで重ならなかった。

 しかし、この時はアリシア以外の誰もそこには気付かない。


「な、何をしている! 早くそいつを捕まえろ! なんなら斬り捨ててもいい! 急げ!」


 おそらく、この時のウィリアムは人生で最も頭脳が活性化していた。直感的に迫り来るUH-1Yがアリシアに関係したものだと理解したのだ。

 一昨年より不思議なほどの武功や功績を上げ続ける彼女たちを、無意識下ではあるし本人は絶対に認めようとしないだろうが潜在的な脅威と認識していた。


 この果断さがもう半年でも早く発揮できていたならどうなっただろうか。

 第1次ランダルキア戦役にて彼が形だけでも出陣するか、王都からのコントロールで主導権を発揮するなりできていれば?

 派閥の大半を構成する東部貴族を取りまとめることで彼らの大量戦死を防げたかもしれないし、アルスメラルダ家がリーフェンシュタール辺境伯家に対して密かに影響力を持つ隙を与えずにいられただろう。


 そう、歯車は噛み合わなかった。


「あなたたち、この国の騎士じゃないわね」


「…………」


 アリシアの指摘を受けて近付いて来た護衛騎士は無言のまま剣を抜いた。それが彼らが何者であるかを明確に物語っていた。


「ああ、そういうこと」


 納得したようにアリシアは鼻を鳴らした。


 いよいよ自分も戦わねばならないか。そう思った瞬間、彼らはほぼ連続して糸が切れた操り人形のようにその場へ崩れ落ちた。

 よく見れば鎧を急所ごと撃ち抜かれ自身の身に何が起きたか分からぬまま即死している。


「なっ……?」


 ウィリアムの驚愕が伝わってくるが、アリシアは視線を向けずともわかっていた。

 ヘリからの狙撃だ。これほどの常識外れな腕前を発揮できるのはひとりしかしない。


 味方の準備が整ったことを理解したアリシアは、これまで一方的に自分の音声を送り続けていたイヤリングに偽装した複合インカムのスピーカー機能をオンにする。


『やりました! 命中です、スミス大尉!』


 いきなり耳朶を打ったのはラウラの声だった。

 さすがに「どういうこと?」とアリシアは思いかけるが、よくよく考えれば最近の彼女はエイドリアンについて狙撃術を学び観測手スポッター役を努めようとしていた。それゆえにこの組み合わせなのかと理解する。そこまでは大丈夫だ。


『へぇ……。すこしは人間らしい反応をするようになったじゃねぇかよ、“氷の人形アイスドール”』


『ちょっと大尉……。その呼び方すごく恥ずかしいからやめてくれません……?』


 いや、昔のラウラだったらそんなことを言われても眉ひとつ動かさなかったはずなのだが……。

 流れてくる会話を聞きながらアリシアの頭上に疑問符が浮かび上がる。


 というよりも、あなたたちいつの間に仲良くなっていたの? 性格合わなさそうだったけど。


『おいおい、なにを処女おとめみたいなこと言ってるんだよ。俺にどう言われたって眉ひとつ動かさなかった頃のお前はどこへ行ったんだ?』


『わたしは処女です! こんな風にしたくせに、いつまで経ってもあなたが手を出してこないからじゃないですか!』


 アリシアというか、おそらくラウラを知る者すべての心情を代弁しつつも、数倍の失礼ブーストがかかったエイドリアンの問いかけにラウラが怒鳴り返した。

 瞬間、通信範囲内の空気が固まったのは言うまでもない。


『おいバカ! いくらなんでも通信回線越しでそんなこと……!』


 伝わってくるエイドリアンの声には彼らしからぬ狼狽が宿っていた。無理もなかった。自爆型の公開処刑である。


『えっ……』


 ふと冷静になったラウラが周りを見渡しているらしい。皆の視線が自分に集中しているのは想像に難くない。


『ちょ……ちょ……ちょ……!!』


 これまで使ってこなかった感情の奔流が表に出てしまい、自分が“しでかした”ことを理解したラウラは真っ赤になって震えているようだ。


「ふふ、いいわね。こういう空気も」


 間近に迫ったヘリのローター音に言葉を掻き消されつつもアリシアは笑った。


 そうだ、もう恐れることなどない。すぐそばまで“チーム”が来ているのだ。自分を鍛え上げ、遊撃兵団を世界最強クラスにまで育て上げた精鋭たちが。


「何が……何が起こっているのだ……!?」

「殿下、ここは城内に! 危のうございます!」

「そう、これがわたしの……」


 狼狽えているのはウィリアムとコンラートだけだった。レティシアは意外なほど落ち着いていた。それがアリシアの目に印象として深く残った。


「おのれ、アリシアァッ!! やはり貴様の差し金か! どこまで俺の邪魔をすれば気が済むのだ……!!」


 ウィリアムが怒りの声を上げ剣の柄に手を伸ばし、それを引き抜いた。

 今度こそ彼は双眸に見間違えようのない殺意を漲らせている。


「はぁ……。卑怯とまで言うつもりはないけど、女ひとりを捕まえるためにこんな策を弄しておいて良くそんなセリフが吐けるわよね……」


 そっとつぶやかれた呆れ声は身内以外の誰かには届かない。

 そして、背後から迫っていたヘリがついにテラスの上空へと到達する。


「貴様とは……俺が決着をつけるしかないようだな!」


 ウィリアムが剣を携えアリシアへ近付いてくる。“護衛騎士”同様に狙撃されるとは思わないのだろうか。

 もっとも諸般の事情でアリシアたちには彼に致命傷を与えることはできないのだが。


『アリシア様、これを!』


 絶妙なタイミングで聞き慣れた声が無線機越しに響いた。

 アリシアにはもうわかっている。何が投ぜられたか。


我はライフルを正しく撃つI must fire my rifle true――」


 理解しているがゆえに、アリシアはその言葉を紡ぐ。 


 最小限の動きでアリシアは飛んでくるライフルケースを掴み、運動エネルギーを受け流しつつも流れるように留め金を開いて中身を取り出す。ケースが地面に落ちる中で、中から現れた銃身が陽光を受けて鈍く輝いた。


己を殺そうとする敵よりもI must shoot straighter than勇猛に撃つmy enemy who is trying to kill me――」


 弾倉はすでに装填されていた。

 だから、アリシアは槓桿チャージングハンドルを引く。滑らかな動作と共に金属の澄んだ音が上がり、戦闘用意が完了したことを高らかに告げる。


敵が我を撃つ前に、我は敵を斃す I must shoot him before he shoots me. I will


 アリシアの手に握られたM-14自動小銃は流麗な動作と共に、剣を振り上げたウィリアムへ向けられ――――これまでのすべての感情の奔流を飲み込み咆吼を上げた。







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